戯作者になんてなりたくない

中岡潤一郎

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「さて、話を聞かせてもらおうか。藤岡屋」

 文次朗に問われて、藤岡屋由蔵は顔をあげた。
 その瞳に動揺は見られない。いつもと同じく、強く貪欲な光を放っている。

「何のことでしょうか」
「とぼけるな。おぬし、すべてを知っていて、私を屋台に送り込んだな」

 文次朗は正面から由蔵をにらんだ。今回ばかりは、言い逃れを許すわけにはいかない。

「鳥越の隠居に本を渡した帰り、屋台に行くように仕向けたのは、二人が面倒を抱えていると知っていたからであろう。敵持ちの戸川がいるのに、関は何もせずに放っている。戸川もまた返り討ちをねらうわけでもなく、逆に関に討たれる時を待ち望んでいる。歪んだ敵討ちで、おぬしが好きそうな話だ」

 由蔵は無言である。紙の山に囲まれながら、文次朗を見ている。

 いつもと同じ光景だ。藤岡屋の座敷にいる時は、決して文机から離れず、ただ話し相手を見つめるだけだ。

 妙な圧力を感じるのは、紙の山のせいだ。由蔵の住み処に飛び込んだからこそ、どこかやりにくいと思っている。その筈なのだが……。

 得体の知れない緊張感をおぼえながら、文次朗は先をつづける。

「されど、得体の知れない武家が出てきて、話が変わってきた。奴らは、戸川殿をねらっていた。こちらが声をかけなければ、取り囲んで討ち果たしていただろう。いや、それだけではない。関殿の周りにも、同じような連中が出ている。昨日、姿を見た」

 気になった文次朗は、三日ほど屋台の様子を見ていた。

 すると、店じまいの寸前、武家の集団が現れ、辺りをうろついていることに気づいた。
 身なりは整っており、主持ちであることは間違いない。
 おそらく、戸川を襲った連中の仲間だろう。関もまた何らかの理由わけがあってねらわれていた。

「もはや、単なる敵討ちではすまない。大きな企てが動いており、放っておけば二人とも屠られる。そのあたりをわかっていて、私をさし向けたのであろう」

 文次朗は珍しく感情をあらわにした。

 何度か藤岡屋に振り回されることはあったが、たわいのないことばかりだった。
 ツケにしていた団子の代金を払ったり、酒屋から彼の呑む酒を運ぶように仕向けられたりした。多少の損はあっても、酒を呑ましてもらったり、写本を回してもらったりで帳尻はたやすくあった。

 しかし、今回は違う。

 人の命がかかっていて、それもきわめて危うい。

 さすがに放ってはおけない。無駄死にを見るのは気分が悪い。

「どうなのだ?」
「そうだと言ったら、どうしますか」

 由蔵の声が響く。それは普段よりも低く、さながら山を下りてくる北風のようであった。

「私の首を取りますか」
「しない。ただ、二度とここには来ない」

 文次朗は言い切った。嘘はない。
 由蔵は彼の視線を正面から受け止める。文机に筆を置くまでは、かなり時間がかかった。

「平野様のお気持ちはわかりました。まあ、お怒りはごもっともかと」
「藤岡屋」
「はい。おっしゃるとおり、あの二人が理由わけありであることを知っていました。敵討ちの子細もつかんでいて、平野様がかかわれば何か話が転がるのではないかと考えておりました。ですが、二人をねらう者がいることは知りませんでした。正しくいえば今は知っておりますが、それは平野様に話をした後のことでした。思いのほか話は面倒なことになっていて、今日にでも話をして手を引いてもらうつもりでいました」
「誠か」
「平野様に嘘は言いませんよ。ご迷惑をおかけして、申しわけありませんでした」

 由蔵が頭を下げた。何を考えているのかわからぬ傲岸な男が謝るのははじめてのことで、正直、文次朗は驚いた。

「わかった。信じよう」
「平野様。もうあの二人にはかかわらないでください。こちらで何とかします」
「それはできん。彼らとは縁もできた。今さら引くつもりはない」

 文次朗は座り直し、由蔵を見た。

「話してくれ。何があったのか」
「よろしいので」
「かまわん。引くつもりはないと言ったであろう」
「わかりました。では」

 由蔵は、事の次第をすべて語った。

 話は簡潔で、きわめてわかりやすかったが、すべてを語り終えるまでは半刻ほどかかった。それだけ事態が複雑に絡みあっていたということだ。

 文次朗は嘆息した。

「まさか、そんなことになっていようとは」
「欲がからむと、まあ、こうなります。一度、握ったものは手放したくないようで。子供にできることが大人になると、むずかしくなりますな」
「早々に動かねばならぬ。手をこまねいていると、あの二人が危ない」
「平野様、手を貸していただきますか」
「無論だ。何をすればいい」
「すぐに会っていただきたいのですよ。すべての鍵を握る者に」

 由蔵が名をあげると、文次朗は息を呑んだ。
 旗本の部屋住みが顔をあわせるには、むずかしい相手だ。
 だが、ここはやるしかない。今となっては手段を選んでいられなかった。
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