箱庭物語

晴羽照尊

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台湾編 本章 ルート『暴食』

普通じゃない!

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 過去。――であるらしい映像が、瞬間でフラッシュバックした。それを見て、パリピは、その件につき思考する――ふりをして、その思考するふりを、やめた。
『思考』なんて、もはやこの身体には――精神には、ない。死んだ――一度、死んだ身だ。そこに無理矢理あてはめたこの自我は、この身体の持ち主のものとは、ひどく違っている。

Logログ Enigmaエニグマ』。死者蘇生の『異本』。それは、死んだ生命を蘇らせるのもの。元の人格を、魂を、現世こちらに呼び戻すことはできなかった。
 それを扱った若人が、『異本』が当時、彼の手にあれば、こんな出来損ないにはならなかった。

 本当に、うちは、落ちこぼれだ。そんな益体のないことを、思う。自我などないのに、あるように振る舞う自分に、苦笑する。その苦笑する精神すら、はりぼてでしかないけれど。

「なんもないけど、せめて――」

 八つ当たりだ、そう思う。――思う? 思うって、なんだ?
 自虐して、苦笑する。

「全部忘れるくらい、暴れてやる」

 幸い、蘇生した人体は、暴れるにはうってつけだ。脳のリミッターを外した身体は、痛みを感じない。体力という概念もなく、無限に身体を動かせる。その筋肉は、それ以上の成長こそしないものの、限界まで酷使できる。

 人類を越えた膂力を、発揮できる。

「悪いけど、このもやもやの、捌け口になってもらうよ!」

 加減を外した力いっぱいに、跳躍し、拳を、掲げる。

 なぜ、唐突にこの身体の記憶を思い出したのかは解らない。だが、そんなもの、いまさら想起したとて、意味がない。それを思うべき心が、もうどこにも、ないのだから。
 だから、苛立つ。自分というものすらない、わけの解らない、ゾンビのような存在だけれど、そんな自分にはもはや関係ない、身体の持ち主の記憶が、邪魔でしかない。

 こんなもの見せられても、うっとうしいだけだ。だから、頭をからっぽにして、八つ当たりの拳を、振り下ろすのだ。

        *

 人体を越えた跳躍と拳に、麗人は目を細めた。
 死ぬなあ。と、他人事のように思う。

 あんなの、死ぬなあ、と。

「受けちゃダメ。……普通に受けたら、死んじゃう」

 口の中に留め置くような声で、小さく言い聞かす。
 こういうときは、『普通』、どうする?

「『普通』に――」

 自問する内心へ、その、回答を向ける。
 降りかかるパリピの拳に触れ、力を受け止める――のではなく、その力に逆らわないように――

「受け流す!」

 力の流れに相乗して力を加え、そのまま床へ、叩きつけた。

「……あれ?」

 パリピは、瞬間、首を傾げた。
 痛くはない。痛みなど感じない身体だ。だが、見えている視覚情報は、想定していたものとは、やけに違っていた。

 叩きつけられている。そのまま如才なく、腕を捻られている。肩を押さえつけられ、無理に動かせば、簡単に関節は外されるし、骨も折られるだろう。

 まあ、とはいえ。

「痛くも痒くも、ないんだけど、ねっ!」

 無理矢理動いて、当然と、肩は外され、腕の骨は折れた。
 それでも、痛みはない。普通の人体なら動かせないレベルで損傷しても、まだ筋肉は生きている。その筋力だけで、まだまだ腕は、動く。

 だがそこは、十全と動く逆の腕で、次なる攻撃を仕掛けた。

『普通』でしかない麗人には、あまりに虚を突かれる攻撃だろう。腕を捻り押さえつけた段階で、相手が動くとは――動けるとは思いもしないだろうし、仮に動こうと、『普通』なら痛みで委縮する。そのはずだから。

「大丈夫。まだ、『普通』」

 しかし、パリピの想定とは違う、冷静すぎる表情で、麗人は構えていた。まるでこの程度、容易に想定していたかのように。
 虚を突いたはずの拳は、最小限の動きで躱され、麗人の首の、わずか横を、掠めた。麗人はその腕を掴み、やはりパリピの力そのものを利用して、そのまま背負い投げる。

「かっ――」

 痛くも、苦しくもない。だが、受け身もとれずに叩きつけられた身体から――肺の中から、空気が強制的に、吐き出された。瞬間、意識が、飛びかける。

「少しだけ、たぶん、痛いです」

 わずかに曇った視界に、麗人が映る。その華奢な体の力を、全身を使って思い切り、その掲げた拳に集約させている。

 こいつ、人体の使い方を、知っている――。そう、パリピは思った。

「ちょ……タンマ――」

 こいつは……こいつは――

「大丈夫です。これくらい、『普通』ですから」

 ゴ――、と、頬骨の折れる音を、パリピは聞いた。

 こいつは、『――!

 ――――――――

「護身術?」

 少女が、いぶかしむようにそう、問い質した。

「うん。『普通』の範囲内でいいんだけど」

 麗人は言う。わすかに、後ろめたそうに。

「いいけど……どうしたの、急に」

「電車通勤が怖くて。ほら、痴漢とか」

 時は、麗人がWBOに勤め始めたころ。フランス、パリ。WBO最重要施設、『世界樹』に通い始めたころだ。その通勤には、電車を用いることが『普通』だった。どうやらそれが原因で、痴漢対策に護身術を学びたいらしい。

「痴漢されたの? とっちめてやりましょうか?」

「されてないされてない。というか、されてからじゃ遅いでしょ」

「まあ、そりゃそうね」

 相変わらず、微妙に変ね、この子。そう少女は思うが、そんなことは口にしない。
 だって彼女は、『普通』でいたいみたいだから。

「じゃあまあ、触られたときの簡単な対処とか、いくつか――」

「んー、ていうかね」

 説明を開始しようとした少女の言葉を止めて、麗人はとぼけたように、口元に人差し指を当てた。

「ある程度、本格的にやりたいの。痴漢もそうだけど、それ以外にも、そのもの護身のために、少しは強くないと」

「…………」

 少女は、麗人を見る。あまり『家族』を疑いたくはないけれど、その『力』は、なにか、どこかへ向ける予定でもあるのではないか。そう思って、普段はあんまりしないのだけれど、『家族』の――麗人の心を、少し推し量ってみる。少女の持つ慧眼で。彼女の心を、覗き見る。
 が、どうやら杞憂だった。本当に麗人は、護身術として、そこそこの力をつけたい様子だ。彼女の頭にあるのは、具体的な力の矛先ではなく、ただただ漠然とした、突発的被害への恐怖。

 だが、だからこそ腑に落ちない。『普通』、一般的な日常を送る女性は、そんなことまで気にしない。それほどまでの生活への恐怖を、どうやら麗人は抱えているようだった。極端な話、もしいま隕石でも降ってきたら、どう対処するか。そんな突拍子のないことを彼女は、怖れているのだ。
 それでいて、『普通』でいたい――『普通』になりたいなんて、歪んでいる。そう、少女は思う。しかし、麗人は、しごく真剣だ。ならば、自分が口を出すべきことではない。そう、少女は、言葉を噤む。

「まあ、いいけど。人体構造から、一般的な武術、それから――」

「あ、でも、『普通』の範囲内でね?」

 彼女の『普通』へのこだわりは、異常だ。少女はなかば呆れながら、そう思った。

「はいはい、解ってるわ」

 嘆息して、少女は言った。
 まあどうせ、そもそもが『普通』じゃない麗人だ。麗人に限らず、この世に『普通』などというものは、少なくとも、普遍的概念としては存在しない。であれば、彼女が満足する程度の『普通』を、叩きこんでやろう。
 そのように、少女は思った。

 その結果はといえば――いくらひねくれた者が色眼鏡をかけて見ても、もはや『普通』と呼ぶには、逸脱しすぎてしまった麗人が、できあがってしまっていた。


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