箱庭物語

晴羽照尊

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台湾編 本章 ルート『狂信』

いまだ続く神話

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 1998年、五月。オーストラリア、アリススプリングス。
 オーストラリア内陸部、『アウトバック』最大の都市。この地は『アウトバック』――オーストラリア内陸部の砂漠を中心とする人口希薄地帯――における、南北交通の拠点。人々の移動のみならず、かつては通信の中継所としての機能も備えていた。その重要な電信中継所のそばに湧き水が見られ、その湧き水が、当時の電信監督官であったチャールズ・トッドの妻、アリスの名にちなんで付けられたことから、『アリススプリングス』という地名となったという。

 この地域は現代、オーストラリア観光においても重要な土地となっている。というのも、オーストラリア観光において真っ先に想起されるであろう『ウルル』、別名『エアーズロック』まで、目と鼻の先という立地で、当地への観光拠点として栄えたのである。

 ウルルは、原住民アボリジニにとって神聖な場所であり、いまでも多くの祭儀が現地では行われている。そのウルルにほど近いこの地にも、多くのアボリジニが暮らしていた。かつては狩猟採集民族として生活していた彼らも、現代では多く都市部に住み、かつての生活を営んでいる部族は少ない。それでもまだまだ『アウトバック』には、いくらかのアボリジニ部族が自然に寄り添った生活を続けており、彼ら独自の思想、『ドリームタイム』を

 過去も、未来もない。もとより文字文化すら持たないアボリジニの人々は、口頭で彼らの歴史――神話を紡いできた。それこそが『ドリームタイム』。過去や未来――つまるところ、『時間』という概念を持たない彼らにとっては、いまこのときも変わることなく、『神話ドリームタイム』が続いているのだ。

 さて、こたびの旅路はその、『ドリームタイム』を探そうと乗り出した、WBOのお話。具体的には、子女と少年による、『アボリジニの神話』という、『異本』を求める物語だ。

 注釈として、現代では差別的ニュアンスを含むことから『アボリジニ』という呼び名は廃れてきているが、解り良いように本作では、あえてその呼称を使わせていただくことを、ここに明記しておく。

        *

 WBO本部ビル竣工から、四年が経ち、少年は十四歳になっていた。第二次性徴も落ち着いてきて、ほとんど大人と変わらぬ心身の成熟を得た。まあ、彼にとっては、多く若男を手本に成長したゆえに、特に精神的な部分においてはとうに、立派な大人に成長していたのだけれど。

「つっても、アボリジニっていまでも、250くらい部族があるしね。どっからどう手をつけろってんだよ」

 子女が言った。アリススプリングスに到着し、一息ついている段階である。というのも、本来の目的地は、とりたてて『ウルル』。『エアーズロック』――『地球のへそ』とも呼ばれる巨大な一枚岩を含めた、その地域を訪れることだったからだ。

 とはいえ、実のところ現代では、エアーズロック空港という、ウルルから車で20分という至近距離に空港がある。ゆえに、エアーズロックを観光するだけならさして労力はかからない。オーストラリアの主要都市であるシドニーやメルボルンから飛行機で三時間ほど飛べば、もうウルルは目の前だ。

 だが今回、彼らは観光に来たわけではなかった。ウルルは差し当たっての目的地であり、本来の目的はアボリジニの文化の中から、『異本』を探し出すこと。だからあえて遠回りをしてでも、アボリジニ民族が居住する地域を経由したのだ。

 アボリジニの思想、『ドリームタイム』の中に、『異本』がある確信はなかった。彼らの口伝や、多く残された壁画。時間の概念を持たない、いまだ続く、神話の世界観。地球最古の生活様式のひとつとも言われる彼らの物語に、はたして『異本』は関わっているのか。なにも解らないままに、しらみつぶしの一手を向けただけだ。

 WBO発足から四年が経った当時でも、彼らはまだ、その程度の手探りで『異本』を探していた。それでも、数冊の『異本』を蒐集することには成功していたわけだから、他の手法が確立されるまでは地道に、その方法を続けるしかなかったのである。

「愚痴ってもしょうがないさ、リオ。あんたはいつも通り、観光のつもりで私を引っ張ってくれればいい。『異本』を探すのは、私の仕事だ」

 このころにはもう親しんだもので、少年は子女と、このように打ち解けていた。姉弟というには年が離れていたが、親子というにはやや近い。そんな距離感で、あえて対等にと、過度に子ども扱いされずに育てられたのだから、当然ともいえる。思春期の、反抗期でもあったのかもしれないが。

「…………」

「どうした?」

 特段におかしなことを言ったつもりがないのに、子女が反応しないから、少年は首を傾げた。

「いや、なんつーか。リュウに似てきたなあって」

「…………」

 今度は少年が、口を閉ざす番だった。子女は若干ネガティブなニュアンスでそう言ったのであるが、それを理解したうえで、少年はポジティブな感情を抱いてしまったから。

「そうか?」

 遅れて出てきた言葉は、彼自身意識していた以上に、弾んでしまっていた。だから――。

「褒めてないっちゅーに」

 そう、子女に笑われる。

        *

 少年は、不思議な感情を抱いていた。
 若男のことは、尊敬しているし、感謝もしている。しかし、その感情がどこからくるものかを、いまいち理解できずにいたのだ。

 彼や子女は、よく口癖のように、自分たちを『落ちこぼれ』だと言う。それは謙遜した物言いだとずっと思っていたが、数年、ともに生活してきて、その評価もあながち間違ってはいないと思い始めていた。

 たしかに彼らは賢しい。けれども、やはりどこか、人間としては欠落していた。

 たとえば彼らは、良くも悪くも、人付き合いが不得手だ。特に若男と子女に関しては、対極的だった。若男は他人を寄せ付けないオーラがあるし、子女は容易に相手のパーソナルスペースに飛び込む。どちらも自分勝手に相手を慮らない話し方をするし、そのくせ自分は、他の者とは違うという自意識が強そうだった。

 知識に関しても、多くのことを知っている反面、多くのことを知らなかった。それは少年も含めて、きっとすべての人間がそうなのだろうとは思うけれど、彼らに関しては一般常識が特に欠けていた。いや、あるいは、あえて常識的な振る舞いを避けているのではないかというほどに、一般的な人々と交流するにはまさしく、落ちこぼれていたのだ。

 そんな特徴のある若男を、それでも少年は尊敬していた。他人を寄せ付けない孤高に立つような若男を、格好いいとも思えたし、逆に、彼には独特の魅力があるようにも見えてしまう。常人よりはるかに突出したバイタリティで、誰よりも休みなく働いている。それが一種の現実逃避だと理解していても、その姿には惹き付けられた。

 相手を拒絶する態度と、反目して、畏敬の念を抱かせる魅力。そんな彼に、心底、憧れたのだ。それゆえに少年は、無意識に彼を真似て育ったし、彼のようだと言われることに高揚したのであった。

「お、暇そうなアボリジニ発見! それじゃあ大佐! 小官は職務を実行してくるであります!」

 ふと、子女が言って――行ってしまった。たしかに彼女の向かう先には、ひとりのアボリジニ青年が、ビールを飲んでいる。

「へえい! パイオツカイデーチャンネーイルヨー」

「…………」

 やはり、おかしな人たちだ。そう、少年は再認識した。
 だけれどそれが、羨ましかった。ときおり聞く、彼らの全盛の話。ボローニャ大学での、人生を変える出会いと、別れの物語。それらを聞くたびに少年は、そこに自分がいなかったことを悔やむのだ。

 世代も違う。彼らの中でもっとも幼い才女と比べても、少年はひと回り以上、幼かった。生まれも違う。彼らは、貧富こそ差があったけれど、それでも最低限、全員、少年から見れば、恵まれた家庭に生まれていた。だからどうせ、自分と彼らが同じ大学で、同じ時間を共有することなど、あり得たはずもないのだ。

 それでも、やはり、口惜しい。そうして少年は、あり得ない仮定に意識を向ける。自分もあんな、素敵な落ちこぼれだったら、どれだけ幸福だったろうか。と。


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