名無しの龍は愛されたい。

再びのドリアズ編

98

「ジジイ、アオモスキダッタ。アオイオハナナイカナー」
「あお……みずいろ、これはちがう？」
「ミズイロデモイイ」

慌ただしい朝食を終えてから、ナナシとギンイロは家の庭先でお花摘みである。
お手伝いで芋を潰していた時に、アリシアにお願いをしていたのだ。大切なひとにあげるお花を摘んでもいいかと。

アリシアは、ナナシのお願いを快く快諾してくれた。なのでこうしてギンイロと共に、チベットとスーマに手向ける花を選んでいる。
花の名前はわからないが、小さくて可愛らしいものが多かった。
ギンイロは花を踏みつけないように体を縮めて、背の高い花の中を泳ぐように動いている。器用に花の根元に噛みついて、ふんすと引き抜く姿は慣れたものだ。
根元の方は涎まみれにはなってしまうが、高さを整える時に切れば問題はなさそうだった。

「レイガンとアロンダート、おそとだいじょうぶかなあ。」

豊かな白いお花を抱きしめたナナシが、青い空を仰ぐ。その声色は少しばかし心配そうだ。
二人は、町の偵察に出ていた。もう魔物がいないかどうかを確かめに行ったのだ。本当はサジも行こうとしたのだが。腹の傷のこともあって今回はお留守番である。

二人が戻ってきたら、ナナシはエルマーとギンイロと一緒に、チベットとスーマのお墓を作りに行く約束をしていた。
抱きしめた花束に鼻先を突っ込む。ふわりと薫る花にゆるく尾を揺らすと、ナナシはくふんと微笑んだ。

「フニュフニュフニュ」

てしり、と柔らかな肉球がナナシの足に触れた。どうやらギンイロの分は摘み終えたらしい。口に沢山のお花を咥えたまま、ちょこんとおすわりをしてナナシを見上げていた。
ナナシは白、ギンイロは青。共にお花を摘みわけして、二人で一つの花束を作る。
ギンイロは口に咥えていた花のせいでうまく喋れなかったらしい。
気持ちのこもった花束は、二色合わさって実に爽やかな香りを放っていた。

「ギンイロ、たくさん！ふわあ、きれいね」
「ナナシモキレイ、オハナ、ヨロコブカナー」
「よろこぶ、サジにおねだりしよう。おはなげんきにしてっていおう」

向かう先は、軒先に椅子を置いてのんびりとしているサジの元である。お花を積んだら、サジが元気にしてくれると言ったのだ。己の騎獣兼恋人がいなくなって暇らしい。
お揃いの尾っぽを揺らしながら、両手に抱えた花束をサジの前へと差し出した。達成感が顔に現れている。そんなナナシとギンイロの様子を前に、サジは片眉をくいとあげて反応を示す。

「また随分と摘んできたものである。ほら、貸してみろ。」
「サジ、おなかへーき？ナナシ、ちゆできるよう？」
「なんの。アロンダートに魔力を分けてもらったからなあ。もういらぬ。あとは大気中の魔素を体が取り込むだけよ。光合成のようにな。」
「はわ、すごい」

コウゴウセイが何なのかはわからないが、サジが不遜な態度で言うものだから、きっとなにかすごいことなのだろう。
相変わらずなサジの自信家な発言に、頭の足りないナナシは毎度変な感動をする。実際は口だけなのだが、それを指摘するものはこの場にはいない。

花束は、サジによって裁ち鋏できれいに整えて貰った。根本に軽い治癒をかけると完成だ。これをすることで、花が持つらしい。
ナナシの知らないことを沢山知っているサジはすごい。羨望の眼差しを受け止めるサジは、どこか誇らしげである。
いつもよりも優しく頭を撫でられた。ナナシがキョトンとした顔で見上げると、サジは空を見上げていた。

「帰ってきたな。」
「はわ、レイガン、アロンダート！」

抜けるような青い空に、ポチリと浮かび上がった点がぐんぐんと近づいてくる。ナナシが二人に向かって手をふると、レイガンも手を上げて応えてくれた。
地べたを叩くようにして、大きな羽が羽ばたいた。花弁を散らして着地したアロンダートの背から、レイガンが飛び降りる。ナナシにはない運動神経を見せたレイガンの背後では、黒い霧を纏うようにしてアロンダートが転化を解いた。
褐色のふしばった手が、己のインベントリから獲物を取り出す。どうやら偵察がてら狩りもしたらしい。仕留めてきたのは野兎数匹だ。

「一宿一飯の恩に、肉を獲ってきた。」
「律儀よな。まあ、サジも薬草を生やしたが。」

ほれ、と細い指先が指し示したのは、ロンの畑の一角だ。小さな紫色の花をつけた見慣れない薬草を前に、ナナシが首を傾げる。
市場に出回らないそれは、身体機能を高める効能を持つ紫綬草だ。小さな紫色の花が萎んだら実をつけるので、その実を乾燥させ薬にする。サジなりの感謝の証らしい。

「紫綬草か、珍しいものをもっていたな。」
「インべントリの中で腐らせておくよりもいいだろう。」
「たしかにな。きっと喜ぶ。」

アロンダートの言葉に、気恥ずかしそうにする。前はもう少し意地悪だったのに、サジは変わった。ナナシはそんな二人の様子を見て、ゆるゆると尾を揺らす。
なんだか、とってもいい雰囲気だ。アロンダートとサジのやり取りを前にそんなことを思ったが、ナナシが大人しくする前にギンイロが盛大にくしゃみをした。

「ナナシ、イツイク。モウイキタイ、ギンイロハ、ハヤクイキタイ」
「わかった、えるよんでくるよう。ふたりでいくの、やだなんだって」

いい雰囲気など、ギンイロのマイペースの前では無意味なのだ。ちまこい前足をナナシの足に引っ掛けて、後ろ足だけで器用に立つ。
本性は大型の狼にも見えると言うのに、ピロピロとオッポを揺らす今の様子は猫のようにも見える。
そんなギンイロの催促に答えたのは、レイガンだった。

「町を一周したが、もう魔物はいなかった。ギルドから出てきた町人は何人かいたんだがな、まあ…」
「歓迎はされていない。ここのご家族に迷惑がかかる前に、早く出たほうがいいだろう。」

レイガンとアロンダートが、目配せのみで言葉を伏せたのは、町民から石を投げられたからだ。
しかし、言葉にはせずとも雰囲気からは何があったのかは受け取れた。ナナシはお耳へたらせると、悲しげな顔をする。

「悪いが、治るまではあまり早くは歩けぬ。もし街を出るなら、ギンイロに乗せてくれぬか。」
「イイヨ。」

ナナシの頭を撫でたサジが、空気を変えるようにして宣った。いつまでもここにいられるわけがないのは、サジだって理解している。例え不本意だとしても、恩を仇で返したくはない。

「僕でも構わないが。」
「アロンダートは怖がられるだろう。六脚の魔獣姿は流石にまずい。」
「テイムしたことにすればいいのでは。サジの私物を僕の首に巻くといい。」
「んと、ならくびわすればいいとおもう」

ナナシの提案に、アロンダートがにっこりと微笑む。どうやらギンイロといえど己以外の雄にサジを跨らせるのはいやらしい。ギンイロが雄かどうかは別としてだが。
魔獣の見た目をしていても、首輪をしていれば、視覚的にもテイムされたものだとわかりやすい。サジはいい顔はしなかったが、口を挟む気もなさそうだ。

「じゃあそれで、」
「何があ。」
「うわびっくりした。」

アロンダートがご機嫌に同意したのとほぼ同時に、屋根からエルマーが降りてきた。
どうやら一仕事していたらしい。シャツの腕を捲り上げ、金槌を片手にもち、もう一方の腕は板を小脇に抱えていた。
まるで大工のような出立だ。屋根の高さから平気で飛んだエルマーを前に、アロンダートとレイガンは呆れた目を向ける。

「君は、本当になんでもやるな……」
「んあ？あー、ちっくと直しただけだあ。だれだって出来らあ。」

どうやら金槌と釘は私物だったらしい。背負っていたインベントリ工具をしまうエルマーに、ナナシが手に持っていた花束も手渡す。何も聞かずにしまうあたり、エルマーの袋の中身はナナシの私物が比重を占めていそうである。

「もう出てったほうがいいな。町の奴らがここにいるの嗅ぎつけると、ロンたちに迷惑かけんだろ。」
「俺もそう思っていた。やはり、もう出立しよう。」

ロンの家は居心地がいい。けれど、それが当たり前ではダメなのだ。一宿一飯の恩義は、それぞれが己なりに返した。
頷くレイガンの横で、ナナシはその言葉に促されるように身なりを確かめる。
ルキーノの入ったポシェット、エルマーに買ってもらった外套、そして新たな装備である腹巻。
真剣な表情で己の持ち物を検分するナナシを真似て、足元ではギンイロも毛繕いを行なっていた。

別れの挨拶は、エルマーが代表して行なった。なんとなくそう言う流れになったのではなく、単純に余った板を返しに行くついでにだ。
ちょうど昼餉の準備をしていたらしいアリシアに、挨拶をする気軽さで出立することを伝える。突然の話に、面食らったように驚かれたが、それと同時に別れも惜しんでくれた。
祖母のマーチからも、もう少し滞在してはどうだとありがたい申し出は受けたが、これ以上長居をすると万が一が起きかねない。

「気持ちはすんげえありがてえんだけどよ。」
「なら、ちょっと待ってなさい。ね、まだそこにいてよ！」
「あ？お、おう。」

しっかりと念を押したマーチは、自室から布切れのようなものを持ってきた。見慣れないそれに、アロンダートが興味を示す。
マーチから手渡されたそれを受け取ると、エルマーは説明を求めるようにマーチへと視線を向けた。

「これは？」
「治癒術師がつくる、治癒布だよ。ちょっと、繊維に魔力がはいっていてね、切り傷くらいならこれを巻くだけで十分さ。」
「まじでか。」

なんだかとんでもないものを渡された。今やまともな治癒術師が少ない中、これは貴重なものである。
アロンダートはもともと繊維に関する特許を持っているせいか、興味津々と言わんばかりに食いついた。

「なんと素晴らしいものだろう。エルマー、後で僕にもよく見せてくれ。」
「てか、サジの腹巻いてやればいいんじゃねえか？ばーちゃん、これまた治癒術込めりゃつかえんの？」
「そりゃあ使えるよ、ただ難点といえば、治癒を込めてるから清潔魔法はかけられないんだ。だから手洗いとかになっちゃうんだけどねえ。」
「煮沸すりゃあなんでも消毒できんだろ。わりいなばーちゃん、こんないいもんもらっちまって。」

いいんだよ、使わなければただの布切れだからねえ。そう言って、ふくふくと笑うマーチは、受け取ってもらえたことが嬉しいとばかりに微笑んでいた。
アリシアも、道中の腹の足しにとパンに料理を挟んだものを作ってくれていた。手渡されたレイガンが、相変わらずの仏頂面を納めて恐縮するものだから、それが少しだけ面白い。

「送ってこうかあ？」
「いやいいよ、気楽に歩いてくさ。……アリシア、ちょっと構わねえか。」
「あら、なんでしょう。」

エルマーはというと、ロンの申出を遠慮した。よくしてもらった人達に火の粉が及ぶのを避けたかったのだ。
最後だからとナナシがアランを抱かせてもらっている側で、エルマーはアリシアを呼ぶ。ナナシに聞こえないようにコソコソと聞いたのは、妊娠中の番いに何をしてやるのがいいのか。という話だ。こういうことを聞く機会はないので、エルマーはずっとソワソワしていたようだ。
そんな様子に思うところがあったのか、アリシアはにんまりと微笑んで懇切丁寧に説明してくれた。最後はエルマーの背中をバン！と叩くのも忘れずにだ。

「愛されてるわぁ……」
「なんの話してたんだ？」
「秘密。」

うふふ、と笑うアリシアと、頭に疑問符を散りばめるロンを背後に、エルマー達は出立した。

ロンの家族は、最後まで気持ちの良い人たちだった。ナナシが途中何度も振り向きながら手を振るものだから、気がつけば揃いも揃って真似するように手を振った。
全くもって奇妙な光景だったろう、いい歳をした大人たちが呑気に手を振り別れを告げる。なかなかに悪くない心持ちではあったが。
ああいう人がいるだけで、心が救われる。
エルマーは口元に小さく微笑みを浮かべると、ナナシの頭を撫でるようにして引き寄せた。

「える？」
「生まれたら、子供見せに来いってよ。」
「はわ……、うん！」

エルマーの言葉に頬を染めると、ナナシは嬉しそうにはにかんだ。
今度は家族三人でおいでなさいな。そう言ってくれたアリシアには、また世話になりそうだなあと、なんとなく思った。








道中、投げかけられる視線が、先程の上向いた気持ちを下げさせる。
エルマー達は、アロンダートに騎乗したサジを囲むようにして歩いていた。

「ほら、昨日の……」
「聞こえたら殺されるだろ、あとでにしな。」

襲撃された町人達は、何も知らない。エルマー達も訂正することはなく、そういうものだと思って聞こえないふりをする。そのほうが、面倒くさくないのだ。
大通りを抜けて、鍛冶屋へと向かう。

ーあのう、大丈夫ですか？
「いい。きにすんな、もう慣れたぜ。」
ーはあ、いやしかし……時は流れても、人は変わらないのですね……

ルキーノの弱々しい声色に、ナナシは大きなお耳をしょんもりとさせてポシェットに触れる。
言葉の先を探らなくても、手にとるようにわかってしまう。それほどまでに、投げかけられる刺のある言葉は気を滅入らせる。
幸い、太々しい顔でサジがアロンダートに跨っているせいか、どこぞの貴族の一段だと勘違いをされているらしい。
昨日のように石を投げられるような直接的な嫌悪感は向けられはしないが、気分はあまり良くはない。

「ンワァ！」
「あ？」

鍛冶屋が目に入った途端、ギンイロが駆け出した。瓦礫の山になってしまった家には、チベットとスーマの体が残されている。その上に外套をかけてきたのですぐにわかると思ったのだが、鍛冶屋に着くと状況は一変していた。

「……うそだろ、」
「物盗りか。鍛冶屋だからな、金目の物があると思ったのだろう。町のものの仕業だ。」

エルマーの外套は、靴の跡で汚されていた。
倒れた棚から落ちた道具なども、一切なくなっている。命を失った家主を踏みつけ、不躾に荒らされた部屋の中。そんな現状を前に、エルマーは腑が煮えくりかえるようだった。
ここには、たくさんの想い出がある。チベットとスーマの家でもあり、エルマーがナナシに初めて贈り物をした特別な場所だ。

「こんな……、」

色を失ったエルマーの声は、微かに震えていた。
握りしめられた拳からは血が滲み、その怒りの程度を示している。

道中思い出話をしたのは、気持ちを切り替えるためだ。今は、荒らされた家を見て言葉を紡ぐことが出来ずにいる。
エルマーの手を握るナナシの手に、力が入った。ヒック、と喉を震わす声が聞こえて、ナナシの手がエルマーから離れた。
チベットとスーマのために拵えた花束を抱きしめたまま、ナナシはギンイロと共に覚束ない足取りで外套の前に歩み寄る。

「焼こう、弔ってやらねば。」
「ああ、」

震える小さな手のひらが、そっと外套に触れた。地べたに膝をついたナナシの小さな背中が、痛いほどの思いを伝播させる。
こんなの、二度殺されたようなものじゃないか。
エルマーは小さく息を吐き出すと、怒りを堪えるように木端を集め出す。早く、焼いてやらなきゃいけない。これ以上この場所を汚されないためにも。

チベットが使っていた机、倒れた棚の残骸、寝ていたであろう寝具、そしてスーマの小屋がわりの籠に、チベットの定位置だった木製の椅子。
共に生きた証をいくつも掻き集めて、弔う送り火を焚く。
炎は、アロンダートが点してくれた。
ゆらゆら揺れるオレンジ色の炎が、舐めるようにして全てを飲み込んでいく。

家を飲み込むほどに成長した炎を見て、通りかかった町人は迷惑そうに顔を歪める。

ギンイロはその体毛をオレンジ色に染めたまま、燃える炎を見つめていた。
エルマーとナナシ以外、ギンイロの家族のことを知らない。それでも、爆ぜる火の音が小さくなるまで共にいてくれた。

ー祈っても、よろしいですか。

ルキーノが言った。魂だけのものに祈りなどと、笑うようなものはそこにはいない。できることをしようとしてくれたその申し出が、エルマーはただありがたかった。

「頼むわ。俺は頭悪いから、こんな時なんて言ったらいいかわかんねえんだ。」
「ナナシも、いのりたい」
ー私にはこれくらいしかできませんから……

ルキーノは魂を震わせると、ゆっくりと言葉を紡いだ。鎮魂の祈りは滑らかな声によって歌になり、ゆっくりとその空間に染みていく。
肉体から離れても、いつの世か再び巡り合いますように。
偲ぶ者がいる、ここには悲しむものもいる。死は孤独だけど、終わりではない。
いつか巡る輪廻の旅路を、どうか安らかに迎えられますように。

やがて炎は燻る程度になった。生まれ変わって店を構える時に、看板がなくちゃいけないだろう。エルマーはそう言って、白い欠片とと共に土に埋める。
焼けこげた土の上、目印のように添えられた花束。墓標を作らなかったのは、ギンイロがこの場所を覚えているからだ。

きゅうんと甘えた鼻を鳴らすギンイロの毛並みを、整えるように撫でてやる。
また来る、全部落ち着いたら、もっといい場所に墓を立てよう。エルマーはギンイロの頭をわしりと撫でてやると、チベットとスーマの家から背を向けた。

「さて、ずらかるかあ。」
「とんずら？」
「そーそー、とんずら。」

湿っぽいのはいけない。いつまでも悲しんでいたら、丸い顔を真っ赤にしたチベットが文句を言うに違いない。
引き寄せたナナシの肩を抱くと、エルマーはいつもの声色で宣った。

「カストールにゃあ、船か。」
「おふね、びんにはいってるやつ？ロンのいえにあったよう」
「おう、あれの倍でけえやつ。」
「海の上に浮いている家のようなものだと思えばいい。」
「はわ、レイガンものしり……」
ー昔と今じゃ、ちがうんでしょうねえ
「今のほうがすごいぞ。たぶんな。」

他愛のない話をしながら、ドリアズを抜ける。
きっと、この先も平穏とは程遠いことが起こるだろう。エルマーもナナシも、ここにいる仲間たちは引き返せないのだ。
足跡を辿るように近づいてくる悪意の形から、決して目を逸らしてはいけない。逃げてはいけない。
前を向いて今を生きることが、希望を捨てないことになるのだから。