[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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 なんですか、やめてくださいよ。
 そんな、期待した言葉が返ってくることはなかった。柴崎は、旭がおとなしいことをいいことに、泣きそうな顔でこちらを見やる旭の上気した頬を、くすぐるように優しく触れた。
 戸惑ったような瞳に、柴崎が写っている。無言の間が心地いいと思っているだなんて、目の前の後輩には分かりっこないだろう。
 
「や、やめ、なんか…そういうのじゃない、じゃんか、」

 呼気が震える、知らない声色はじんわりと乾いた部分に浸透するかのようにして、柴崎の内側を満たす。知らない声だ、いつもの子憎たらしい、冗談まじりの言葉は出ない。
 唇が震えて、吐息が熱い。酒なんか飲ませていないのに、その反応はずるいだろう、と思った。
 
「何が、慰めてるつもりなんだけど?」
「それ、女にするみたいなやつ、やだ。」
「女みてえに泣きそうだったのにか。」
「んで、そんなこと言うなよ…だって、こっちは本当に悪いと思ったんじゃんか、」
「旭はさ、許してやるよって言ってんのに、信じないよな。」
「だから、それは。」
 
 柴崎の瞳が、真っ直ぐに旭を射抜く。それは、の続きが思うように出てこない。俺は、どうしたいんだろう。
 ゆるゆると手を上げて、柴崎の掌に触れた。本当はその手を外して、この変な空気を終わらせるつもりだったのに、旭がその手に触れただけで、柴崎の瞳の奥が小さく揺れた気がした。
 
「お前さ、」
 
 少しだけ掠れた声がした。その先が聞きたくて、旭は瞬きで返事を返す。瞳が揺れているのは、旭も同じだった。
 
「振り払わねえの、なんで。」
「あ、」
 
 そうだ、だって、こんなのはいつだって抜け出せたはずなのに。
 頬に触れている、柴崎の瞳が細まった。息が詰まる。なんだこれ、一体、いつから冗談で済まなくなった。バクン、と心臓がひとつ跳ね、じわじわと血流が巡る。脳の血管が破けて、じんわりと顔に集まってきたんじゃないかと思うくらい、柴崎のその一言によって訪れた旭の変化は、分かりやすいものだった。
 
「真っ赤、ふは。」
「っ、み、見んなよ…!」

 思わず顔を背けた。その掌から逃げたくて、逃げなくては心臓がバカになりそうで、後退りをした。でも、それ以上は離れることはできなかった。背中側、旭が背もたれにしていたベットに退路をたたれたのだ。優しい掌が、耳にかけるかのようにして、旭の黒髪を撫で上げる。
 暖かい、優しい、こんな触り方なんてされたことがなくて、なんで俺なんだよ、とも思った。でも、振り払えないのも事実で、儘ならぬ思考のまま、肩の力だけが気持ちとは裏腹に抜けていく。
 
 ああ、この手に慰められたかったのか。俺は。
 
 優しくしてほしいと、泣いたあの日のことが不意に思い出された。そうだ、あの時も、頭によぎったのは柴崎であった。都合の良い存在にしてはいけないと決めたくせに、もうこれだ。
 
「助けてださいって、言えたら許してやる。」
「だ、から…ほんと、それずるいって、」
「俺は、お前に頼られたい。」
「だから、あんたほんと、いちいちムカつく…」
 
 人の弱さを、的確についてくるな。
 
「泣きたきゃ泣けよ、我慢するな。お前、居酒屋ん時だって嘘ついてたろ。分かりやすいんだよばか。」
「…ムカつく、」
 
 柴崎の言葉がいちいちムカつく。そんな柔らかい声出せるなら、もっと早くに教えて欲しかった。
 
「言って、旭。ほら、できんだろ。」
「言えたら、何してくれんの。」
「甘やかしてやる。」
 
 ほら、またそうやって言うじゃないか。旭の心の内側の、乾き、疲弊した部分を優しく包み込んでくる。柴崎の声はずるい、もっと近くで聞きたくなるから、ダメだ。
 柴崎は口をもごつかせている旭に小さく笑う。それすらもなんとなく気恥ずかしくて、旭は無言で先ほどの缶チューハイに手を伸ばした。
 
「あ?飲むの?」
「飲んでなきゃ、言えない。」
「ふ、」
 
 むすりとした顔をしているくせに、顔も赤くする。それは一体どんな情緒だと、律儀に応えようとする旭の素直さも含めて、柴崎はそれが面白くて仕方がない。
 だから、無理しなくていいと声をかけようとしたときだった。
 
「あ。」
 
 カショリと音を立ててプルタブを引く音がした後、止める間も無く旭がチューハイを煽る。柴崎の目の前で、ゴクゴクと喉を鳴らして飲むものだから、つい呆気にとられて見てしまった。
 
「おま、苦手なくせに一気にいくなよ、」
「っ、ふ…ぅえ…」
 
 息継ぎが下手な魚のように、ぷはりと吐息を漏らした。完全に目が据わっている。口端からこぼれた酒の一筋を追うように、柴崎は旭の小さな顎に手を添えると、親指を滑らせて滴を拭う。
 
「目ぇ、どっか飛んでってんよ?」
「ふ、ふぁふぁする…」
 
 瞼が下がってくるのを堪えるように、眉間に皺を寄せて大人しくする。柴崎の親指が濡れたそこを拭ってくれるのに身を任せながら、旭はこくんと生唾を飲み込むようにして、酩酊間をやり過ごす。
 フニフニと触れられる唇に、嫌悪感は抱かない。それよりも、よだれがついても気にしないのかなあなどと、儘ならぬ思考でそちらを心配した。
 そのうち、柴崎がなんだかよくわからな表情で旭の口端を引っ張るものだから、いよいよ唾液が溢れて、その男らしく血管の浮き出る腕を伝う。
 
「あぇ、やば…」
「ああ」
「やめ、んむ、う、ぅ、」
 
 端的に言葉を返される。伝う一筋を拭うように、旭が手のひらで柴崎の腕を掴むと、ぐ、と力が入り、小さな水音を立てて舌先を親指で押された。
 
「っ、ん、ぁに、やぇへ、っ」
 
 顔を背けるように口を離した。赤い舌と濡れた柴崎の指先が銀糸で繋がって、それが恥ずかしくて伸ばした手で拭おうとした。旭の意思を阻むかのように手首を掴まれる。クワン、と視界が揺れて、ベッドのマットレスに体がもたれそうになった時だった。
  
    
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