名無しの龍は愛されたい。

だいきち

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ドリアズ編

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あの後、使役されたサジは突然消えたり出たりと忙しなく自らの能力を確認し、存在を消すこと以外は変わらないと判断したのか、ご機嫌でエルマーの手のひらの傷を見つめて言った。

「サジは普段そこにいる。何者の存在になったのか知らんが、まあそういうものだとでも思ってくれ。」
「はぁ?おま、常にここにいんのか!?シコりにくいだろうが!」
「しこ…?」
「うん、気にすんなぁ。」

エルマーが言った意味がわからず首を傾げる。無垢なナナシにはまだ早いだろう、そんな言葉は覚えんでよろしいと頭を撫でて誤魔化した。
サジはというと、にやりと厭らしく笑いかける。そして、通り道がそこなだけで、感覚や視覚の共有は出来ないと、補足のように宣った。
非常に残念そうな顔で、サジの後ろと繋がっていればよかったのになぁ。などと、エルマーの手に異空間魔法で自分の尻と直結させようかという、全くありがたくもない恐ろしい提案をしてきたので、それは丁重にお断りをしておいた。

サジの胸を突き刺した短剣は、どうやら魔力の源だったらしく、名前持ちの魔女なら誰もが魂を分けた呪具を持つという。その短剣で胸を突き刺されたサジは、魔女の倫理に反し、神に返すべき魂を奪った相手の使い魔として、存在を縛られたということらしい。

サジいわく、名前持ちを使役するならそいつの魂を宿した呪具で殺せ。とこれまた爆弾発言をし、また呪われるんじゃないかと心配したエルマーに対しては、死んでまで呪われてたまるか。ふはははは!!と笑って返していた。

なんにせよ、サジのせいで大いに草臥れた。使役者の証として刻まれた不思議な花の紋様は、サジに舐められたことで、入れ墨のような模様を残し、傷口は塞がった。

まさかこんなに不気味な傷跡になるとは。人と握手する時に悲鳴を挙げられるにちがいない。ただでさえ義眼を落として怖がられるというのに、全くもって難儀なことである。


そして、とんでもなく濃厚な夜を飛び越えた翌朝。まさかのサジも一緒にチベットの所に行くと言い出した。
サジを不明瞭な存在として、使役する羽目になったのだから仕方はないが、そもそもこの宿だってナナシと二人で入ったのだ。三人で出るというのは違和感しかない。受け付けはあの感じの悪い嬢ちゃんだし、朝から一悶着起こすのは御免被りたい。

「お前どっか消えててくんね?」
「おや。サジはいじめられているのか。」
「ちっげぇ!お前が侵入してこなきゃよかったんだっつの!宿出たら出てきていいからよ!」
「サジばぃばぃ。」

ふんす、とぶすくれたナナシがエルマーの手を握りながら言う。片眉を上げたサジは、にっこりと微笑むと、心配はないと宣った。

「ここに来るときに、エルマーに呼ばれたといったからな。」
「は?は!?」
「どうやら女はサジのことを男娼だと思ったらしい。うふふ、愉快である。」
「愉快である。じゃねえ!!ああ、さいっあくだぁ…てことは俺がここに来たときから好色野郎だと思ってたってことかァ!?」

やけにご機嫌でそんなことを宣う。むしろ男娼と致すよりも濃厚な一晩を過ごしてしまった以上、あっけらかんと否定するにもし辛い。
床の微かな血痕はサジの魔法で消したが、それでもどんな目で見られるか。

「エルマー、こうしょく?」
「ヤリチンということだ。」
「サジィ!!」
「やりちん…」

辿々しい言葉でそんなことを言う。否定はしないが肯定もしない。不思議な響きを繰り返し呟く、ナナシの口を手で塞ぐ。変なことばかり覚えなくて宜しいと、渋い顔で嗜めるエルマーを見て、サジはニヤニヤしながら姿を消した。なんだか朝っぱらからさんざんである。ナナシはというと、エルマーが項垂れる後ろで、ベッドの横の引き出しを引いて出てきた棒状のそれを手に取った。今朝方見つけたときからずっと気になっていたのだ。ナナシはその棒状の物体を握りしめると、つんつんとエルマーのお腹を突いた。

「んあ?なんか面白いもんでも、」
「えるぅ!こぇ、なに。」
「…マッサージ器具だ。てこたぁ、あの小瓶はローション…」
「ろーしょん。」
「それも覚えなくていい。」

ナナシの手に握られた張り型をそのまま引き出しに戻す。わざとではないとはいえ、あれで突かれたのだ。エルマーはナナシに、あれは置いて使うものだから、人を突いちゃいけないよと教える。
昨日の晩に話した態度の悪いフロントスタッフは、エルマーのことを連れ込み宿扱いした不届き者というレッテルを貼ったらしい。漸くここに来て態度の悪さの答え合わせをしたようだと、なんとも言えない気持ちになる。

結局ナナシと手を繋いで宿を後にしようとした際に、フロントスタッフからは満面の笑みで言われた、健全な宿なのであまりそういった娯楽はやめていただきたいと言う言葉に、エルマーは渋い顔をする。

「じゃあなんで張り型置いてんだぁ。」

使わなかったけど。
そう聞いたところ、フロントスタッフはムスッとしながらこう告げた。

「そもそもうちの村に連れ込み宿があるとお思いですか。この規模で。」
「じゃあ、あの部屋だけ?」
「ええ、ほかは満室でしたので。サービスの一環としてですね。小瓶はお使いにはならなかったようですが。」

なんだか可愛そうな目でナナシを見る。エルマーは心底面倒臭いという顔をして、そう言う意味で連れているんじゃないと言おうとしたのだが。

「昨夜の相手はサジだ。それはもう死ぬ思いをした。」
「サジ!!ううー!!」
「やいちび!ふはははは!!」
「サジきらい!!!ううう!!!」

ニコニコしながらいつの間に出てきたのか、後ろから抱きついてくるサジは嫣然と微笑むと、ナナシの威嚇も物ともせずに煽るように舌を出して誂った。
お陰様でエルマーはフロントスタッフのお嬢さんから侮蔑を含めたゴミを見るようなの目で睨まれる羽目になった。まったくもって理不尽極まりない。

「まぁ!性の視野が広くていらっしゃる。」

故に、それはもう盛大な嫌味を言われた。

「だからお前はかきまぜんなってぇ!」

朝から盛大な見送りをされながら、逃げるようにして宿を後にする。せっかくふかふかのベッドで寝られたというのに、サジのせいでゆっくりと眠ることができなかった。むしろ野宿のほうが断然マシな気さえする。尻の座りの悪い宿では休みたくても休めない。

結局サジは宿を出た瞬間に、サジは所用だ。とか言い残してご機嫌でどこかに消えて行った。マジで自由すぎる。エルマーは朝から不機嫌なナナシの手を握りながら、約束の時間に合わせてチベットの工房まで足を運んだ。




「すーま!すーまかぁいい。すき!」
「すっかりこの子がお気に入りじゃのう。」

扉を開けた瞬間に物凄い跳躍をみせたスーマは、出迎えを嬉しがるナナシによって抱きとめられると、その柔らかな頬に灰色の毛並みをスリスリと擦り付けて甘える。時折見える裂けた口に並ぶ、細く鋭いギザ歯は心臓に悪いが、二人はもう完全に友達だった。

「っあ゛ーーー‥茶が染みるぜぇ…」
「お前さん、なんだか疲れてないか?」
「いやぁ、もうなにがなんだか。」

サジとの一件を言うには、まだ知り合ってから日が浅い。エルマーは何も言えないがとにかくしんどい。不思議そうにするチベットに、精神的な疲労が積もっちまって。と言うと、出されたお茶を飲み干す。
ちらりと目配せをすれば、ナナシがにこにこしながら何かを口に咥えていた。

「あ!?」
「なんじゃ、騒がしいのう。」
「ナナシお前なに食ってんだ!」
「う?」

ぴぎっと鳴いたスーマが食べていたのは、屋根裏で捕まえてきたネズミだった。どうやらスーマが友達の証としてナナシにも分けたらしい。ナナシはネズミの尻尾を咥えてにこにこしている。

「だめだそんなもん!ぺってしなさい!」
「あぅ、でも、こぇ、たべてたよぅ。」

慌ててエルマーがナナシの咥えていたネズミを取り上げると、抗議をするかのように、スーマがぴぎぴぎと鳴く。ナナシは困ったような顔をしてスーマが仕留めたネズミを見ると、しょんもりとした。

「ええっ、く、食ってたぁ!?お前さん、一体この子に何食わせて育ててるんじゃ!」
「いや流石にネズミは食わせてねぇ!ってことは、拾う前の時か?」
「えいよう。」

はぐはぐとスーマがネズミを食べている様子をじっと見つめたあとに小さく頷く。
ナナシは奴隷だったこともあり、生きるためならなんでも食べた。牧場で三日に一度出る硬いパンは、牛が飲んでるお水に付けて柔らかくしてから食べていたし、ネズミは猫を真似して取ったらしい。一度生で食べようとして断念してから、マッチで作った火に焼べて食べたという。
美味しくないけど、お腹が膨れる。だからくれるものなら何でも食べると拙い言葉で言うと、チベットもエルマーもなんとも言えない顔をする。
エルマーはその小さな頭をひと撫でしてから、ぎゅぅっと腕の中にナナシを閉じ込めた。

そんな悲しいことを当たり前というナナシに、二人はもう言葉が出なかった。細い体で過酷な日々に耐えていたのだ。チベットは眉を下げ、黙って話を聞いた後、今朝方食べていたパンを持ってくる。
ナナシの顔くらいあるそれは、干し葡萄の入ったものだ。甘い香りがするそれを、食べなさいとナナシに与えてくれた。

「ふかふか。あまいのやつ、みたい。」
「ああ、あんときのか。」

恐る恐るパンを受け取ったナナシは、その柔らかさを確かめるように、にぎにぎと指で感触を確かめてから、パクンと食べた。よく考えてみたら、結局昨晩はなんにも食わなかったのだ。ナナシは湖のほとりで食べたジャムの入ったものとはまた違う素朴な甘さのそれに、ふにゃりと笑う。

「おいひぃ…」

ナナシはその齧ったパンを三つに分けると、大きいのをエルマーにあげた。中くらいのをスーマにも上げると、ナナシは嬉しそうにしながらスーマと二人でもふもふのパンを食べて幸せそうな顔をした。

「このパン、多分全部ナナシのだぜ?」
「はんぶんこする。」
「なら、とっとくから後で食えな。」
「あぃ。」

スーマの口端に付いた食べかすを取ってやると、パクンとそれを食べる。なでなでと毛並みを整えるようにスーマを膝に乗せて撫でていると、調整に出していた装備を持って、チベットが戻ってきた。

「忘れんうちにの。ほら、着てみい」
「あ。さんきゅ、ナナシ、こっちこい。」
「んん?」

ととと、と駆け寄ると、ひょいとエルマーの膝に乗せられた。早速ナナシに履かせていたボロ布と靴だったものをとると、スポンとブーツを履かせる。
ナナシはキョトンとしてから、細い足に履かされたそれを見つめる。なんだかふかふかとしたクッションが足に優しい。
少しだけ重いけど、エルマーに降ろしてもらい、恐る恐る床を歩いてみると、ごつごつとかっこいい音もする。街のみんなが履いているものよりも、黒くて丈夫そうだ。
ナナシは頬を赤くして顔を上げると、チベットを見上げた。
どうやら余程嬉しかったらしい。ぴょんぴょんと飛び跳ねてから、自分と同じくらいの背丈しかないチベットに抱きついた。

「つおい!じじ、つおい!」

すごい!こんなものを作れるなんてすごい!ナナシはスーマのように体全体で喜びを表すと、チベットに抱きついたままぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ。細い腕で抱きつかれたチベットは、目を丸くしはしたが、そんなナナシの純粋さに面映そうに、ふぉっふぉと笑って頭を撫でる。

「ういのぅ。こんな素直な子ははじめてじゃて。」
「おーい、金払ったのは俺なんだけど。俺にはなんかねぇの?」

くすくす笑いながら、ナナシの肩にチベットがローブをつける。いいとこを容赦なく奪っていくが、見た目は完全に爺と孫だ。ナナシはそのローブも嬉しそうにつけてもらうと、くるくるまわって裾の広がりを楽しんだ。
エルマーに向き直る。もじもじとして照れたかと思うと、ちんまい手のひらで自分の両頬の赤みを抑えるようにして触れる。

「つおい…」

自分がちゃんと、人として一人前になれた気がした。
ナナシはくふくふと嬉しそうに笑っていたが、立派な自分の靴を見て、纏うローブを握りしめ、そしてゆるゆるとエルマーの顔を見上げると、悲しくもないのになんだかじわじわと涙が出てきた。
エルマーはぎょっとしたが、ナナシは泣きながら笑うという器用なことをする。ほっぺの赤みを隠しながら、えひえひと笑うと様相を崩し、ついには両手で顔を覆うと、ぐすぐすと肩を揺らして泣き始めてしまった。

「…ほら、おいでぇ。」
「うっ、うぅ、ひっく…え、えぅ、まー‥っ、」
「おう、よほど嬉しかったんだなァ。ここにはお前の為に笑ってくれる奴しかいねぇよ。」
「ふぐ、っぅ、うわぁ、ああ…っ」

わんわん泣きながら、エルマーに抱きつくナナシの足元を、スーマはくるくると駆け回っては心配そうに、その細長い体を二本足で持ち上げるようにして顔を覗き込む。
心優しい単眼の妖精は、心配そうに瞼を眉のように動かし、器用に表情をつくってはピギっと鳴く。その様子は、まるで泣かないでと言っているようだった。

「お嬢ちゃん、よっぽど辛い目にあってきたんじゃのう…わしの装備でそんなにも喜んでくれるとは、職人冥利につきるわい。」
「ちなみにナナシは男だ。」
「うゅ…っ、」
「なんじゃと!こりゃたまげたわい!」

エルマーは首に腕を回して抱きつくナナシ背中を撫でながら、未だ勘違いするチベットの言葉にようやく訂正を入れた。仮にナナシがまじもんの女のコだったら、エルマーだって大変だ。何回裸を見たと思っている。
ただでさえ煽られることも少なくないのだ。異性だとしたら、余計に居たたまれなく、片目を外して放り投げていたかもしれない。義眼なので痛いのは懐くらいだが。

「ありぁと、えるぅ。」
「おうよ。」

ふにゃりと笑うナナシの目元の涙を、エルマーの無骨な指が優しく撫でる。
ここ数日で、ずいぶんと離れがたくなっている。庇護欲がそうさせるのか、はたまた一人の旅路に飽きたのか。理由は自分でもわからないが、その心をサジが知ったら、きっと誂ってくるのは間違いは無いだろう。

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