ヤンキー、お山の総大将に拾われる2-お騒がせ若天狗は白兎にご執心-

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侵食

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「不愉快だ。夫婦の時間を奪うなど。」
「甚雨、ばっか!あんま暴れると木が倒れる!」
「悪いが叱責は後にしてくれ。」

 ああもう!嫁である化け鼬の青藍の非難混じりの声が後ろから聞こえた。敵襲がきたと狼煙が上がり、そこから念の為準備をしていたのだが、まさか本当に来るとは思わなかった。青藍は腰に刀を佩いたまま、山犬である番の甚雨の暴れっぷりに頭の痛い思いをしていた。
 久しぶりに、そういう雰囲気になったのに。甚雨の榛色の瞳には水を差されたことによる苛立ちがありありと浮かんでいた。

「あーーー!まってそっち薬草畑だから!!」
「心得た。」

 灰色の巨躯を存分に使い、青藍によって荒らすなと言われている畑に向かおうとした一匹を仕留める。残るはもう一匹。木の上でこちらを害そうとする猿のような穢に向かって飛びかかった。木々の合間を自在に飛び交いながら、まるで遊ぶかのように追いかけてくる甚雨を時折振り返る。穢の赤く揺れる瞳が、地上で困ったように見上げている青年に目をつけた。

「え、」
「っ、青藍!」

 木の上から落ちるように身をひねりながら、その真っ黒な両腕を広げて青藍の真上を陣取った。甚雨がいくら早くても、その勢いを殺してまでこちらに飛びかかるのは無理だろうと思ったのだ。予想通り、甚雨は慌てて方向を変えたせいで大きな木をなぎ倒した。栗色の瞳が揺れる、可愛らしい顔立ちをした鼬耳の青年の瞳孔が、キュッと細待った。

「舐めるなよ猿。」

 とんでもなく低い声がした。声の主は化け鼬の青藍であった。瞬く間にその身を燃やすようにして鋭い犬歯をむき出しにした獣の姿に転じると、あっという間に数メートルはあろうかという距離を真下から一気に詰め寄った。その手をぐぱりと開き、鋭い鉤爪を浴びせるかのように顔面に叩き込む。豊かな薄茶の毛並みを逆立てて、顔面を鷲掴むようにして地面に叩きつけると、腰に佩いていた刀を放り投げた。

「食らうな!噛みつくより斬れ!」
「なるほど。」

 青藍の言葉に、甚雨が納得したかのように頷いた。嫁の脚の下で暴れる穢が、その身を捩り慌てて青藍から離れる。甚雨は木の葉を巻き上げるかのようにその身に風を纏うと、突然視界を失った穢が木を登ろうとする動きを止めた。その、一瞬の隙であった。

「そろそろ新調したほうがいい。研ぎもしないから鈍らになっている。」
「だってそれ人間のお古だぜ、甚雨が研いでよ。」
「研ぎ方なんぞしらん。」

 ぼてん、と重い音を立てて首が落ちた。甚雨は青藍のもとに向かいながら、あの離れた距離で首を跳ねたのだ。刀に風を纏わせ、そうして振り抜きざまに切断をした。戸惑い顔のまま消えていく穢をちらりと見やると、青藍はシュルシュルと慣れた人間の姿に戻った。

「胴の長い姿も愛らしい、なるほどあの距離を詰めたからくりはそれか。」
「足長くて縺れる位なら、俺は鼬のままでいいね。」

 ふふん、と得意げに笑う嫁の髪についた木っ端を取ってやる。青藍だって化け鼬だ。化け鼬の本性だって勿論あるのだ。甚雨がべろりと頬を舐めて労るのを好きにさせながら、青藍はその長い尾を甚雨の尾に巻きつける。

「お山が騒がしいなあ。あ、ニニギがこっち見てるぞ。」
「あの木か。あちらも終わったようだな。」
「うちのボンのとこ行こうかな、怪我人は天狗屋敷だろ?」
「なら連れて行こう。背中に乗れ。」

 甚雨が山犬の姿に戻る。人型のままの青藍は、耳やら頬やらを甚雨の唾液でしっとりと濡らしたまま、それならばとせこせこと薬草やら薬研、漢方などのありとあらゆる薬の素、念の為の手術道具やら医療本。それらを風呂敷に包み込んで甚雨の首にくくりつける。毎回のことなので甚雨も慣れたものだが、凛々しい山犬の姿からはかけ離れてしまうのだ。まあ、青藍がそれを可愛いと言うので良しとしているが。
 体高を下げて、青藍を跨がらせる。全身で甚雨の灰色の毛に埋もれるようにして抱きつくと、均衡を保つためにピンと長い尾を立てる。

「速すぎても怖いから程々で頼む。」
「心得た。」

 ぺしょ、と甚雨の耳を舐めておねだりをすると、ぶわりと毛を膨らませて、その足に風を集めた。



 
 体が痛い。痛くて熱い。睡蓮は湿気った地べたに頬を付けたまま、穢による侵食の痛みに耐えていた。睡蓮の侵食は、左手から始まった。爪先からゆっくりと黒くなって、今は手の甲まで染まってしまった。こんな少しだけなのに、体が動かないのだ。睡蓮の侵食と対を成すように、鐘楼の右半身の手はゆっくりと肌色を取り戻す。穢が呪いになって、そして鐘楼が睡蓮に執着を見せたからこうして痛みを分けているのだ。痛い、骨が溶けてしまいそうなくらい軋んでいる。

「痛みを分けるというのはね、睡蓮。とても尊い行いなのだよ。」

 何を言っているのだろう。睡蓮は極力体を動かさないようにしながら、ちろりと視線だけで鐘楼を見た。すっかり白くなった右手で、そっと睡蓮の頭を撫でる。その手が信じられないほど優しくて、まとまらぬ感情のままに受け取るしかない睡蓮の涙のを滲ませる。

「己の痛みを分け与えることができる。そういう相手が居るというのはとても尊いことだ。」
 だって、それは愛に似ている。同じ心持ちを重ねて、互いに同じ理由で苦しむ。それが、愛じゃないわけがない。

「幸せになりたい。」

 とても穏やかな顔で、鐘楼はそう言った。

「我は幸せになりたい。死して行った仲間たちの無念を晴らすべく、こうして禍津神になった。神は神である。だから、救いたい。救うためには、幸せを知りたい。」
「すく、いたい、…し、あわせ?」
「虐げられている小さき命を、我は救いたい。睡蓮、お前は我の為に泣いてくれたね。その優しさは、人間には無いものよ。彼奴らは我らをものとしてみる。だから、体に綿を詰めるのだ。」

 死してなお辱めるのだ。鐘楼はそう言うと、柔らかな睡蓮の髪を撫でてやった。

「この手が欲しい、お前の優しいこの手が。」
「っ、…」
「なあ、お前の手は侵されてもなお温もりを持っているのだな。」

 鐘楼は、己の足の下で小さく震えながら、語りかけてきた白兎に執着していた。気にかけ、そうして死した亡骸に涙してくれた。己の死を真正面から向き合い、己が最後の記憶に焼き付けた妖かしに依存した。

「小さな手、我よりも余程に。お前はこのいとけない手の平を差し伸べてくれたのだな。」
「い、いたい…っ…いたい、鐘楼さ、っ」

 じくんと痛むその手を取りながら、鐘楼はうっとりとした顔で睡蓮を見つめた。己と同じ痛みを分け合い、呻き、涙をする睡蓮は、鐘楼にとって一つのよすがだった。

「我はね、睡蓮。目覚めたときに、沢山の無念を受け取った。ままならぬ思いを抱えたまま、息を引き取っていった仲間たちの無念を、こうして腹に収めたのだ。」
「わ、わかんないよ…」
「我の体を通して、穢達は里に戻った。いずれ死して妖かしに転じるものもいるのなら、その無念の欠片をこの土地に放ってやるのが優しさだろう。」
「ここに、穢を撒いたの…!」
 
 鐘楼の言葉に、睡蓮は目を見開いた。ぱきき、となにかが擦れる音がして、ぐつりと左手が熱を持つ。睡蓮の穢に侵食された左手にゆっくりと切れ目が入ると、くちりとした音とともにつぶらな赤い目玉がぽこんと浮き出た。

「ひ、っ…!!」
「ああ、産まれるなあ。」

 きょろりと睡蓮を見つめた目玉が、ゆっくりと手の甲に沈んでいく。恐ろしい光景であった。睡蓮はその身をがたがたと震わせ、迫り上がってくる不快感に耐えきれずに嘔吐した。

「っ、ぐぅ、えっ…」
「我の身に溜めた穢を移したのだ。お前も、このまま染まっていけば対になる。」
「ぇほ、っ…ひ、や、やだ、やだぁ…っ…」
「ああ、愛らしい。お前も腹に抱えるものがあるなら、身を任せよ。穢は、そうした思いを苗床にする。睡蓮、お前には禍津神の才がある。」

 呼吸が苦しい。目に涙をためながら、睡蓮はその手からゆっくりと黒い煙と共に赤い目玉が浮かび上がるのを見た。怖い、怖いのだ。でも、己のせいでこのお山の皆が危険に晒される、そちらのほうが余程怖かった。
 己に生じた原因。それを潰すかのように、一息に己の右手を穢へと振り下ろす。

「っーーーーあ、あぁ…!!」
「馬鹿だねえ、睡蓮は。」

 ぷちん、と潰れるような音がして、穢が吹き上がった。睡蓮の手によって産まれたての穢は潰された。しかし、その反動で侵食は瞬く間に睡蓮の手首まで覆い尽くした。酷い痛みだ。黒い左手を叩いた右手を、ゆっくりと開く。ドロリとした赤い血液のようなものが纏わりついていた。

「その穢は、お前を苗床にしたのだよ。それを潰したらお前に穢が広がるのは当たり前ではないか。」
「ひ、っ…ひぅ、あ…っ…!」
「呪いのようなものさ、お前だって妖かしならわかるだろう。それは神気がなくては剥がせない。そして、剥がれるまでは穢を吹き上げ続ける。」

 愚かな子、いとけなくて可愛らしい。穢を潰せばそれが里に放たれることはない。しかし、潰せば己の穢を侵食させる。きっと、もしかしたらとその考えは思い至っていたのかもしれない。それなのに、その可能性があったのにも関わらず、睡蓮はそうしたのだ。鐘楼にはそれがわかっていた。
 戸惑いで、手元が狂うのを恐れて一気に振り下ろしたのだ。思い切りがいいのではない、躊躇を恐れたからだ。
 睡蓮は、つまり、そういう意味で覚悟をしたのだ。あのときの鐘楼のように。

「蜜蜂のように儚く生きるのも、美しいものだよ睡蓮。」

 柔らかで、慈愛に満ちた声。睡蓮の赤い瞳からぽとりと涙が溢れる。染み込んだ涙がつるりと伝った真っ黒な腕に、また一つ赤い目玉が開いた。


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