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第11話 記事の朝と、ルール⑨
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週明けの朝、エレベーターの中でスマホが震えた。通知の見出しが目に刺さる。
《如月社長、駅前で“頬キス”――交際相手の素顔》
ぼやけた写真。けれど、私の横顔は自分にはわかる程度に写っていた。
(昨日、つい私からしてしまったんだ……)
息が浅くなる。
扉が開いた瞬間、秘書課の月島さんが待っていた。
「社長室へ。広報と弁護士が入っています」
社長室の扉が閉まると同時に、玲央さんが立ち上がった。視線が合う。
「来てくれて、ありがとう。――怖かった?」
「……あの、ごめんなさい。私」
「大丈夫。ここで全部やる」
会議は淡々と進んだ。
広報は「実名・個人情報の特定を避ける導線で」と冷静に。
弁護士は「住居・勤務先への張り込みに警告文」と短く。
玲央さんは、結論だけを低くきっぱりと言う。
「プライベートに踏み込む取材は、受けません。彼女の実名は出しません。広報文は僕の署名で」
周囲が散っていき、部屋にふたりきりになった途端、私は小さく息を吐いた。
「……本当に、ごめんなさい。私から、頬にしたせいで」
「謝らないで。あの写真は、僕の宝物の一枚になりましたから」
「た、宝物って……」
「見るたびに理性が危うい。――ルールがなかったら、今すぐきみを抱きしめてる」
耳まで熱くなる。けれど、柔らかく笑う彼に、胸のこわばりがほどけていくのがわかった。
「それから、ルール⑨を増やしたい」
彼は白紙にさらりと書く。
【ルール⑨ “ネット記事やコメントは、ひとりで見ない。見るときは、一緒に見る”】
「言葉の刃は、見えないところで深く刺さる。君をひとりにしたくない」
「……はい。わかりました」
私はスマホを握り、深くうなずいた。
◇ ◇ ◇
昼休み。給湯室で紙コップにお湯を注いでいると、背中でヒソヒソ声がはじけて消えた。
「写真、見た?」「でも顔わからないよね」「横顔、似てるって噂だよ……」
無視して通り抜けようとしたとき、柏木くんが慌てて追ってくる。
「先輩、これ……」
ピンク色の小さな箱。中身はのど飴とメモ。
〈無理しないでください。俺、味方です〉
素直な善意が胸に刺さる。誤解も増える、とわかっているのに。
「ありがとう。でも、これは受け取れない。あなたを、巻き添えにはしたくないから」
言い切ると、彼は苦笑して頭を下げた。
「……わかりました」
給湯室を出ると同時に、スマホへ文字が表示された。
Reo:迎えに行く。B2へ
◇ ◇ ◇
地下の車寄せ。
ドアが閉まった瞬間、世界が静かになる。
「おかえり」
玲央さんの指が、私の指を絡める。
「ただいま、玲央さん」
「ルール①、今日は僕から」
チュッ、と頬に落ちる軽い温度。ひどく短いのに、涙が出そうに安心する。
「あとで広報文を出します。君は“ふつうの一日”を守って」
「……はい」
「その代わり、今夜は“ふつうより少し甘い夜”にする。料理は僕、片付けは君。役割分担だ」
私は笑って、うなずいた。
◇ ◇ ◇
夜。キャンドルに火を点ける。皿を洗い終えた私の背中に、ふわりとタオルが触れた。
「拭き残し、ここ」
「わ、わざとじゃないです」
「知ってる。きみに触れたかっただけ」
さらりとそう言うの、反則だ。心臓が忙しい。
「広報文、出たよ。僕の私生活は僕が選ぶ。相手の安全と尊厳を守るため、報道各位にお願いする。――穏当に、はっきりと」
「コメント、見ますか?」
私が問うと、彼はうなずいた。
「ルール⑨だ。一緒に見よう」
スマホを並べ、同じ画面をスクロールする。ありがたい言葉。刺のある言葉。
どれも、ふたりで受ければ、ただの文字に戻っていく気がした。
「――もういい。今日はここまで」
彼はそっとスマホを伏せ、私の手帳を指さす。
「一行、見せ合おう」
私はうなずき、手帳に文字を書いた。
『ひとりで見なかった。ふたりで見た』
彼の手帳には、こうあった。
『彼女が“ひとりじゃない”と言ってくれた』
ページの紙の匂いがやさしい。私たちは顔を上げ、同時に微笑んだ。
「合鍵の手配は、完了したよ。来週末、鍵屋で受け取り。――ルール⑧の本番だ」
「緊張します」
「僕もだよ。鍵は、誓いだからね」
しばらく沈黙。炎のゆらぎだけが、壁に小さな影を揺らす。
やがて彼が、少しだけ真面目な声で言った。
「ルール、増やしすぎて苦しくない?」
「全然。だって、ぜんぶ“嘘をつかない”の言い換えだから」
彼の目がふわりと緩む。
「じゃあ、更新の予告。――ルール⑩、“眠る前に“今日よかったこと”を声に出す”。明日から」
「声に、出すんですね」
「うん。言葉は、残るから。あと、おやすみの前に、もう一つ
「え?」
彼は一歩だけ近づき、耳元に囁いた。
「明日も、僕は君を選ぶ」
私は、体をビクッとさせた。
玲央さんは笑いながら、キャンドルの火を細く吹き消す。
《如月社長、駅前で“頬キス”――交際相手の素顔》
ぼやけた写真。けれど、私の横顔は自分にはわかる程度に写っていた。
(昨日、つい私からしてしまったんだ……)
息が浅くなる。
扉が開いた瞬間、秘書課の月島さんが待っていた。
「社長室へ。広報と弁護士が入っています」
社長室の扉が閉まると同時に、玲央さんが立ち上がった。視線が合う。
「来てくれて、ありがとう。――怖かった?」
「……あの、ごめんなさい。私」
「大丈夫。ここで全部やる」
会議は淡々と進んだ。
広報は「実名・個人情報の特定を避ける導線で」と冷静に。
弁護士は「住居・勤務先への張り込みに警告文」と短く。
玲央さんは、結論だけを低くきっぱりと言う。
「プライベートに踏み込む取材は、受けません。彼女の実名は出しません。広報文は僕の署名で」
周囲が散っていき、部屋にふたりきりになった途端、私は小さく息を吐いた。
「……本当に、ごめんなさい。私から、頬にしたせいで」
「謝らないで。あの写真は、僕の宝物の一枚になりましたから」
「た、宝物って……」
「見るたびに理性が危うい。――ルールがなかったら、今すぐきみを抱きしめてる」
耳まで熱くなる。けれど、柔らかく笑う彼に、胸のこわばりがほどけていくのがわかった。
「それから、ルール⑨を増やしたい」
彼は白紙にさらりと書く。
【ルール⑨ “ネット記事やコメントは、ひとりで見ない。見るときは、一緒に見る”】
「言葉の刃は、見えないところで深く刺さる。君をひとりにしたくない」
「……はい。わかりました」
私はスマホを握り、深くうなずいた。
◇ ◇ ◇
昼休み。給湯室で紙コップにお湯を注いでいると、背中でヒソヒソ声がはじけて消えた。
「写真、見た?」「でも顔わからないよね」「横顔、似てるって噂だよ……」
無視して通り抜けようとしたとき、柏木くんが慌てて追ってくる。
「先輩、これ……」
ピンク色の小さな箱。中身はのど飴とメモ。
〈無理しないでください。俺、味方です〉
素直な善意が胸に刺さる。誤解も増える、とわかっているのに。
「ありがとう。でも、これは受け取れない。あなたを、巻き添えにはしたくないから」
言い切ると、彼は苦笑して頭を下げた。
「……わかりました」
給湯室を出ると同時に、スマホへ文字が表示された。
Reo:迎えに行く。B2へ
◇ ◇ ◇
地下の車寄せ。
ドアが閉まった瞬間、世界が静かになる。
「おかえり」
玲央さんの指が、私の指を絡める。
「ただいま、玲央さん」
「ルール①、今日は僕から」
チュッ、と頬に落ちる軽い温度。ひどく短いのに、涙が出そうに安心する。
「あとで広報文を出します。君は“ふつうの一日”を守って」
「……はい」
「その代わり、今夜は“ふつうより少し甘い夜”にする。料理は僕、片付けは君。役割分担だ」
私は笑って、うなずいた。
◇ ◇ ◇
夜。キャンドルに火を点ける。皿を洗い終えた私の背中に、ふわりとタオルが触れた。
「拭き残し、ここ」
「わ、わざとじゃないです」
「知ってる。きみに触れたかっただけ」
さらりとそう言うの、反則だ。心臓が忙しい。
「広報文、出たよ。僕の私生活は僕が選ぶ。相手の安全と尊厳を守るため、報道各位にお願いする。――穏当に、はっきりと」
「コメント、見ますか?」
私が問うと、彼はうなずいた。
「ルール⑨だ。一緒に見よう」
スマホを並べ、同じ画面をスクロールする。ありがたい言葉。刺のある言葉。
どれも、ふたりで受ければ、ただの文字に戻っていく気がした。
「――もういい。今日はここまで」
彼はそっとスマホを伏せ、私の手帳を指さす。
「一行、見せ合おう」
私はうなずき、手帳に文字を書いた。
『ひとりで見なかった。ふたりで見た』
彼の手帳には、こうあった。
『彼女が“ひとりじゃない”と言ってくれた』
ページの紙の匂いがやさしい。私たちは顔を上げ、同時に微笑んだ。
「合鍵の手配は、完了したよ。来週末、鍵屋で受け取り。――ルール⑧の本番だ」
「緊張します」
「僕もだよ。鍵は、誓いだからね」
しばらく沈黙。炎のゆらぎだけが、壁に小さな影を揺らす。
やがて彼が、少しだけ真面目な声で言った。
「ルール、増やしすぎて苦しくない?」
「全然。だって、ぜんぶ“嘘をつかない”の言い換えだから」
彼の目がふわりと緩む。
「じゃあ、更新の予告。――ルール⑩、“眠る前に“今日よかったこと”を声に出す”。明日から」
「声に、出すんですね」
「うん。言葉は、残るから。あと、おやすみの前に、もう一つ
「え?」
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