名無しの龍は愛されたい。−鱗の記憶が眠る海−

だいきち

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シューロの罪

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 シューロが陸に上がってから、初めて接触した人物が筆頭の群れに世話になるとは思わなかった。いいや、筆頭はナナシか。
 己の手を握り返した小柄な青年をチラリと見やる。あの日、初めてエルマー達と出会った崖の近くに、シューロは来ていた。
 道中、これならいいだろうとエルマーが買った、パンという海綿みたいなものに挟んだ川魚の身と、ナナシが食べたがった木の実の、パンよりも甘い匂いのする何か。それとレイガンが鈍く光るメダルで買った椰子のジュースと、瓶に入った泡が沢山浮いている水。
 
 陸はシューロの知らない食べ物ばかりで、いちいち匂いを嗅いでしまうから、少しだけ恥ずかしい。
 
「船の具合も見たかったしなあ、ちょうどいいやな。」
「どうせ僕が見る前提なのだろう。」
「アロンダートの専売特許だろう、カラクリいじんの。」
 
 エルマーが先陣を切って案内をしたその場所は、崖から程近いところにあった。
 背の高い草むらをかき分け、ようやく見えたその小屋は、強い風が吹いたら今にも飛んでいってしまいそうな、廃墟よりも脆い、掘建小屋のような建物であった。
 アロンダートは、オンボロすぎる建物には特に抵抗がないらしい。インベントリから早速グローブを取り出して準備をする様子は、少しだけ楽しそうでもあった。
 
「犬小屋か。きったないとこである。」
「わんわんいるのう?」
「いねえ。ブォンブォンする船ならある。」
「エンジンがブォンブォン言ってくれればいいがな。」
 
 うげろ、という顔をするサジの横を通り過ぎて、ナナシがシューロの手を引き小屋の辺りを一周する。尻尾はぶんぶんと揺れており、好奇心の赴くまま検分しているようだった。
 
「つおい、おばけでるのかんじする!」
「おばけ?」
「たましい、まだ、このばしょとばいばいする、したくないやつ。」
 
 辿々しいナナシの説明に、シューロは首を傾げる。たましいや、おばけは知らないが、それらはこういう建物につくものなのだろうか。
 潮風に晒されたオンボロの建物越しには、シューロが逃げてきた海がある。なんだか見ていたくなくて、シューロはナナシの手を引いて皆の元に戻った。
 小屋の中に入ると、サジが見たこともない、イソギンチャクの魔物のようなものを出していた。それはナナシを見るなりぶるぶると体を揺らして反応したかと思うと、その隣にいるシューロに向き直り、何者かを問いかけるかのように、グニリと体を横に曲げる。
 
「マイコ、シューロ!ナナシがおにいちゃんしてるんだよう!」
「まいこ。」
「マイコニドの名前だあ。ああ、海じゃキノコの魔物はいねえもんなあ。」
 
 早速船の具合を診始めたアロンダートの横で、エルマーが買ってきたものを広げていた。
 サジはというと、マイコに出して貰った子株に腰掛け、炭酸の入った瓶を開ける。スポンという音に小さく肩を跳ねさせたシューロを、ナナシが手を握り返して宥めると、レイガンは適当なところに腰掛けて、紙で包まれたパンを差し出した。
 
「お前の分だ。腹が減っては妙案の一つも浮かばんからな。まずは腹ごしらえをしろ。」
「……。」

 片手で掴むのがやっとな大きさであった。シューロはその包みに鼻先を近づけて、ふんふんと嗅ぐと、恐る恐る口に含む。妙な食感に瞬きをしていれば、ナナシが包みを持つシューロの手を引いて、口からそれを離した。
 
「かみ、むくんだよう。こうするとね、おいし。」
「陸、むずかしい。」
「ナナシもたまに、そうおもう。」
 
 真剣な顔つきで頷くナナシに、レイガンがなんとも言えない顔をする。陸何年目なんだお前は、とも思ったのだが、まあエルマーの嫁のナナシは普通のことが苦手なのだ。今更突っ込んだとしても、事実は変わらないのだから黙っておくのがいいだろう。そう思い直すと、己のパンに齧り付く。
 
 ブォン!と大きな音を立てて、エンジンが起動した。狭い小屋の中での大きな音に、シューロが慌てて髪の毛で盾を展開すると、その内側にいたナナシはポカンとして、シューロの黒髪に触れる。
 
「アロンダート!エンジン止めてくれえ!」
「すまない、つい好奇心でいじってしまった。まあ、動いたんだからいいじゃないか。」
「うぇっほ、ぅゲホ、っ」
 
 舞い上がった埃に咽せながら、エルマーがベシリとアロンダートの背中を叩く。相変わらずの体幹は、エルマーが本気で叩いた割にはダメージを喰らっていないようだった。
 髪についた埃をアロンダートが取り払う横で、エルマーがゴホゴホ咽せながらシューロに振り向いた。
 
「シューロのそれはなんなんだ。結界の代わりかあ?」
「ネレイスの髪はシールド代わりにもなるんだっけか。そう言えばそれも何かで読んだ気がするな。」
「……そう、あっている。」
 
 真っ先に反応をしたのはやはりサジであった。シューロはサジの言葉に、肯定をするかのように頷く。
 未だ警戒をするように展開したままだった黒髪の盾に、ナナシが優しく撫でる。滑らかな光沢を放ちながら、シュルリと元の位置に髪が下ろされると、ナナシは包装紙を半分ほど剥いたバケットサンドを、シューロの口元に運んだ。
 
「あー……」
「……あ、」
 
 真似しろと言わんばかりに、ナナシが小さなお口をぱかりと開けた。シューロは少しだけ照れ臭そうにしながら、おずおずと口を開く。
 そして、恐る恐るそれに食らいつくと、魚の味だけじゃない、少しだけ爽やかな香りがして、海葡萄のようなプチンとした感触がした。
 海では味わえないような舌が痺れる感覚が少しだけした。柔らかなバケットに挟まれた魚の旨味がわかる味付けに、シューロは数度瞬きをした後、小さな喉仏を上下させて飲み込んだ。
 
「ナナシ、これすき、シューロも、すき?」
「……これ、知らない味、……うまい。」
「いっしょたべるする、おいしいのいっぱいなるでしょう?」
 
 ナナシの背後では、エルマーが不服そうな顔をしていた。
 確かにそれは美味しかった。同意するように、シューロはこくりと頷く。思えば、こうして誰かとご飯を食べたのはいつぶりだろう。

 柔らかく微笑むナナシを見やる。細い体に似合わない腹には、エルマーの子供が宿っているという。
 ナナシには、番いがいる。そして、ここにいる皆も、それぞれが心に決めたもの達がいるのだ。

 陸では、これが当たり前なのだろうか。シューロは、はくりと唇を震わせた。
 
「はゎ…っ」
「………、」
 
 目の前のナナシが、その大きなお目目を見開いた。不思議そうに見つめ返すのシューロのまろい頬に、慌てたように小さな掌を滑らせる。
 
「い、いたぃ?いたいのう?」
「え、」
「シューロ、なみだでてるよう、やだなことあった?どうしたのう……」
 
 ナナシの掌が、シューロの涙で濡れた。体の内側から込み上げてくる感情は箍が外れてしまったかのように、後から後から溢れてくる。シューロが身を引いて、泣いている顔を見られないように俯くと、溢れでる涙に戸惑うように顔を両手で覆う。
 
「なんだ、これ、何、嫌だ。」
「シューロ……」
「知らない、これ、嫌だ、違う、」
 
 こんなつもりじゃなかった。だって、シューロは泣くつもりなんか微塵もなかったのだ。吐息が震えて、呼吸が苦しい。体の内側で熱が暴れて、内臓が焼かれてしまいそうだった。
 海だと、涙は出ても水に溶けるからわからない。陸は、こうもシューロの感情を顕にするのだ。それが、自分は弱いと言われているようで嫌だった。
 
「俺たちは、お前の味方だ。だから、一人じゃない。」
「っ、っう、……」
 
 肩を震わせて、涙を止めようとしているシューロを見たレイガンが、その瞳にシューロを映してそう宣った。狭い小屋の中で、ヒック、と嗚咽を漏らすシューロのか細い声が静かに溶ける。
 ナナシはゆっくりその体に近づくと、シューロの体を優しく抱き締めた。小さな掌でその背を撫でながら、シューロが落ち着くまで、ただ寄り添った。

 皆が、何も言わずにただシューロを見つめていた。以前のように、無理に先を急かすことはなく、ただ、静かにシューロが落ち着くのを待ってくれている。
 シューロは、ナナシによって優しい手つきで顔に布を当てられると、金色の瞳を溶かしながらゆっくりと顔を上げた。

 本当に、味方でいてくれるのだろうか。細い喉は、まだ少しだけ引き攣れている。己がこんなに泣く奴だとは思わなかった。ラトが死んだ時も、と考えて、やっぱり海の中だったから、涙は溶けていたかと思い直す。

「ら、ラト、に……あい、たい。」

 もう一度、叶うことなら、あの穏やかな鯨のような声色で、名前を呼んで欲しかった。

「ラトってのは、お前のなんなんだ。」
「ラトは、シューロの番いだよ、レイガン。」
「ニア、」

 レイガンの問いかけに答えたのは、服の中で大人しくしていたニアであった。
 シューロはその金色の瞳をレイガンに向けると、襟元の僅かな隙間から姿を現した白蛇の神様を見つめる。小さな顔に収まった、紫の二つの宝石がシューロを見つめる。その瞳は水膜を張り、瞬きをしたら溢れてしまいそうであった。

「なんでお前まで泣くんだ、ニア。そんなに感情表現豊かじゃないだろう。」
「ニアだって、泣きたくなんかないさ。だけどニアの中の魂が叫ぶんだ。」

 少しだけ、不機嫌さを滲ませたニアの珍しい声色に、ナナシが不思議そうにする。
 シューロが目元を赤くしたまま顔を上げると、ニアはその体を伸ばし、ナナシの体を伝ってシューロの首元にその身を巻きつけた。

「なんだ、」
「ニアの居場所は、ここが一番落ち着くみたいだ。不本意だけど、そうじゃなきゃニアの心がざわついてかなわない。」
「……そう、」

 ニアの言葉に、困った顔をしたシューロが、そのまま居場所になることを許す。レイガンは少しだけ物足りなさそうな顔をしたが、これもニアに宿っている魂によるものだろう。
 エルマーが、目を細めてニアを見つめる。瞳の中の存在を口にすれば話は早い、それなのに口にしないのは、何か理由があるのだと思ったのだ。

「聞くが、あえて言わねえんだよな。」
「言わない。それは決まり事に反するからなー。」
「難儀だな、全く。ま、そこまでする必要があったってことかあ。」

 エルマーの言葉に、シューロが首を傾げる。もし、お前の側に番いであるラトがいると言ったら、シューロは一体どんな反応をするのだろう。
 泣くだろうか、それとも、喜ぶだろうか。それでも、ニアが言わないのは、それを知ったシューロがラトの魂を縛り付けないようにする為だった。
 あくまでも、傍観者として甘んじているからこそ、ラトの魂はただ寄り添うだけ。ニアの感情を揺さぶる必要悪は想像もしていなかったが、それ程までに二人の繋がりは深いということだろう。

 黙っていたシューロが、そっとニアの体を撫でた。白く滑らかな鱗を纏う体表は、少しだけ冷たい。

「ボク、は……」

 乾いた唇を、ゆっくりと動かした。前に進まねばならない、その為には、シューロ一人ではどうにもならないのだ。
 ラトにしか話したことのない過去だって、言わねばならないだろう。
 このまま陸で過ごすのにも、限界はある。
 怖い、ものすごく怖いけど、シューロは告白をしなくてはいけない。だって、シューロは、


「怒られる、嫌だな。」

 掠れた声で、小さく呟いた。

「一人、嫌だから、……ボクは、寂しかった。」

 例え、それが大罪だとしても、シューロはラトを側に感じたかった。

「盗んだ、ラトの卵。あいつから、ボクは……ラトたちの理を、侵した。」

 シューロの言葉に、ニアの目からぽろりと涙が溢れた。頼りない声色での告白。種族の違うエルマー達には、その罪の大きさがわからない。それでもわかったのは、沖の羅頭蛇がこちらにきた原因が、やはりシューロであったということだ。
 シューロは、涙をまた一粒零す。水を汲むかのように重ねた掌の上、そっと丸い水の球を作り出すと、その水球は徐々に硬質なものになり、やがて海のように深く、美しいサファイアにも似た結晶に変化したのであった。

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