上 下
14 / 53

海との違い

しおりを挟む
 あれから少しして、シューロが落ち着きを取り戻した。依然としてナナシの横にくっついたままではあったが、警戒心はそこまでではなく、ナナシの尾を握り締めたまま、エルマー達と一定の距離を取った状態であれば会話はしてくれるようになった。
 体感温度が人とは違うらしい。それをナナシが教えてくれた。その為の配慮でもある。
 
「お前たち、熱い。痛いから、そばによるな。」
「ナナシは良いのか。」
「ナナシ、うすいけっかいはるしてるよう。」
「ああ、なるほど……」
 
 呆れた顔でレイガンが納得をする。ナナシの抜群の魔力センスは本日も遺憾なく発揮されているらしい。シューロは恐る恐るナナシの手に触れて、熱を感じないとわかるとゆっくりと握り返していた。
 
「………。」
「エルマー、嫉妬は見苦しいぞ。」
「手ぇ握る必要あると思うか。」
「それはそうだろう。彼が心を開くにはナナシが必要だからな。ならば、ああして安心させるべきだろう。」

 エルマーの目の前で、シューロがナナシの小さな手を取ると、両手でナナシの掌を開くようにしてまじまじと見つめている。自分の掌を重ねたり、つるりとした爪を撫でたりと、真剣な顔つきで注視するのを、ナナシは好きなようにさせていた。
 
「不思議。」
「う?」
「ナナシ、水被る。ひれでるか?」
「ひれってなあに?」
「……なんだろう。最初からついている。今は、ないが。」
「はわあ……なくしちゃったのう?」
「違う。ボクはない。水の中、代わりに体透ける。」
「ふぉ……つおい……」
 
 なんともほんわかとした雰囲気で、黒髪の美少年と白銀の髪の美青年が触れ合っている。はたから見れば、神秘的かつ後光の差す光景に違いない。そんな一枚の絵のようにも見える光景に水を差すように、エルマーはぎりぎりと蝶番が軋むかのようなやかましい歯軋りをしてはいるが。
 
「なあ、お前は一体なんの魔族なのだ。サジの知っている人魚は陸に上がっても下半身は変わらぬぞ。それに、お前の穿いているそれは防具ではないのか。」
 
 知らぬことがあるのが気持ち悪いのか、痺れを切らしたらしいサジが、己の好奇心を満たすべくシューロとナナシの前でしゃがみ込んだ。シューロの見た目は人で言うところの十五歳くらいだろうか。
 黒真珠のような見事な黒髪は真っ直ぐ腰の位置まで流れており、意志の強そうな金の瞳はナナシとはまた違った輝きを宿している。
 細身でありながらしなやかな見た目は倒錯的で、白い素肌を晒している。下肢は鱗で覆われていた。その見た目は、まるでショートパンツを穿いているかのようであった。
 海の魔族である信憑性を強めるとしたら、その下肢の特徴くらいである。
 サジの知識の中には、ましてや読み込んだ文献の中には、それくらいシューロのような容姿のものはいなかったように思える。
 
「防具?髪のことか。」
「穿いているといっとるだろうが。お前のパンツのことだ。」
「……?」
 
 やや吊り上がった形のいい眼がサジを見上げる。不思議そうに首を傾げると、さらりと黒髪が流れた。どうやら目元にも美しい色をした小さな鱗のような装飾を施しているらしい。
 眉が無い為表情は読み取り辛いが、仮にもし生えているのが下がり眉だと仮定したら、とんでも無い破壊力だったに違いない。
 
「パンツ、なんだ。」
「……パンツなんだってなんだ。お前の穿いているやつである。」
「はいているって、なんだ。」
「……。」
 
 全くもって言っている意味がわからないと言う顔で、シューロがサジを見つめ返した。
 ポカンと間抜けな口を開けて、サジが無言でアロンダートへと振り向く。サジ自体もここまで聞き返されるとは思わなかったらしい、どうしていいか、こちらもわからないと顔に書いてあるような、そんな珍しい表情であった。
 
「……彼に陸の常識は通用しないのかもしれない。」
「なんだ、それってすごく面倒臭いじゃないか……」
 
 アロンダートの苦笑いに、サジがゲンナリとした顔をする。そうして、しばしその場の空気が珍妙なものになる。しかしそれはエルマー率いる大人たちだけである。
 ナナシはというと、皆がお手上げ状態の中、一人キラキラとした顔のままシューロの手をガシリと握りしめた。
 
「ナナシが、おしえるするよう!なぜなら、おにいちゃんだから!!」
「お、おぅふ……」
 
 そうきたか。と頭の痛そうな声を、エルマーは漏らす。
 忙しなく尾を振り回すナナシは、元気よく宣った。どうやら初めて自分が教えられる立場の者に出会ったのが、余程嬉しかったとみえる。ナナシの心に火をつけたのは、陸によすがのないシューロであった。
 そんな、シューロはと言うと、ナナシの突然の高揚にポカンとしたまま、握り締められた手とナナシのキラキラした顔を交互に見つめる。
 なんだかよくわからないが、楽しそうと言うことは理解できたらしい。当事者だと言うのを理解しないまま、ナナシ、元気。とだけ冷静に宣った。
 
 
 
 
 
 どうやら、本当に無知も無知であることだけは理解した。
 
 あれから、まずは飯にしようと言う流れになった。まるで巨体の魔物の鳴き声かと思うくらい、大きな腹の音が鳴ったからである。
 音の出どころは、首を傾げて腹に触れるシューロであった。どうやら倒れた原因というのも、飯を食わずにいたことで起きたエネルギー切れだったらしい。
 ナナシが早速お兄ちゃんごっこの最初の任務として、ごはんを食べに行く。という選択肢を提案したのである。
 
「あのね、おそとでごはん、かうする。かうっていうのはね、えるのもってるキラキラとごはん、こうかんこすることだよう!」
「キラキラ、コウカン……?」
 
 シューロと手を繋ぎながら、ナナシ率いる一行はカストールの市井しせいに繰り出していた。
 無論、流石に露出が多いからと、シューロにはナナシの替えの服を着せている。
 身長があまり変わらない、顔立ちの整った二人の後ろには、上背のある顔立ちの整った大人が四人。目立ってはいるが、シューロを半裸で歩かせるよりは余程マシだろう。
 可愛らしい嫁によって、男の甲斐性を試されているエルマーはと言うと、なんとも言えない顔つきでインベントリから財布を取り出す。
    
「構わねえんだけど、俺が財布かあ……」
「ご馳走様エルマー。」
「僕は肉が食いたいなエルマー。」
「サジは魚がいい!」
「待て、てめえらは俺に甘えるんじゃねえ。」
 
 それぞれがエルマーの肩を叩きながら、我先にと便乗する。こめかみに血管を浮かばせて、太々しい仲間に対してノーをしっかりと自己主張をしたエルマーはと言うと、早速魚屋の前で立ち止まったナナシたちを見て、思わずギョッとした。
 
「お前、弟はどうした。」
「ふぉ……シューロ、しりあい……?」
「うん。一度、話した。ここに来る前。」
「待て待て待て待て!!!」
 
 魚屋の大きな水槽の前で、シューロが覗き込みながら話しかけていたのは大きな水蛸であった。シューロとナナシの目の前に張り付いていたかと思うと、水蛸はその触手をニュルンと伸ばして水槽の縁に手をかけたのだ。
 一体何事かと訝しげな顔をして近づく店主を目にしたエルマーは、大慌てで二人の背中を押してその場から離れる。全く、油断も隙もない。変に目立つなと言い聞かせていたのにこれである。
 
「おま、蛸に話しかけるな!!つか、言葉通じてんのかあれ!?」
「知り合い。話す、普通。」
「つおい、おさかなご?ナナシもなかよくするしたい!」

 後ろから、一部始終を見ていたサジがゲラゲラと笑いながら近づいてくる。その手には早速買い食いをしたらしい。串に刺した大きな焼き魚を持っており、どうやら金の出どころはレイガンの持つエルマーの財布からであった。
 
「実に愉快である!」
「愉快であるじゃね、って、おい俺の財布!」
「お前が放り投げたのを拾ったまで。今日は奢りなのだろう?」
 
 しれっといいのけたレイガンはというと、その手に持ったエルマーの財布を見せつけるかのように持ち上げる。完全に奢りの流れが出来上がっていると悟ったらしい。エルマーはもぎり取るかのようにそれを奪い返すと、チッと舌打ちを返した。
 
「買い食いをするのなら、海が見えるところで食べないか。」
「ああ、シューロ。構わないか。」
 
 アロンダートの言葉に、レイガンがこくりと頷いた。水を向けられたシューロはと言うと、ナナシの背中に隠れたまま、真っ青な顔で怯えていた。
 
「シューロ?」
「やきさかな、こわいんだって。」
「残酷、信じられない。野蛮。」
「マジでか。」
 
 頼られて嬉しいらしい。尾をゆらゆら揺らすナナシの背後で、シューロがボソリと呟いた。どうやらサジの手に持っているそれが余程怖いらしい。
 陸では普通のことなのだが、シューロにとっては魚を焼くことなんてない。そのこんがりと焼けた見た目がどうにもダメらしく、ナナシの体と長い黒髪で視界を遮っていた。
 
「お前、海んなかで何食って生きてたんだよ……」
「貝。」
「いや、端的……」
 
 サジの買ったそれをアロンダートがバクリと平らげる。レイガンはと言うと、なら、貝でも食いに行くかと冷静に宣っているが、そう言うことではない。エルマーは仕方がないと溜め息を吐くと、口を開いた。
 
「なら、漁師町んとこいくぞ。そっちのがもうちっと生の魚とかあんだろう。」
 
 本音は、少しでも海に近づいて、何か聞き出せないか、と言うところであるが。
 エルマーの提案に、ナナシがパタパタと尾を振る。黒髪で視界を遮っていたシューロをひょこりと覗き込むと、否はないらしい。小さくこくりと頷いた。
 
「生の貝は当たると怖いぞ。サジは一度牡蠣でえらい目にあった。」
「あー、確かに……。でも海の魔族ってだけあんだから、そう言うのも平気だったりすんのか?」

 どうやら昔を思い出したらしい、サジが苦虫を噛み潰したかのような顔つきでそんなことを宣った。エルマーが興味本位でシューロに水を向けると、その表情がかすかに強張る。

「……ネレイスに、そんなものはない。」
「ネレイス?」
「む、ネレイスだと?仮にお前がそうだとしても、見た目が随分と違うじゃないか。」

 聞き慣れない言葉に、エルマーが復唱をした。本当はギルドで調べていたのだが、失念していたと言った方が正しい。しかし、サジはその魔物がどう言うものなのかを知っていたようだ。シューロの言葉に片眉を吊り上げて、おや?と言う顔をする。
 サジのそんな反応に、シューロの顔が曇る。ナナシの手を握る力がわずかに強まった。

「シューロ、どうしたのう……?」
「その顔は、訳ありというやつか。」

 レイガンがわずかに見えた糸口に気がつくと、すう、と目を細めた。
 シューロはしばらく黙っていたが、ナナシの手を引くようにして歩き出す。人通りを気にしたのと、どうやらここでは話すつもりもないと言うことの両方のようだ。
 ナナシが、困ったようにエルマーを見やる。そんな様子の嫁の表情に小さく溜め息を吐くと、二人の横を抜けて前に出た。

「言いづれえ話なら、いい場所がある。つっても他人の小屋だけど。」
「そういうのは不法侵入と言うのではないか。」
「ああ、お前が巻き上げた船の置き場か。」

 レイガンが思い出したような顔をする。エルマーはふん、と吐息で答えると、シューロを見下ろした。

「俺らの自己紹介はおわってんだ。あとはてめえだけだぜシューロ。」
「………。」

 エルマーの言葉に、唇を真一文字に引き結ぶ。シューロは逡巡をするように瞳を揺らした後、何かを堪えるような表情をしながら、こくりと頷いた。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

すきにして

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:1,363pt お気に入り:0

DNAの改修者

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:146

となり街のあの子

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:0

弱みを握られた僕が、毎日女装して男に奉仕する話

BL / 完結 24h.ポイント:1,121pt お気に入り:10

だから女装はしたくない

BL / 完結 24h.ポイント:447pt お気に入り:5

会社を辞めて騎士団長を拾う

BL / 完結 24h.ポイント:3,280pt お気に入り:40

処理中です...