箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
384 / 385
最終章 『ノラ』編

そしてすべてが夢になる

しおりを挟む
 全身の力を出し尽くしたように、男は地に這いつくばり、大きく荒い呼吸を、繰り返した。

「やれやれだ」

 男とは対照的に、やけに余裕そうに、まるでこの地こそが彼の永劫の住処のように安らかに、若者は近くの壁に、寄りかかった。

「ずいぶん元気に人を呼び出しておいて、やってきてみれば知らぬ顔か。用もないのにこのぼくを呼び立てるなんて、いい度胸をしている」

「ジン……?」

 どうやらまだ話せない男の代わりに、少女が彼の、その名を呼んだ。
 もうこの世界では語られるはずのなかった、若者の、名を。

「なんだ、ノラ、きみがいたのか。だったらなぜ、ハクがぼくを呼び立てる必要がある。なんでもできる。なんでも解る。きみが対処してやればいいじゃないか」

「…………!!」

 それは、鋭い凶器のようだった。いましがたその件で、少女と男は語り合ったばかりだ。
 少女の、もっとも致命的な部分。世界をすら容易く理解できるだけの洞察眼。それを若者は、とぼけた表情で、踏みつけたのだ。

「ジン。黙れ」

 息を整えた男が、低く、しゃがれた声で、言う。

「黙れ? おいおい、きみがぼくを呼び立てたんだろう? なんだその言い草は。ぼくはべつに、いますぐ帰っても構わないんだがね」

「ノラが、泣くぞ」

「んなっ――!」

 ふと男がおかしなことを言うので、少女からもおかしな声が漏れた。
 その件につき少女は抗議をまくし立てたかったが、「ふうん」と、若者が、微妙に折れた様子を返したので、さらに困惑してしまう。

「……で、何用だい?」

「なんとかしてくれ」

「はあ? なんとか? なんだそれは。抽象的すぎて、理解ができないね」

「ノラを、助けてくれ。……頼む」

 地に伏したまま、男は、そう言った。深く深く、首を垂れるように。

 まったくもって、情けない姿だ。結局、大きなことを言おうと、最終的には人任せ。いついつでも自分だけではなにもできず、誰かの力に頼って生きている。ひとりきりではなにも為すことなどできず、醜くみっともなく這い縋り、解決を他人の手に委ねてきた。

 そうだ、それが男だ。氷守こおりもりはくの、生き様である。弱く、頼りなく、みじめで、ちっぽけな、矮小なる存在。



 ――それはまさしく、姿



 だから人は、『家族』となるのだ。



 君とともに在って、そして育み、そうして愛を、紡いでいく。

 できないことを補い合い、助け合い、そうしてからがら、生きていく。

 なんとか、ぎりぎり、踏み止まって。自分と、大切な者たちだけでも守ろうと。必死に、懸命に。がむしゃらに。



「頼む、ジン。ノラを――俺を、……助けてくれ――」

「…………」



 わき目もふらず、生きて、いるのだ。

        *

 少女は、理解した。

 若者――稲雷塵は、を使ったのだ。あまりに人知を超えすぎた力に、さしもの少女も、理解が追い付かなかった。

 遠い未来をも見通せる少女。その、洞察眼。それですら想定できなかった現実いま

 彼は、使ったのだ。



啓筆けいひつ』、序列一位。『因果』の『異本』。

『アイズ・スクエア』を――。



「きみの言い分は理解した」

 基本的に、『異本』の異能を行使するには、その『異本』に触れることが、絶対的な条件として必要である。その例外となるのは、常時発動型の『異本』のみだ。しかし常時発動型の『異本』は、その異能を、まずもってコントロールできない。

 つまるところ、使用者の意思が、働かない。能力の強弱や対象指定、オンオフの切り替えなど、常時発動型の『異本』能力は、それらを制御し得ない。いちおう、その『異本』に適応していれば、それらコントロールはある程度、可能となるが、やはりレアケースと言えよう。

 だから、少女ですら洞察が追い付かなかったのだ。『因果』を操る『異本』、『アイズ・スクエア』。その存在は少女の目にも捉えられていた。だが、それを扱える者が、その場にはいなかった。

 男はおろか、少女にすら無理だ。いいや、すべての『異本』の頂点に立つその一冊は、あまりに次元が違う。そんなものを扱える者など、もはや神としか言いようがないだろう。かつて男の母親である若女が、自身のうちに宿った形而上の人格に頼るしかなかったように。普通の人間に、そもそも扱えるような代物ではないのである。

「だがそれは、きみのエゴだ」

 たしかに、『異本』を扱える体質であるかどうかという、親和性が規格外に高い若者なら、扱える可能性はあった。彼は、少なくとも『啓筆』序列十八位、『シャンバラ・ダルマ』を使用できた者であるし、『異本鑑定士』という肩書を持つにいたるほどの、『異本』に関する天才だ。

 しかし、彼は死んだ。死んでいた、はずだった。
 死人は、その肉体を失わせている。

 つまるところ、『異本』を行使するための条件を満たさないのだ。『異本』に触れなければならないという、条件を。

「きみが苦しいんだ。きみが悲しいんだ。だから人は、大切な誰かを失うことを恐怖する。繰り返すが、それはきみの――遺される者のエゴに過ぎない。きみは正しく、ノラの幸せを願っているかい? 己が洞察に――そして世界に絶望した彼女は、もはや死ぬことだけを救いにしている。きみは自分勝手なそのエゴで、彼女の願いを踏みにじろうというのか」

 だが、『アイズ・スクエア』だけは別物だ。いや、とはいえ少女ですら、そんながあるとは――目にしてようやく、理解できる程度だった。

 その『異本』、『啓筆』序列一位、『アイズ・スクエア』。『因果』の『異本』。

『因果』とは、原因と結果。なにかを行い、なにかがなされる。その、繋がり。時間的流動性。

 その流れを、。つまり――。



 若者は、『異本』に触れることで、世界と自身との因果を、繋ぎ直した。端的に言ってしまえば、生き返った。



 



 若者は、この世界に、『



 まったく意味が解らない。その現象は、意味の段階で、すでに人知を超越している。

「まあ、だが――。そろそろノラが、現象を理解したころだ。彼女の意思を、聞いてみようか」

 解ったような口ぶりで、気障に若者は言った。まさしく、ぴったりだった。少女が『アイズ・スクエア』の性能に、若者の――男の思惑にたどり着いた、まさにその、タイミングだ。

「忌々しいことだが、これでたしかに、状況は変わった。『啓筆』序列一位、『因果』の『異本』、『アイズ・スクエア』。この力を、いまきみは、利用できる。……かもしれない。ぼくが、その気になるならね」

 協力するのか、しないのか。まだあやふやにおどけたまま、若者はそう、言った。

「ノラ。きみが本当に、それと望むなら――」

 瞬間、若者はしっかりと少女を見据えて、真剣な眼差しを、落とした。その金眼を、わずかに潤ませて。

「きみの頭にある、『シェヘラザードの遺言』を、取り出そう。きみがそれを読み込んだ、その『因果』を、繋ぎ直そう。それできみは、その洞察に振り回されることがなくなる。この先の苦悩は、取り除ける」

 とくん。と、心臓が鳴った。あり得ないはずの未来が、鮮明に少女の前に、描かれたのだ。

「過去も、未来も、紡ぎ直せる。きみのことだ。いまこの瞬間能力を失おうと、過去は残り続けると思うだろう。だが、それすら組み立て直せる。なんなら、最初からこの物語を、やり直したっていい。すべての異能も、すべての『異本』も、なかったことにして――」

「――――!!」

 少女は、思い描いた。

 男と――お父さんと、ただただ平穏に、過ごす日々を。
 少女は、世界のことなどなにも知らぬまま、ただの無知な――無知で、無垢で、ただの可愛い少女のまま、『家族』たちと過ごす。

 そんな、夢のような、夢を。

「そうして平穏に、生まれ直ることだってできる。ノラ。もしもきみが、望むなら」

 若者は、そう言った。その目はすでに、そうしてくれることを許容しているようだ。もしも少女が首を縦に振れば、きっと彼は、そうしてくれる。

 だけど――。

「ジン。……わたしは、やっぱり――」

「ああ、解っている」

 不思議な人だわ。少女は改めて、そう思った。

 どうして、そんな顔ができるのだろう。こんなこと、なんでもないことのような、顔。

「ノラ――」

 その展開を、男も理解したのだろう。だが、彼は義兄ほど、諦めがよくはない。力任せに、思い任せに、まだ少女を引き留めようと、動いた。

「ジン……頼める?」

「やれやれ」

 気障に肩をすくませ、若者は静かに、『異本』を用いた。

「きみがいなかった『因果』を、組み直しておくよ」

「――――っ!?」

 男の、声にならない声が、響く。
 そんな彼が、最後に見たものは――。



「またね。ハク――」



 無邪気に、満面に笑う。神様のようで、天使のような。

 少女の、笑顔だった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

マンションのオーナーは十六歳の不思議な青年 〜マンションの特別室は何故か女性で埋まってしまう〜

美鈴
ファンタジー
ホットランキング上位ありがとうございます😊  ストーカーの被害に遭うアイドル歌羽根天音。彼女は警察に真っ先に相談する事にしたのだが…結果を言えば解決には至っていない。途方にくれる天音。久しぶりに会った親友の美樹子に「──なんかあった?」と、聞かれてその件を伝える事に…。すると彼女から「なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」と、そんな言葉とともに彼女は誰かに電話を掛け始め… ※カクヨム様にも投稿しています ※イラストはAIイラストを使用しています

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...