私と彼には“25の恋愛契約”があります。距離感こじらせ御曹司と始めたルールつき婚前同棲

花森 うらら

文字の大きさ
8 / 13

第8話 父の前で、嘘のない選択を

しおりを挟む
 翌日。雨の名残りが路面に光を残す午後、私たちは本社近くの重厚なホテルラウンジへ向かった。深い革張りの椅子と低く流れるクラシック。待っているのは――如月グループ会長、玲央さんの父。

「久しいな、玲央」

 視線は私を素通りし、検分するような冷たさで息子だけを見る。
 
 私の背筋が自然に伸びる。私はとなりにいる玲央さんを見た。
 こちらを見る彼のやさしいまなざしで、肺に入る空気がやっと重さをなくす。

「紹介してもらえるのか、婚約者を」

 会長の言葉に、玲央さんは私の手を静かに取った。テーブルの下、指が絡む。

「花宮美桜。僕の――守りたい人です」

 すると、会長が鼻で笑う。

「守る? 会社を守るのが先だ。君には適切な縁談がある。先方は既に了承している」

 淡々と投げられる名前。名門、血統、資本。
 胸がざわめく。けれど、隣の指は微動だにしない。玲央さんは視線を逸らさず、低く、落ち着いて言う。

「政略婚は受けません。それで困る株主がいるなら、僕の仕事で納得させます」

 会長の目がわずかに細くなる。

「昨日の写真のこともある。軽率だな、玲央。女に惑わされるようでは――」

「惑わされてはいません」

 その一言が、ラウンジの温度を変えた。私の指先に、彼の体温が強く流れ込む。

「軽率でも一時の気の迷いでもない。選んで、決めて、ここに連れてきました」

 会長の向かい側で、人の気配。スーツ姿の若い女性がひとり、静かに腰を下ろす。すべらかな所作、完璧な笑顔。

「ご挨拶が遅れました。桐生財閥の桐生です。――会長に頼まれて……、玲央様、少しだけお時間をよろしいですか」

 彼女は一瞬だけ私へ視線を投げ、微笑を崩さず続けた。

「噂は、すでに拝見しました。けれどご心配なく。公的には、まだ何も決まっていません。今からでも間に合いますよ?」

 やわらかい声に見える刃。喉が乾く。その瞬間、玲央さんが私の手を強くにぎる。

「桐生さん。僕の私生活に、“公的”は要りません」

 静かな宣告に、彼女の睫毛が一瞬だけピクリと跳ねた。
 会長は肘掛けを、トンッと指で鳴らす。

「私生活をとるなら、会社を降りてもらおうか」

「そちらが望むなら、僕の保有株で敵対的買収を防ぎつつ代表を降ります。その代わり、研究開発と事業の再編権は僕に。――会社を守るために、僕は“僕のやり方”で戦います」

 会長の喉がわずかに鳴った。言葉が止まる。
 桐生さんの笑みが、薄くほどける。

「……強情ね、如月社長。けれど、嫌いではないわ。“交渉の余地はない”と確認できただけでも、収穫があるもの。では、これで私は失礼します」

 彼女が立つ。
 通り際、私に視線だけを落とし、小さく囁いた。

「守られるだけでは、隣に立てない。――覚えておくといいわ」

 背筋に冷たい風が通り、次の瞬間、横の指がきゅっと強く握ってくれた。

 会長が重く息を吐く。

「……お前は昔から、言い出したら聞かん。二十五日? そんな茶番で何が証明できる」

「証明ではなく、約束を育てています。毎日ひとつずつルールを覚えて、嘘をつかないで暮らす。二十五日で終わりにしないために」

 会長の視線が、初めてまっすぐ私に向く。私は逃げずに受け止めた。

 その時、玲央さんが私の指をそっと解き、テーブルの上で堂々と重ね直す。隠さない宣言。

「ルール⑥を増やします」

 彼は私の方を見て頷き、はっきりと言った。

ルール⑥ “嘘をつかない。迷ったら、正直に言う”。家の中でも、外でも。

「ここで宣言します。僕は花宮美桜を“契約の相手”ではなく“人生の相手”として選ぶ。ビジネスでは多数派の納得を取りにいく」

 ラウンジの時計が、ひとつ時を刻む音。
 会長は長く目を閉じ、やがて短く笑った。

「……好きにしろ。その代わり、結果で黙らせろ。三ヶ月で利益率二%改善。できるな?」

「やります。――だから、僕の私生活には踏み込まないでください」

 会長の視線が、最後に私を掠めた。重い確認のようで、脅しではなかった。

「娘さん。背中を預けられるほど、強くなれ」

 会長は立ち上がり、去っていった。残された空気が一気に軽くなる。
 
 視界が滲む。泣きそうなのを笑いに変えようとしたとき、テーブルの上で彼の指が私の涙の跡をそっと拭った。

「隣に立ってくれて、ありがとう。さっきの言葉、きみのおかげで胸を張って言えた」

「……私は、ずっと震えているだけでした」

「震えていても、となりにいてくれたし、嘘はつかなかった。ルール⑥、初日から合格です」

 会計のサインを済ませ、私たちは外へ出た。
 さっきまでの雨雲は薄れ、雲間から光が落ちてくる。信号待ちの横断歩道、ふと人波の向こうで、カメラを掲げる影が揺れた。

「――いますね」

 言うより先に、玲央さんの手が私を抱き寄せ、片腕でガードする。低く身を屈め、耳元で囁く。

「僕だけを見て」

 頷いて、私は彼を見る。
 
 フラッシュが白く弾けても、視界は彼の肩しか映らない。心臓はまだ速いのに、不思議と怖くなかった。

 横断歩道が青に変わる。彼は手を離さず、歩幅を合わせてくれる。

「美桜。二十五日で終わらせないために、ひとつ提案だ」

「……はい?」

「二十五日が過ぎたら、今度は【未来をどうするか】を二人で選ぶ」

 喉の奥で、喜びが音になる。

「約束、してくれますか」

「……約束します」

 交差点の真ん中で、私たちは小さく笑い合った。
 ――嘘のない選択を、これからも。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

一条さん結婚したんですか⁉︎

あさとよる
恋愛
みんなの憧れハイスペックエリートサラリーマン『一条 美郷(※超イケメン)』が、結婚してしまった⁉︎ 嫁ラブの旦那様と毒舌地味嫁(花ちゃん)....とっ!その他大勢でお送りしますっ♡ ((残念なイケメンの一途過ぎる溺愛♡))のはじまりはじまり〜 ⭐︎本編は完結しております⭐︎ ⭐︎番外編更新中⭐︎

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく… なお、スピンオフもございます。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

処理中です...