箱庭物語

晴羽照尊

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台湾編 本章 ルート『強欲』

World,only...

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 ――約ひと月前。

「いったいどういうつもりだ。『アーサー』」

「ついてくれば解りますよ。カルナ・イヴィル・ブルグント」

 バキッ、と、先導する若人はなにかを噛み砕いた。それを咀嚼し、喰い終えればさらに、次へ。延々と、それを繰り返している。
 防犯上の理由から、装備は解除させられている。ゆえに、彼の戦闘力は、はっきりとは計り知れない。だが、見るからに貧弱そうだ。そのように、執事は手持無沙汰に、若人を評価した。

 だが、であるなら、やはり『異本』か。後ろにいる執事に見せつけるように、後ろ手に握る、煤色の装丁の『異本』。それについての知識は、執事には持ち合わせがない。それでも、不穏な凄みは感じる。『異本』への親和性、というよりは、戦闘者としての直感で。

「さて、ここです。どうぞ、カルナさん」

 とある一室の前で若人は立ち止まり、執事へその先を促した。その部屋へはひとりで入れ、ということらしい。

「いったい、なんだというのだ」

 改めて、WBOに呼び立てられる覚えが、執事にはまったくなかった。特段に敵対してはいないが、交流があるわけでもない。WBOとEBNAであれば多少の因縁もあろうが、執事は『出荷』されて以来、EBNAとも縁を切っているし。

 まあ、ここまで来て、考え込んでいても仕方がない。執事はまだ、腑に落ちないままに、扉を開いた。

        *

 その光景を――いや、そこにいる人物を見て、執事は数秒、すべての動きを止めた。肉体的にも、精神的にも。あらゆる、思考をも。

「お――」

 じんわりと胸が熱くなる。感動、感激、歓喜。だが、すぐに理性的に、落ち着く。落ち着いて、ふつふつと、怒りを覚えた。

「おまえは、誰だ」

 つい漏れた言葉を軌道修正して、そう、問う。問いながら、怒りを、ここまで歩いてきた廊下へと向ける。執事を送り届けたのち、退散してしまった若人へ。しかし、彼の姿はすでに、なかった。
 だから、矛先は、部屋の中へ向けるしかない。

「おまえは誰だと聞いている! 返答次第では、ただでは済まさんぞっ!」

 武器の持ち合わせはない。しかし、拳ひとつで十分だ。そこにいる、に相対するには。

「あら」

 そこにいる者は、執事の怒りにも、その剣幕にも臆したふうもなく、わずかに口角を上げた。豪奢なソファにもたれていたが、そこから立ち上がる。見るだに高貴な、深紅のドレスを揺らし、一歩、執事に近付く。

「ずいぶんいい顔付きになったわ。もっと近くに寄りなさい。あたくしに、よく見せて」

「誰だと聞いている! いったいどういう魂胆だ! その……その姿は――」

 ふう。と、呆れたようにその、令嬢のような者は肩をすくめた。そして小さく、苦笑い。
 それは、幻と呼ぶにはやけに、仕草だった。

「誰って、あなたの知っているあたくしよ。まあ、驚くのも無理はないわ。まさか死者が生き返るなんて、そんなの、想定しておけという方が酷だものね」

 語り、また一歩、近付く。それに気圧されるように、執事は一歩を、後退した。まだ、見ている光景の真偽を、推し量るように。

「ふざけるな! 死者が生き返るだと!? また俺を騙すつもりか!」

「またって、なにかしら。あたくしの知らぬ間に、誰かに騙されでもしたの?」

 眉根を寄せて、怪訝そうな顔をする。その表情も、やはり、。そのあまりの完成度に、執事は、混乱を強める。
 だがかろうじて、さらに一歩近付く彼女を、「それ以上近付くな!」と、言葉で押しとどめることはできた。

「仮に――仮に、なんらかの手法で、人知を超えた異能で、死者を生き返らせることができるとしよう。だとしても、いったい誰が、お――おまえを生き返らせるというのだ」

 まだ目の前の者を確定できない執事は、言葉を選ぶ。敬愛するただひとりを除いて、その呼び名は使えないから。

「WBOの――ええと、なんと言ったかしら、あの坊やは。……まあいいわ。問題は誰が、ではなく、どうして、あたくしが生き返らされたか。あなたの問い通りね。はたしてこれは、

 執事の制止の言葉を忘れたように。あるいは、その程度、そもそも歯牙にもかけない――気にする必要のない立場の者のように、彼女は、また一歩、執事に寄った。その行動を止める言葉は、もはや、執事の口から出てこない。これ以上、虚勢を張るのは、困難だ。

「ひとつに、この『異本』が扱える者」

 一歩。そして、黒紫色の『異本』を掲げる。

「ふたつ。有能な使用人が、仕えていること。つまるところが、強力な戦力が必要ということね」

 一歩。そして、己が使用人を射抜く、視線。愛する者を見つめる、穏やかな目。

「みっつ。まだ生きたいと――いまだ生きて、成し遂げたい悲願を抱えていること。……と、こんなところかしらね。あたくしが、選ばれた理由は。下々の平民に顎で使われるのは癪だけれど、でも、感謝はしてる。あなたと――また会えたものね。カルナ――」

 一歩。そして、もう、手の届く距離に。互いに触れ合える、その距離に。
 近付いて、そして執事は、思い知る。

 本当に――本当に。
 本当に、彼女だと。

 だが、あとひとつだけ、まだ腑に落ちない。

「……最後に、あとひとつ、お聞きしたい」

 がくがくと、足が震える。跪き、首を垂れたいと――その衝動をあと少しだけ、抑える。

「俺の知るあのお方が、こんな――そんな……スレンダーであるはずが、ないっ!!」

 どういうことだ! そう叫んで、執事は彼女を指さした。その、名推理を披露する探偵のような挙動に、彼女は両目を瞬かせる。あっけにとられたように。

「あ――ははははっ! あはははははははっ!!」

 その、加減のない呵々大笑は、執事の記憶になかった。だから、いぶかしむ。やはり、なにかの間違いなのか。眼前の人物を、もうほとんど、あのお方だと確信しかけていたけれど、結局は嘘なのか。改めて、困惑する。

「そうね。あなたと会ったころはもう、あたくしはだいぶ、ふっくらしていたものね。う――ふふふふ――あはははははっ!」

 ふう。と、やがて彼女は高笑いを抑え込み、期せずして浮かんだ涙を、小さく拭った。ひとつ、咳払いをして、元来の彼女らしく、身なりを整える。

「まあ、どちらが本当のあたくしだとか言う気はないけれど。幼いころはこんな感じだったわ。あなたには見慣れない姿かもしれないけれど、でも――」

 指さしたままの執事の手を、取る。力強く握り込んだ拳を、丁寧に解き、その手に、自らの手を、重ねた。愛しむように。

「あなたなら、解ってくれるわよね? ……カルナ」

 その、表情に――。声に、仕草に、匂いに。己が手を温める、その体温に――。

「お、嬢様――! ミルフィリオお嬢様っ!」

 理屈ではなく、執事は理解した。だから、膝を折り、首を垂れる。

 それは、高貴なる者へかしずく、執事としての姿――ではなく。

 最愛の方へ捧げる、ひとりの男としての、敬愛の証だ。

 ――――――――

「改めて、宣言しておきますわ」

 スカートを持ち上げて、令嬢は、わずかに一礼する。礼こそ尽くせど、いまだ、遥かなる高みから、見下ろすように。

「あたくしは、ミルフィリオ・リィン・ニンファ・ガーネット。偉大なるガーネット家の末裔にして、そして――」

 ちらりと、並び立つ執事に、目配せする。

「ここにいる、カルナの主人であり、……伴侶よ」

 執事の手を取り、指を絡ませる。ほっそりとした彼女の頬に、薄く朱が差した。
 だが、すぐに表情を引き締める。悲願を達成するためには、まだ障壁が立ち塞がったままだ。その敵を見据え、宣言する。

「あたくしたちの未来のために、あなたは排除する。なにがあっても、なにをしてでも、必ず」

 力強く言って、そして、名残惜しそうに、執事の手を離す。愛する者の、手を。

 ふたりの世界を、目の前の敵から、守るために。


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