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第4話 おはようの距離と、ルール②
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朝。目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた理由は、眠りが浅かったせいではない。玲央さんの寝室に行った昨夜の光景が、頭の中で何度も再生されていたからだ。
(……顔、見られるかな)
軽く身支度を整えてリビングへ出ると、窓から射し込む朝日とともに、コーヒーの香りが漂っていた。
「あ……おはようございます」
キッチンに立っていた玲央さんが、振り返る。
「おはよう、美桜。よく眠れましたか?」
その声がやさしすぎて、胸の奥がくすぐったくなる。見つめられるだけで、息が止まりそうになるのを隠せずにいると、玲央さんは少し困ったように眉を下げた。
「昨日のこと、もし忘れたいなら――忘れてくれても構いません。あなたに、無理をさせたくないので」
「……忘れません。ちゃんと、覚えてます」
玲央さんの目がふっと細められ、朝日を受けた睫毛が銀色に光る。
「それなら……」
彼はカップを置き、真剣な目で私を見た。
「今日から、ルール②です」
「えっ、もう次の……?」
「ええ。“朝起きたら、一番最初におはようを言うこと”。」
「それって……普通じゃないですか?」
「普通かどうかではなく、“僕に一番に言うこと”です。父にも、秘書にも、友達にも、誰より先に」
――ああ、この人は本当は寂しいんだ。
心の中でそう思ってしまい、私はそっと微笑んだ。
「……おはようございます、玲央さん」
玲央さんは、小さく息を飲んだような顔をして、笑った。
「はい。合格です」
その笑顔が、ずるいくらいやさしかった。
◇ ◇ ◇
朝食を終える頃、彼はスーツに着替えながら言った。
「会社では、これまで通り“社長”として接してください。ただ……」
「ただ?」
「帰ってきたら、婚約者として迎えてください。昨日のルール①、覚えてますよね?」
――ただいまの、キス。
思い出した瞬間、フォークを落としそうになった。
「きょ、今日はまだ心の準備が……!」
「では手の甲で構いません。でも、逃げないでくださいね」
会社でもいつも通りの距離感を保とうとしたのに、彼は時々、視線だけで私の存在を掬い取る。
それだけで心臓が騒ぎ出して、仕事どころじゃなくなる自分が悔しい。
(こんなことで25日も耐えられるのかな……)
◇ ◇ ◇
そして――夜。
玄関のドアが静かに開き、黒いスーツの裾を揺らして、玲央さんが帰ってきた。
「ただいま、帰りました」
喉の奥が、きゅっと締めつけられる。
言わなきゃ。婚約者として、ルール通りに。
「……おかえりなさい、玲央さん」
「ルール①。実行してみますか?」
低く、優しい声。そして、近づく足音。
(ここで逃げたら、なんのために契約したのか……)
私は深呼吸をして、彼の目をまっすぐ見た。
「……手の甲、でなら」
玲央さんはわずかに目を見開き、それから――ゆっくりと微笑んだ。
「わかりました。では……失礼します」
指先をそっと支えられ、唇が触れる。
一瞬だった。けれど、指先から胸の奥まで熱が走るような感覚がする。
顔を真っ赤にする私に、玲央さんは、ふっと息を吐くように笑った。
「……おかえりのキス、合格です」
「……っ恥ずかしいから、言わないでください」
「それと――明日のルール③も、そろそろ伝えないといけませんね」
「ま、まだあるんですか……?」
「ルールは25コありますから。ゆっくり慣れていきましょう」
夜景の光に照らされた横顔は、どこか安心したようで、同時に何かを隠しているようにも見えた。
ひとつ、またひとつと近づいていく距離。
――けれど、この温もりの先に待っている“25日後”の終わりが、少しこわくなってきたのだった。
(……顔、見られるかな)
軽く身支度を整えてリビングへ出ると、窓から射し込む朝日とともに、コーヒーの香りが漂っていた。
「あ……おはようございます」
キッチンに立っていた玲央さんが、振り返る。
「おはよう、美桜。よく眠れましたか?」
その声がやさしすぎて、胸の奥がくすぐったくなる。見つめられるだけで、息が止まりそうになるのを隠せずにいると、玲央さんは少し困ったように眉を下げた。
「昨日のこと、もし忘れたいなら――忘れてくれても構いません。あなたに、無理をさせたくないので」
「……忘れません。ちゃんと、覚えてます」
玲央さんの目がふっと細められ、朝日を受けた睫毛が銀色に光る。
「それなら……」
彼はカップを置き、真剣な目で私を見た。
「今日から、ルール②です」
「えっ、もう次の……?」
「ええ。“朝起きたら、一番最初におはようを言うこと”。」
「それって……普通じゃないですか?」
「普通かどうかではなく、“僕に一番に言うこと”です。父にも、秘書にも、友達にも、誰より先に」
――ああ、この人は本当は寂しいんだ。
心の中でそう思ってしまい、私はそっと微笑んだ。
「……おはようございます、玲央さん」
玲央さんは、小さく息を飲んだような顔をして、笑った。
「はい。合格です」
その笑顔が、ずるいくらいやさしかった。
◇ ◇ ◇
朝食を終える頃、彼はスーツに着替えながら言った。
「会社では、これまで通り“社長”として接してください。ただ……」
「ただ?」
「帰ってきたら、婚約者として迎えてください。昨日のルール①、覚えてますよね?」
――ただいまの、キス。
思い出した瞬間、フォークを落としそうになった。
「きょ、今日はまだ心の準備が……!」
「では手の甲で構いません。でも、逃げないでくださいね」
会社でもいつも通りの距離感を保とうとしたのに、彼は時々、視線だけで私の存在を掬い取る。
それだけで心臓が騒ぎ出して、仕事どころじゃなくなる自分が悔しい。
(こんなことで25日も耐えられるのかな……)
◇ ◇ ◇
そして――夜。
玄関のドアが静かに開き、黒いスーツの裾を揺らして、玲央さんが帰ってきた。
「ただいま、帰りました」
喉の奥が、きゅっと締めつけられる。
言わなきゃ。婚約者として、ルール通りに。
「……おかえりなさい、玲央さん」
「ルール①。実行してみますか?」
低く、優しい声。そして、近づく足音。
(ここで逃げたら、なんのために契約したのか……)
私は深呼吸をして、彼の目をまっすぐ見た。
「……手の甲、でなら」
玲央さんはわずかに目を見開き、それから――ゆっくりと微笑んだ。
「わかりました。では……失礼します」
指先をそっと支えられ、唇が触れる。
一瞬だった。けれど、指先から胸の奥まで熱が走るような感覚がする。
顔を真っ赤にする私に、玲央さんは、ふっと息を吐くように笑った。
「……おかえりのキス、合格です」
「……っ恥ずかしいから、言わないでください」
「それと――明日のルール③も、そろそろ伝えないといけませんね」
「ま、まだあるんですか……?」
「ルールは25コありますから。ゆっくり慣れていきましょう」
夜景の光に照らされた横顔は、どこか安心したようで、同時に何かを隠しているようにも見えた。
ひとつ、またひとつと近づいていく距離。
――けれど、この温もりの先に待っている“25日後”の終わりが、少しこわくなってきたのだった。
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