箱庭物語

晴羽照尊

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台湾編 本章 ルート『憤怒』

瞼で『憤怒』を狭めて

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 この世界に生き苦しいことは、もう、とうに諦めた。
 だが、せめて。

「そうだ。ボクはべつに、誰に気兼ねすることもない」

 血を、よく流した。脳が大きく揺らされた。だから、まだ、フラフラする。
 それでも、ゴリマッチョは立ち上がり、その手に宝戟ほうげき傘此岸かさしがんを構えた。

貴族会あいつらを切り捨てたときに、決めたじゃねえか。好きに生きる。ってな」

 まだ、うわごとのように憎悪を吐き続ける佳人へ、矛先を向ける。彼女の姿は、改めて怪物だ。高身長で体格のいいゴリマッチョと比較しても、幾分も大きい。天井も高く、広々とした特級執行官ランスロットの私室をすら、狭く見せるくらいに、巨大だ。
 全身を鉱物のごとく硬質化し、触手や角、あるいは樹木のように、太く、鋭く伸ばしている。腕や足の関節も、もはや、みっつやよっつもあるように見える。それらすべてが刃物のように鋭利に煌めき、あるいは、そのサイズゆえに超重量の鈍器にもなっている。

 全身すべてをあますことなく、分厚く纏うその皮膜は、鈍く銀色に照っていた。一見するだけで、相当に硬質であろうと理解できる。手や足、胸部も腹部も、背中も、さらには顔面、頭部、どこもかしこも完全防備だ。ゴリマッチョの筋肉による防御とは比較にならない。筋肉が守り切れない身体部位すら完全に守り切っている。防御に関しては、一分の隙もない。

 まさに、絶対防御。それでいて、人体の構成を無視した、幾十もの刃に鈍器。そんな異形を目の当たりにしては、もはや、どちらが悪者か解ったものではない。

 いや、もとよりどちらが『悪』というわけでも、ないのだけれど。
 双方、己が信念に基づいて、正しく生きているだけなのだから。

「ハルカはイタイ。だから、アナタは、もっとイタイ。イタイ、イタイ――」

「ああ、そうですか」

 うねうねと蠢く幾重もの凶器をかざした。その佳人を見て、ゴリマッチョはにやりと、笑う。

 世の中は、理不尽だらけだ。自分のようなつまはじき者には、生き苦しい。
 そんな世界に、社会に、『憤怒』を抱く。だが、だからこそ――。

「痛えなんてのは、人生の理不尽の、ほんの上澄みでしかねえんですよ、ガキ」

 どんな苦しみも、笑うと決めた。

 笑ってぜんぶ、振り払ってやる。

        *

 突発に、多方面から一斉に、凶器が襲った。だが、ゴリマッチョはそれを、ひと払いに斬り落とす。

「……相性が悪いな」

 小さくごちた。

 佳人の凶器は、すべてが皮膚だ。鉄ほどに硬質化し、銀色になるまで鍛え上げられているが、その大元は、ただの皮膚でしかない。しかもそれらはすべて、彼女の『異本』によって生成されたもの。つまり、それらを斬り落とそうが、いくらでも再生成される。

 対して、ゴリマッチョの扱う傘此岸は、破壊に特化したアイテムである。その特性は、傷口に対する、治癒力の低下。この宝戟でつけた傷は、極端に治りにくくなる。生体でも、無機物でも。それゆえに、これでダメージを与えれば、基本的にその戦闘中、癒えることなく、ダメージが蓄積し続ける。これによって、防御力の高い相手に対しても、じわじわと傷を与え、徐々に弱らせることが可能だ。

 だが、すでに元の身体よりよほど多くの皮膜を纏った佳人だ。その一部を斬り落としても、それはただの、能力で生み出した皮膚に過ぎない。つまり、彼女自身にはダメージを与えられておらず、傘此岸による治癒力の低下をもたらすことができない。

「だがまあ、斬れるなら文句はないですねえ」

 いつか大男と対峙したときには、この宝戟の特性は有効に働かなかった。というのも、この傘此岸。特異な破壊性能こそ持っているが、その切れ味自体は一般な刃物程度しかない。そんなものでは、あの大男の身体には。まったくもって、あの大男の身体は、常軌を逸していた。

「イタイ! イタイイタイ――!!」

 案の定、佳人は切り取られた凶器を即座に再生成した。その瞳――があるだろう位置からはまだ、涙をぼろぼろ、流しながら。

「痛くないでしょうが。斬ってるのは皮膚――だけだっ!!」

 四方八方から襲いかかる凶器を、さらにいなす。さすがに手数が多い。すべてを一気に斬り落とすことはできないが、受けては斬り、躱しては斬り、少しずつ佳人の手数を減らしていく。危険となれば無理なく引き、隙があれば距離を詰める。佳人の手数の多さ、攻防一体の能力、無限に再生される凶器。それらがあろうともゴリマッチョは難なくそれらを斬り落としていく。

 というのも、佳人は、その姿こそ醜悪で、行動こそ凶悪だが、その実、戦闘経験が圧倒的に足りていないのだ。射手に弟子入りし、狙撃手としての活動をしていた丁年。少女から直々に護身術を学び、それを実用になるまで鍛え上げた麗人。その兄弟たちとは違って、佳人の鍛錬は、せいぜいがゲームの中。あるいは、空想によるものでしかない。彼女はこれまで、『異本』の強力な性能と、わずかなイメージトレーニングの成果で、戦ってきただけなのだ。
 それでも、これまではなんとかなった。それはひとえに、やはり、『異本』が強すぎたからであろう。だが、それだけではもう、『本物』には通用しない。

「ほら。ほらあ! この程度じゃ、ボクは殺せないですよお!」

 ようやく、ゴリマッチョの頭も、ほぼ正常に回帰したと言えるくらいに癒えてきた。だから、アドレナリンが彼を高揚させる。やり場のない『憤怒』を矛先に込めて、暴れられる時間が、彼を支える。
 比例して、動きが最適化される。戦闘センスのない佳人の動きには、容易に見破れるパターンがあった。それを見抜けば、もう、ゲームと同じだ。正しい動きを、ひとつひとつ、こなしていくだけ。

「イタイ……! イタイ! イタ――」

「ああ、痛いぜ。これ以上はな」

 佳人の、すべての凶器を斬り落とした。その再生にはいま少し、時間がかかる。
 そうして、わずかのクールタイムを得て、ゴリマッチョは佳人を足蹴にした。蹴り飛ばし、床に転がし、その、頑丈な身体を、踏みつけにする。

 いまだ強固な皮膜にこそ覆われているが、数多の凶器を斬り落とされた彼女は、もう、普段の佳人ほどのサイズしかない。それだけ弱々しくなってしまった彼女の喉元に、ゴリマッチョはただ、傘此岸の矛先を突き付けた。

「イタイ――コワイ――。イタイのヤダ! コワイの――シヌの、ヤダ!!」

「こんだけやっておいて、なにをほざいているんですかねえ」

 ゴリマッチョは、その、大木のような腕を大きく引き、力を溜める。傘此岸の矛先に、集中する。
 ちっ……。と、舌打ちをして、逆の手で、鼻眼鏡パンスネを正した。上気した身体から立ち上る蒸気が、視界を曇らせる。

 その隙、だった――。

「レベル500。『一角獣ユニコーンの閃突』」

 唐突に、一気に。

 彼女の額から伸びたひと突きが、ゴリマッチョの強靭な肉体を、貫通した。

        *

 まず、力が抜けた。宝戟、傘此岸を取り落とす。それから、血を吐いて。それからようやく、痛みを感じた。

「は……はっはあ!」

 息が荒い。それを笑い飛ばすように、彼は声を上げる。

「やるじゃあないですかあ。この……肉体に、傷を――」

「イタイイイイイィィ――!!」

 好機と見たのか、ちょうど凶器の再生成も完了したらしく、佳人は弱ったゴリマッチョを自身の上から払い落し、転がった彼にその、凶器を向ける。やはり単調に、ただただ、あらゆる凶器を多方向から、一気に。

「イタ……イタイ……?」

 なにかに戸惑うように、佳人は語尾を上げる。これだけ弱ったゴリマッチョが、それでもまだ、笑ってすべての凶器を、ただの筋肉ですべて、受け切ったからかもしれない。

「ああ、痛えよ――っ!」

 その威容に、怯んだ。
 佳人は、本能的に悟った。
 肌で、感じ取ったのだ。

「イタ……コワイ……! コワイコワイコワイコワイ――! コワイ!!」

 即座に、距離を隔てる。ガチャガチャと、金属のごとく銀に光る身体を、ぶるぶる震わせ、互いに打ち付ける。怯える、子どものように。

「なにが怖えんだよ。こんな、死にぞこないが。……なあ、稲荷日いなりび春火はるか

 血が噴き出す傷口を気遣いもせず、ただ緩慢と、ゴリマッチョは佳人へにじり寄る。

「ボクはこれからおまえを、痛めつけて殺すから。だから――」

 宝戟、傘此岸。それを拾い上げ、ゴリマッチョは無慈悲な視線で、倒れた佳人を見下ろす。

「がんばって、早く死ねるように、努力しろ」

 傘此岸を、振りかざした。


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