戯作者になんてなりたくない

中岡潤一郎

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八(下)

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 関の主家では重役と勘定方が年貢をごまかし、密かに蓄財を進めていた。彼らは、それを武器に家政をほしいままにし、主君にも知らせず贅を尽くしていた。

 さらには心ある家臣を追い込み、時には罪をきせて破滅に追いやることもあった。

「兄上が動いていたのは、そのもくろみを暴くため。その流れで、世継ぎのことを知ったのでしょう」
「そんなことが……」

 そこで戸川は息を呑んだ。

「そうか。あやつが事を公にしようとしたのも、そのためか」
「はい。跡継ぎの偽りを明らかにすることで、不正をした連中を追い込もうしたようです。家中が揺れれば、隠していたものがつづけて表に出てきます。勘定方の悪事を暴くにはちょうどよいきっかけと考えたのでしょう」
「なんと」
「真相を知ったのは、敵討ちに出てから一年後、弟が兄の残した書状を届けてくれた時です。知らなかったとは言え、手前も不正に手を貸していました。勘定方の一人として」

 関は空を見あげた。表情はひどく寂しげだ。

「ここで家中に戻れば、また不正の手伝いをさせられましょう。逆らえば、私だけでなく、弟や親戚も巻きこまれる。それは嫌だった」
「だから、儂を討たず、江戸に残ろうとしたと」
「面倒な武家のやり方が嫌になったというのがあります。それぐらいならば、蕎麦を打っている方がましかと」

 実のところ、敵討ちに乗じて関を故国から追い出したのも、重役が足場を固めるための処置だったと言える。彼は真面目で、帳面の不正に気づきつつあり、暴かれる前に勘定方で手を打つ必要があった。

 それがわかって、関は心底、嫌になったのだろう。

「だから敵を討つつもりはありませぬ。手前はずっとこのままで……」
「いや、それは困る。私もこのままではいられぬ。秘を抱えたまま生きているというのは……」
「そうでしょう。お二人の気持ちはわかります」

 そこで、文次朗は視線を転じ、草むらの先を見つめた。

「同じように耐えきれなくなった連中が動いた。それが奴らだ」

 雑木林の向こう側から、襷を掛けた武家が現れた。
 その数は一〇名。速歩で彼らに迫ると、たちまち周囲を取り巻いた。

「あなた方をねらっていたのは、国許の連中だ。敵討ちでどちらが一人が倒れてくれれば、それでよし。うまくいけば、二人とも倒れて秘は守られる。そう考えて上役は手を組み、二人の命をねらった」
「まさか、殿がこれを」
「いや、御主君は預かり知らぬこと。家臣が勝手にやっているだけです」

 関と戸川が文次朗に視線を向ける。なぜ知っているのかと言いたげだ。

 理由は簡単。当人から話を聞いたからである。

 文次朗が由蔵に勧められて顔をあわせた相手。その人物こそ関と戸川の主君、米倉丹後守昌寿よねくらたんごのかみまさながだった。

 武蔵金沢一万二〇〇〇石の主で、馬場先門番や竹橋門番、大坂炬右左口定番を務めた実務派の大名だ。十年ほど前に不手際があって、今は逼塞を余儀なくされているが、いずれ再評価されて重要な地位につくと目されている。

 旗本の部屋住みが会うには厳しい相手だったが、由蔵の伝手と文次朗の兄の手引きで上屋敷での対面を許された。

 そこで、文次朗ははったりも交えて、これまでの流れを語り、昌寿から真相を聞き出した。
 その後、文次朗は家臣の動向を由蔵に調べさせた。

 たちまち事の次第は明らかになり、主君の知らぬうちに家臣が同輩の口封じに出ているという異常な事態を知ることとなった。

「放っておけばよいものを。つまらぬことを気にするから」

 放置しても問題はなかったのに、秘が露見することを怖れて、二人を始末しようとした。それがかえって彼らの罪を明らかにすることになった。

「報いを受けるがよい」
「平野殿、下がってくだされ。ここは手前が」
「いや、私が」

 関と戸川が前に出るのを押さえて、文次朗が刀を抜いた。

「下がっておられよ」

 気圧された二人が下がったところで、文次朗は前に出た。
 一気に敵との間合いを詰める。
 いきなり来るとは思っていなかったのか、相手の対応は遅れた。刀を振りあげた時には間合いに入っていた。

 文次朗は容赦なくその腕を切り飛ばす。

 鮮血が草原に散ったところで、左の相手を突き刺す。
 足をつらぬかれて、悲鳴があがる。

「己の欲にかられて、つまらぬ上役の手先となったか。武士の風上にもおけぬ。さあ、かかってくるがよい」

 文次朗があおると、わっと声があがって、敵が迫る。

 動きは速く、剣の心得があることがわかる。

 しかし、文次朗の目から見れば遅すぎる。

 左に跳ぶと、立てつづけに二人の腕を切り飛ばす。

 次いで右から来た斬撃をかわすと、刀を放り投げて、その腹をつらぬく。
 空手になったところで、敵が勢い込んで攻めたててくるが、文次朗は自ら間合いを詰め、敵の懐に飛び込んでみぞおちを正確に掌底で叩く。

 敵が刀を落としたところで、それを拾いあげ、またたく間に二人の腕を斬る。

 残ったのは二人だ。いずれも肩で息をし、目を血走らせている。

「堂々と参られよ。お相手いたす」

 文次朗が脇構えを取ると、二人はいっせいに走り出した。声をあげて、刀を振りあげる。

 頭に血がのぼっていることもあり、動きは単調だった。

 一寸の間合いで剣尖をかわすと、右から来た男の目を切る。

 ついでもう一人の耳と髷を切り飛ばす。

 大きな声があがって、二人が下がったところで、決着はついた。もう攻めかかってくる者はいない。

 平野文次朗は、桶町道場で北辰一刀流を学び、その技量は千葉周作をうならせるほどであった。ある時、突如やめてしまい、二度と道場に姿を見せることはなかったが、多人数での戦いを得意とし、掛かり稽古では百人を相手に戦ったという伝説も持っていた。

 道場を離れても、文次朗は研鑽を怠っていなかった。ただ、このような形で使うことになるとは思わなかったが。

 彼は大きく息をつくと、倒れた男たちに歩み寄った。

「傷を見せろ」

 手当をすれば、命を落とすことはない。無意味な殺生には興味はなかった。
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