箱庭物語

晴羽照尊

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エピローグ

THE LIFE, BEGINNING.

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 ――――。

 ――――――――。



 世界の外れに、少女は踏み入れた。

「や、ノラ。早かったじゃないか」

 その物語の結末など、とうに知っていたかのように、当然のように『女神さま』は、そこにいた。

「レイ……」

 少女も知っていた。きっと彼女が、ここにいるのだということを。

「……ひとり、か。それが君の、答えなんだね」

「ええ。あなたの望みとは、きっと違うのでしょうけれど」

「そうだね」

 もう一度だけ確認するように、『女神さま』は目を伏せ、そばを見遣った。

「――いや、人生に、正答などあろうはずもない。それが君の、選んだ道なら」

 すれ違いざまに、少女の肩に手を置いて、『女神さま』は思う。『ああ、しかしたしかに、それは僕には、出せない答えだ』、と。

 そうして微笑んで、彼女は去って行く。少女は振り返り、その姿を、目で追った。

 永遠のように長く、美しいブロンドの髪を引きずりながら、先で待つ、下僕のもとへ歩み寄る。彼の手を取り、今度こそ彼女も、『次』へと向かうようだった。

「行こう。ジャシュェ」

「もう、『下僕』はいいのか?」

「はまり役だったけどねえ」

「うるせえよ」

 悪態をついて、彼は、自身の前髪を軽く、掴んだ。そこに足りないなにかを、探すように。

 そんな彼の手を取り、『女神さま』――もうひとりの少女は、楽しそうに笑った。少女を少し振り向いて、『ばいばい』と、手を振る。

「ええ、さようなら。……ありがとう。レイ」

 あなたのおかげで、最後のピースが埋まった。『シェヘラザードの虚言』。世界線を踏み越える『異本』。それを目の当たりにしたことで、いろんなことが理解できた。人間の認識では、きっと理解できなかった、知見を。

 別次元の存在。平行世界。別の世界線。自分と同じ、自分とは違う、自分。その、人生。

 だから少女は、安心して別れられた。大切な物語を、守ったまま――。

        *

「あの世界では、いたたまれなかったかな」

 は、『女神さま』と入れ違いのように、そこに、顕れた。

 いやきっと、最初から――始まりから終わりまで、変わらずそこに、いるのだろうけれど。

「強くも、賢しくもない。ただの少女でいたかった君には、物語なんぞ劇的だったか。『因果』を組み直そうが、残滓はたしかに、そこに在る。必ずどこかに、齟齬が出る。リュウ・ヨウユェが、バイ・シンファの決意を見ていたように。『因果』を組み直したという行為は、きっといつか、誰かに読み解かれる。世界は物語を、忘れたりなんかしないんだ」

「そうね」

 ふと顕れたその存在を、少女は理解しあぐねる。だが、だからこそ明瞭だ。

 それが『神』であることなど、問い質すまでもない。

「それにわたしは、なによりみんなを、守りたかったの。守れる力を手に入れた。……わがままだけどね。その力――洞察眼に絶望したわたしが、その力を手放すのを、惜しがった。知った時点で負けなのよ。その力を『因果』ごと切り離せば、『知った』という記憶もなくなる。だけど、『知っていたはず』のわたしが――いまのわたしが、未来のハクたち『家族』を守れなくなることに、絶望した」

 それは、本当にわがままだった。わがままで、本当に、優しい。

「もう二度と、『家族』を失いたくなかった。ハクに出会う前に、本当のお父さんとお母さん、『家族』を失ったみたいに。だってわたしは――――」

 その言葉通りに、少女は可愛く、笑う。後悔なんてない。そう、言うように。

「わたしより大切な可愛い『家族』たちと出会えたんだもの。わたしがあそこにいたままだと、物語は終わらない。『異本』がなくなろうと、危難はずっと、『家族』を苛むわ。それをみんなで乗り越える筋書きは、きっとすてきでしょうけれど、でも、尋常じゃない危険も、そこにはある。何人か、死ぬのが、見えちゃったの……」

 そう言っても、少女はまだ、笑えている。その未来を、変えられたからだろう。己が思惑を、達成したから。

 もう物語は、終わったのだから。

「『因果』を曲げようが、世界の運命は続いていく。どうせ、わたしたちを追い詰める。わたしたちは箱庭の中から、けっして逃れられない」

「そんなことはないよ。それに――」

 は嘆息して、うすら笑う。

、だ。ただの。そんな我に、君たちの運命など、端から握られていない」

 物語を紡いだのは、君たちだ。

 そう、思う。心から。

 君たちは整えられた舞台を、見事にぶち壊した。定められた物語は、二転三転――千転と変容した。

 君たちはたしかに、この箱庭を――物語を、打ち負かしたんだ。

「そう、だったら――」

 少女は最後に、少女らしく――。
 ただの可愛い、少女として、いたずらに、笑った。

「続編は、もっと平穏に――。ただの可愛いわたしが、ただの平凡な『家族』と、楽しく、安らかに、幸せに過ごす。――そんな物語を、期待しているわ」



『われは かたりて』さん。そう、少女は、なんでも見抜く賢い少女のように、そう呼んだ。

 ? つまらない言葉遊びだわ。そう言って、訳知り顔で、微笑む。



 そしてそのまま、次の世界線へ――。いや――。

 本来の世界線へ、消えた――。



 ――――――――。

 ――――。



 ――――――――



 ノルウェー、ロングイェールビーン。
 ある、『家族』。

「んぅ……」

 少女は、目を覚ました。長い夢を見ていた気がするわ。そう、寝ぼけ眼を擦る。、サファイアのような、煌めく瞳を。

「あ☆ やっと起きたぁ♪ まったく、この子は……。そんなところで寝てたら、風・邪・ひ・く・ぞ☆」

 いい年をして、ケバいメイクをふんだんに塗りたくった顔が、鬱陶しく横ピースしている。

「お母さんうざい」

「んまっ! なにこの子! 可愛くない!」

「可愛いもん。ばーか」

「うわぁ、反抗期だ……。ちょっとお父さん、なんとか言ってよ!」

 子どもみたいにその母親は、父親へ、助け舟を求めた。父親に対してスキンシップの多い母親に、少女はもやもやする。その感情に名前を付けないように、彼女は無意識に考えることをセーブしていた。

 父親は、母親に言い寄られ、読んでいた新聞から顔を上げた。無口な父親は、困ったように、頬を掻く。

「あら、お客様でしょうか」

 そこへ、主人を助けようとするように、その家の使用人が、澄んだ声を上げた。誰もが首を捻る。扉を叩く音など、誰も聞いていない。

「旦那様、ちょっと様子を見てまいります」

 そう言うと、うやうやしく一礼をして、その使用人は外へ出た。息も凍るような極寒の、ロングイェールビーンの町へ――。

        *

 ――とある、崖の上。

「げひゃひゃひゃひゃ……。あそこだなァ……」

 その極寒の中でも、たいへんな薄着で。それでいても、闘志は――殺意は、身体を焦がすように煮え滾らせた狂人が、目を血走らせる。

「世界の『因果』が狂ってやがる……。この世界の、敵対者が、あそこに、いる……」

 言いつつ彼は、不思議な感覚をも得ていた。だが、この気配。感覚。もしもあそこにいる者を殺せば、もっと違う、とんでもない運命の変容が、起きるかのよう――。

 だが、やらねばならない。そう、彼は思う。世界を正しく導くには、あれはイレギュラーすぎる。そう、理解してしまうから。

「ンじゃあ、まあ――」



「なんのつもりじゃ、貴様」

 その狂人の動きを、その女性は止めた。その手にした、日本刀の刃を、狂人の首に突き付けて。

わらわ可愛かぅいい姪っ子の家じゃぞ、あれは」

「あァ……? なンだァ……てめえ……」



「まったくだ」

 その刃ひとつなら、狂人も対処しただろう。だが、次なる声が、まるで見計らったように綺麗に、狂人の動きを妨げた。

「ぼくたちの可愛い姪っ子に、手を出すのは許さない。やるなら、弟だけにしておけ」

 凄みのある表情と声で、その男性は言う。その姪っ子の父親を、交換条件に持ち出して。

「……なンだってンだ、てめえら――」



「その問答は不要ですね」

 言葉での足止めは、瞬間だ。だがその瞬間を見逃さず、もうひとりの男性が、黄金の杖を向けた。

「理不尽な暴力だ。だから身共みどもたちは、可愛い姪に危害を加えようという貴様を、同じような暴力で、止めるというだけ」

「ああ……まったく。本当に本当に本当に本当に――」



「当家へ、いかなご用向きでしょう、お客様」

 そこへ、使用人が目ざとく駆けつけ、鋭い目を向けた。

「――と、お姉さま、お兄さま方」

「なんじゃ、末弟のとこの使用人か。少し待っておれ」

「ああ、こいつをとっちめてから」

「すぐに行く」

 その姉弟は息を合わせて、そう、言うのだった。

 だから使用人はため息をついて、

「旦那様のお達しです。その者にも、ご参加いただきたいと」

 血気立つ彼らを、止めたのだった。

        *

 ――そして、町のはずれ。

「おじいさんおじいさん。楽しみねえ」

「おじいさんはやめてくれ。ばあさん」

 仲睦まじい老夫婦が、腕を組んで歩いている。老夫婦とはいえ、まだ若い。五十代前半と、いったところか。

「おじいさんだって、ばあさん呼びしてるじゃない。孫に会うのに、いつもでも名前呼びは恥ずかしいって、おじいさんが言いだしたんでしょ」

「言ったが、それは、あいつんちについてからでいいだろう」

「こういうのは、普段から慣れとかないと。とっさにとっさに、出ないのよ。可愛い孫にからかわれても知らないからね」

 んべー。と、祖母の方が年甲斐もなく、子どものように舌を出した。

「ばあさんも、いつまでも子どもみたいな性格、気をつけないと、可愛い孫に笑われるぞ。いまどきの子は、早熟だというからな」

「むきー! 誰が誰が誰が誰が! 子どもだっての!? これでもいい歳こいた、ばばあだっての!」

「おまえはなにを主張しているんだ……?」

 呆れながらも、祖父は、いまだ可愛い嫁に、苦笑する。

 ああ、本当に幸せだ。そう、何億回も感じただろう思いを、抱いて。

「さて、ついたな」

 久方ぶりに、息子に会う。そして、だいぶ大きくなったと聞いている、孫娘に。

 だから彼は、もう一度『幸せだな』と感じて、歳のせいか緩くなった目頭を、空を見上げて隠した。くしゃみが出そうになるのを、軽くこらえる。

 それから居住まいを正して、その扉を、叩いた――。

        *

「来たな」

 そう言うと、ずっと無言を貫いていた父親が、立ち上がった。使用人は出払っている。でなくとも、その客は、彼が自ら迎えに出ると決めていた。

 なんだかいまだに言い争っている妻と娘を放っておいて、彼は、玄関へ向かう。



「よう、遅かったな……って」

 見て、彼は絶句した。なんなんだ、この状況、と。



「そこでばったり会ったのじゃ、末弟」

「この客人とやらが、だいぶ暴れてね」

「なにを考えているのです、あなた?」

「おおぃ! なンだってんだ、おい!」

「旦那様。みなさまをお連れしました」

「やっほー、おばあちゃん来たよー!」

「すまない。私の手には負えなかった」



 各人好き勝手、思い思いに騒いで、そして勝手に、その家に上がる。誰もが数年ぶりだった。それでも、気心の知れた『家族』のように――。

 いや、まさしく『家族』として、その場所に、集ったのだ。



「はあい! ではでは、僭越ながらおばあちゃん! おばあちゃんが音頭をとります!」

 はいはい! と、年甲斐もなく元気に挙手をしながら、彼女は言った。

 せーの。と、『家族』を見渡し、タイミングを合わせる。



「お誕生日、おめでとう!」



 パァン! と、弾けるクラッカー。万雷の拍手。誰もがみな、幸せそうな表情で、少女の生誕を、祝いに集った。

 手土産は、彼らそのもの。

『家族』という名の、花束だ――。



「わあ……」



 少女は、心底から驚いた。心の底から、喜びがこみ上げた。

 こんなサプライズ、まったく、本当に、微塵も、予想だにしていなかった。

 少女は、なにも知らない。なにも解らない。

 彼女はこれまでも、これからも、ずっと、知らないままに生きていく。世界の広さも、あらゆる強者も。数々の困難や、それを乗り越えたときの、幸福。

 少女は、そんな未来を、なにも知らない。



 だから、期待する。夢を見る。

 まるでお伽噺のような、空想を。

 小説のような、幻想を。

 ずっと、こんな――。



 幸福な『家族』に、育まれながら――。



 ――――――――



「……続編? 物語だって? ……違うよ、この先は――」

 少女たちを見下ろして、我は、最後に、呟く。

「あまりにも最高で、あまりにも平凡な――」

 ――物語は、ここまで。だから、これからは――。



「ただの、……人生だ」




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