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第12話 善意の暴走と、ルール⑩・⑪
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昼下がり、給湯室へ向かう廊下の角で足が止まった。ガラス越しに見えたのは、エントランス近くで柏木くんが記者らしき人物に囲まれている光景。
差し出された名刺、貼り付けた笑顔、早口の質問。柏木くんは「いや、僕はただの同僚で――」と両手を振っているのに、マイクは距離を詰めていく。
(だめ、それ以上は――)
踏み出すより早く、エレベーターホールから速い足音。
社長秘書の月島さんが静かな声で割って入った。
「ここは会社の敷地内です。取材は所定の申請を。退去をお願いします」
言い切ると同時に、守衛が二人動き、記者は舌打ち混じりに引いた。安堵の息を吐いた柏木くんがこちらに気づき、気まずそうに頭を下げる。
「花宮先輩……すみません。あの、俺、何も言っていませんから……」
胸の内側がざわつく。私は小さく笑って首を振った。
「大丈夫。ありがとう。――でも、誰にも“私の代わりに”答えないで」
柏木くんは悔しそうに唇を噛み、「わかりました」と肩を落とした。
同時にポケットのスマホが震える。
〉Reo:大丈夫? あとで社長室にきてくれ。会議終わり次第そっちへ行く。
Mio:平気。月島さんが止めてくれました
数分後、社長室。
書類の山を片づけた玲央さんは、椅子から立ち上がるなり私の手を取った。
「柏木くんは善意で記者たちを相手にしてくれたんだろうけど、善意な言葉ほど記事に利用される。
でも、心配する必要はない。きみを守るのは僕の役目だ。……怖かった?」
「少し……」
「言葉は君の味方だ。大丈夫」
「はい」
「不安なことがあれば、必ず言ってくれ。これは君に無理をさせないためのルールだ」
胸があたたかくなる。私はうなずき、笑顔を返した。
◇ ◇ ◇
夕方。雨が降っていた。
退勤の混雑に紛れるようにエントランスへ向かうと、柱の影でカメラの黒いレンズが光る。顔が強張るのを自覚した瞬間、横から黒い傘がふわりとかざされる。
「帰ろう」
玲央さんだ。傘の向こうは小さな世界。匂いも足音も遠くなる。
車に乗り込むと、彼は短く指示を出した。
「会社の広報に命じて、“同僚への不当な接触には注意喚起”を出させた。
君や同僚に“善意の証言”を求める誘導は拒否。弁護士は二通目の警告文を送った」
「ありがとうございます。……柏木くん、巻き込まれませんか」
「彼も守るよ。あとで、“会社として”礼を必ず言っておく。――そして、僕は“個人として”君を守る」
言い切りの低さに、胸のざわつきが消えていく。
◇ ◇ ◇
夜。カーテンの向こうで雨がまだ小さく囁いている。キャンドルに火をともすと、淡い橙色が壁を染めた。
台所で湯をカップに注いでいたとき、ふいにふわりと肩に温かさがおりる。バスタオルだった。
「雨に少し濡れたでしょ。襟元が冷えてる。ちゃんと拭かないと。体調は——資産だからね」
「それ、社長みたいなこと言ってますよ?」
「事実、社長です」
真面目なのに、甘い。そんな言い方をするから、笑いをこらえきれない。
玲央さんも少しだけ口元を緩め、それから静かに続けた。
「ルール⑩。“眠る前に、今日あった『よかったこと』を声に出して言う”。今夜が初日だから……まずは君から」
「今日は、玲央さんが、また守ってくれました。それが……嬉しかったです」
「じゃあ、つぎは僕かな。——今日は、君を守れた」
その言葉だけで、胸の奥まで熱くなる。耳までじんとするのがわかった。
彼は少し間を置いて、やわらかく促す。
「それで、ルール⑪のことだけど」
一歩、近づく気配。迷いをひと呼吸だけ挟んで、そっと私の額に唇が触れた。
「“おかえりのキスをする”……っていうのはどうかな。合意、もらえますか」
自分の喉が鳴る音が、やけに大きく感じる。
私は小さく息を吐いて、同じ場所にそっと触れるように唇を重ねた。
「合意します」
玲央さんの目元が、柔らかくほどけた。
キャンドルの炎が細く揺れて、壁に映る影が二人分、そっと重なる。
眠る前。ベッドの脇で、指先だけそっと触れ合わせる。
「おやすみなさい、玲央さん」
「おやすみ、美桜」
暗闇の中で、その声だけが温度を持って、静かな灯みたいに胸に残った。
差し出された名刺、貼り付けた笑顔、早口の質問。柏木くんは「いや、僕はただの同僚で――」と両手を振っているのに、マイクは距離を詰めていく。
(だめ、それ以上は――)
踏み出すより早く、エレベーターホールから速い足音。
社長秘書の月島さんが静かな声で割って入った。
「ここは会社の敷地内です。取材は所定の申請を。退去をお願いします」
言い切ると同時に、守衛が二人動き、記者は舌打ち混じりに引いた。安堵の息を吐いた柏木くんがこちらに気づき、気まずそうに頭を下げる。
「花宮先輩……すみません。あの、俺、何も言っていませんから……」
胸の内側がざわつく。私は小さく笑って首を振った。
「大丈夫。ありがとう。――でも、誰にも“私の代わりに”答えないで」
柏木くんは悔しそうに唇を噛み、「わかりました」と肩を落とした。
同時にポケットのスマホが震える。
〉Reo:大丈夫? あとで社長室にきてくれ。会議終わり次第そっちへ行く。
Mio:平気。月島さんが止めてくれました
数分後、社長室。
書類の山を片づけた玲央さんは、椅子から立ち上がるなり私の手を取った。
「柏木くんは善意で記者たちを相手にしてくれたんだろうけど、善意な言葉ほど記事に利用される。
でも、心配する必要はない。きみを守るのは僕の役目だ。……怖かった?」
「少し……」
「言葉は君の味方だ。大丈夫」
「はい」
「不安なことがあれば、必ず言ってくれ。これは君に無理をさせないためのルールだ」
胸があたたかくなる。私はうなずき、笑顔を返した。
◇ ◇ ◇
夕方。雨が降っていた。
退勤の混雑に紛れるようにエントランスへ向かうと、柱の影でカメラの黒いレンズが光る。顔が強張るのを自覚した瞬間、横から黒い傘がふわりとかざされる。
「帰ろう」
玲央さんだ。傘の向こうは小さな世界。匂いも足音も遠くなる。
車に乗り込むと、彼は短く指示を出した。
「会社の広報に命じて、“同僚への不当な接触には注意喚起”を出させた。
君や同僚に“善意の証言”を求める誘導は拒否。弁護士は二通目の警告文を送った」
「ありがとうございます。……柏木くん、巻き込まれませんか」
「彼も守るよ。あとで、“会社として”礼を必ず言っておく。――そして、僕は“個人として”君を守る」
言い切りの低さに、胸のざわつきが消えていく。
◇ ◇ ◇
夜。カーテンの向こうで雨がまだ小さく囁いている。キャンドルに火をともすと、淡い橙色が壁を染めた。
台所で湯をカップに注いでいたとき、ふいにふわりと肩に温かさがおりる。バスタオルだった。
「雨に少し濡れたでしょ。襟元が冷えてる。ちゃんと拭かないと。体調は——資産だからね」
「それ、社長みたいなこと言ってますよ?」
「事実、社長です」
真面目なのに、甘い。そんな言い方をするから、笑いをこらえきれない。
玲央さんも少しだけ口元を緩め、それから静かに続けた。
「ルール⑩。“眠る前に、今日あった『よかったこと』を声に出して言う”。今夜が初日だから……まずは君から」
「今日は、玲央さんが、また守ってくれました。それが……嬉しかったです」
「じゃあ、つぎは僕かな。——今日は、君を守れた」
その言葉だけで、胸の奥まで熱くなる。耳までじんとするのがわかった。
彼は少し間を置いて、やわらかく促す。
「それで、ルール⑪のことだけど」
一歩、近づく気配。迷いをひと呼吸だけ挟んで、そっと私の額に唇が触れた。
「“おかえりのキスをする”……っていうのはどうかな。合意、もらえますか」
自分の喉が鳴る音が、やけに大きく感じる。
私は小さく息を吐いて、同じ場所にそっと触れるように唇を重ねた。
「合意します」
玲央さんの目元が、柔らかくほどけた。
キャンドルの炎が細く揺れて、壁に映る影が二人分、そっと重なる。
眠る前。ベッドの脇で、指先だけそっと触れ合わせる。
「おやすみなさい、玲央さん」
「おやすみ、美桜」
暗闇の中で、その声だけが温度を持って、静かな灯みたいに胸に残った。
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