ヤンキー、お山の総大将に拾われる2-お騒がせ若天狗は白兎にご執心-

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誰が本当の偽善者か

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 睡蓮は、自分が嫌で嫌で仕方がなかった。宵丸の労わるような優しい手も、琥珀の守る様な力強い背中も、そして鐘楼の孤独な内側も。全部、全部睡蓮の覚悟が足りないからこうなってしまったのだ。
 
「うぅ、う…っ、こ、こは、…っ…しょうろうさ、ぁ…っ…」
「睡蓮ちゃん、」
「ご、ぇ…っ…ごぇ、な…さ、っ…」
 
 ポロポロと涙をこぼしながら、睡蓮は唯一動かせる右手で必死に手を伸ばした。あそこに行きたい。この二人には、ぶつかって欲しくはないのだ。身じろぐ睡蓮に戸惑いながらも、宵丸が抱き締める。こうしないと這ってでも行ってしまうかも知れないと思ったのだ。体がこんなに熱い。大怪我だってしているのに、睡蓮は必死だった。力の入らない右手が、縋るように雑草を握りしめた。琥珀も鐘楼も睡蓮の声は聞こえているはずなのに、二人は決して振り向こうとはしなかった。
 
 雷を纏った琥珀を追いかけるように、鐘楼の身からいくつもの影が離れて琥珀を追いかける。細く伸びる影が何度も羽を掠めるのだ。これで由春が人型に戻っていたら、一体どれほどの正確さで琥珀を追い詰めるのだろう。影の隙間を縫う。鐘楼が赤い瞳を琥珀に向けると、唐突に影が霧状になって霧散した。
 
「っ、くそ…!!まとわりつくな…!」
「まずい、琥珀!!引き剥がせ…!!」
「は、っ…!!」
 
 宵丸の叫び声と共に、琥珀の周りにまとわりついていた影が、熱を帯びた。ああ、これは影ではないのだと理解し、慌てて羽を仕舞い込んだ。その判断は、実に正しいものとなる。
 
「聡いがき、腹が立つな。」
「ーーーーーーっ、ぶね、え!」
 
 鐘楼の瞬きと共に、その煤がぱちんと火の粉を纏わせたのだ。大慌てで羽を閉まったせいで、琥珀は真っ逆さまに落ちた体を捻る。片手で木の枝を鷲掴んだお陰で大怪我は免れた。
 
「焼き鳥にでもしてやろうかと思ったのだがね。」
「てめえ草食だろうがよ。イキってんじゃねえクソジジイ。」
 
 上空で燃え広がったそれらを、宵丸の雪風が鎮火させる。鐘楼はうずくまって震える睡蓮を視界に入れると、宵丸が消火に気を取られている好機を逃しはしなかった。
 
「あ、っ」
「睡蓮…!!」
 
 地面に隠れたまま伸ばしていたらしい影の一本が、睡蓮の腹に巻きついてその身を空中に投げた。琥珀が慌てて地面を蹴るよりも、少しだけ鐘楼の方が早かった。降ってきた睡蓮を影で捕まえると、己の身に引き寄せる。
 
「ただ闇雲に追いかけていたわけではないのさ。」
「宵丸、てめぇ何やってんだ!!」
「悪い!!くそ、俺としたことが、」
 
 地面に下ろした睡蓮に、鐘楼が鼻先を近づける。その鼻先から徐々に身が崩れていく。睡蓮は震える手で神気を保てずに人型に戻った鐘楼の頬に手を添えると、ポロポロと涙をこぼした。
 
「睡蓮、睡蓮睡蓮、ここにいて、我のそばにいて、お前がいたから、一人で死ぬことはなかった。寂しくはなかった。」
「僕が…、あなたを禍津神にしてしまっ、たのです…ね、」
「睡蓮、耳を傾けるな。」
「黙れ天狗、我は貴様に話してなどいない。」
「う、…っ、」
 
 鐘楼の腕にキツく抱きしめられた睡蓮が、小さなうめき声を漏らした。琥珀と宵丸は一定の距離を保ちながら隙を窺う。しかし、睡蓮はゆっくりと呼吸をすると、熱で掠れる声を絞り出しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
 
「ぼ、僕は…あなたにふさわ、しくないです…っ」
 
 ふさわしい、という言葉はあまりにも意外な話題である。唐突に語り出した睡蓮に、その場にいた琥珀たちの動きは止まってしまった。
 
「あ、あなたが生前、その身に多くの報われぬ思いを身に宿されていただなんて、僕は気づいてあげられなかった…」
「睡蓮、」
 
 震える腕が鐘楼の頭を優しく撫でる。腕が痛くて、今にも気をやりそうなほどなのに、睡蓮はそれでも頭に添えた掌をどけようとはしなかった。
 
「僕の、自己満足でした。話せば、きっとわかってくれると…、勝手に物事を推し量り、あなたに押し付けました…。」

 鐘楼と同じ赤い瞳は、涙をためていた。睡蓮の瞳に写る鐘楼の姿は歪んでいる。ままならぬ体の痛みに耐えながら、なお睡蓮は言葉を続けた。

 あなたの気持ちは、僕のそれよりも深いものだった。貴方の優しい瞳の奥に、いくつもの悲しいことがあったのに、僕は僕の物差しであなたを測ってしまった。睡蓮は、そう言って泣いていた。失った命を背負い、いくつもの悲しいことを見つめてきたその瞳で映した最後が、何も知らない玉兎だったのだ。きっと、本当に見たかったものは違っただろうに。

「鐘楼さん、あなたのそれはきっと、僕ではだめです…、僕は、あなたのいたみを受け取ったけど、っ…この想いに寄り添えるほど貴方を知らない、いたくて泣くことしか、僕はできない、っ」
「…なんで、我に優しくした」
「やさしくしたかった、ほんとうに、あなたを、たすけたかった…っ」
「突き放すのなら、優しくしてほしくはなかった…!」

 睡蓮を見下ろした鐘楼の赤い瞳から、ぼたりと涙が零れ落ちた。体から離れた自由な影が、睡蓮のその腕に絡みつく。まるで太い縄が捻れるような乾いた音を立てながら、影が絡みついた睡蓮の左腕は障りの範囲をゆっくりと広めた。

「ひ、ぎ…っ!」

 琥珀の目の前で、左腕の侵食した部分から赤い目玉がパカリと開く。睡蓮は小さな悲鳴を上げると、まるで虫を叩くかのように、無事な右手でその目玉を叩き潰した。

「睡蓮!!」
「くそ、いけ!」

 ぱしゅん、と空気を切る音を立てながら、宵丸が繰り出した氷の苦無が鐘楼に向かって飛んでいく。鐘楼は睡蓮から影を離すと、その攻撃を弾くかのように繰り出した熱風で振り払う。

「馬鹿な子、その目玉を潰したら痛いのは睡蓮なのに。」
「ひ、っ…ひぅ、あー…!!」

 細い体が悶絶をする。目玉を潰せば穢は吹き出ない、しかし、浸食の範囲は広がってしまうのだ。琥珀は悲痛な声に総毛立つと、錫杖片手に一気に距離を縮めた。

「っ、」

 瞬きの間で正面に躍り出た琥珀の一閃は、鐘楼の着ていた着物の袂を二つに裂いた。後ろに飛び退るように避けた鐘楼が、その爪を伸ばして一撃をくわえようとする。帷子はない、これが入れば致命傷になるのだ。

「飛んでるばっかじゃねえんだぜ、」
「ぐっ、…!!」

 シャン、涼やかな音と共に、錫杖は深く地べたに突き刺さる。握りしめた部分を軸に琥珀がヒラリとその手を避けると、まるで回転をかけるように体を捻り、遠心力を使った。勢いはそのままに、思い切り足を振り上げると、鐘楼の横っ面に高下駄を叩き込んだ。

「うわ、絶対痛いやつ、」

 宵丸が睡蓮に駆け寄ると、溶かされた氷の部分を補うかのように冷やしていく。目玉が潰れた部分の皮膚は目も当てられないような有様だ。どれだけ一人で耐えたのだろう、月面の凹凸のように歪になった睡蓮の腕を止血しながら、琥珀によって壁に叩きつけられた鐘楼を見た。

「禍津神になっちまったのは、同情する。だけどな、睡蓮にしたことは許さねえ。」
「我は、ただ幸せになりたいだけだ。今生を幸せに生きて、好いているものと共に生きたい。」
「好きになったなら、態度で示せ。痛みでわからせるな。怯えで支配するのは愛じゃねえ。」
「共にありたい。睡蓮も、禍津神にすれば我はひとりじゃない。」

 鐘楼は、嗄れた声で言葉を紡ぎながら琥珀を見た。地べたを頬につけ、恨めしそうに赤い瞳を輝かせる。ほしい、あの子がほしい、居場所になって欲しいのだ。手をのばす鐘楼の姿を、琥珀は冷めた瞳で見下ろしている。
 鐘楼の指先が、こつんと琥珀の錫杖にあたった。

「てめえは、睡蓮の後悔を利用した。言葉で縛り付けたんだ。最後に看取ってくれたからなんだってんだ、あいつはお前とのやり取りを今も引きずってるのに、お前がそれを利用しちまったら、あいつは誰に許されればいいんだ!!」

 宵丸の腕の中で、睡蓮がひくりと反応した。赤い瞳を潤ませ、唇を噛みしめる。鐘楼はゆっくりと顔を上げると、表情の抜けた顔で睡蓮を見た。

「睡蓮、」

 寂しげな声色であった。琥珀は地べたに這いつくばったまま動かぬ鐘楼の前に膝をつくと、その白い右手にそっと触れた。

「この腕は、本当なら睡蓮のもんだ。お前の右腕の障りは、睡蓮が引き受けたんだ。お前は、一つしかないものを睡蓮から奪っておいて、これ以上何を欲しがる。」

 鐘楼の右手に、暖かな体温がじんわりと染み込む。この温度を、もう睡蓮の左手は持たないのだ。
 赤い瞳が、戸惑ったように揺れる。鐘楼は漸く己のしたことを噛み締めた。琥珀の手のひらを、ぎゅっと握りしめる。唇を噤むと、細い吐息が漏れた。


「琥珀!!」

 悲鳴混じりの宵丸の声に、琥珀も鐘楼も顔を上げる。切羽詰まったような表情に、その腕の中の睡蓮を見つめる。力が抜けたように動かない姿を見てとると、心臓が茨で締め付けられるような感覚に陥った。

「神気で剥がれる、死んでほしいわけじゃない。」
「うるせえ、わかってんだよそんなことは!!」

 鐘楼の体を引きずるように抱えあげると、琥珀は宵丸に向かって叫んだ。

「先に由春のところへ行け!俺はこいつ引きずって向かう!いけ!宵丸!!」
「っ、てめえ琥珀の寝首かいたら氷漬けにして池ん中沈めっからな!?ああ、くそ!くそったれ!!」

 捨て置けぬのか。そう思った鐘楼は、悔しそうな顔で飛び立った宵丸を見送った琥珀を見る。殺したいほどだろう、なのに、それを睡蓮が止めたのだ。鐘楼は閉口したまま俯く。腹に回された琥珀の腕のには力が入り、握りしめた拳からは血が滴り落ちていた。


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