私と彼には“25の恋愛契約”があります。距離感こじらせ御曹司と始めたルールつき婚前同棲

花森 うらら

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第6話 ルール④――“僕を最優先”の合図

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「……君、寝落ちしてましたよ。僕の腕の中で」

 朝一番の爆弾発言に、私は悲鳴を飲み込んだ。距離が近すぎる。心臓が痛い。なのに、嫌じゃない。

「き、昨日は、その……すみません」

「謝る必要はありません。嬉しかったので」

 さらりと言われて、耳まで熱くなる。玲央さんはシャツの袖を留めながら、少しだけ真面目な表情に戻った。

「出勤前に、ルール④を伝えておきます」
 
【ルール④ “僕からの連絡は最優先で返すこと”。出られない時は合図だけでもいい】

「最優先……ですか?」

「外では距離を置く分、君の“気持ちの優先順位”が知りたい。既読だけでも、絵文字ひとつでも構いません。――僕は、君に置いていかれたくない」

 震えるほど正直な言葉だった。私は息を整え、頷く。

「わかりました。最優先で返します。合図、決めませんか?」

「では、“OK”にしましょう。スタンプでも、二文字だけでも。ふたりだけの合言葉です」

「……はい、“OK”ですね」

 その音を気に入ったように、玲央さんは満足そうに微笑んだ。

     ◇ ◇ ◇

 会社の空気は、昨日までと少し違う。視線が集まる。ヒソヒソ声が背中をなぞる。

(落ち着け、私は経理……いつも通りの私でいればいい)

 昼前、資料室で紙束を整えていると、人の気配に振り向いた。総務の若手、柏木くんが困ったように笑っている。

「花宮先輩、最近よく社長室から呼ばれてますよね。……気を付けてください。社内、噂になってます」

「え、ええ……大丈夫」

「もし困ったら、僕に言ってください。僕、先輩の味方なので」

 心強い言葉に礼を言っていると、ふとスマホが震えた。画面には短い文字。

> Reo:会議、長引きそう。

 ――合図。

 胸の奥が温かくなる。人知れず、私は同じ数字を返した。

> Mio:OK。

 返信した瞬間、扉の向こうから低い声。

「資料室、空いているか?」

 取引先の若手が数名入ってきて、私をちらりと見た。視線に混じる興味と値踏み。どきりとしたとき、再びスマホが震える。

> Reo:誰かと一緒?

 私は慌てずに返す。

> Mio:大丈夫。すぐ出ます。

 合図を送ると、胸の不安が少しだけ静まった。

     ◇ ◇ ◇

 退勤後。ロビーへ向かうエレベーターの中、鏡越しに自分の頬が少し赤いのがわかる。ドアが開くと、正面に秘書課の月島さんが立っていた。無表情の、仕事のできる女性。

「花宮さん。社長は先に車でお待ちです。地下のB2へどうぞ」

「えっ、でも――私、電車で帰りますから」

「今日はご同伴でお願いします。……社外に、記者が数名来ています」

 言葉を飲んだその時、スマホが震える。

> Reo:B2で待っています。


 地下に降りると、黒い車が一台。ドアが開き、玲央さんがこちらへ歩み出る。夜の照明に、シャツの襟元が白く浮かんだ。

「迎えに来ました。乗ってください」

 有無を言わせない声音――だけど、私の手首を掴む指の力は、驚くほど慎重だった。

「……ありがとうございます」

 乗り込んだ車内は薄暗く、静かな匂いがした。ドアが閉まると同時に、彼は深く息をつく。

「噂が出回る前に手を打ちます。僕の“婚約者”に、傷が付くのは嫌なので」

 胸が痛むほどに甘い言葉。けれど、すぐに現実が追いかけてくる。

「本当に……私で、いいんですか」

「他の誰かだと困る。……君だから、いい」

 即答だった。視線が絡まる。逃げ場をなくすみたいに。

「それから――帰宅したら、今日のルール①ですよ」

「えっ、ま、まだ心の準備が……!」

「今日は手の甲ではなく、頬に。僕からでも、君からでも。選んでくれていい」

 そんな自由、与えないでほしい。選べるなら、迷うに決まっている。

     ◇ ◇ ◇

 マンションへ戻ると、エントランスの外に見慣れない影。男が二人、カメラを提げてこちらを見た。月島さんが素早く前に出る。

「関係者以外の立ち入りはご遠慮ください」

 フラッシュが一瞬走り、私は思わず身をすくませた。玲央さんの手が、ためらいなく私の肩を抱く。

「大丈夫。僕を見て」

 囁かれ、反射で顔を上げる。彼の目だけを見つめて歩くと、世界が彼の声だけになっていく。

 部屋のドアが閉まった瞬間、現実が戻ってきた。手の震えに気づいた玲央さんが、迷わず両手で包み込む。

「……怖かったですよね。ごめんなさい」

「い、いえ。私、体が固まって、なにも対処ができなくて……」

「守ります。契約でも、なんでもなく。僕個人として」

 言葉が、胸のいちばん弱いところに触れてくる。

「……ルール①、しますか?」

 聞かれ、息を呑んだ。彼の視線が、唇ではなく私の目を選ぶ。逃げ道がない。

「――私から、いいですか」

 彼の頬に触れたのは、ほんの一瞬。だけどきっと、一生忘れない。

「……ただいま、玲央さん」

 彼は、ゆっくりと微笑んだ。

「――合格、どころではありません。反則です」

 次の瞬間、私の額に軽いキスが落ちる。あまりに優しくて、なぜか泣きそうになる。

「夕食は出前にしましょう。今日は、君を休ませたい」

「でも、私……何か、したいです」

「じゃあ――テーブルに、君が好きなキャンドルを二本。火を点けてください」

 笑って、私は頷く。炎が揺れる。影が寄り添う。

 それだけで、今夜は眠れそうな気がした。

 ――けれど、窓の外。遠くの路上で、またひとつ光るフラッシュに、私はまだ気づいていなかった。
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