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四章 椿蓮
百十話 椿蓮
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高音はいつの間にか規則的な音に変化し、真っ白な光も段々と暗くなってくる。
ぼやけた意識が少しづつ戻るにつれ、それはハッキリとした音と色になった。
「波の音…」
灯台らしき光が辺りを照らし、その反対側には月が輝いている。
状況を把握するのに、暫く時間がかかった。
崖の上だろうか。
潮の香りがする。波の音は下から響いていて、俺は岩の上にうつ伏せで倒れていた。
手をついて、体を起こす。
「…死んでない」
右腕には少し傷が残っているが、左腕はすっかり元通りだ。
少し安心したが、胸の中心が強く痛み顔を歪めた。剣の刺さっていた部分から血が流れ出ている。
胸を抑えながら立ち上がり辺りを見回すと、足元にミストが倒れていた。右腕からの出血が岩の窪みに溜まっている。
「…ここが」
ミストは俺が近寄ると、微かに口を動かしてそう言った。
とどめを刺すため剣を出現させようとするが、左手には何も現れなかった。
「なんで…」
「……ここが、楽園…」
「…あ」
ミストの言葉を頭の中で反芻する。楽園…
そうか、もう…
あの世界じゃ、ないんだな。
こいつらの言う楽園とは、俺のいた世界の事。つまり…ここは俺の元いた世界か。
「お前らの術は、ここに来るためのものだったのか?」
「ああ」
「…僕達の意志は、達成された…」
僅かに微笑んでいるのが、薄暗い中でも分かった。
これはどっちの勝利なのだろうか。俺達は被害を防ぎ、こいつらは術を発動させた。
「…ツバキ、そこから何が見える?」
「…は?」
「楽園は…見えるのか?」
「…暗くてよく見えない。灯台と月と、あと向こう側に海がある」
「明るくなれば、きっと素晴らしい景色が…」
ミストはうつ伏せで倒れており、きっとその視界に見えるのは夜空と地面の岩だけだろう。
「…楽園は、お前達の思っているような良いもんじゃないぞ」
言うべきか迷ったが、言葉はとめどなく溢れてくる。それはこいつらに対する恨みなのか何なのか、それは分からない。
「居場所があって、楽しみがあればそこがもう楽園なんだ。俺にとっては…あっちが楽園だったんだよ」
岩に座り込む。ミストは何も言わない。
「…こっちの世界で俺は生まれた。そして何年も生きてた。そこでここが楽園だなんて思った事は1度だってない。大切な人は次々にいなくなっていくし、誰も助けてなんてくれない」
結局は、個人の問題なんだ。どこが楽園なんだとか、そういうのは。
こっちの世界で幸せを受けた人が楽園という名を付けた。それだけなんだ。この術はこっちの世界に連れてくるだけ。楽園になんて行けない──。
「…そうだったのか、そうか…お前は楽園から」
「こんな話、最期にするべきじゃなかったな。楽園なんかないって…」
「いいや、お前は…術を分かっていない。これは…楽園に行く魔法だ」
「だからそれは…っ」
やっぱりミストは認めたくないのか。そりゃそうだ。ずっと信じ続けてたものが一瞬で壊れたのだ。
「じきに、分かるだろうよ」
「…何がだよ」
「生きてれば…分かる。この先いつかは分からない。まだ先かも知れないが、すぐかも知れない。……いいや、必ずすぐ分かる」
「何言ってんだ…?」
「ここは、楽園だ。…僕とお前、どちらにとってもな」
そう言うとミストは、急に立ち上がった。
まだ動けたのかと呆然としていると、ミストはそのまま前のめりになって走り出した。向こうは崖だ。
「おい! そっちは崖だぞ!」
俺の制止も聞かず、一直線に崖の端へ進んでゆく。
俺も追いかけようとするが、立ちくらみがして膝をついた。
「おい…!」
崖の端で、ミストは振り返る。その表情は暗くて見えない。
「僕は、意志を全うした…」
そう呟くと、ミストの姿は崖の下へ消えていった。鈍い音がし、崖の端へ行って下を除くと尖った岩の傍にミストがいた。
瞬きをすると、その姿は消えていた。
「何だよ…」
そのまま、その場に座り込む。
「…そういえば、あの世界に行ったのも崖から落ちた時だったよな」
と、そこで気が付く。この景色、見覚えがある。
数年前だが、記憶にはっきりと残っていた。
「ここ、俺が飛び降りた場所だ…」
そうだ。この崖から飛び降りて俺はあの世界に行ったんだ。今立っている、この場所から…。
──もう一度、飛び降りたら。
そしたら、あの世界に戻れるだろうか。
この世界にいても、前の日常が繰り返されるだけだ。この世界にいる意味なんてない。
もし、戻れるのだとしたら。
また、あの世界で暮らせるのなら──!
この世界に楽園なんてあるはずがない。あいつの言った事なんて妄想だ。
『必ずすぐ分かる』
「…分かるわけないよ」
立ち上がり、呼吸をした。すぐ足元に見える崖下には尖った岩が並び、それに波が打ち付けられている。
目を閉じ、上半身の力を抜いた。
目的地へ、右足を踏み出す──
『兄ちゃん!?』
その声と共に、上半身が強く後ろに引っ張られた。
ぼやけた意識が少しづつ戻るにつれ、それはハッキリとした音と色になった。
「波の音…」
灯台らしき光が辺りを照らし、その反対側には月が輝いている。
状況を把握するのに、暫く時間がかかった。
崖の上だろうか。
潮の香りがする。波の音は下から響いていて、俺は岩の上にうつ伏せで倒れていた。
手をついて、体を起こす。
「…死んでない」
右腕には少し傷が残っているが、左腕はすっかり元通りだ。
少し安心したが、胸の中心が強く痛み顔を歪めた。剣の刺さっていた部分から血が流れ出ている。
胸を抑えながら立ち上がり辺りを見回すと、足元にミストが倒れていた。右腕からの出血が岩の窪みに溜まっている。
「…ここが」
ミストは俺が近寄ると、微かに口を動かしてそう言った。
とどめを刺すため剣を出現させようとするが、左手には何も現れなかった。
「なんで…」
「……ここが、楽園…」
「…あ」
ミストの言葉を頭の中で反芻する。楽園…
そうか、もう…
あの世界じゃ、ないんだな。
こいつらの言う楽園とは、俺のいた世界の事。つまり…ここは俺の元いた世界か。
「お前らの術は、ここに来るためのものだったのか?」
「ああ」
「…僕達の意志は、達成された…」
僅かに微笑んでいるのが、薄暗い中でも分かった。
これはどっちの勝利なのだろうか。俺達は被害を防ぎ、こいつらは術を発動させた。
「…ツバキ、そこから何が見える?」
「…は?」
「楽園は…見えるのか?」
「…暗くてよく見えない。灯台と月と、あと向こう側に海がある」
「明るくなれば、きっと素晴らしい景色が…」
ミストはうつ伏せで倒れており、きっとその視界に見えるのは夜空と地面の岩だけだろう。
「…楽園は、お前達の思っているような良いもんじゃないぞ」
言うべきか迷ったが、言葉はとめどなく溢れてくる。それはこいつらに対する恨みなのか何なのか、それは分からない。
「居場所があって、楽しみがあればそこがもう楽園なんだ。俺にとっては…あっちが楽園だったんだよ」
岩に座り込む。ミストは何も言わない。
「…こっちの世界で俺は生まれた。そして何年も生きてた。そこでここが楽園だなんて思った事は1度だってない。大切な人は次々にいなくなっていくし、誰も助けてなんてくれない」
結局は、個人の問題なんだ。どこが楽園なんだとか、そういうのは。
こっちの世界で幸せを受けた人が楽園という名を付けた。それだけなんだ。この術はこっちの世界に連れてくるだけ。楽園になんて行けない──。
「…そうだったのか、そうか…お前は楽園から」
「こんな話、最期にするべきじゃなかったな。楽園なんかないって…」
「いいや、お前は…術を分かっていない。これは…楽園に行く魔法だ」
「だからそれは…っ」
やっぱりミストは認めたくないのか。そりゃそうだ。ずっと信じ続けてたものが一瞬で壊れたのだ。
「じきに、分かるだろうよ」
「…何がだよ」
「生きてれば…分かる。この先いつかは分からない。まだ先かも知れないが、すぐかも知れない。……いいや、必ずすぐ分かる」
「何言ってんだ…?」
「ここは、楽園だ。…僕とお前、どちらにとってもな」
そう言うとミストは、急に立ち上がった。
まだ動けたのかと呆然としていると、ミストはそのまま前のめりになって走り出した。向こうは崖だ。
「おい! そっちは崖だぞ!」
俺の制止も聞かず、一直線に崖の端へ進んでゆく。
俺も追いかけようとするが、立ちくらみがして膝をついた。
「おい…!」
崖の端で、ミストは振り返る。その表情は暗くて見えない。
「僕は、意志を全うした…」
そう呟くと、ミストの姿は崖の下へ消えていった。鈍い音がし、崖の端へ行って下を除くと尖った岩の傍にミストがいた。
瞬きをすると、その姿は消えていた。
「何だよ…」
そのまま、その場に座り込む。
「…そういえば、あの世界に行ったのも崖から落ちた時だったよな」
と、そこで気が付く。この景色、見覚えがある。
数年前だが、記憶にはっきりと残っていた。
「ここ、俺が飛び降りた場所だ…」
そうだ。この崖から飛び降りて俺はあの世界に行ったんだ。今立っている、この場所から…。
──もう一度、飛び降りたら。
そしたら、あの世界に戻れるだろうか。
この世界にいても、前の日常が繰り返されるだけだ。この世界にいる意味なんてない。
もし、戻れるのだとしたら。
また、あの世界で暮らせるのなら──!
この世界に楽園なんてあるはずがない。あいつの言った事なんて妄想だ。
『必ずすぐ分かる』
「…分かるわけないよ」
立ち上がり、呼吸をした。すぐ足元に見える崖下には尖った岩が並び、それに波が打ち付けられている。
目を閉じ、上半身の力を抜いた。
目的地へ、右足を踏み出す──
『兄ちゃん!?』
その声と共に、上半身が強く後ろに引っ張られた。
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