箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
383 / 385
最終章 『ノラ』編

理解の超越

しおりを挟む
 男はまだ、きょとんとしている。少女をいつでも抱き締められるように、両腕をためらいがちに、広げたまま。

 だが、少女はそんな男から、一歩、離れた。名残惜しい感情は表情に。だが、その内には、決意も滲ませている。

「そりゃあ、どういう意味だ? ――『もういい』。それは、解ってくれた、って、ことか……?」

「ええ、解ったわ。……いいえ、解ってる。そんなの、最初から――」

 息を、吸って。ためらってから、少女は、息を吐いた。静かに。

「この、理解は――。はたして、『家族』として長く、ともにいたから、解るのかしら。それとも、わたしのこの目が、見抜いたからかしら……」

 独白のように、小さく、少女は呟く。虚無を撫ぜるような、儚い、言葉だ。

「ノラ! やめろ、考えるな――」

「でも、だって、わたしは――」

「俺を!」

 男は、考える前に、そう言っていた。具体的な案は、まだ、ない。だが、確固たる決心をもって、強く少女を、抱き締める。

「俺を……信じろ。なんとかする。おまえの憂いを、すべてなんとかする……! だから、おまえは考えるな。おまえは愚かな、少女ガキのままでいろ……!」

「…………!!」

 そのぬくもりに、いったい何度、揺さぶられてきただろう? 少女は考える。いいや、考えない。男の言葉に耳を貸して、父親の諭しに従って、少女は、考えない。考えないように、努める。

 だが、思い起こすのだ。これまでの人生を。忘れていた、記憶とともに――。

 自分の本当の、両親。家族。

 かつて、『女神さま』と交わした言葉を思い出す。失った――少女が自ら失わせた、記憶。それをもう、いまの彼女は、思い出せる。

 本当の両親が――が誰か、少女はもう、思い出せるのだ。だから、あらゆる運命を、あらゆる『因果』を、知っている。

 。理解できる。その事実が、少女を幻想に取り込ませない。彼女はどれだけ心を揺さぶられようと、感化されない。その感情を、割り切ってしまえる賢しさがある。

 だから、だめなのだ。そういう意識は、もちろんあった。だから男は、『考えるな』と言った。それが正しい手法だとも、理解している。

 だが、正しさが自分の目的に沿わないとも、理解するのだ。少女は、だから理性的に、ずっと構想してきた目的を、第一に優先する。

 誰もを――『家族』を、大切にする、目的を。

「これ、以上――!!」

 少女は、男を突き飛ばして、声を上げる。

「わたしを、苦しめないで――! わたしは、わたしは、もう――っ!!」

 それは、少女の本心だ。けっして己が信念を通すための、おためごかしなんかじゃない。

「わたしは……もう、死にたいの……。お願い、ハク――」

 その証拠に、少女の美しい緑眼から、双眸から、大粒の涙が、滴った。

 どれだけの悲哀が、彼女に積もっていたのだろう。どれだけの苦悩が、彼女を蝕んでいたのだろう。

 少女の涙は、それを理解させるのに、残念ながら、十分すぎた。

「だから最期は、あなたの手で……殺して……」

 そう言うと、少女は男の手を、強く握った。

        *

 少女は、握った男の手を、自身の頭に誘う。子が親にねだるように、その頭を、撫でさせるように。

「わたしは、もう、疲れた」

 照れるような表情で、少女は笑う。自ら引き寄せた男の手が、どうにも自身の頭に、くすぐったいかのように。

「考えるのも、悩むのも、苦しむのも、疲れた。だけど、あなたに出会えて――メイちゃんと、パラちゃんと。ヤフユ。ハルカ、カナタ、シュウ。ジン。お姉ちゃん。ルシア。クロ、シロ。ラグナ。みんなと出会えて、幸せなの。だから――」

 改めて、強く、男の手を、自身に押し当てる。そうして少女は、自身の震えを押さえつけた。

「この――幸せの中で、逝かせて。みんなといられて、幸せだったって。馬鹿みたいに思い込んだまま、逝かせて」

「ノラ。……俺は――」

「あなたに、そんな顔をさせて、悪いと思ってる。でも――やっぱり、わがままね。看取られるなら、あなたがいいと、そう、思ったの」

「ノラ――」

 男は、納得しかけていた。
 この物語は、こうなるしかない。そう、思い込まされかけていた。

「俺は――――」

 少女の苦悩は、本物だと、感じた。

 これは、俺のエゴだ。そう思う。思わされる。

 少女がいなくなって苦しいのは、だ。

 少女は、死を受け入れている。いや、死を求めている。死でしか、少女は救われない。少なくとも彼女は、そう思っている。



 だが、ふと――。

「――――!?」

 瞬間、男は決意しかけた。少女を手にかけることを。776冊目の『異本』として『箱庭図書館』に封じることを、ほんの一瞬だけだが、決意しかけた。

 だが――、気付いた。彼の手に握られた、一冊の『異本』を見て――。



「俺は――」



 俺はなにをしている?
 俺はなにをしている?
 俺はなにをしている――?



「俺は――――っ!」



 俺は、震えている。
 いいや、違う――!!
 震えているのは、少女だ――!!



「――――っ!!」



 男は、大きく息を、吸う。
 そして、怒号のごとく、それを吐くのだ。



「――――――――っっっ!!」



 娘を手にかける父親が、この世界にいていいはずが、ないと――。

        *

 なにも、考えない。慮らない。

 ただ、思い付いた鹿を、実行する。

――――――――!!」

「――――――――!?」

 思いがけない咆哮に、少女ですら、うろたえた。

「おいいいいいぃぃぃぃ――――!! ジンんんんんんんんん――――――――!!」

「え……ちょ……ハク――っ!」

 さしもの少女も、男の頭が、狂ったのだと感じた。

 いったいこの馬鹿は、なにを叫んでいるのだ? ジン? それは、彼の兄、稲雷いならいじんのこと?

 だとしたら、おおいに問題だ。本当に男は、頭がおかしくなった。

 だって、彼はもう、とうに死んでいるのだから。

「ジンんんんん――――!! おいこら、てめえっ! ジンんんんんんんんん――――――――っっっ!!」

「やめてよ、ハクっ!!」

 いくらなんでも、馬鹿すぎる。なりふり構わないにも、ほどがある。

 最後の最後だ。本当に、最後なのだ。
 少なくともそう、少女は覚悟していた。男と過ごすのは、これが最後、なのだと。

 だから、こんなギャグで、シリアスを壊されたくなかった。わけの解らないことを叫んで、状況をめちゃくちゃにされたくはなかった。

 思いのたけを語り合って、涙して、そして、笑顔で――そうして少女は、美しく別れたかったのだ。

「ジンんんんん――――!! ジンんんんんんんんん――――――――!!」

「ほんとにやめてよっ! ハクっ! こんな格好悪いお父さん、わたし、望んでないっ!」

 少女は、心の底からの感情を、叫んだ。

「ジンは死んだの! 解ってるでしょ!? 呼んだって来ない! いいえ、仮にジンが来たとして、いったい――」

 言っていて、少女はふと、ぞくりとした。

 いや、もしもあの若者がいるなら――生きて、ここにいるなら――。

 ――もしかして――――。いやしかし、だからとはいえ、どうやって――?

「ハク――。あなた――」

 そんな馬鹿なこと、賢しい少女には、思い付きさえしなかった。つまり、このとき――。



 結果はどうあれ、男は、『シェヘラザードの遺言』を、超越したのだ。その、最後の『異本』を、乗り越えたのだ。



「ジンんんんんんんんんんんんんんんんん――――――――――――――――っっっっ!!」

「うるさいよ、まったく――」



 鹿――。

 少女は本気で、そう思った。



「そんなに叫ばなくても、聞こえている」



 いったいぜんたい、なにがどうなって――。

 若者――稲雷塵が、ここにいるというのか――。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

Re:コード・ブレイカー ~落ちこぼれと嘲られた少年、世界最強の異能で全てをねじ伏せる~

たまごころ
ファンタジー
高校生・篠宮レンは、異能が当然の時代に“無能”として蔑まれていた。 だがある日、封印された最古の力【再構築(Rewrite)】が覚醒。 世界の理(コード)を上書きする力を手に入れた彼は、かつて自分を見下した者たちに逆襲し、隠された古代組織と激突していく。 「最弱」から「神域」へ――現代異能バトル成り上がり譚が幕を開ける。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...