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酒涙雨(織姫と彦星は本当はずっと一緒にいたい)
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俺はこれが夢だと知っていた。
いや、違う。本当はずっと分かっていた。
分かっているのに理解したくなくて目を背け続けていた。
夢なんだ、と思うことでどこか安心したかったんだ。
本当に…こうなってしまったんだな。
俺はただそこに立ち尽くすことしか出来なかった。
この空の色はどこかで見たな…とぼんやり思い出そうとしながら瓦礫を踏み分けながら進む。
踝まで浸っている水は案外綺麗で、時々小さな魚がスイスイ泳いでいった。
今まで降り続いた雨はとりあえずどこかに行ってしまったようだ。
足元の瓦礫の中に見覚えのある看板を見つけた。
それはもう汚れて壊れていたが確かにあのカフェの看板だった。
そっと土を払うと下から文字が見えた。
「ねぇ、怒ってる?」
声のする方へ顔を向けると崩れた家屋の上に人が乗っていた。
よく知ってる人物、真子先生だ。
ザブーンとどこかで水飛沫の音が聞こえた。
「どこかで鯨が跳ねたのかな…」
遠くを見つめながら真子先生はよくわからない表情をしていた。
俺は何も言わず真子先生を見つめた。
口から言葉が出る気がしなかった。
自分が何を感じているのか、何を言うべきなのか、どんな態度を取るべきなのか、全てが彷徨って、俺の所に帰ってきてはくれなかった。
「いつから気づいてたの?」
真子先生は俺の考えを探るようにじっと俺を見据えている。
探ろうにも、俺自身が自分の思考を把握していないのだからどうしようもない。
「あの」
声が出て自分で驚いた。
「あまねは、どこですか」
あの年のあの季節、降り続く雨は止むことを知らず降り続け日本をすっぽり水溜りにしてしまった。正確に言おう、日本だけではない。世界中が水に沈み、地球を全て海にしてしまった。
誰も予期しない事態に世界は慌てふためいた。専門家が難しい用語を使おうとも、色んな形のグラフを示そうとも無情にも雨は降り続いた。結局は少しずつ雨に侵食されていく土地を眺めることしかできなかった。人類は雨と共に生きる覚悟を決めるしかなかったのだ。
世界は今までにないくらい静かになった。
雨男だからって限度があるだろ…俺は雨が降る空を見上げながら誰にとなくごちた。
俺はプカプカと浮かぶアヒルボートに座りながら空に息を吐いた。これをするといつもタバコを吸っているような気になれて少し気分が晴れる。
あまねとは2週間くらい会ってない。連絡も取ってない。
俺はまた白い空に向かって大きく息を吐いた。イヤホンからは正解だとか間違いだとかについて歌っている。俺はじゃぁどこから間違えたのか。
「まだまだ降るよ、この雨」
横を見ると青年が体育座りで隣に座っていた。青年は空を見上げながら瞬きをする。
「というか、本当はこれ雨じゃないんだよ」
こちらに顔を向けた青年は困ったようないたずらっぽいような表情をしていた。
「地球海化作戦…?」
そう、と青年は答えた。ほんと最高にネーミングセンスないよね。ともぼやいた。
「そして地球の生物はみーんなふやけちゃって、水の幽霊になっちゃう訳」
蒼はもう空色のトレーナーを着ておらず、白っぽいレインコートを着ていた。いや、本当はそのレインコートの下に今も空色のトレーナーを着てるのかもしれない。蒼と話しているうちに蒼との思い出が蘇った。何で今まで忘れていたんだろう?
「水の…幽霊?」俺は繰り返した。
蒼の説明は3割も理解できなかった。
「うん、そうやって僕たちが地球を侵略しようとしてるんだろうね」
蒼の口から"地球侵略"なんて聞いても全く真実味がない。ドーナッツには穴が空いている。とでも言っているようなそのポーカーフェイス。
「わかった…分からんこともたくさんあるけど…ただ何で俺にその話してくれんの?」
話は理解出来なくても蒼が、そちら側の人が地球人にそんな秘密計画をあっさりバラしていい訳ないだろう。
蒼は変わらぬ瞳で俺を見た。
「なんでだろ?これってけっこうヤバいことなんだけどね」
コロコロ笑っている蒼の言う"ヤバい"の度合いを測ろうとしたがやっぱりやめた。
「ねぇ、最近あま姉に会ってる?」
何を言っているのか分からず「あまねのこと?」と聞き返す。「もちろん」
「え、待ってお姉さんなの?」
「地球とは姉の概念が違うかもしれないけど」
あま姉のことは雨姉って呼んでるんだけど、すっごく怒るからあま姉ってことにしてるんだ。蒼は悪戯っぽくまた笑った。
「あのさ」
蒼は真剣に俺と向き合った。
「あま姉のこと、好き?」
急な質問に俺は吹き出す。
「な、急に、なんだよ」
「そうだよね…あーー困ったな」
蒼はレインコートについた雨粒をプルプルと体を振って落とした。隣に俺いるの忘れてるのかな。
「あま姉とはもう会わない方がいいよ」
「え?」
もう、雨のザーっという音が耳にこびりついてしまった。蒼の話だと、雨じゃないらしいけど。
「ぼく、なんだか君に懐いちゃって。だからもうあま姉のことは忘れて元気に暮らして欲しいんだよ。意味分かんないと思うけど、あんまり話し過ぎると君が危ないかもしれないし。君にも何かあったら嫌だからさ」
どういうことなのか俺の小さな頭で考えてるうちに蒼はいなくなっていた。
あまねに、何が起きてるんだろう。
もちろん地球にも重大なことが起きているんだけれど、それよりもあまねのことが気になった。
俺は小さなソファーに座って窓の外を見ていた。窓に濡れた蜘蛛の巣を見つけ、綺麗だなと思った。蜘蛛にとっては災難だろうけど、。
手元の携帯を無意味に開いては閉じている。手の温もりが移って温かくなっている。開くと三毛猫がひだまりの道を歩いている待ち受け画面、それと時刻の表示が見える。
雨はなかなか降りやまない。聞いていた曲がサビを勢いよく歌う。
運命の人って何なんだろな…最近この曲ばかり巷に流れている気がする。
迷っているのも疲れて思い切って、携帯を開き電話をかける。
プルルル…と着信音が鳴る
プルルル
プルルル
あと一回鳴って出なかったら…切ろう
プルルル
切ろうとした瞬間「あ!もしもし?」声が聞こえた。
「あの…久しぶりですね、すいません、最近体調がなんだか悪くて」
「そうなの?大丈夫?」
蒼の話と何か関係があるんだろうか
「はい、たぶん。借りてた本返さなきゃと思ってて」
声を聞きながらじんわりと心が温まるのを感じた。
「そう…俺も読んでほしい本があるんだ」
あまねはペンギン好きかな、と頭の隅でちらっと思った。
会う約束をして電話を切る。久しぶりに明るい気持ちになれた。
俺は本棚から貸したい本を出して眺める。
この本の最後の一行が伝わるといいな…
やっとこの本を貸せる勇気を持てたことに俺はまた空に向かって息を吐いた。口の端は上がっていた。
その時、何の予兆もなく急に雨が上がった。いつも予兆なんてないか。
そんなことを考えていると窓の外に人が歩いているのが見えた。真子先生だ。
そういえばこんな長雨がよく降るようになったのは真子先生と知り合ってからだ。と気づいた時にはもう遅い。
気づいたら俺はもうプールの底にいた。
すぐそこに青は光っていたのに。
手を繋いでいたあまねはもう隣にはいなかった。
プールから上がると世界は一変していたのである。
それは最近よく見る夢の風景と同じ、世界が終わった後の風景だった。
「あまねはどこですか」
俺は真子先生にもう一度聞いた。真子先生はいつものアニメのエプロンを付けていた。いつものように両手をポケットに入れていた。
「ねぇ、蒼から聞いてるでしょ。もうあまねちゃんには近づかない方がいいって」
蒼も言わなくていいことまでペラペラ喋っちゃって…本当に大丈夫かしら…真子先生は1人でぶつぶつ言っている。
「聞きましたが…会いたいんです」とても
真子先生はため息をついた。
「あのね、すぐる先生がどこまで理解してるのか知らないけど、あなたがあまねちゃんに近づくとあなたの大切なものが一つひとつ壊れていくのよ」
あなたの大切なものも、誰かの大切なものも。と付け足した。
「俺は…一回あまねと離れた」
数年前、夏の記憶が蘇る。
「だから、今回は…今は離したくないんです」
俺は今、真子先生を完全に敵に回している。
俺の辞書は脳内で破り捨てた。
はぁ、と真子先生はまたため息をつく。
「すぐる先生、それはただのわがままって言うのよ。あなたの身勝手でーーー」
真子先生は何かを諦めたようにまた息をついた。
「あのさ…すぐる先生は蒼の言っていたこと、本当に信じてるわけ?」
…え?
「信じてるっていうか…なんというか…」
正直話が突拍子もなさすぎるが、性格的に疑うよりも信じてしまうタチなので、なんとなく疑わずにここまで来た。
「すぐる先生はほんと、」
真子先生は呆れたように、ダメな生徒を可愛がるように優しい目で見つめて言った。
「お人好し、だよね」
真子先生がそんなに無邪気に笑うところを初めて見るもんだから呆気に取られて言葉が出なかった。
「蒼の言ってたことなんて、ぜーーーんぶ嘘に決まってるでしょ?地球海化作戦??地球侵略??そんなん、あるわけないっしょ」
けらけら笑いながら真子先生は続ける。なんだかいつもの真子先生よりずっとフレンドリーだ。
「嘘…?」
どこからどこまで…?
俺の頭は思考を止めかける。なにがなんだかもう把握できない。
「そうだよ。あっ、嘘っていうか…んー、あれだな。私今から爆弾発言するけど、心の準備はいい?」
「え」
「あのね、これは全部君の夢なんだよ」
「夢?」
「そう、眠って見る夢。
世界中が水浸しになったのも、今このいる場所も全部夢!」
真子先生が両手を広げていてちょっと楽しそうだ。
「ついでに、登場人物も夢の中の住人。私も、蒼も、そしてー」
俺から視線を外す真子先生。
「あまねちゃんも、ね」
俺は混乱しつつも真子先生の様子に引っかかりを感じていた。
「真子先生も、蒼も?あまねも夢って…それって…それはつまり俺は何年も何年も夢を見てるってことですか?」
真子先生と知り合ったのは3年前、あまねと出会ったのは…えーっといつだったか…
「夢って長いこと見てても起きると忘れてたり、あっという間だったりするでしょ。そういうもんよ」
真子先生の説明には無理がある気がする。全然真子先生らしくない。
「さ、行きなよ」
真子先生はサッと後ろを振り返って言った。
「えっ、」
「すぐる先生?これは夢なんですよ?夢なんだからもう自分のしたいようにしなさいよ!」
「…あ、え」
真子先生がすごい勢いで俺の両肩を揺さぶる。
「だ!か!!ら!!!
今すぐ!!あまねちゃんのとこに!!行けって!!言ってんの!!!!!!!」
ぐらんぐらんに揺さぶられて俺は脳震とうを起こしかけた頭で考える
「だ、だか、ら、あま、ね、はど、こ、に、いる、のか、って、、聞い、て、て」
「んもう!鈍いわね!!こんなに見渡しいいんだからちょっと見渡せば分かるでしょ!!!」
言動が完全に乱暴な真子先生がやっと手を緩めてくれた…
「そ、それはちょっと無理」
「ほら、あっちよ!あのカモメが集まってるところ!ほらっ!!さっさと行く!!もう時間ないんだから!!」
真子先生に背中を押されてそのままの勢いで走り出す。走るたびに足元の瓦礫や溜まった水が崩れたり跳ねたりするが気にする暇もなく走る。
「走れーーー!!!!走れ!!すぐる先生えぇー!!」
振り向くと真子先生が仁王立ちで叫んでいる。真子先生の背後にはとても綺麗な景色が広がっていた。こんなに破壊された文明がこんなに綺麗だなんて。
「ほらもっと走れ!!!急げ!!!!」
真子先生の叱咤に急かされまた速度を上げる。
「…がんばれよ。」
走り行くすぐるの背中に声をかけるがその言葉はもう届いていないことを知っていた。
いや、違う。本当はずっと分かっていた。
分かっているのに理解したくなくて目を背け続けていた。
夢なんだ、と思うことでどこか安心したかったんだ。
本当に…こうなってしまったんだな。
俺はただそこに立ち尽くすことしか出来なかった。
この空の色はどこかで見たな…とぼんやり思い出そうとしながら瓦礫を踏み分けながら進む。
踝まで浸っている水は案外綺麗で、時々小さな魚がスイスイ泳いでいった。
今まで降り続いた雨はとりあえずどこかに行ってしまったようだ。
足元の瓦礫の中に見覚えのある看板を見つけた。
それはもう汚れて壊れていたが確かにあのカフェの看板だった。
そっと土を払うと下から文字が見えた。
「ねぇ、怒ってる?」
声のする方へ顔を向けると崩れた家屋の上に人が乗っていた。
よく知ってる人物、真子先生だ。
ザブーンとどこかで水飛沫の音が聞こえた。
「どこかで鯨が跳ねたのかな…」
遠くを見つめながら真子先生はよくわからない表情をしていた。
俺は何も言わず真子先生を見つめた。
口から言葉が出る気がしなかった。
自分が何を感じているのか、何を言うべきなのか、どんな態度を取るべきなのか、全てが彷徨って、俺の所に帰ってきてはくれなかった。
「いつから気づいてたの?」
真子先生は俺の考えを探るようにじっと俺を見据えている。
探ろうにも、俺自身が自分の思考を把握していないのだからどうしようもない。
「あの」
声が出て自分で驚いた。
「あまねは、どこですか」
あの年のあの季節、降り続く雨は止むことを知らず降り続け日本をすっぽり水溜りにしてしまった。正確に言おう、日本だけではない。世界中が水に沈み、地球を全て海にしてしまった。
誰も予期しない事態に世界は慌てふためいた。専門家が難しい用語を使おうとも、色んな形のグラフを示そうとも無情にも雨は降り続いた。結局は少しずつ雨に侵食されていく土地を眺めることしかできなかった。人類は雨と共に生きる覚悟を決めるしかなかったのだ。
世界は今までにないくらい静かになった。
雨男だからって限度があるだろ…俺は雨が降る空を見上げながら誰にとなくごちた。
俺はプカプカと浮かぶアヒルボートに座りながら空に息を吐いた。これをするといつもタバコを吸っているような気になれて少し気分が晴れる。
あまねとは2週間くらい会ってない。連絡も取ってない。
俺はまた白い空に向かって大きく息を吐いた。イヤホンからは正解だとか間違いだとかについて歌っている。俺はじゃぁどこから間違えたのか。
「まだまだ降るよ、この雨」
横を見ると青年が体育座りで隣に座っていた。青年は空を見上げながら瞬きをする。
「というか、本当はこれ雨じゃないんだよ」
こちらに顔を向けた青年は困ったようないたずらっぽいような表情をしていた。
「地球海化作戦…?」
そう、と青年は答えた。ほんと最高にネーミングセンスないよね。ともぼやいた。
「そして地球の生物はみーんなふやけちゃって、水の幽霊になっちゃう訳」
蒼はもう空色のトレーナーを着ておらず、白っぽいレインコートを着ていた。いや、本当はそのレインコートの下に今も空色のトレーナーを着てるのかもしれない。蒼と話しているうちに蒼との思い出が蘇った。何で今まで忘れていたんだろう?
「水の…幽霊?」俺は繰り返した。
蒼の説明は3割も理解できなかった。
「うん、そうやって僕たちが地球を侵略しようとしてるんだろうね」
蒼の口から"地球侵略"なんて聞いても全く真実味がない。ドーナッツには穴が空いている。とでも言っているようなそのポーカーフェイス。
「わかった…分からんこともたくさんあるけど…ただ何で俺にその話してくれんの?」
話は理解出来なくても蒼が、そちら側の人が地球人にそんな秘密計画をあっさりバラしていい訳ないだろう。
蒼は変わらぬ瞳で俺を見た。
「なんでだろ?これってけっこうヤバいことなんだけどね」
コロコロ笑っている蒼の言う"ヤバい"の度合いを測ろうとしたがやっぱりやめた。
「ねぇ、最近あま姉に会ってる?」
何を言っているのか分からず「あまねのこと?」と聞き返す。「もちろん」
「え、待ってお姉さんなの?」
「地球とは姉の概念が違うかもしれないけど」
あま姉のことは雨姉って呼んでるんだけど、すっごく怒るからあま姉ってことにしてるんだ。蒼は悪戯っぽくまた笑った。
「あのさ」
蒼は真剣に俺と向き合った。
「あま姉のこと、好き?」
急な質問に俺は吹き出す。
「な、急に、なんだよ」
「そうだよね…あーー困ったな」
蒼はレインコートについた雨粒をプルプルと体を振って落とした。隣に俺いるの忘れてるのかな。
「あま姉とはもう会わない方がいいよ」
「え?」
もう、雨のザーっという音が耳にこびりついてしまった。蒼の話だと、雨じゃないらしいけど。
「ぼく、なんだか君に懐いちゃって。だからもうあま姉のことは忘れて元気に暮らして欲しいんだよ。意味分かんないと思うけど、あんまり話し過ぎると君が危ないかもしれないし。君にも何かあったら嫌だからさ」
どういうことなのか俺の小さな頭で考えてるうちに蒼はいなくなっていた。
あまねに、何が起きてるんだろう。
もちろん地球にも重大なことが起きているんだけれど、それよりもあまねのことが気になった。
俺は小さなソファーに座って窓の外を見ていた。窓に濡れた蜘蛛の巣を見つけ、綺麗だなと思った。蜘蛛にとっては災難だろうけど、。
手元の携帯を無意味に開いては閉じている。手の温もりが移って温かくなっている。開くと三毛猫がひだまりの道を歩いている待ち受け画面、それと時刻の表示が見える。
雨はなかなか降りやまない。聞いていた曲がサビを勢いよく歌う。
運命の人って何なんだろな…最近この曲ばかり巷に流れている気がする。
迷っているのも疲れて思い切って、携帯を開き電話をかける。
プルルル…と着信音が鳴る
プルルル
プルルル
あと一回鳴って出なかったら…切ろう
プルルル
切ろうとした瞬間「あ!もしもし?」声が聞こえた。
「あの…久しぶりですね、すいません、最近体調がなんだか悪くて」
「そうなの?大丈夫?」
蒼の話と何か関係があるんだろうか
「はい、たぶん。借りてた本返さなきゃと思ってて」
声を聞きながらじんわりと心が温まるのを感じた。
「そう…俺も読んでほしい本があるんだ」
あまねはペンギン好きかな、と頭の隅でちらっと思った。
会う約束をして電話を切る。久しぶりに明るい気持ちになれた。
俺は本棚から貸したい本を出して眺める。
この本の最後の一行が伝わるといいな…
やっとこの本を貸せる勇気を持てたことに俺はまた空に向かって息を吐いた。口の端は上がっていた。
その時、何の予兆もなく急に雨が上がった。いつも予兆なんてないか。
そんなことを考えていると窓の外に人が歩いているのが見えた。真子先生だ。
そういえばこんな長雨がよく降るようになったのは真子先生と知り合ってからだ。と気づいた時にはもう遅い。
気づいたら俺はもうプールの底にいた。
すぐそこに青は光っていたのに。
手を繋いでいたあまねはもう隣にはいなかった。
プールから上がると世界は一変していたのである。
それは最近よく見る夢の風景と同じ、世界が終わった後の風景だった。
「あまねはどこですか」
俺は真子先生にもう一度聞いた。真子先生はいつものアニメのエプロンを付けていた。いつものように両手をポケットに入れていた。
「ねぇ、蒼から聞いてるでしょ。もうあまねちゃんには近づかない方がいいって」
蒼も言わなくていいことまでペラペラ喋っちゃって…本当に大丈夫かしら…真子先生は1人でぶつぶつ言っている。
「聞きましたが…会いたいんです」とても
真子先生はため息をついた。
「あのね、すぐる先生がどこまで理解してるのか知らないけど、あなたがあまねちゃんに近づくとあなたの大切なものが一つひとつ壊れていくのよ」
あなたの大切なものも、誰かの大切なものも。と付け足した。
「俺は…一回あまねと離れた」
数年前、夏の記憶が蘇る。
「だから、今回は…今は離したくないんです」
俺は今、真子先生を完全に敵に回している。
俺の辞書は脳内で破り捨てた。
はぁ、と真子先生はまたため息をつく。
「すぐる先生、それはただのわがままって言うのよ。あなたの身勝手でーーー」
真子先生は何かを諦めたようにまた息をついた。
「あのさ…すぐる先生は蒼の言っていたこと、本当に信じてるわけ?」
…え?
「信じてるっていうか…なんというか…」
正直話が突拍子もなさすぎるが、性格的に疑うよりも信じてしまうタチなので、なんとなく疑わずにここまで来た。
「すぐる先生はほんと、」
真子先生は呆れたように、ダメな生徒を可愛がるように優しい目で見つめて言った。
「お人好し、だよね」
真子先生がそんなに無邪気に笑うところを初めて見るもんだから呆気に取られて言葉が出なかった。
「蒼の言ってたことなんて、ぜーーーんぶ嘘に決まってるでしょ?地球海化作戦??地球侵略??そんなん、あるわけないっしょ」
けらけら笑いながら真子先生は続ける。なんだかいつもの真子先生よりずっとフレンドリーだ。
「嘘…?」
どこからどこまで…?
俺の頭は思考を止めかける。なにがなんだかもう把握できない。
「そうだよ。あっ、嘘っていうか…んー、あれだな。私今から爆弾発言するけど、心の準備はいい?」
「え」
「あのね、これは全部君の夢なんだよ」
「夢?」
「そう、眠って見る夢。
世界中が水浸しになったのも、今このいる場所も全部夢!」
真子先生が両手を広げていてちょっと楽しそうだ。
「ついでに、登場人物も夢の中の住人。私も、蒼も、そしてー」
俺から視線を外す真子先生。
「あまねちゃんも、ね」
俺は混乱しつつも真子先生の様子に引っかかりを感じていた。
「真子先生も、蒼も?あまねも夢って…それって…それはつまり俺は何年も何年も夢を見てるってことですか?」
真子先生と知り合ったのは3年前、あまねと出会ったのは…えーっといつだったか…
「夢って長いこと見てても起きると忘れてたり、あっという間だったりするでしょ。そういうもんよ」
真子先生の説明には無理がある気がする。全然真子先生らしくない。
「さ、行きなよ」
真子先生はサッと後ろを振り返って言った。
「えっ、」
「すぐる先生?これは夢なんですよ?夢なんだからもう自分のしたいようにしなさいよ!」
「…あ、え」
真子先生がすごい勢いで俺の両肩を揺さぶる。
「だ!か!!ら!!!
今すぐ!!あまねちゃんのとこに!!行けって!!言ってんの!!!!!!!」
ぐらんぐらんに揺さぶられて俺は脳震とうを起こしかけた頭で考える
「だ、だか、ら、あま、ね、はど、こ、に、いる、のか、って、、聞い、て、て」
「んもう!鈍いわね!!こんなに見渡しいいんだからちょっと見渡せば分かるでしょ!!!」
言動が完全に乱暴な真子先生がやっと手を緩めてくれた…
「そ、それはちょっと無理」
「ほら、あっちよ!あのカモメが集まってるところ!ほらっ!!さっさと行く!!もう時間ないんだから!!」
真子先生に背中を押されてそのままの勢いで走り出す。走るたびに足元の瓦礫や溜まった水が崩れたり跳ねたりするが気にする暇もなく走る。
「走れーーー!!!!走れ!!すぐる先生えぇー!!」
振り向くと真子先生が仁王立ちで叫んでいる。真子先生の背後にはとても綺麗な景色が広がっていた。こんなに破壊された文明がこんなに綺麗だなんて。
「ほらもっと走れ!!!急げ!!!!」
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