名無しの龍は愛されたい。−鱗の記憶が眠る海−

だいきち

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青い光

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「古代魚?」
「ああ、そうだ。シューロはまだ見たことがなかっただろう?」

 ラトの言葉に、シューロはキョトンとした。海底洞窟へ遊びに行った際、ラトが言っていたのだ。古代魚でも出そうだな。という言葉にシューロが反応を示したことがあったのだ。
 その時は、どんなやつ?と興味津々なシューロに対して、ものによっては私にも少し似ている。と、随分とざっくりとした説明をしてくれたのだ。
 あれから迷子のイルカの親探しが始まってしまったので深くは話し込めなかったのだが、どうやらラトは覚えていたらしい。シューロはラトから言われるまではすっかり忘れていた。ラトも大概に律儀である。

「そろそろ時期だ。あの時はまだ水の温度もそこまで変わらなかったしな。水温が低くなる時期だし、姿が見れるかもしれない。」
「時期とかあるの?」
「あるさ。彼らは水温が低い場所で生活しているからね。水の温度が冷たくなれば行動範囲も自然と広がる。」

 水温が低い場所、と聞いたシューロは、ラトに向き直った。その腕にはタディグレイドを抱いており、栄養価の高いそれを岩礁の隙間から見つけたらしい。シューロは、少しだけ満足そうな顔をしている。

「ラトも寒いところから来たんだっけ。」
「あ、ああ、まあそうだな。」

 八足をウニウニと四方に動かしているグロテスクな生き物を前に、ラトは後ずさるように身動ぎをした。
 どうやら今回は食べるつもりはないらしく、シューロはそれを抱き上げたまま、興味を引かれたかのように、古代魚…と小さく呟いた。

「ラトに似てるの、見れるかな?」
「深くまで潜れば出会えるかもしれないな。水圧は私がなんとかしよう。」
「深海ってこと……?」

 ラトの言葉に、シューロが怯えたような色を声に宿した。ラトと出会うきっかけになった、ムンクス・デビル兄弟の甚振りによって、シューロは終わりのない暗闇の中へと連れ込まれそうになった事を思い出したのだ。
 
「大丈夫だ。確かに深い位置だが、彼らの主食は此処らにも生息している魚介だ。だから底深くまで行くわけではないよ。」

 ラトの言葉に、シューロは安堵した。どうやら古代魚はシューロが好んで食べる烏賊なども食らっているらしい。と言う事であれば、おそらく水深は六十メートル程だろう。それなら、ラトもいる。きっと怖くはないだろうと思い、シューロはこくりと頷いた。
 ラトは長い胴を少しだけ縦にうねらせる。提案が通ったことが嬉しかったようだ。シューロはラトの様子に小さく笑った。

「古代魚って、どんなの?ラトに少しだけ似てるって?」
「私の方がスマートだし、動きも早い。そこだけは履き違えてもらっては困る。」
「まだ見たことないよ。」

 興味を示したシューロに対して、ラトが堂々と宣う。まだその姿形すらも見知らぬと言うのに、なぜ張り合っているのだろう。答えはシューロの反応を前に、少しだけ嫉妬をした。と言うのが正解なのだが、相変わらず鈍いラトはそれに気がつきもしなかった。

「名前は忘れた。長ったらしかった気がするが、私のように鎧を顔に纏っている。」
「ラトよりも大きい?」
「私の方が立派だよ。」

 ふふん、と胸を張るようにゆったりと鰭を動かして宣うラトに、シューロはポカンとした。
 やっぱり張り合っているじゃないかと指摘をしたら、多分拗ねてしまうだろうなあ。シューロは面白そうに自慢げなラトの様子を眺めていたが、行くなら早いうちがいいだろう。
 何か小腹が空いた時につまめる物でも持って行こうかと考えて、腕に抱いていたタディグレイドを見下ろした。

「それは置いて行きなさい。」
「ラトが食べたくないだけでしょ。」
「………。」

 脂肪の塊のような、気味の悪いタディグレイドが、腹を見せつけるように足を広げる。
 シューロの腕の中のそれにも指摘をされているような気がして、ラトは居心地が悪そうに無言で返したのであった。

 

 道中狩りをすることで、タディグレイドを手放すことへの了承を勝ち取ったラトは、シューロをその背に乗せながら、優雅に長い尾鰭をうねらせて泳ぐ。
 周りの景色は少しずつ変わってきており、太陽光が届きにくい深さへと近づいているせいか、海藻よりも岩肌が目立つようになってきた。
 海底から立ち昇る細かな泡が、僅かな光を捉えてキラキラと輝く。少しずつ濃くなってきた海の青に溶け込む様子が幻想的で、シューロはその美しさに感嘆とした声を漏らす。

「すごいや、海の中に星があるみたい。」
「この一帯に自生している海藻は魔力を帯びているものも多いからな。それを目当てに魔物もくるが、陸の魔物に比べるとおとなしい者も多いから、安心していい。」
「マーメイドとかも、いるかな。」
「あれは船の墓場周辺を塒にしている。出会えたとしても狩りに出ている雄しかいない。……シューロは自分以外の魔物や魔族が気になるのか?」

 ラトが窺うように問いかける。どうやら己の番いが自分以外の魔物を気にかけるのが不服らしい。声色を抑えて宣うラトに対して、シューロは少しだけ照れ臭そうにした。

「……イルカ達にも知られてたでしょ、ボク達のこと。だから、彼らも知ってたりするのかなって……」

 シューロの立派な番いが、どれだけ格好良いのかを知って欲しかったのだ。口にするのは気恥ずかしくて、察してくれと言わんばかりに居心地が悪そうにする。
 普段は鈍感なくせに、シューロの己に対する好意だけは敏感に感じ取るらしい。小さな番いの言葉に、ラトはブワリと身の内の魔力を反応させた。
 シューロがうつ伏せで寄り添っていたラトの背中が、鱗の隙間をなぞるかのように青く発光した。
 一瞬の出来事ではあったが、シューロは慌てて身を起こす。

「な、何。」
「……こら、危ないからきちんと掴まっていなさい。」
「で、でも今、」
「……高揚しただけだ。君のせいだぞ。私に不意打ちを喰らわせるだなんて。」

 ラトが気恥ずかしそうにしている。シューロは珍しいその様子を前に、呆気に取られたような顔をしてしまった。
 もしかしたら、先程の発光は照れたのだろうか。その考えが思い浮かぶと、じわじわと体の内側から湧き起こる何かが、シューロの口元を緩ませる。

「ふ、ふふ、っ」
「……ほら、そろそろ腹を満たそう。泳いでいれば、きっと君が見たがったマーメイドも見れるかもしれないしな。」
「う、うん、ふふ、っ」
「私の番いは随分とご機嫌だな。全く。」

 目当ての海域までは、もう目と鼻の先である。
 やけに楽しそうなシューロをその背に乗せたまま、ゆったりとした動きで尾鰭を動かすと、ラトは頭上のシューロに向かって、窘めるように宣った。

「笑ってないで、狩りでもしよう。頼むからタディグレイドはもうやめてくれよ。」
「わかった。ラトが苦手なものは見つけないようにする。」
「苦手ではなく、得意でないだけだ。」

 それも同じ意味だよ、と言いかけてやめた。ラトが可愛かったのもあるが、この小気味いいやりとりが楽しかったのだ。
 ラトの頭に身を寄せていたシューロは、進行方向を見つめる為に、ひょこりと顔を上げた。
 ラトが泳ぐことで、シューロの横を柔らかく水が通り過ぎる。
 少々水温が低くなってきた気がする。それでも海に暮らすシューロにとっては、まだ耐えられる程度であった。

 静かな一帯だ。おそらく灰色だったのだろう岩礁が、海の色をうつして青みがかっている。時折、小さな魚型の魔物が海藻を啄むところも見てとれたが、ラトがその近くを泳ぐだけで、慌てたように鰭を動かして逃げていった。
 深い青に包まれてはいるが、豊かな場所だ。魔力を帯びる海藻は海をほのかに照らし、その上を羽衣を纏う龍にも似た魔物が、ゆったりと通り過ぎる。
 岩だと思っていた亀の魔物がシューロを驚かせたりと、そこには見たこともない世界が広がっていた。

「今泳いで行った魔物はガニメデ神の眷属だ。普段岩に擬態しているから、きっと呼ばれたんだと思う。」

 珍しいものを見たと言わんばかりに、ラトが反応を示す。あの亀の魔物は、ガニメデが陸に上がる時、神殿を守るべくして向かうらしい。彼女について行けば、海底神殿のあるルルイエまで行くことが出来るそうだと教えてくれたが、ラトも行ったことはないらしい。
 シューロは、彼女、と言うラトの言葉で、あの大きな亀の魔物が雌なのだと理解した。ラトよりも、随分と大きかった。寝床だった場所は窪んでおり、柔らかな砂地に埋もれるようにして、大小様々な貝が埋まっているのに気がついた。

「あ、」
「ああ、随分といいものを見つけた。あれは彼女の魔力も馴染んでいるから、きっと誘き寄せられて獲物が集まってくるだろう。」
「食べちゃダメなの?」
「食べれないよ、あれはどんな強靭な顎でも割れない貝だから。」

 亀の魔物の魔力が馴染んで、魔石化した珍しい貝らしい。あれがあると、その周辺が活性化して微生物が増える。それを目当てにやってくる獲物は、実に様々だ。
 地上に出回れば値段もつけられないほど価値の高い貝の魔石は、海に生きるものしか知らない。

「あの辺りで待っていれば、獲物は向こうから来るだろう。狩りが下手でも何か一匹くらいは取れる筈さ。」
「ラト。」
「すまない、口が滑った。」

 楽しそうなラトの背から身を離し、共に泳いでその場所まで向かう。シューロは柔らかな砂地に降り立つと、ラトの長い尾鰭に巻き付けられるようにして、岩礁の影に引き寄せられた。
 大きな影が頭上を通り、シューロの背丈をこえる烏賊が姿を現した。ポカンとした顔で見上げていれば、ラトは体を傾けるようにしてバクリと食らいつく。

「食べれるの?」
「食べれるさ。だが小さい方がうまいな。少し大味で、雑味が混ざっている。」
「すごい……」
「君と同じくらいの大きさだったからな。」

 あっという間にまるまる一匹を平らげたかと思うと、揶揄うように鼻先でシューロの頭を擦る。ラトはこの口の中にシューロを入れたことがある。今思い出しても、シューロはすごい経験をしてしまった気がする。
 小さな手のひらで、ラトの口元をそっと撫でると、納得するかのように頷いた。成程一口で丸呑みも道理である。
 ラトの言う通り、この場所で大人しくしているだけで、狩りの下手なシューロでも簡単に獲物を取ることができた。見たこともない耳のついた蛸を捕まえた時は、流石にラトには変なものばかりを捕まえるんじゃないと言われたが、それも口にすれば食べることはできた。うまいかは別として。
 
 腹が満たされれば、次は目的を果たすのもまた道理だろう、シューロが行き先を確認するように顔を上げた時、なんとなくだが水の質が変わったような気がした。

「……?」

 ほんの些細な変化だ。なんとなく足元が少し冷えたかなとか、それくらいのもの。特に気にも留めずに視線を元に戻した時、周辺にいた魚や小型の魔物たちがその場から忙しなく離れていくところであった。
 なんだろう、シューロは不思議そうに辺りを見回した。それでも、やはり状況が違うようである。
 先程までは、水の温度の微かな変化も勘違いかと思う程であった。しかし、今は違う。肌に触れる水質が固くなったかの様に、分かりやすく冷たいと感じるまでに変化していた。
 
「ラト、なんか、」

 なんか変、そう口にしようとしたシューロがラトに振り向けば、その虚ろの瞳は真っ直ぐとシューロの背後に向けられていた。
 反応も示さない、ラトの様子もおかしかった。無言で、感覚を研ぎ澄ましているかのような、そんなふうにも見える。戸惑ったように、シューロが瞳を揺らした。
 ラトにそっと添えた掌、振り向くための勇気が欲しかったのだ。シューロは静まり返った一帯の様子に小さく息を呑むと、ゆっくりと振り返る。その時、目の端に青い光を感じた。
 その光は、ラトが高揚していると言った時の、鱗の隙間をなぞるかのように放たれたものと、よく似ていた。


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