376 / 385
幕間(台湾編→最終章)
少女は願いのために
しおりを挟む
さて、と。
少女はひとつ、呼吸を整える。
状況を再確認。……だいじょうぶ。
邪魔者が、数人。だが、邪魔者はただの、邪魔者だ。
わたしの障害には、なりえない。
「よいしょ、っと」
もう一度、決意するように声を上げて、立ち上がる。
身体は治った。全身、隈なく、しごく正常だ。
男は、壮年と和解した。
そして、彼の『家族』から、『異本』を受け継いだ。
これでもう、憂うことは、なにもない。
「それじゃあ、そろそろ――」
完結に、しましょうか。
少女はそう、思い。
動いた――。
*
「ハク。ハク――」
男と壮年の会話がひと段落したころ、それを見計らって、少女は男の袖を引いた。
「ノラ――」
いまだ『異本』の取り扱いに逡巡したまま、男は、少女の名を呼ぶ。
自らの本当の名を知ってしまうと、どうにも『ハク』と呼ばれるのもこそばゆい。たったそれだけのことで、わずかに、しかしたしかに、男の世界は変わっていた。
「せっかくのご厚意だもの。早く行って、『異本』を回収しちゃいましょう」
それはどうやら、残りの『異本』。フランス、パリにある、『世界樹』所蔵の最後の『異本』のことを言っているらしい。そう、男は理解した。
「ああ。……いや、そんな急がなくても。疲れてるし。怪我してるやつも――」
「だいじょうぶ。みんなの怪我は治したわ」
それは、本当だ。とはいえ、まともに怪我をしていたのも、せいぜいが丁年くらい。佳人もかすり傷程度の怪我はしていたが、『異本』を用いるほど大仰なものでもなかった。人間の、自己治癒力で事足りる程度だ。
「俺、疲れてるんだけど」
「だいじょうぶ。疲れてないわ」
「…………」
少女は断言した。有無をも言わせない雰囲気だ。
「終わらせちゃってから、ゆっくり休めばいいじゃない」
「……解ったよ」
不承不承ではあるが、男は承諾した。どうせ少女は、言い出したら聞かない。
「つうわけで、リュウさん。……いいか?」
いまだ、父をなんと呼ぶべきか迷う。という理由も相まって、男は距離感を窺うように訊ねた。
「ああ。……すべておまえに委ねる」
少しだけ、躊躇うようにして、しかし、壮年はそう言った。彼はややと、少女を見ている。その存在を、推し量るように。
「あー、えっと」
その視線に気付いたから、男は声を上げる。いちいち言うことか。いや、いちおうは実父だ。これまで交流がなかったとはいえ、言っておくべきか。
「いろいろ事情あんだけど、娘」
そう言って、少女の頭に、軽く触れる。微妙な罪悪感があった。少女は、血の繋がった娘ではないし、法的な養子に入れたわけでもない。なんなら、少女の母親となるべき人物も――つまるところ、男の配偶者たるべき者もいない状況だ。その、一般的な『親』として不合格な立場に、引け目を覚えたのだ。
「……そうか」
と、壮年はそれだけ、言った。
そもそも、男は理解が及んでいないが、壮年は少女のことを、情報としてだけなら知っている。長く男と旅をして、父娘のような関係になったことも。だから、壮年が少女を訝しんだのは、その点じゃない。
が、そのことは、胸に秘めた。血縁上――あるいは、血縁外の繋がりとして、少女は壮年にとっても家族のようなものだ。だが、それでも、彼ら父娘の問題は、彼らだけで紡ぐべきことだろう。
――などと、つまるところ。壮年も、当然のことだが、まだ男との関係に、一歩を踏み込めずにいたのだ。ただ、それだけのこと。
「移動手段を用意しよう」
やや置いて、壮年はそれだけ、提案した。だが――。
「いいえ、結構です。リュウ・ヨウユェ氏」
それを少女が、丁重にお断りする。
「ゾーイ」
「はいはい」
失礼。とまでは言わないが、あえて断りを入れてきた少女の言葉だった。しかし、それに異を唱えるでもなく、壮年は、かたわらの司書長に声をかけた。彼女もそれに、気軽に応える。
「『世界樹』の管理は――」
「問題ない。WBO本部ビルにある『異本』以外のすべては、『世界樹』にまとめてある。し、いまの『世界樹』にいるのは、るーしゃん――ルシアだけ。顔パスで通れるよ」
「だそうだ」
壮年がそう目配せすると、「ありがとうございます」と、少女が深く、頭を下げた。見た目は、十四歳だ。しかし、その実、彼女は二十歳である。とすれば、歳相応な礼儀正しさだろうか。とはいえ、やはり見た目とのギャップで、どこか違和感が残る。
いや、あるいは、彼女の中にある『異本』の作用か。世界を達観し、人間を超越すれば、このようになるものか。そのように、壮年は彼女を見据えた。
そのような壮年の内心をも見透かすように、少女は彼と視線を交わし、にこりと微笑んだ。表情に出すことは堪えたが、壮年はそんな少女に、不気味さを感じた。
「それでは――」
礼儀正しいまま、少女はそう、言いかけた。
「ノラ」
その声を、横から女傑が、止める。
「当然、うちも行ってええねんな?」
こちらもこちらで、ずっと、なにかを警戒するようにしていたな。と、壮年は思った。眉根を寄せ、視線を鋭く尖らせる表情。それがここにきて、ピークを迎えている。
他人事ながら――いや、他人事だからこそなのか、壮年はそのように、見ていた。どうやら男は気付いていない。言うべきだろうか。などと、またも壮年は、逡巡する。
まあ結局、一歩を引いたままの彼には、言えない言葉なのだけれど。
「あら、パラちゃん。いたの?」
鼻で笑い、見下すように、少女はそう言った。
「いるに決まっとるやろぉが。いてこますで――」
静かに、腹の底から、女傑は声を唸らせる。
「――ほんまぁ」
冗談なのだろうか。それにしては、本気の声だ。表情もいまだ、なにかを抑えるように強張っている。
そんな意思など無視しているように、少女はひとつ、息を吐き、肩をすくめた。
「ノラ様」
こちらのメイドも、やはり警戒心を忘れていない。そのように壮年は見ていた。だが、彼女に関しては、EBNAのメイドということで、さして気にしてはいなかった。あの施設出身の、そうでなくとも使用人として当然の、気の張り方だと。
だがやはり、こうして話に加わってみると、その異質な雰囲気に違和感を覚える。
使用人でありながら、家族だ。その関係性には、壮年も理解を得ている。だが、家族というにも、なにか違う。そんなメイドの警戒心に、壮年はやはり、訝しみを感じた。
「私も、おともさせていただきます」
メイドは言う。単純な身長差から、正しく少女を見下して。
「「なんと申されようと、勝手に――」」
メイドの言葉に、ぴったりと少女は被せた。
「ついてまいります。……でしょ」
言葉を止めたメイドの代わりに、少女はその全文を代弁して、もうひとつ、嘆息した。
まったくもって、すてきな『家族』だわ。と、少女は思う。あまあまで、ゆるゆるな、『家族ごっこ』じゃない。本当の、本気で、彼女たちは『家族』を思っている。
まったく。
まったく。
まったく。
まったく――。
「クソ煩わしいのよ、あなたたち」
そう言うと、少女は、消えた。男とともに。
女傑とメイドを、置き去りにして。
少女はひとつ、呼吸を整える。
状況を再確認。……だいじょうぶ。
邪魔者が、数人。だが、邪魔者はただの、邪魔者だ。
わたしの障害には、なりえない。
「よいしょ、っと」
もう一度、決意するように声を上げて、立ち上がる。
身体は治った。全身、隈なく、しごく正常だ。
男は、壮年と和解した。
そして、彼の『家族』から、『異本』を受け継いだ。
これでもう、憂うことは、なにもない。
「それじゃあ、そろそろ――」
完結に、しましょうか。
少女はそう、思い。
動いた――。
*
「ハク。ハク――」
男と壮年の会話がひと段落したころ、それを見計らって、少女は男の袖を引いた。
「ノラ――」
いまだ『異本』の取り扱いに逡巡したまま、男は、少女の名を呼ぶ。
自らの本当の名を知ってしまうと、どうにも『ハク』と呼ばれるのもこそばゆい。たったそれだけのことで、わずかに、しかしたしかに、男の世界は変わっていた。
「せっかくのご厚意だもの。早く行って、『異本』を回収しちゃいましょう」
それはどうやら、残りの『異本』。フランス、パリにある、『世界樹』所蔵の最後の『異本』のことを言っているらしい。そう、男は理解した。
「ああ。……いや、そんな急がなくても。疲れてるし。怪我してるやつも――」
「だいじょうぶ。みんなの怪我は治したわ」
それは、本当だ。とはいえ、まともに怪我をしていたのも、せいぜいが丁年くらい。佳人もかすり傷程度の怪我はしていたが、『異本』を用いるほど大仰なものでもなかった。人間の、自己治癒力で事足りる程度だ。
「俺、疲れてるんだけど」
「だいじょうぶ。疲れてないわ」
「…………」
少女は断言した。有無をも言わせない雰囲気だ。
「終わらせちゃってから、ゆっくり休めばいいじゃない」
「……解ったよ」
不承不承ではあるが、男は承諾した。どうせ少女は、言い出したら聞かない。
「つうわけで、リュウさん。……いいか?」
いまだ、父をなんと呼ぶべきか迷う。という理由も相まって、男は距離感を窺うように訊ねた。
「ああ。……すべておまえに委ねる」
少しだけ、躊躇うようにして、しかし、壮年はそう言った。彼はややと、少女を見ている。その存在を、推し量るように。
「あー、えっと」
その視線に気付いたから、男は声を上げる。いちいち言うことか。いや、いちおうは実父だ。これまで交流がなかったとはいえ、言っておくべきか。
「いろいろ事情あんだけど、娘」
そう言って、少女の頭に、軽く触れる。微妙な罪悪感があった。少女は、血の繋がった娘ではないし、法的な養子に入れたわけでもない。なんなら、少女の母親となるべき人物も――つまるところ、男の配偶者たるべき者もいない状況だ。その、一般的な『親』として不合格な立場に、引け目を覚えたのだ。
「……そうか」
と、壮年はそれだけ、言った。
そもそも、男は理解が及んでいないが、壮年は少女のことを、情報としてだけなら知っている。長く男と旅をして、父娘のような関係になったことも。だから、壮年が少女を訝しんだのは、その点じゃない。
が、そのことは、胸に秘めた。血縁上――あるいは、血縁外の繋がりとして、少女は壮年にとっても家族のようなものだ。だが、それでも、彼ら父娘の問題は、彼らだけで紡ぐべきことだろう。
――などと、つまるところ。壮年も、当然のことだが、まだ男との関係に、一歩を踏み込めずにいたのだ。ただ、それだけのこと。
「移動手段を用意しよう」
やや置いて、壮年はそれだけ、提案した。だが――。
「いいえ、結構です。リュウ・ヨウユェ氏」
それを少女が、丁重にお断りする。
「ゾーイ」
「はいはい」
失礼。とまでは言わないが、あえて断りを入れてきた少女の言葉だった。しかし、それに異を唱えるでもなく、壮年は、かたわらの司書長に声をかけた。彼女もそれに、気軽に応える。
「『世界樹』の管理は――」
「問題ない。WBO本部ビルにある『異本』以外のすべては、『世界樹』にまとめてある。し、いまの『世界樹』にいるのは、るーしゃん――ルシアだけ。顔パスで通れるよ」
「だそうだ」
壮年がそう目配せすると、「ありがとうございます」と、少女が深く、頭を下げた。見た目は、十四歳だ。しかし、その実、彼女は二十歳である。とすれば、歳相応な礼儀正しさだろうか。とはいえ、やはり見た目とのギャップで、どこか違和感が残る。
いや、あるいは、彼女の中にある『異本』の作用か。世界を達観し、人間を超越すれば、このようになるものか。そのように、壮年は彼女を見据えた。
そのような壮年の内心をも見透かすように、少女は彼と視線を交わし、にこりと微笑んだ。表情に出すことは堪えたが、壮年はそんな少女に、不気味さを感じた。
「それでは――」
礼儀正しいまま、少女はそう、言いかけた。
「ノラ」
その声を、横から女傑が、止める。
「当然、うちも行ってええねんな?」
こちらもこちらで、ずっと、なにかを警戒するようにしていたな。と、壮年は思った。眉根を寄せ、視線を鋭く尖らせる表情。それがここにきて、ピークを迎えている。
他人事ながら――いや、他人事だからこそなのか、壮年はそのように、見ていた。どうやら男は気付いていない。言うべきだろうか。などと、またも壮年は、逡巡する。
まあ結局、一歩を引いたままの彼には、言えない言葉なのだけれど。
「あら、パラちゃん。いたの?」
鼻で笑い、見下すように、少女はそう言った。
「いるに決まっとるやろぉが。いてこますで――」
静かに、腹の底から、女傑は声を唸らせる。
「――ほんまぁ」
冗談なのだろうか。それにしては、本気の声だ。表情もいまだ、なにかを抑えるように強張っている。
そんな意思など無視しているように、少女はひとつ、息を吐き、肩をすくめた。
「ノラ様」
こちらのメイドも、やはり警戒心を忘れていない。そのように壮年は見ていた。だが、彼女に関しては、EBNAのメイドということで、さして気にしてはいなかった。あの施設出身の、そうでなくとも使用人として当然の、気の張り方だと。
だがやはり、こうして話に加わってみると、その異質な雰囲気に違和感を覚える。
使用人でありながら、家族だ。その関係性には、壮年も理解を得ている。だが、家族というにも、なにか違う。そんなメイドの警戒心に、壮年はやはり、訝しみを感じた。
「私も、おともさせていただきます」
メイドは言う。単純な身長差から、正しく少女を見下して。
「「なんと申されようと、勝手に――」」
メイドの言葉に、ぴったりと少女は被せた。
「ついてまいります。……でしょ」
言葉を止めたメイドの代わりに、少女はその全文を代弁して、もうひとつ、嘆息した。
まったくもって、すてきな『家族』だわ。と、少女は思う。あまあまで、ゆるゆるな、『家族ごっこ』じゃない。本当の、本気で、彼女たちは『家族』を思っている。
まったく。
まったく。
まったく。
まったく――。
「クソ煩わしいのよ、あなたたち」
そう言うと、少女は、消えた。男とともに。
女傑とメイドを、置き去りにして。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
Re:コード・ブレイカー ~落ちこぼれと嘲られた少年、世界最強の異能で全てをねじ伏せる~
たまごころ
ファンタジー
高校生・篠宮レンは、異能が当然の時代に“無能”として蔑まれていた。
だがある日、封印された最古の力【再構築(Rewrite)】が覚醒。
世界の理(コード)を上書きする力を手に入れた彼は、かつて自分を見下した者たちに逆襲し、隠された古代組織と激突していく。
「最弱」から「神域」へ――現代異能バトル成り上がり譚が幕を開ける。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる