箱庭物語

晴羽照尊

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台湾編 本章 ルート『嫉妬』

世界を砕く斧

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 二度目だ。そう、冷静に丁年はカウントした。

 一度目は、最初に彼女の、黒の世界に囚われたとき。『異本』を渡して自首するという彼女の提案を蹴り、本格的に戦闘が始まった、あの瞬間だ。

 

 丁年たちは、このひと月、WBO『特級執行官』の三人について、でき得る限りに調査をしてきた。ゆえに、彼女がその斧を、一日に三度しか振れないことを知っている。完全破壊の、超重量の巨斧。その破壊力は、世界を揺るがす。
 だが丁年も、一度それを見るまでは、知らなかった。ただの超重量の巨斧。『宝創ほうそう』と呼ばれる特殊なアイテムであるところの、『宝斧ほうふ』、『グランギニョルの練斧れんふ』が、そんな単純なものであるなどと、思い込んでいたのだ。

「くそっ!」

 舌打ちをする。怒り心頭に振るった巨斧。それを躱すことは、なんとか成功した。だが、一度見て、その特性をわずかながら理解したつもりはあっても、完全には及んでいない。そのうえ、いくら理解できようと、実際にそれが振り下ろされれば、その威力による振動に、足をすくわれる。
 振り下ろした斧を、そのまま床に突き立てて、身軽な動きで迫るロリババアの拳。破壊力だけなら、巨斧での一撃と、さして差はないそれを視界にとらえながら、丁年は、ちらりと周囲もうかがった。

 やはり、

 互いに互いの世界に逃げ込み、追いかけ、黒へ行ったり白へ行ったり、目まぐるしく戦場は変わってきた。しかし、彼女が最前、斧を振るったのは、丁年の世界――白の世界だったはずだ。

 だがそれが、いまでは黒に染まっている。
 かの巨斧が、白の世界を断ち割ったのだ。

 それが、どういう力なのかは理解が及ばない。そもそも『宝創』も『異本』と同様、人知を超えたアイテムだ。理性や理論で理解するには、まだ人間の科学が及んでいないのだろう。
 それでも、一度目の攻撃で、黒の世界が掻き消えた。それを見て、最初は丁年も、ロリババア自身の意思で『グリモワール・キャレ』を解除したと思っていた。しかし、よくよく思い返せば、その世界の消え方は、斧が振り下ろされた床を起点に崩壊していったと想起できる。そして、二度目。丁年はしっかと確認した。今回も、斧が突き立ったその位置から、たしかに白の世界は崩れていったと。

 まだ理解は及ばない。だが、おそらくは、空間へ対する干渉力を持つ一品なのだ。それに彼女が気付いているかは解らない。が、おそらく理解してはいないし、少なくとも、それを有効利用できる頭はないようだ。そう、判断する。

 その巨斧での空間破壊は、彼女にとっては切り札になり得る。現状、空間を互いに展開させ、各々アドバンテージを奪い合っているからこそ拮抗して戦えているのだ。それを、瞬間的にでも強制的に解除できるのだから、これほど怖いことはない。

 そもそも本来、絶対制御の自身の領域に相手を捕らえた時点で、その生殺与奪は掌握したも同然なのだから。互いにそれがいまだ達成されていないのは、ひとえに、互いにそれを上書きできる、同系統の力を持つからに他ならない。

 だから、まずはあの斧だ。そう、丁年は考えた。放っておいても何度か、彼女はその斧を手に攻撃を仕掛けてきそうな場面はあった。だが、やはり相当な重量なのだ。それを振るうには隙ができる。その隙を丁年が見逃す。を演出するのは難しい。いくら相手が馬鹿であっても、そこに違和感を覚えさせてはいけない。そう、丁年は真面目に考えたのだ。
 その思考の末、いくらか試した手法のひとつが、今回成功した。互いに互いの世界に相手を捕らえ、追っかけ、何度も攻撃を外した。その苛立ちに、悪態を吐く。。そういう演技は苦手だが、半分は本当の感情だったので、不自然にならずに済んだだろう。

 その挑発に、彼女は乗った。もとより戦闘センスはないらしい彼女だが、怒り、我を忘れると、逆に適切な行動を取りがちだ。そうして、本来超重量の斧を振るうに現れる隙を、効率的な動きでカバーして、丁年に振るうことに成功している。

 それは丁年の思惑通りで、そういう意味では、彼女の成功は、失敗でもあるわけだが。
 だが、瞬間的な優勢は、得た。

「ワタクシは、馬鹿だよっ!」

 おそらく自分でもなにを言っているか理解していないようなセリフを吐いて、まだ足元のおぼつかない丁年に、その拳を、叩きつけた。

        *

 その右腕は、もう一度、折れた。

 先に喰らった一撃で、とうに折れていた右腕。だが、折れたのは前腕部だ。銃を持つには、もう力が入らないが、腕全体を持ち上げられないことはない。そうして持ち上げた腕で、もう一度、ロリババアの拳を受ける。
 それで折れたのは、上腕から肩にかけて。これでもう、右腕は上がりもしない。

 だが、いい。もう、いい。そう、思う。
 ここから先は、詰め将棋だ。丁年はそう、考えていたから。

「まず――」

 左手に握るバレッタを投げ捨てる。ついで、『異本』による転移で、リボルバーを左手に握る。彼が用意した切り札。ナガンM1895だ。

「一発」

 即座に、発射する。拳をぶつけ、至近距離にいるロリババア。その眉間へ向けて、カウンターの一撃を――。

「…………っ!」

 だが、身体全体を傾けるような、大きな首の動きで、彼女はそれを躱した。側頭部を掠めて空間を射抜く銃弾は、揺れたロリババアのポニーテールを一束、貫通する。

 貫通、――

「『指定引力 十』」

 ロリババアの背後、十メートルの距離で、ぐっ、と、速度を急激に落とし、収縮する。それは瞬間的に、極小のブラックホールのような引力を発生させ、十メートル圏内のものを吸い寄せる。わずか、コンマ数秒の間だけ。

「わ、ああぁぁ――!」

 だがそれだけで、距離を開くには十分だ。これで一手。『詰み』まで、あと、六手。

        *

 男がこの、台北に降り立ち、そばかすメイドの運転で温泉へ向かっているとき、彼女は、つまらない冗談を吐いた。自分は丁年と男女交際をしているとか。その言はたしかに冗談だが、しかし、すべてが嘘というわけでもない。

 男女の関係には、たしかにならなかった。だが、互いに互いへ詮索をするために、彼と彼女は、表面上、友人のような関係を維持してはいた。情報や物資を、互いに、各々の集団が不利にならない程度に、融通し合っていたのだ。

 そのうちのひとつが、そばかすメイドから贈られた、『宝弾ほうだん』、『ガーランド』。『宝弾』と銘打っているが、実質はその、特異な弾を製造する設計図や技術こそが、かの『宝創』だ。それに基づき、彼女が生成した銃弾を、丁年はわずかばかり、所持していたのである。
 その扱いには、相当の鍛錬を必要とした。それゆえ、六十を越える変化を起こせるはずの銃弾だが、そのうち十数種類しか、丁年は会得していない。撃ち方に独特のコツがありすぎるのだ。そもそも、それらを会得するための鍛錬に無駄撃ちし続けられるほど、その銃弾を所持してもいない。

 だが、いくつか使えそうな撃ち方は、会得できた。それが彼の、最後の切り札だった。
 それを用いて、詰め将棋の残りの手を、打っていく。

        *

 最低限の距離は稼いだ。ロリババアの動揺も誘えた。白の世界は割られ、いまは、黒の世界にて戦っている。ここで長くやりあっては、いつか彼女が、空間制御の絶対力で、殺しにかかってくるだろう。
 だからまずは、丁年の『異本』で、世界を白に、塗り替える。

「なんか、してるねっ!」

 違和感を覚えたのだろう。引力にて距離が隔たった先、ロリババアは表情を険しく立ち上がり、やはり猪突猛進に、丁年との距離を詰めようとする。
 丁年は銃口を向ける。だが、それは察知しているのだろう、すぐに彼女は黒の壁を生み、その中へ入っていった。瞬間移動して、来る!

「二発目」

 リボルバーの撃鉄を起こし、冷静に、銃口を向ける。

 これまでの移動から、なにも学ばなかったわけじゃない。彼女の移動には、癖がある。いや、それよりももっと確実な、法則がある。

 黒の壁を生成し、その内に消える。次に姿を現すのは、その壁の面が向いている方向からだ。そして、次に姿を現すまでの時間は、移動距離に比例する。銃を――飛び道具を持つ相手に対して、距離をとるはずもない。現れるのは、コンマ六秒後。場所は、左後ろ、七時の方向。

「近付いちゃえば銃だって――」

 言葉の途中で、丁年は発砲する。位地、タイミングともに、ぴったりだ。

 発砲音に、ロリババアの声は、掻き消える。その、姿もろとも。

 丁年の無駄撃ちを誘ったのだ。ロリババアは、丁年のリボルバーから、銃弾がなくなるまで、回避に専念している。だから、タイミングぴったりの発砲ですら、再度の瞬間移動で、躱した。

「『追尾』」

 発砲された銃弾は、目標物を見失い、戸惑うように瞬間、

「怖くないよっ!」

 再度、丁年の隙をつくように現れた声に、反応する。
 くんっ、と、唐突に、空に浮いた銃弾は標的を見付け、再度弾かれたように、彼女へまっすぐ、向かった。


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