11 / 27
11 無邪気な妖魔
しおりを挟む
己の気持ちに素直になると、今までできていたことができなくなるということをタイランは知ってしまった。要するに、ドウメキの前では普通を振る舞えなくなっていた。
あんなに頑なに強がっていたのに、ドウメキに気持ちを晒した途端に全てがうまくいかなくなる。それを楽しそうに見ているのはドウメキのみで、タイランはというと、わかりやすく参っていた。
「タイランが哀れに見えてきたから、そろそろやめてやれ」
「なんでだ。俺はこれを望んでいるのにか」
あっけらかんと宣う。ドウメキの堂々たる口ぶりを前に、喰録の忠告も虚しくタイランは諦めたような顔をした。
今、タイランの背にドウメキがくっついている。正確に言えば、タイランの動きに合わせて後ろをついて回るのだ。一体何がしたいのだと、語気を荒げたこともあった。しかしドウメキはなんの悪びれもなく、宣ったのだ。
『失われた時間を取り戻しているだけだが』
そう言われて仕舞えば、いくらうざったかろうが、無下に扱うのも気が引けた。
生前の守城と想いを交わしたのが、山主と対峙する前夜だったこともあるようだ。ドウメキは記憶を受け入れたタイランへと、己のしたかったことを素直にぶつけてくる。
唐突な接吻はタイランが拒んでからはしてこないが、どこかしらが触れていないと気が済まないらしい。
「諦めろタイラン。城主が惚れた腫れたに直球だということに、戸惑っているのはタイランだけではない」
どうやら喰録もまた同じらしい。
タイランは、ドウメキによって長い黒髪を一本に編み込まれていた。その先はドウメキの手の中にある。己を尊重してくれるのか、手綱を握られているのかがわからない。
今朝から一事が万事こんな具合である。流石に朝の湯浴みの際は文句を言って外で待っていてもらったが。
「ふきのとうが食いたいのだろう。採りに行っても構わない」
「どういう風の吹き回しだ」
「タイランの願いだからな。特別に聞いてやることにした」
にかり。背後に花でも飛びそうなほど、ご機嫌な笑みを向けられる。
タイランよりも立派な体格の癖に、随分と無邪気だ。世間一般的に想像される妖魔と、ドウメキの気質が合致しない。
編み込まれた黒髪をドウメキの手で掬い上げられる。毛先に唇を寄せるように口付ける様子を前に、タイランはわかりやすく鳥肌をたてた。
「やめろ馬鹿者! 俺は女ではない!」
「風呂を覗いたから知っている」
「なんだそれは! 俺は表で待っていろと言ったはずだが!」
「好いた奴の裸を見たいと思うのが普通だろう」
「お前は、いけしゃあしゃあとよくも……!!」
ああ言えばこう言う。ドウメキとの喧しいやり取りに、喰録から呆れた目を向けられているとはまさか思わぬ。タイランは年頃の男子のようにわあわあとやかましく食ってかかる。
少しでも腹が立つと、大きな声で文句を言えるのだというのも、珠幻城きてからの発見だ。
文句を言うと、ドウメキが嬉しそうに笑うのも腹が立つ。無邪気さを滲ませながらも、同性としても憧れてしまうほど男らしい体格や見目は嫌味なくらいに整っている。
そんなドウメキときちんと向き合うようになってから、気がついたことがいくつかあった。
悔しいから口に出してはやらないが、毎度着物に焚き付ける香にはこだわりがあるのだと言うことを、いやでも知ってしまった。
「あまり飛び跳ねるな。どうせ届くまい」
「飛び跳ねてなどいない!」
ドウメキの紅い瞳が艶めくよう光沢を放つ。髪を離せと抗議の意味で振り上げられたタイランの手は、乾いた音を立ててドウメキに受け止められた。
「ぅお、っ」
「どうせ跳ねるのなら」
気がつけば、足の間に差し込まれたドウメキの足に、タイランは尻を乗せていた。腰を支えられるようにして、天井を背負うドウメキに見下ろされる。
仰反る形でポカンとするタイランの目の前で、ドウメキは己の魅力を理解しているように振る舞った。
「俺の上で跳ねれば良い」
甘さを含む声であった。慣れたような、遊び人の声色にも聞こえるその言葉を前に、タイランはすっと目を細める。
「今俺が足を振り上げれば、貴様は玉無しになるが」
タイランの言葉に、ドウメキの態度はわかりやすく手のひらを返す。
背中を支えるように体勢を戻された。そっけないタイランの態度を前に、襲いくるはずであった股間の痛みを想像したドウメキが渋い顔をする。
こうなるだろうと予測していたらしい喰録が、大きな口を開けて欠伸をした。
「お前は心拍数も上げぬのか」
「ふきのとうを採りに行くぞ喰録。お前にうまいものを食わせてやろう」
「ならば川にもいこう。岩魚が獲れるとっておきの場所がある」
「なぜ家主をおいてそこで話が弾むのだ」
背後から聞こえる不服の声をそのままに、喰録を先頭に城の最上階まで向かう。一度欄干から空にまろびでてしまえば、怖さは軽減されるのだ。
長い尾を靡かせて、軽快に階段を駆け上がった喰録が体躯を大きく膨らませる。タイランが背に乗るだろうと気を使うように体高を下げる喰録の背中を、優しく撫でた。
「ふふ、そんなに私の毛並みが好きか」
「俺はタイランよりも頭が上にあるから、撫でてもらえないだけだ。そこを履き違えるな喰録」
「すぐこれだ。全く、城主はわかりやすく狭量になった」
牙が突き出る口元を歪めるように、喰録が嫌そうな顔をする。
唐獅子にも見える顔だと、以前タイランが口にしたことがあった。どうやら喰録は鵺という妖魔らしい。感心するタイランを前に、私はドウメキの次に長くいるのぞと誇らしげに教えてくれたのを思い出す。
顔まわりの天鵞絨の毛並みを手で梳く。猛禽の瞳を気持ちよさそうに細める様子を見つめていれば、タイランはドウメキによって腰を持ち上げられるように、喰録の背に跨る羽目になった。
「自分で跨がれるが」
「それは俺の時に頼む」
「またそういう事を……口を閉じていろ。駆けるぞ」
文句を言おうとした口を、慌てて閉じる。前に飛んだ時は叫びすぎて、舌を噛んだことを思い出したのだ。
腹に回される逞しい腕に気がついた。タイランの腕とは違う、戦う男の腕だ。
浮いた血管に目を奪われていれば、くんっ、と体が後ろに引っ張られた。宣言通り、喰録が駆けたのだ。
「眼下に目を向けていろ、湖に映る景色は絶景ぞ」
長い黒髪を風に遊ばせる。
タイランの琥珀の瞳に映ったのは、あの日ドウメキに連れて行かれた湖の景色だ。
美しい。鏡合わせのように反転した魏界山の景色が、水の奥に広がっている。思わず感嘆とした声を漏らしたタイランの顔を、ドウメキが嬉しそうに見つめる。
喰録の羽が、優雅に伸ばされた。風を掴んだ体は、自由そのものだ。大きな影が、黄土色の山肌に映り込む。
二人を乗せた異形の妖魔は、牙のように伸びた山々をすり抜けて空を縫う。
「この山の向こうに、村はあるのか」
「……ここを出ていくのは承伏しかねる」
「違う。食材を仕入れたいんだ。いつまでも干し肉と果実だけじゃ体を壊すからな」
心なしか、腰を抱く腕の力が強まった気がする。ドウメキの力のわずかな変化だけで、タイランの耳の先は赤らむ。
宥めるように男らしい腕をそっと撫でると、容易く心乱される己自身に苦笑いを浮かべた。
「玉翠村なら間も無く見えるぞ。近くにおりようか」
「本当か?……ふきのとうは」
「売っているだろう。城主、タイランにいて欲しいのなら、頼み事を聞いてやるのも男の器だろう」
そう笑う喰録の方が、ドウメキよりもできた性格をしている。タイランが窺うように振り向くと、ドウメキは眉間に皺を寄せて押し黙っていた。
無言の攻防は、しばし続いた。それは、喰録が同じ場所を二周するほどの時間を要した。
「認めよう」
「どっちだ」
「城主」
「降りればいいだろう、降りれば!」
ドウメキの言葉に、タイランはそわりとした表情で正面へと視界を定める。先ほどまでの晴れやかな景色とは違い、辺りは途端に青みがかった霞混じりの景色へと変貌する。
喰録は、返事を聞くなり四肢を伸ばすようにして体を傾けた。細い岩同士の隙間を通り過ぎると、視界は一気に開ける。
柔らかな被膜のようなものを、肌に感じた。どうやら結界に入ったらしい。
岩が吊り橋のように削られ、山同士を繋ぐ足場になっている。青い川が轟々と流れ、陽の光を遮るように、黄土色の岩肌から生えた深緑の木々が上へと伸びていた。
まるで、どこかの部族の隠れ家のようにも見えるその場所は、魏界山の中でも特別異界じみている。
「ここは……?」
「玉翠村への入り口さ。この霞が結界の役割をしている」
「なんで、喰録とドウメキは通れるんだ?」
「それは、俺が魏界山の結界を作ったからだ」
ドウメキはそう宣うと、少しだけばつが悪そうにした。思わず口から出たらしい。
「守城じゃないのか」
「……守城と一緒に、だ」
小さな見栄のようなものかと、タイランがふすりと笑う。己から顔を背けるように目線を外した姿が、意地を見せているようで面白い。
そんな二人を背に乗せながら、喰録が足先を濡らすようにして川の上を飛ぶ。鉤爪が、水を裂くようにして筋を作った。美事な景色は視界を覆うようにして広がっている。
(綺麗だけど、少し怖いな……)
ドウメキの腕に添えられた指先に、わずかに力が入る。タイランの怯えを感じ取ったのか、背中に感じていた距離が、ぐっと近くなった。
「大丈夫だ、俺がいる」
「私もいるぞタイラン」
「あ、ああ……っ、つめたっ」
悟られて、少しだけ恥ずかしい。頬を染めながら頷けば、小さな水飛沫を頬に感じた。
ざぱりと音を立てて、喰録が川を裂いていた鉤爪を引き上げる。
どうやら片手間に狩りでもしていたらしい。大きな鱒を握り締める姿に、タイランが緊張を緩めた。
「器用なものだな」
「これを使う」
「使う?」
喰録の言葉に、タイランが反応を示す。食べる、ではない。使うと言った理由が気になったのだ。
なんで、と聞こうとして、視界が遮られる。それが、ドウメキの着ていた羽織だということに気がついた。
「待て、なんだこれは。というか、何故紐で俺を括り付ける」
「そのほうが安全だろう。守城は慣れた道だが、タイランは覚えておらんだろうしなあ」
「ほら捕まれ、面白いものが見れるぞ」
ドウメキの体に括り付けられるようにして、タイランは固定された。先ほどまでタイランを支えていた腕は、しっかりと喰録の手綱を握り締める。
タイランの頭によぎった嫌な予感は、見事に的中した。
「なっ……」
「やはりきたなあ」
ドウメキの喜色地味た声色と共に、喰録が力強く羽ばたいた。
吊り橋状の岩の下を素早く潜り抜けたその瞬間、頭上の深緑を揺らすようにして甲高い声があたり一帯に響いた。
あんなに頑なに強がっていたのに、ドウメキに気持ちを晒した途端に全てがうまくいかなくなる。それを楽しそうに見ているのはドウメキのみで、タイランはというと、わかりやすく参っていた。
「タイランが哀れに見えてきたから、そろそろやめてやれ」
「なんでだ。俺はこれを望んでいるのにか」
あっけらかんと宣う。ドウメキの堂々たる口ぶりを前に、喰録の忠告も虚しくタイランは諦めたような顔をした。
今、タイランの背にドウメキがくっついている。正確に言えば、タイランの動きに合わせて後ろをついて回るのだ。一体何がしたいのだと、語気を荒げたこともあった。しかしドウメキはなんの悪びれもなく、宣ったのだ。
『失われた時間を取り戻しているだけだが』
そう言われて仕舞えば、いくらうざったかろうが、無下に扱うのも気が引けた。
生前の守城と想いを交わしたのが、山主と対峙する前夜だったこともあるようだ。ドウメキは記憶を受け入れたタイランへと、己のしたかったことを素直にぶつけてくる。
唐突な接吻はタイランが拒んでからはしてこないが、どこかしらが触れていないと気が済まないらしい。
「諦めろタイラン。城主が惚れた腫れたに直球だということに、戸惑っているのはタイランだけではない」
どうやら喰録もまた同じらしい。
タイランは、ドウメキによって長い黒髪を一本に編み込まれていた。その先はドウメキの手の中にある。己を尊重してくれるのか、手綱を握られているのかがわからない。
今朝から一事が万事こんな具合である。流石に朝の湯浴みの際は文句を言って外で待っていてもらったが。
「ふきのとうが食いたいのだろう。採りに行っても構わない」
「どういう風の吹き回しだ」
「タイランの願いだからな。特別に聞いてやることにした」
にかり。背後に花でも飛びそうなほど、ご機嫌な笑みを向けられる。
タイランよりも立派な体格の癖に、随分と無邪気だ。世間一般的に想像される妖魔と、ドウメキの気質が合致しない。
編み込まれた黒髪をドウメキの手で掬い上げられる。毛先に唇を寄せるように口付ける様子を前に、タイランはわかりやすく鳥肌をたてた。
「やめろ馬鹿者! 俺は女ではない!」
「風呂を覗いたから知っている」
「なんだそれは! 俺は表で待っていろと言ったはずだが!」
「好いた奴の裸を見たいと思うのが普通だろう」
「お前は、いけしゃあしゃあとよくも……!!」
ああ言えばこう言う。ドウメキとの喧しいやり取りに、喰録から呆れた目を向けられているとはまさか思わぬ。タイランは年頃の男子のようにわあわあとやかましく食ってかかる。
少しでも腹が立つと、大きな声で文句を言えるのだというのも、珠幻城きてからの発見だ。
文句を言うと、ドウメキが嬉しそうに笑うのも腹が立つ。無邪気さを滲ませながらも、同性としても憧れてしまうほど男らしい体格や見目は嫌味なくらいに整っている。
そんなドウメキときちんと向き合うようになってから、気がついたことがいくつかあった。
悔しいから口に出してはやらないが、毎度着物に焚き付ける香にはこだわりがあるのだと言うことを、いやでも知ってしまった。
「あまり飛び跳ねるな。どうせ届くまい」
「飛び跳ねてなどいない!」
ドウメキの紅い瞳が艶めくよう光沢を放つ。髪を離せと抗議の意味で振り上げられたタイランの手は、乾いた音を立ててドウメキに受け止められた。
「ぅお、っ」
「どうせ跳ねるのなら」
気がつけば、足の間に差し込まれたドウメキの足に、タイランは尻を乗せていた。腰を支えられるようにして、天井を背負うドウメキに見下ろされる。
仰反る形でポカンとするタイランの目の前で、ドウメキは己の魅力を理解しているように振る舞った。
「俺の上で跳ねれば良い」
甘さを含む声であった。慣れたような、遊び人の声色にも聞こえるその言葉を前に、タイランはすっと目を細める。
「今俺が足を振り上げれば、貴様は玉無しになるが」
タイランの言葉に、ドウメキの態度はわかりやすく手のひらを返す。
背中を支えるように体勢を戻された。そっけないタイランの態度を前に、襲いくるはずであった股間の痛みを想像したドウメキが渋い顔をする。
こうなるだろうと予測していたらしい喰録が、大きな口を開けて欠伸をした。
「お前は心拍数も上げぬのか」
「ふきのとうを採りに行くぞ喰録。お前にうまいものを食わせてやろう」
「ならば川にもいこう。岩魚が獲れるとっておきの場所がある」
「なぜ家主をおいてそこで話が弾むのだ」
背後から聞こえる不服の声をそのままに、喰録を先頭に城の最上階まで向かう。一度欄干から空にまろびでてしまえば、怖さは軽減されるのだ。
長い尾を靡かせて、軽快に階段を駆け上がった喰録が体躯を大きく膨らませる。タイランが背に乗るだろうと気を使うように体高を下げる喰録の背中を、優しく撫でた。
「ふふ、そんなに私の毛並みが好きか」
「俺はタイランよりも頭が上にあるから、撫でてもらえないだけだ。そこを履き違えるな喰録」
「すぐこれだ。全く、城主はわかりやすく狭量になった」
牙が突き出る口元を歪めるように、喰録が嫌そうな顔をする。
唐獅子にも見える顔だと、以前タイランが口にしたことがあった。どうやら喰録は鵺という妖魔らしい。感心するタイランを前に、私はドウメキの次に長くいるのぞと誇らしげに教えてくれたのを思い出す。
顔まわりの天鵞絨の毛並みを手で梳く。猛禽の瞳を気持ちよさそうに細める様子を見つめていれば、タイランはドウメキによって腰を持ち上げられるように、喰録の背に跨る羽目になった。
「自分で跨がれるが」
「それは俺の時に頼む」
「またそういう事を……口を閉じていろ。駆けるぞ」
文句を言おうとした口を、慌てて閉じる。前に飛んだ時は叫びすぎて、舌を噛んだことを思い出したのだ。
腹に回される逞しい腕に気がついた。タイランの腕とは違う、戦う男の腕だ。
浮いた血管に目を奪われていれば、くんっ、と体が後ろに引っ張られた。宣言通り、喰録が駆けたのだ。
「眼下に目を向けていろ、湖に映る景色は絶景ぞ」
長い黒髪を風に遊ばせる。
タイランの琥珀の瞳に映ったのは、あの日ドウメキに連れて行かれた湖の景色だ。
美しい。鏡合わせのように反転した魏界山の景色が、水の奥に広がっている。思わず感嘆とした声を漏らしたタイランの顔を、ドウメキが嬉しそうに見つめる。
喰録の羽が、優雅に伸ばされた。風を掴んだ体は、自由そのものだ。大きな影が、黄土色の山肌に映り込む。
二人を乗せた異形の妖魔は、牙のように伸びた山々をすり抜けて空を縫う。
「この山の向こうに、村はあるのか」
「……ここを出ていくのは承伏しかねる」
「違う。食材を仕入れたいんだ。いつまでも干し肉と果実だけじゃ体を壊すからな」
心なしか、腰を抱く腕の力が強まった気がする。ドウメキの力のわずかな変化だけで、タイランの耳の先は赤らむ。
宥めるように男らしい腕をそっと撫でると、容易く心乱される己自身に苦笑いを浮かべた。
「玉翠村なら間も無く見えるぞ。近くにおりようか」
「本当か?……ふきのとうは」
「売っているだろう。城主、タイランにいて欲しいのなら、頼み事を聞いてやるのも男の器だろう」
そう笑う喰録の方が、ドウメキよりもできた性格をしている。タイランが窺うように振り向くと、ドウメキは眉間に皺を寄せて押し黙っていた。
無言の攻防は、しばし続いた。それは、喰録が同じ場所を二周するほどの時間を要した。
「認めよう」
「どっちだ」
「城主」
「降りればいいだろう、降りれば!」
ドウメキの言葉に、タイランはそわりとした表情で正面へと視界を定める。先ほどまでの晴れやかな景色とは違い、辺りは途端に青みがかった霞混じりの景色へと変貌する。
喰録は、返事を聞くなり四肢を伸ばすようにして体を傾けた。細い岩同士の隙間を通り過ぎると、視界は一気に開ける。
柔らかな被膜のようなものを、肌に感じた。どうやら結界に入ったらしい。
岩が吊り橋のように削られ、山同士を繋ぐ足場になっている。青い川が轟々と流れ、陽の光を遮るように、黄土色の岩肌から生えた深緑の木々が上へと伸びていた。
まるで、どこかの部族の隠れ家のようにも見えるその場所は、魏界山の中でも特別異界じみている。
「ここは……?」
「玉翠村への入り口さ。この霞が結界の役割をしている」
「なんで、喰録とドウメキは通れるんだ?」
「それは、俺が魏界山の結界を作ったからだ」
ドウメキはそう宣うと、少しだけばつが悪そうにした。思わず口から出たらしい。
「守城じゃないのか」
「……守城と一緒に、だ」
小さな見栄のようなものかと、タイランがふすりと笑う。己から顔を背けるように目線を外した姿が、意地を見せているようで面白い。
そんな二人を背に乗せながら、喰録が足先を濡らすようにして川の上を飛ぶ。鉤爪が、水を裂くようにして筋を作った。美事な景色は視界を覆うようにして広がっている。
(綺麗だけど、少し怖いな……)
ドウメキの腕に添えられた指先に、わずかに力が入る。タイランの怯えを感じ取ったのか、背中に感じていた距離が、ぐっと近くなった。
「大丈夫だ、俺がいる」
「私もいるぞタイラン」
「あ、ああ……っ、つめたっ」
悟られて、少しだけ恥ずかしい。頬を染めながら頷けば、小さな水飛沫を頬に感じた。
ざぱりと音を立てて、喰録が川を裂いていた鉤爪を引き上げる。
どうやら片手間に狩りでもしていたらしい。大きな鱒を握り締める姿に、タイランが緊張を緩めた。
「器用なものだな」
「これを使う」
「使う?」
喰録の言葉に、タイランが反応を示す。食べる、ではない。使うと言った理由が気になったのだ。
なんで、と聞こうとして、視界が遮られる。それが、ドウメキの着ていた羽織だということに気がついた。
「待て、なんだこれは。というか、何故紐で俺を括り付ける」
「そのほうが安全だろう。守城は慣れた道だが、タイランは覚えておらんだろうしなあ」
「ほら捕まれ、面白いものが見れるぞ」
ドウメキの体に括り付けられるようにして、タイランは固定された。先ほどまでタイランを支えていた腕は、しっかりと喰録の手綱を握り締める。
タイランの頭によぎった嫌な予感は、見事に的中した。
「なっ……」
「やはりきたなあ」
ドウメキの喜色地味た声色と共に、喰録が力強く羽ばたいた。
吊り橋状の岩の下を素早く潜り抜けたその瞬間、頭上の深緑を揺らすようにして甲高い声があたり一帯に響いた。
10
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
欠陥Ωは孤独なα令息に愛を捧ぐ あなたと過ごした五年間
華抹茶
BL
旧題:あなたと過ごした五年間~欠陥オメガと強すぎるアルファが出会ったら~
子供の時の流行り病の高熱でオメガ性を失ったエリオット。だがその時に前世の記憶が蘇り、自分が異性愛者だったことを思い出す。オメガ性を失ったことを喜び、ベータとして生きていくことに。
もうすぐ学園を卒業するという時に、とある公爵家の嫡男の家庭教師を探しているという話を耳にする。その仕事が出来たらいいと面接に行くと、とんでもなく美しいアルファの子供がいた。
だがそのアルファの子供は、質素な別館で一人でひっそりと生活する孤独なアルファだった。その理由がこの子供のアルファ性が強すぎて誰も近寄れないからというのだ。
だがエリオットだけはそのフェロモンの影響を受けなかった。家庭教師の仕事も決まり、アルファの子供と接するうちに心に抱えた傷を知る。
子供はエリオットに心を開き、懐き、甘えてくれるようになった。だが子供が成長するにつれ少しずつ二人の関係に変化が訪れる。
アルファ性が強すぎて愛情を与えられなかった孤独なアルファ×オメガ性を失いベータと偽っていた欠陥オメガ
●オメガバースの話になります。かなり独自の設定を盛り込んでいます。
●最終話まで執筆済み(全47話)。完結保障。毎日更新。
●Rシーンには※つけてます。
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる
彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。
国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。
王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。
(誤字脱字報告は不要)
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる