箱庭物語

晴羽照尊

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台湾編 本章 ルート『狂信』

腥氛

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 なぜだか話がうまく運び、子女と少年は、アボリジニの青年に連れられ、アリススプリングス郊外の、洞窟にまで来ていた。

「で、なんだって?」

 少年は子女に問う。アクティブに活動するのが子女の役目だ。それに追随して、『異本』の気配を探る、それが少年の役割である。ゆえに、子女の行動にはあまり口を出さない。とはいえ、今回の行動は、やや不穏な方向へ傾いていた。人気のない方へと観光客を誘う現地民を、警戒しないわけにはいかない。

「うちらはアボリジニ文化を研究しに来た研究者。あなたの民族に伝わるなにかはないですか? 語り継がれる神話。残存する壁画。歌や踊り。特別な場所。……そんな感じでいろいろ聞いたけど、聞けたのは神話くらいだったね。蛇とか、ネズミの神話」

「ネズミ……」

 疑問にわずかに届かない語尾の上げ方で、少年は反駁していた。蛇は多くの神話に登場する。しかしネズミに関しては、あまり聞いた覚えがなかった。それゆえの、無意識の受け答えだった。

「彼らの神話では創造神にあたるみたいよ? なんか……うん。神話らしい突拍子もない展開が続くんだけど、とりあえず人類を含めた、この世のあらゆるすべてが、そのネズミの、へそわきから生まれた」

「臍や腋?」

 今度は意識して、少年は問い返す。いや、日本神話においても、目や鼻から子孫が生まれているのだから、おかしなことでないのは理解していたのだが、彼の認識としては、やや突飛な箇所から生まれたものだと思ったのだ。

「そういうふうに言ってたと思うけど……。あんまり自信ないなあ。英語で話してくれたけど、固有名詞とか微妙やし。そもそもうち、英語すらろくに話せねえし」

「はあ……」

 子女が英語を話せないというのは謙遜だろう。これまでだって数々の旅行先で、ちゃんと会話が成立していた。とはいえ、同じ英語を用いたとて、地域によって訛りがあるのは少年も理解していたし、そういうことなのだろうか。

「んで、そのネズミはいまでは、湖の底で永遠の眠りについてるって。まあ、普通の死体化生神話ってとこ」

「死体……化生……」

 ここで少年は、さして関係ないのだが、自らの特性について想起した。そうだ。若男と子女と、ずっと問題なく生活していたから忘れかけていたが、自分は、死を呼ぶ存在だった。と。
 そこで彼の首筋に嫌な悪寒が、流れた。だがそれが、誰かが死ぬ予兆だったのか、あるいは『異本』を間近に感じたからだったのか、それがどうにも、判断つかなかった。どちらもまだ、少年にとって慣れ切れていない感覚だったし、どちらにしたところで、もう運命は、後戻りできないレールの上に乗っていたのだろうから。

        *

 それで、結局。その洞窟に赴いたのは、アボリジニが残した壁画を見せてもらうためだったという。その話題が出たころには、すでに壁画のある地帯に踏み入れていたから、言われるまでもなく理解できたことではあったが、そこまでの話の流れは、少年にも共有された。

「アボリジニの壁画って、ドットペインティングなんだと思ってたけど」

 少年は一言目に、そう言った。

「全部が全部、そうじゃないみたいだよ。こういう普通の絵とか……あ、これはアボリジニっぽい、エックスレイペインティングってやつだね」

 そこにあるは、棒人間のような、全身が細長い生き物や、動物の身体に、模様のように丸が描かれた壁画。

「レントゲンみたいに、骨や内臓を描いた絵ね。狩猟採集民族だった彼らが、動物の身体構造を顕すのに描いていたって言われてる。……うん――」

 解説して、壁画を順に見て行って、徐々に子女は口数を減らしていった。そして、ある地点で、立ち止まる。

「……どうした、リオ」

「……うん」

 問いかけても、気のない返事があるだけだった。仕方がないので、少年もとりあえず、そのあたりの壁画を見る。
 あくまで抽象的な絵画であり、そのうえ、ところどころが欠けたりしている。それでも、描かれているのは、おそらく帆船だ。船の下には海洋生物らしき絵も見て取れる。それとは別に、人々が争うような描写。槍を構えた、原住民らしき姿に、敵対勢力であるらしい集団は、原住民をはるかに超える人数で、船から攻め寄せている。

「これは――」

 独り言のように呟いて、一歩――また一歩と、子女は少しずつ、奥に進んだ。

「明らかに、他より古い。でも、さっきの壁画より――だったら――歴史的には――それじゃあ――」

 確信を固めるように、彼女の足取りは速くなる。案内をしてくれたアボリジニの青年は、とうに後ろに置いてきている。いちおう、だいぶ後ろからついてきている様子ではあったが、ここまで追い付くには時間がかかるだろう。

 だから、先へ先へ、無遠慮に探索してもそう簡単にバレないはずだ。もし仮に、あまり奥地まで部外者を入れるのが歓迎されないとしても。
 とはいえ、下手に面倒を起こすのもよくない。そう思って、少年は子女を止めるべく、動いた。

「リオ!」

「…………!」

 駆け寄って、彼女の肩を叩き、名を、大声で叫んだ。焦点の定まらない目で振り返る彼女を見て、少年は直感的に、悟る。

 あまりに希薄で、そのうえ、そこかしこにあるから、解らなかった。
 これは、『異本』の気配だ。

「リオ! 『異本』だ! 近くに『異本』がある!」

 そしてその『異本』に、子女は引き寄せられている。そう、少年は理解した。だがあえて、そのことを彼女には、告げない。無自覚だからこそ、夢中になれるのだ。そう、思ったから。

 というのも、『異本』の気配を感じたはいいが、その場所が、少年にはまったく解らなかったのだ。これまでの――さして多くはない――経験上、気配を感じた時点で、ほとんどどのあたりにあるか理解できたはずだった。少なくとも、どの方向へ進めば近付けるか、それくらいは。

 しかし、今回に限っては解らない。おそろしく近くにあるようでいて、途方もなく遠いような。そんな気さえした。だからこそ、引き寄せられている子女にこそ、その探索をさせたかった。

「『異本』……『異本』……?」

 子女はうなされるように、そう言った。……言って。

「――痛ってえ!」

 自らで自らを、その両手でその両頬を叩き、正気を取り戻した。

「あ――危ない。イシちゃんみたいなのに取り込まれるところだった」

 ふう。と、なにごともなかったように軽く、普段通りだ。少年は安堵したが、しかし、複雑に落胆もした。これで、『異本』への道は、少しだけ遠ざかってしまったから。

 かつて『異本』に精神を乗っ取られた若女のことを、少年はただ、聞き及んだだけでしか、知らない。それゆえに、彼は『異本』の毒性を、まだ甘く見ていたのだ。

 いや、彼だけじゃない。彼女もだ。

 身近で見て、知った気になっていても、子女だってそのもの、するのは、これが初めてだったのだから。

「んでえ、『異本』だって? どこにあるか解る? ソナエ」

「いや……」

 ここで少年は、また別の恐怖に一瞬、捉われた。
『異本』を感知できる。それが少年にとって、若男や子女に提供できる唯一の才能だった。それが今回、うまく働いていない。それは、彼らにとって、少年に失望するに足る出来事だと、そう思ってしまったのだ。

 まがりなりにも数年の付き合いがあって、いくら重要なことだろうと、それだけのことで彼らが少年を見放すなど、そんなこと、あるはずないと解ってはいたのに。

「あー、あー、だいじょうぶ。オッケー牧場。今回はどうやらうちにも、解るみたいだ」

 そう言って子女は、来た道を小走りで、戻り出した。……かと思えば、すぐに帰ってくる。

「ちょおっと調査で時間かかるから、洞窟の入り口で待っててもらうように言っといた。場合によってはこっそりと、『異本』を持ち帰らなきゃならないからね」

 じゃ、行こか。と、子女は先んじて、奥へ進む。普段通りの彼女だ、問題ない。そう、少年は思っていた。
 だから、もやもやした感じを抱えながらも、少年は彼女のあとを、追った。


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