守り人は化け物の腕の中

だいきち

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26 新しい朝

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 シノワズリ格子の窓の影が、ドウメキの体に映っている。窓から差し込む朝日を背中で受け止めたまま眠る姿は、髪の白さも相まって、なんだか神聖なものに見えた。
 口にしたら、きっと笑うのだろう。タイランはドウメキの腕に頭を預けたまま、そんなことをを思った。
 事後、甲斐甲斐しい世話によって二度泣かされた体は、閉じ込められるように抱き締められていた。
 ドウメキの腕がタイランの髪を巻き込んでいるから、身動きが取れない。少し窮屈ではあったが、文句を言うほどではない。

「……お前は本当に、健気な化け物だな」

 ボソリと呟いた。その言葉は、タイランの望んだ形で記憶が体に馴染んだことを示していた。
 ドウメキと体を繋げて、面倒臭いやつ認定を受けるんじゃないかと思うほど、泣いた。それは、タイランの体を肉体的に貪られたからではない。本当に、長い輪廻が終わったのだと実感したからだ。

 もう、タイランはドウメキを悲しませることはない。守城の記憶として、色濃く残っている死に際の微笑みの意味。それは、安堵だ。
 これで最後だ、これで、輪廻から抜けられる。ドウメキによって殺されない未来で、タイランはきちんとドウメキを愛することができる。そんな安堵。
 口下手なのは、今生もまた同じではあるのだが、それにしてもタイランの前世はことごとく肝心なことを言わない。己のことながら、今振り返っても呆れてしまう。

(俺も大概に歪んでいる。ドウメキが悲しんでいることなんて、一番知っていたはずだったのに)

 そんなことを思った。事後、泣きそうに笑うドウメキの表情に、タイランは絆されてしまったのだ。人の体を好き勝手しやがって、と文句をつけることはできなかった。
 体に教え込まれたのは、ドウメキの口にできぬ数百年分の感情だろう。
 ドウメキの寝息が、タイランの髪をくすぐる。琥珀色に収めた寝顔に、憂いは見当たらなかった。

 タイランは名前を与えられ、ドウメキは前世のタイランによって自由を与えられた。これから、焦がれていた未来を始めることができる。当たり前を、当たり前として受け入れることができるのだ。
 それは、二人にとっては夢のような事実だった。互いの存在を確かめ合ったからこそ、余計に自覚した。

 ドウメキへと頬を寄せるタイランの黒髪がくすぐったかったらしい。小さく身じろぐ様子がおかしくて、タイランはふふんと笑ってしまった。
 頭の下に敷いていたドウメキの腕が反応して、胸元へと顔を押し付けられるように抱き込まれた。肩幅を無理やり縮められるかのような抱擁に、抗議の意味を兼ねるようにタイランが胸元を押し返す。
 
「狭い。当たる」
「……起き抜けに」
「するつもりはない。誰かのせいで体が痛くてな」

 緩んだ腕によって、ようやくタイランは新鮮な酸素を肺に取り込むことができた。体の節々はまだ痛い。仰向けになるように天井を見上げると、視界を奪うかのようにドウメキが覗き込んできた。

「……何だ」
「いや、……」

 紅い瞳を見つめ返すタイランの頬に、ドウメキの指先が触れた。輪郭を確かめるように頬を撫でられると、指の背が顎下をくすぐる。
 ドウメキの爪の、つるりとした感触はタイランを傷つけることもない。下唇を指先で軟く刺激される。ドウメキの手遊びのような戯れを拒否しないまま、好きにさせた。

「……俺は今、どんな顔をしている?」

 ドウメキの言葉に、タイランが反応を示す。
 眼差しだけで命を焼かれてしまいそうなほどの熱量を感じる。前世の頃、書庫で互いの存在を確認しあったあの時、ドウメキへと向けた守城の視線と同じ温度を今、返されている。
 
「お前の気持ちは本当にわかりやすいな」
「……そんなに、顔に出ていたか」
「俺が自惚れるくらいには」

 タイランの言葉に、ドウメキは面食らったような顔をした。まさかタイランがそんなことを言うとは思わなかったらしい。口に何かを含むようにちょんと尖らせると、ドウメキはぎこちなく寝台へと座り直した。

「まて、お前それは一体どういう表情だ」
「今の俺の顔を見るな、今はまだその時じゃない」
「は?何を訳のわからないことを……あ」

 唐突なドウメキの行動を追いかけるように、タイランがむくりと起き上がる。まるで表情を見せまいと言わんばかりに手で顔を覆ったドウメキの手の甲に、パチリと紅い目玉が浮かび上がった。
 それは、パチパチと数度瞬きをすると、そろりと目配せをするように動いては、何かを言いたげにタイランを見つめ返す。
 思わず指先で目元をそっと撫でてやれば、赤い目玉は心地良さそうに目を細める。

「お前とこうしていられることが、夢だったらどうしようと思ってしまった……」
「ああ、もしかしてお前照れているのか……」
「まて、なんでそれを……」

 どうやらタイランの予測は当たったらしい。ギョッとした顔で振り向いたドウメキの手の甲から目玉は消えてしまった。まるで、一仕事終えたと言わんばかりの潔さに、タイランは思わずくつくつと笑ってしまった。
 まさか気がついていないのだろうか。肩を揺らして笑うタイランの様子を、ドウメキは間抜けな顔で見つめ返す。
 山主として解放された今、どうやらドウメキの体は素直になったらしい。

「いや、目は口ほどに物を言うと聞くからな。あながち間違いではなさそうだ」
「なんだかわからんが、……まあ、お前がご機嫌なら俺は構わぬ」

 ドウメキが、タイランの頭をわしりと撫でた。大きな手のひらに促されるように顔を上げると、タイランはドウメキの胸の中心に残る痣に触れた。
 この痣は、前世である守城が作った傷だ。人身御供として、ドウメキの命を奪った傷。

「痕が、残ってしまったな」
「何をいう。これがなければ、今の俺はここにはいないだろう」
「儀式とはいえ、お前は俺に殺されたようなものだな」
「む、俺がか」

 タイランの言葉に、ドウメキが不思議そうな顔をした。
 紅玉に光る、美しい瞳を見つめ返す。最初の青年としての人生で、タイランは盲目だった。それは仕方がないと理解できる。しかし、言われるがままに術を練習して、行使した後の結果しか想像できなかった。
 それが、どんな犠牲を払って展開する術かまでを、深掘りすることはしなかったのだ。
 これは、守城としてのお役目だ。そう言われて、それならば失敗はできないだろうなと、そんな当たり前のことしか感じなかった。
 青年によって紡がれた祝詞は、ドウメキの怒りや絶望に触れて呪いへと反転した。肉体は死に、身に秘めていた恐ろしいまでの巫力が穢れ、妖力へと転じた。
 ドウメキの胸の傷痕に触れたまま、目を伏せる。今更に謝罪なんてしても遅いのだろう。呪縛から一足先に放たれたタイランはこうして名前を与えられ、その代償として記憶を失った。
 今まで守城としての輪廻で後悔し続けていた、ドウメキへの気持ちも忘れてだ。だからタイランは、ドウメキを殺した。物理的にも、記憶からもだ。

「……お前の後悔を嬉しいと感じてしまう俺は、きっと酷い男なのだろうな」
「そう、なのか?」
「俺へ向けるお前の後悔が、こんなにも愛おしい。俺のために胸を痛め、泣き、悔やみ、死を選ぶ。それが愛情じゃなくて、なんだというのだ」

 タイランの後悔を受け取り、嬉しそうに微笑む。そんなドウメキの様子に、タイランは胸の内側に言いようのない疼痛を感じた。
 ドウメキの言葉に甘えて、救われてもいいのだろうか。儀式のせいで死なせてしまった後悔を愛しんでくれるこの男に、許されてもいいのだろうか。

「俺がお前へ向ける言葉は、一つだけだ。次はともにだ」
「お前の方が、俺よりも長生きだというのにか」
「なめてもらっては困る。そんなもの、孕ませて仕舞えばどうとでもなる」

 見慣れた、少しだけ意地悪な笑みを浮かべるドウメキが言う。大きな手のひらがタイランの薄い腹に触れるだけで、体の内側がさざめく。
 できる訳ない。タイランは男だ。子を作る器官も持ち合わせてはいない。それでも、ドウメキの言葉が勢い任せだとしても、タイランはその気持ちが嬉しかった。

「魂は縛れる、無論、お前の体で血を繋ぐことも」
「今度は俺を妖魔にするのかドウメキ」
「死なば諸共は最高の愛の言葉だとは思わぬか。俺は、そう思う」
「それだと、俺は随分と前にお前へ睦言を叫んだというわけか」

『俺は、死なない……、死ぬなら、お前も道連れにしてやる』
 タイランの記憶に蘇ったのは、ドウメキへの気持ちに素直になったあの時だ。昂った感情のままに叫んだ気持ちに嘘はない。
 側から聞けば随分と身勝手で醜い執着だ。それでも、ドウメキは大きな体で受け止めてくれる。
 ドウメキの体だって、タイランは本当に妖魔にしてしまったのだ。例えそれが不本意な事故だとしても、許されるわけがない。
 タイランはドウメキの人としての生を奪い、自分勝手に死んだ。
 そんな輪廻を終えても、互いを縛る呪縛からは離れられないのだ。そう考えると、執着というのは本当に厄介で、面倒くさくて、吐き気がするほど純粋な気持ちだ。
 それを、二人は互いに差し出した。

「俺はお前と生きて、死ぬ。これは決定事項だ」

 とんでもなく不穏な愛の言葉で、ときめくことがあるのだと知った。

「妖魔にして見せろドウメキ、次はお前が俺のために生きろ」
「望むところだ」

 これは、とんでもなく重たい愛情だ。二人だけのために作られた、とんだ戯曲な人生だ。
 大きな手のひらが、タイランの後頭部へと回った。ドウメキの瞳が、獲物を狙う獣のようにゆっくりと細まる。
 互いの鼻先が触れあい、唇の柔らかさを確かめようとしたその時。ドウメキの額にパチリと目が咲いた。
 ご機嫌に目元を緩ませるように微笑む眼差しに、タイランはわかりやすく動きを止める。目は口ほどに物を言うとは、やはり本当にあるらしい。

「本当に、お前は健気な化け物だなドウメキ」
「なんだ急に、今そういう雰囲気……おい待て、なんだこれは!」
「っぁはは‼︎」

 タイランの指摘に、ようやっと体の変化に気がついたらしい。ドウメキが大慌てで額を隠す。
 感情の昂りに合わせ、揶揄うように体の表面を逃げる目玉を追いかける姿が、実に滑稽極まりない。
 やかましく抗議を叫ぶドウメキの真横で、タイランは久しぶりに声を出して笑った。

 朝を告げた小鳥が慌てて逃げるほどのやかましさだ。随分と聞いていなかった喧騒を耳にして、喰録は屋根の上で大きな欠伸を一つ。ご機嫌に尾を揺らしたのだった。


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