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台湾編 本章 ルート『憤怒』
この完全じゃない世界で
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「あっははははは――――ははぁっ!!」
蹂躙――。それは、一方的な、暴力だった。
「ほら! ほらあ! ちゃあんと守らねえと、すぐ死ぬぞ!」
「ヤダ――! イヤダああぁぁ――!!」
佳人はもはや、防戦一方だ。いや、防御というにもお粗末である。本心ではとっくに、尻尾を巻いて逃走したい。しかし、その隙すら与えられない。それゆえに、反射的に皮膜を連続生成して、なんとかゴリマッチョの攻勢を凌いでいるだけに過ぎない。
破茶滅茶な防御行動。本来、佳人の皮膜生成にはそれなりの時間がかかる。それは、一寸の隙も許されない死闘のさなかでも問題のない程度の時間ではあるが、それでも数秒、あるいは十数秒は、完全な武装を作り上げるには必要な秒数だと言えるだろう。しかし、このときの彼女は我を忘れていた。ゆえに、いまだ完全に硬化させられていない刃物や槍、鈍器や鎧などを、むやみやたらに生成しては、適当に自身の周囲に展開させている。癇癪を起こした子どもが、おもちゃ箱をひっくり返すような挙動だ。
その無秩序な行動は、意外と、武術を修めた者には厄介な不意打ちを喰らわせることがある。しかし、この場合は相手が悪かった。
ゴリマッチョは、武道者ではない。彼はただの、犯罪者。武力ではなく、暴力の行使者だ。その違いは、相手の意図を読むかどうか。理屈付けて戦うか、ただの感情で暴れるか。そこにある。ゴリマッチョは相手の意図など歯牙にもかけず、ただ相手を殺す。どこを攻撃されるかなど予測せず、ただ迫る脅威を払いのけるだけだ。
だが、それでも――。
「もおっとがんばってくださいよお! ボクはおまえの、その首を落としたいんだっ! 最高に硬化した、万全の首をなあ!!」
そんな彼にも、心はある。
絶望のどん底に沈むような、過去だってあるのだ。
――――――――
ゴリマッチョの半生は、激情との葛藤により形成した。そしてそれはいまだに、続いている。きっとこれからも続いていくだろう、葛藤だ。
はたして、この『憤怒』を飼い慣らせるだろうか? 見切りをつけて、諦めるべきなのか? むしろ身を任せて、好き勝手に暴れればいいのか? 堂々巡りする思考が、いつも彼の脳内を支配する。感情を理性で制御しようとするその思考こそが、また、彼の『憤怒』を強めていった。
貴族の世界からは、抜け出すことに成功した。事は簡単だった。お利口さんな貴族たちには、生まれ持って狂っているゴリマッチョの精神性を理解することなど、到底、できない。だからそれを、ただ発揮するだけでよかった。それだけで、いともたやすく、彼の実家は崩壊した。
だが、問題はその後だった。崩壊した家庭から脱却できようが、それで自由を手に入れられようが、それでも、人生は続く。端的に言って、金が要る。他人と違った精神性を持つ彼といえど、育ちは極上の、温室だ。彼にとって金は在るものであって、要るものではなかった。つまるところが、生きるために稼ぐ方法と、その理屈を知らなかったのである。
好きなところに住めばいい。好きなものを食えばいい。対価? なんだそれは?
それが、貴族として生まれた彼の、根底に根付いた思想だ。
「狂ってやがるな。下々の社会ってのは」
舌打ちをする。ただ生きるのに、なにかを差し出さねばならない。物資、技術、感情、肉体。誰もがそれを当たりまえと思っているが、そこにはいくばくかの、忍耐が含まれる。望みもせずにこの世に生まれ落ちて、死にたくないなどという消極的な理由で、ただ漫然と生きるだけだというのに、なぜ忍耐を強要されるのだろう? せっかく、これだけ壮大な共同体を形成したというのに、なぜ人類は、いまだ人類すべてを養えないのか?
それはきっと、どこかになんらかの意図が介入し、世界を狂わせているからに違いない。ゴリマッチョはそう考え、見えない誰かを見下し、唾を吐く。そうして、自身の中に燻る怪物――『憤怒』を、再度、認識するのだ。
貴族会を脱した、御家を出た。とはいえ、もともとは億万長者だ。それなりに資産は持って社会に羽ばたいた。だが、彼に金のやりくりなどできるわけもなく、数年のうちに財産は底をついた。
とはいえ彼に、危機感なるものはなかった。金がないなら、必要なものはただ、奪えば――いただけばいい。その行動が、彼の見下す下々の社会では、『犯罪』と規定されていることを、彼は知らなかった。
四人、殺した。それは、金を失った彼にとって、一食の食事に見合う、正当な対価だった。レストランで食事を終え、会計の段に金銭を要求する店側に、それだけの仕打ちをした。当然と、彼は捕まる。彼にとって、警察は怖れる相手でもない。貴族でいたころは、おとなしく生きてきた。だから、お縄を頂戴するのはこれが初めての経験だった。だが、それでも彼にとって、警察や国家など、怖れる相手ではなかったのだ。
なぜなら、彼はそもそも、彼らの存在をよく知らなかったからである。なんとなくの知識しかない。警察はボディーガードのようなもので、国家は貴族の親玉みたいなものだろう。その程度の、認識だった。
だから、いくら貴族をやめた彼といえど、温情はあるだろう。捕まり、どこかへ連れていかれるようだが、望むところだ。もしかしたら、自身が生きるべき環境へと案内されるだけかもしれない。貴族に戻るのは勘弁だが、あるいは、貴族でなくとも、もっといい場所が、自分に見合った世界が、あるのかも。その程度にしか考えていなかった。
それは、半分間違いで、そして、半分正解だった。
四人を殺して、反省の色もない。言うことは要領を得ないが、しかし特段、頭がおかしいわけでもないようだ。
そんな彼に下される裁決は、終身刑以外ありえなかった。
「狂ってやがるな、本当に」
そう、牢獄で彼は呟く。ことここに至っても、彼は楽観的だった。というより、そうある以外に他、方法がなかった。
誰も、なにも、世界の良し悪しを教えてなどくれなかった。生まれ落ちたときには、世界はすでに、こうであったし、望んだわけでもなく、自身はこう、完成されていた。彼は彼の正しいと思う生き方をしただけで、そこに悪意はない。であるのに、結果は、彼にとっての最悪だ。暗く狭い檻の中。食うにも寝るにも、暴れるにも不十分だ。
なにを恨めばいい? どこに向かって、この『憤怒』は向ければいい?
時間だけが延々と流れる狭い箱庭で、彼はそう、夢想した。答えのない問答を、頭の中で繰り返す。
「おまえが、コンスタンティン家の次男か」
ふと、その暗闇に、いつしか、誰かがやってきた。
「ああ……なんでしたっけねえ。……そうか、ボクの、いつぞやの名前か」
時間感覚も曖昧だ。それゆえにか眠そうに、あるいは活力みなぎる様子で、血走った眼を向け、ゴリマッチョは言った。
「おまえの兄弟たちにも会ってきたが、不思議だな、おまえだけは明らかに、頭のネジが飛んでいる」
「…………」
その言葉の意味を、ゴリマッチョは理解していない。貶されたとも、褒められたとも、どうとも思わなかった。そして、どうでもよかった。
「無駄話だったな。だが、無駄足ではなかった。聞くが、おまえ、まだ生きる気はあるか?」
「生きる気……? ないですねえ」
「だろうな」
面倒そうな声で言い、彼は腰を落とした。牢獄にだらりと半身をもたれさせているゴリマッチョに、視線を合わせる。
「だが、死ぬ気もないだろう。もうひとつだけ聞かせてくれ。おまえにとって――」
少しだけ、言葉をためらう。
「おまえにとって、この世界は、素敵か?」
彼の問いに、ゴリマッチョは、低く笑った。期せずしての、笑いだった。本当の本心。腹の底からの、嘲りだ。
「狂ってやがる」
そう、吐き捨てる。その答えに「そうか」、と、どこか満足げに、来客は言った。
「ここから出そう。私についてこい」
彼がそう言い、目配せすると、そばにいた職員が牢の鍵を開けた。
「……ボクを、助けると?」
希望も、絶望もない。ただ事実の確認に、ゴリマッチョは言う。くたびれた、声で。
「いいや、おまえが私を助けるんだ」
綺麗事だけじゃ、理不尽は変えられない。
そう言って、壮年は先へ行く。
扉を開けると、久方ぶりに見る光が、まばゆく広がる。
鬱陶しく世界を刺す、本当に狂った、暴力だ。
蹂躙――。それは、一方的な、暴力だった。
「ほら! ほらあ! ちゃあんと守らねえと、すぐ死ぬぞ!」
「ヤダ――! イヤダああぁぁ――!!」
佳人はもはや、防戦一方だ。いや、防御というにもお粗末である。本心ではとっくに、尻尾を巻いて逃走したい。しかし、その隙すら与えられない。それゆえに、反射的に皮膜を連続生成して、なんとかゴリマッチョの攻勢を凌いでいるだけに過ぎない。
破茶滅茶な防御行動。本来、佳人の皮膜生成にはそれなりの時間がかかる。それは、一寸の隙も許されない死闘のさなかでも問題のない程度の時間ではあるが、それでも数秒、あるいは十数秒は、完全な武装を作り上げるには必要な秒数だと言えるだろう。しかし、このときの彼女は我を忘れていた。ゆえに、いまだ完全に硬化させられていない刃物や槍、鈍器や鎧などを、むやみやたらに生成しては、適当に自身の周囲に展開させている。癇癪を起こした子どもが、おもちゃ箱をひっくり返すような挙動だ。
その無秩序な行動は、意外と、武術を修めた者には厄介な不意打ちを喰らわせることがある。しかし、この場合は相手が悪かった。
ゴリマッチョは、武道者ではない。彼はただの、犯罪者。武力ではなく、暴力の行使者だ。その違いは、相手の意図を読むかどうか。理屈付けて戦うか、ただの感情で暴れるか。そこにある。ゴリマッチョは相手の意図など歯牙にもかけず、ただ相手を殺す。どこを攻撃されるかなど予測せず、ただ迫る脅威を払いのけるだけだ。
だが、それでも――。
「もおっとがんばってくださいよお! ボクはおまえの、その首を落としたいんだっ! 最高に硬化した、万全の首をなあ!!」
そんな彼にも、心はある。
絶望のどん底に沈むような、過去だってあるのだ。
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ゴリマッチョの半生は、激情との葛藤により形成した。そしてそれはいまだに、続いている。きっとこれからも続いていくだろう、葛藤だ。
はたして、この『憤怒』を飼い慣らせるだろうか? 見切りをつけて、諦めるべきなのか? むしろ身を任せて、好き勝手に暴れればいいのか? 堂々巡りする思考が、いつも彼の脳内を支配する。感情を理性で制御しようとするその思考こそが、また、彼の『憤怒』を強めていった。
貴族の世界からは、抜け出すことに成功した。事は簡単だった。お利口さんな貴族たちには、生まれ持って狂っているゴリマッチョの精神性を理解することなど、到底、できない。だからそれを、ただ発揮するだけでよかった。それだけで、いともたやすく、彼の実家は崩壊した。
だが、問題はその後だった。崩壊した家庭から脱却できようが、それで自由を手に入れられようが、それでも、人生は続く。端的に言って、金が要る。他人と違った精神性を持つ彼といえど、育ちは極上の、温室だ。彼にとって金は在るものであって、要るものではなかった。つまるところが、生きるために稼ぐ方法と、その理屈を知らなかったのである。
好きなところに住めばいい。好きなものを食えばいい。対価? なんだそれは?
それが、貴族として生まれた彼の、根底に根付いた思想だ。
「狂ってやがるな。下々の社会ってのは」
舌打ちをする。ただ生きるのに、なにかを差し出さねばならない。物資、技術、感情、肉体。誰もがそれを当たりまえと思っているが、そこにはいくばくかの、忍耐が含まれる。望みもせずにこの世に生まれ落ちて、死にたくないなどという消極的な理由で、ただ漫然と生きるだけだというのに、なぜ忍耐を強要されるのだろう? せっかく、これだけ壮大な共同体を形成したというのに、なぜ人類は、いまだ人類すべてを養えないのか?
それはきっと、どこかになんらかの意図が介入し、世界を狂わせているからに違いない。ゴリマッチョはそう考え、見えない誰かを見下し、唾を吐く。そうして、自身の中に燻る怪物――『憤怒』を、再度、認識するのだ。
貴族会を脱した、御家を出た。とはいえ、もともとは億万長者だ。それなりに資産は持って社会に羽ばたいた。だが、彼に金のやりくりなどできるわけもなく、数年のうちに財産は底をついた。
とはいえ彼に、危機感なるものはなかった。金がないなら、必要なものはただ、奪えば――いただけばいい。その行動が、彼の見下す下々の社会では、『犯罪』と規定されていることを、彼は知らなかった。
四人、殺した。それは、金を失った彼にとって、一食の食事に見合う、正当な対価だった。レストランで食事を終え、会計の段に金銭を要求する店側に、それだけの仕打ちをした。当然と、彼は捕まる。彼にとって、警察は怖れる相手でもない。貴族でいたころは、おとなしく生きてきた。だから、お縄を頂戴するのはこれが初めての経験だった。だが、それでも彼にとって、警察や国家など、怖れる相手ではなかったのだ。
なぜなら、彼はそもそも、彼らの存在をよく知らなかったからである。なんとなくの知識しかない。警察はボディーガードのようなもので、国家は貴族の親玉みたいなものだろう。その程度の、認識だった。
だから、いくら貴族をやめた彼といえど、温情はあるだろう。捕まり、どこかへ連れていかれるようだが、望むところだ。もしかしたら、自身が生きるべき環境へと案内されるだけかもしれない。貴族に戻るのは勘弁だが、あるいは、貴族でなくとも、もっといい場所が、自分に見合った世界が、あるのかも。その程度にしか考えていなかった。
それは、半分間違いで、そして、半分正解だった。
四人を殺して、反省の色もない。言うことは要領を得ないが、しかし特段、頭がおかしいわけでもないようだ。
そんな彼に下される裁決は、終身刑以外ありえなかった。
「狂ってやがるな、本当に」
そう、牢獄で彼は呟く。ことここに至っても、彼は楽観的だった。というより、そうある以外に他、方法がなかった。
誰も、なにも、世界の良し悪しを教えてなどくれなかった。生まれ落ちたときには、世界はすでに、こうであったし、望んだわけでもなく、自身はこう、完成されていた。彼は彼の正しいと思う生き方をしただけで、そこに悪意はない。であるのに、結果は、彼にとっての最悪だ。暗く狭い檻の中。食うにも寝るにも、暴れるにも不十分だ。
なにを恨めばいい? どこに向かって、この『憤怒』は向ければいい?
時間だけが延々と流れる狭い箱庭で、彼はそう、夢想した。答えのない問答を、頭の中で繰り返す。
「おまえが、コンスタンティン家の次男か」
ふと、その暗闇に、いつしか、誰かがやってきた。
「ああ……なんでしたっけねえ。……そうか、ボクの、いつぞやの名前か」
時間感覚も曖昧だ。それゆえにか眠そうに、あるいは活力みなぎる様子で、血走った眼を向け、ゴリマッチョは言った。
「おまえの兄弟たちにも会ってきたが、不思議だな、おまえだけは明らかに、頭のネジが飛んでいる」
「…………」
その言葉の意味を、ゴリマッチョは理解していない。貶されたとも、褒められたとも、どうとも思わなかった。そして、どうでもよかった。
「無駄話だったな。だが、無駄足ではなかった。聞くが、おまえ、まだ生きる気はあるか?」
「生きる気……? ないですねえ」
「だろうな」
面倒そうな声で言い、彼は腰を落とした。牢獄にだらりと半身をもたれさせているゴリマッチョに、視線を合わせる。
「だが、死ぬ気もないだろう。もうひとつだけ聞かせてくれ。おまえにとって――」
少しだけ、言葉をためらう。
「おまえにとって、この世界は、素敵か?」
彼の問いに、ゴリマッチョは、低く笑った。期せずしての、笑いだった。本当の本心。腹の底からの、嘲りだ。
「狂ってやがる」
そう、吐き捨てる。その答えに「そうか」、と、どこか満足げに、来客は言った。
「ここから出そう。私についてこい」
彼がそう言い、目配せすると、そばにいた職員が牢の鍵を開けた。
「……ボクを、助けると?」
希望も、絶望もない。ただ事実の確認に、ゴリマッチョは言う。くたびれた、声で。
「いいや、おまえが私を助けるんだ」
綺麗事だけじゃ、理不尽は変えられない。
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