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第6話 ルール④――“僕を最優先”の合図
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「……君、寝落ちしてましたよ。僕の腕の中で」
朝一番の爆弾発言に、私は悲鳴を飲み込んだ。距離が近すぎる。心臓が痛い。なのに、嫌じゃない。
「き、昨日は、その……すみません」
「謝る必要はありません。嬉しかったので」
さらりと言われて、耳まで熱くなる。玲央さんはシャツの袖を留めながら、少しだけ真面目な表情に戻った。
「出勤前に、ルール④を伝えておきます」
【ルール④ “僕からの連絡は最優先で返すこと”。出られない時は合図だけでもいい】
「最優先……ですか?」
「外では距離を置く分、君の“気持ちの優先順位”が知りたい。既読だけでも、絵文字ひとつでも構いません。――僕は、君に置いていかれたくない」
震えるほど正直な言葉だった。私は息を整え、頷く。
「わかりました。最優先で返します。合図、決めませんか?」
「では、“OK”にしましょう。スタンプでも、二文字だけでも。ふたりだけの合言葉です」
「……はい、“OK”ですね」
その音を気に入ったように、玲央さんは満足そうに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
会社の空気は、昨日までと少し違う。視線が集まる。ヒソヒソ声が背中をなぞる。
(落ち着け、私は経理……いつも通りの私でいればいい)
昼前、資料室で紙束を整えていると、人の気配に振り向いた。総務の若手、柏木くんが困ったように笑っている。
「花宮先輩、最近よく社長室から呼ばれてますよね。……気を付けてください。社内、噂になってます」
「え、ええ……大丈夫」
「もし困ったら、僕に言ってください。僕、先輩の味方なので」
心強い言葉に礼を言っていると、ふとスマホが震えた。画面には短い文字。
> Reo:会議、長引きそう。
――合図。
胸の奥が温かくなる。人知れず、私は同じ数字を返した。
> Mio:OK。
返信した瞬間、扉の向こうから低い声。
「資料室、空いているか?」
取引先の若手が数名入ってきて、私をちらりと見た。視線に混じる興味と値踏み。どきりとしたとき、再びスマホが震える。
> Reo:誰かと一緒?
私は慌てずに返す。
> Mio:大丈夫。すぐ出ます。
合図を送ると、胸の不安が少しだけ静まった。
◇ ◇ ◇
退勤後。ロビーへ向かうエレベーターの中、鏡越しに自分の頬が少し赤いのがわかる。ドアが開くと、正面に秘書課の月島さんが立っていた。無表情の、仕事のできる女性。
「花宮さん。社長は先に車でお待ちです。地下のB2へどうぞ」
「えっ、でも――私、電車で帰りますから」
「今日はご同伴でお願いします。……社外に、記者が数名来ています」
言葉を飲んだその時、スマホが震える。
> Reo:B2で待っています。
地下に降りると、黒い車が一台。ドアが開き、玲央さんがこちらへ歩み出る。夜の照明に、シャツの襟元が白く浮かんだ。
「迎えに来ました。乗ってください」
有無を言わせない声音――だけど、私の手首を掴む指の力は、驚くほど慎重だった。
「……ありがとうございます」
乗り込んだ車内は薄暗く、静かな匂いがした。ドアが閉まると同時に、彼は深く息をつく。
「噂が出回る前に手を打ちます。僕の“婚約者”に、傷が付くのは嫌なので」
胸が痛むほどに甘い言葉。けれど、すぐに現実が追いかけてくる。
「本当に……私で、いいんですか」
「他の誰かだと困る。……君だから、いい」
即答だった。視線が絡まる。逃げ場をなくすみたいに。
「それから――帰宅したら、今日のルール①ですよ」
「えっ、ま、まだ心の準備が……!」
「今日は手の甲ではなく、頬に。僕からでも、君からでも。選んでくれていい」
そんな自由、与えないでほしい。選べるなら、迷うに決まっている。
◇ ◇ ◇
マンションへ戻ると、エントランスの外に見慣れない影。男が二人、カメラを提げてこちらを見た。月島さんが素早く前に出る。
「関係者以外の立ち入りはご遠慮ください」
フラッシュが一瞬走り、私は思わず身をすくませた。玲央さんの手が、ためらいなく私の肩を抱く。
「大丈夫。僕を見て」
囁かれ、反射で顔を上げる。彼の目だけを見つめて歩くと、世界が彼の声だけになっていく。
部屋のドアが閉まった瞬間、現実が戻ってきた。手の震えに気づいた玲央さんが、迷わず両手で包み込む。
「……怖かったですよね。ごめんなさい」
「い、いえ。私、体が固まって、なにも対処ができなくて……」
「守ります。契約でも、なんでもなく。僕個人として」
言葉が、胸のいちばん弱いところに触れてくる。
「……ルール①、しますか?」
聞かれ、息を呑んだ。彼の視線が、唇ではなく私の目を選ぶ。逃げ道がない。
「――私から、いいですか」
彼の頬に触れたのは、ほんの一瞬。だけどきっと、一生忘れない。
「……ただいま、玲央さん」
彼は、ゆっくりと微笑んだ。
「――合格、どころではありません。反則です」
次の瞬間、私の額に軽いキスが落ちる。あまりに優しくて、なぜか泣きそうになる。
「夕食は出前にしましょう。今日は、君を休ませたい」
「でも、私……何か、したいです」
「じゃあ――テーブルに、君が好きなキャンドルを二本。火を点けてください」
笑って、私は頷く。炎が揺れる。影が寄り添う。
それだけで、今夜は眠れそうな気がした。
――けれど、窓の外。遠くの路上で、またひとつ光るフラッシュに、私はまだ気づいていなかった。
朝一番の爆弾発言に、私は悲鳴を飲み込んだ。距離が近すぎる。心臓が痛い。なのに、嫌じゃない。
「き、昨日は、その……すみません」
「謝る必要はありません。嬉しかったので」
さらりと言われて、耳まで熱くなる。玲央さんはシャツの袖を留めながら、少しだけ真面目な表情に戻った。
「出勤前に、ルール④を伝えておきます」
【ルール④ “僕からの連絡は最優先で返すこと”。出られない時は合図だけでもいい】
「最優先……ですか?」
「外では距離を置く分、君の“気持ちの優先順位”が知りたい。既読だけでも、絵文字ひとつでも構いません。――僕は、君に置いていかれたくない」
震えるほど正直な言葉だった。私は息を整え、頷く。
「わかりました。最優先で返します。合図、決めませんか?」
「では、“OK”にしましょう。スタンプでも、二文字だけでも。ふたりだけの合言葉です」
「……はい、“OK”ですね」
その音を気に入ったように、玲央さんは満足そうに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
会社の空気は、昨日までと少し違う。視線が集まる。ヒソヒソ声が背中をなぞる。
(落ち着け、私は経理……いつも通りの私でいればいい)
昼前、資料室で紙束を整えていると、人の気配に振り向いた。総務の若手、柏木くんが困ったように笑っている。
「花宮先輩、最近よく社長室から呼ばれてますよね。……気を付けてください。社内、噂になってます」
「え、ええ……大丈夫」
「もし困ったら、僕に言ってください。僕、先輩の味方なので」
心強い言葉に礼を言っていると、ふとスマホが震えた。画面には短い文字。
> Reo:会議、長引きそう。
――合図。
胸の奥が温かくなる。人知れず、私は同じ数字を返した。
> Mio:OK。
返信した瞬間、扉の向こうから低い声。
「資料室、空いているか?」
取引先の若手が数名入ってきて、私をちらりと見た。視線に混じる興味と値踏み。どきりとしたとき、再びスマホが震える。
> Reo:誰かと一緒?
私は慌てずに返す。
> Mio:大丈夫。すぐ出ます。
合図を送ると、胸の不安が少しだけ静まった。
◇ ◇ ◇
退勤後。ロビーへ向かうエレベーターの中、鏡越しに自分の頬が少し赤いのがわかる。ドアが開くと、正面に秘書課の月島さんが立っていた。無表情の、仕事のできる女性。
「花宮さん。社長は先に車でお待ちです。地下のB2へどうぞ」
「えっ、でも――私、電車で帰りますから」
「今日はご同伴でお願いします。……社外に、記者が数名来ています」
言葉を飲んだその時、スマホが震える。
> Reo:B2で待っています。
地下に降りると、黒い車が一台。ドアが開き、玲央さんがこちらへ歩み出る。夜の照明に、シャツの襟元が白く浮かんだ。
「迎えに来ました。乗ってください」
有無を言わせない声音――だけど、私の手首を掴む指の力は、驚くほど慎重だった。
「……ありがとうございます」
乗り込んだ車内は薄暗く、静かな匂いがした。ドアが閉まると同時に、彼は深く息をつく。
「噂が出回る前に手を打ちます。僕の“婚約者”に、傷が付くのは嫌なので」
胸が痛むほどに甘い言葉。けれど、すぐに現実が追いかけてくる。
「本当に……私で、いいんですか」
「他の誰かだと困る。……君だから、いい」
即答だった。視線が絡まる。逃げ場をなくすみたいに。
「それから――帰宅したら、今日のルール①ですよ」
「えっ、ま、まだ心の準備が……!」
「今日は手の甲ではなく、頬に。僕からでも、君からでも。選んでくれていい」
そんな自由、与えないでほしい。選べるなら、迷うに決まっている。
◇ ◇ ◇
マンションへ戻ると、エントランスの外に見慣れない影。男が二人、カメラを提げてこちらを見た。月島さんが素早く前に出る。
「関係者以外の立ち入りはご遠慮ください」
フラッシュが一瞬走り、私は思わず身をすくませた。玲央さんの手が、ためらいなく私の肩を抱く。
「大丈夫。僕を見て」
囁かれ、反射で顔を上げる。彼の目だけを見つめて歩くと、世界が彼の声だけになっていく。
部屋のドアが閉まった瞬間、現実が戻ってきた。手の震えに気づいた玲央さんが、迷わず両手で包み込む。
「……怖かったですよね。ごめんなさい」
「い、いえ。私、体が固まって、なにも対処ができなくて……」
「守ります。契約でも、なんでもなく。僕個人として」
言葉が、胸のいちばん弱いところに触れてくる。
「……ルール①、しますか?」
聞かれ、息を呑んだ。彼の視線が、唇ではなく私の目を選ぶ。逃げ道がない。
「――私から、いいですか」
彼の頬に触れたのは、ほんの一瞬。だけどきっと、一生忘れない。
「……ただいま、玲央さん」
彼は、ゆっくりと微笑んだ。
「――合格、どころではありません。反則です」
次の瞬間、私の額に軽いキスが落ちる。あまりに優しくて、なぜか泣きそうになる。
「夕食は出前にしましょう。今日は、君を休ませたい」
「でも、私……何か、したいです」
「じゃあ――テーブルに、君が好きなキャンドルを二本。火を点けてください」
笑って、私は頷く。炎が揺れる。影が寄り添う。
それだけで、今夜は眠れそうな気がした。
――けれど、窓の外。遠くの路上で、またひとつ光るフラッシュに、私はまだ気づいていなかった。
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