恋のドライブは王様と

桜木小鳥

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1巻

1-2

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 だから、翌日に彼がこなかったときは、みんなに呆れられるくらいがっかりした。名前も知らない彼の顔を見られないだけで、こんなに寂しい気持ちになるなんて……
 それから数日開けて、また彼がきた。それはドアがチャイムと共に開いたとき、なぜか顔を上げる前にわかってしまった。だから今回は彼の顔を見た瞬間、

「こんにちは!」

 と声を出して挨拶あいさつしてみた。すると彼の目がわたしに止まり、軽く頭が下がった気がした。あのキレイな目がわたしを見て、少し微笑んでくれたような気さえする。
 彼がわたしを見た! そう思っただけでわたしの心は舞い上がり、いつまでも宙をふわふわとただよう。

「一花、見てもいいから、せめて仕事はしてくれ」

 祥吾くんから諦めたような声で言われたけど、許可をもらったのでしっかり盗み見しつつ洗い物をする。
 彼は今日も素敵だ。一分のすきもないクールな外見。目を離すことのできない顔立ち。見るたびにわたしの胸のドキドキは大きくなる。この歳になって、本物の王子様に恋をする日がくるなんて……。大地に言ったら大笑いされそうだけど、このトキメキは止められないのだ。

「ああもう、なんだかわたしまで恥ずかしくなってきたわ」

 飽きもせずに奥のテーブルをこっそり見ているわたしの前で、小春ママが呆れ顔で言った。

「えっ? なに?」
「もう思い切って告白したら? というより、告白しちゃいなさい!」

 言うなりわたしの顔をビシッと指さした。

「ええっ」
「命短し、恋せよ乙女。一花ちゃんは、そういう生き方を選んだのよね?」

 確かにあの日、あの透き通るような青空を見ながら、〝今〟を全力で生きると決めた。後悔しない生き方をする、と。決めたけど、それと恋愛は違うような……

「同じよ」

 小春ママがズバリと言う。
 あら、わたし声に出してたかしら?

「いい? 恋愛にはタイミングってものがあるのよ。それを逃したら、チャンスは二度と訪れないの。それに女は度胸と愛嬌あいきょうよ。一花ちゃんは元々愛嬌はあるんだから、あとは度胸だけよ。当たってくだけてきなさい」
「……振られること前提なんだ」

 隣で珈琲コーヒーれていた祥吾くんがぽつりと言った。
 確かに、褒められているのか、けなされているのか微妙なところだ。でも告白するなんて考えてもみなかった。だって、見ているだけで満足なんだから。

「振られたらそれまで。次にいけばいいのよ、次にいけば。彼氏がほしいんでしょ。いい? 一花ちゃん。女は恋をすればするだけ、キレイになるのよ」

 わたしの目をじーっと見つめて小春ママが言った。相変わらず、すっぴんの彼女の肌は透けるようにキレイだ。

「小春ママもたくさん恋をしたの?」
「当然でしょ」

 ばっちり二重の目で見つめられると、なんだか告白出来る気がしてきた。

「洗脳されてるな」

 少し遠くで祥吾くんの呆れた声が聞こえる。すると、ずっと黙っていた中山サンがやけに冷静に言った。

「まあとりあえず練習でもしてみたら?」
「練習?」
「一花ちゃんは本番に弱そうだから」
「とりあえずこっちにきなさい」

 小春ママにちょいちょいと呼ばれ、カウンターから出て彼らの前に立った。

「はい、どうぞ」

 どうぞと言われても……。まあ練習なんだから何でもいいか。それに、告白を躊躇ちゅうちょして、もし後悔することになったら絶対に嫌だ。

「えーっと。じゃあ……はじめて見たときに、人生初の一目惚れをしちゃいました。す、好きです、つきあってください!」

 言うと同時に頭を下げる。どうなの? こんなものなの? 店内はなぜかシーンとしていて……そして誰かの息を呑む声が聞こえた。
 ふと顔を上げると、なんとわたしの目の前に王子様が立っていたのだ。
 えっ、ええっ!?

「それは本当か?」

 低い声が耳をくすぐる。間近で見る彼は、まるで後光が差しているかのように神々こうごうしい。思わずぶんぶんと大きく頷いてしまった。

「よしわかった。ではつきあってやろう」
「……えーっっっ!!」

 わたしと同じタイミングで叫んだのは小春ママだった。どうして一緒に驚くかな。

「ほ、本当ですか!? わ、わたしのこと何も知らないのに?」

 ほんの数回お店にきただけ。ほんの数えるほど目が合っただけ。言葉を交わしたことなんてほとんどない。それなのに……。彼を見上げてそう言うと、彼はうっとりしてしまうほど優雅に微笑んだ。

「俺に二言はない」

 ハッキリ聞こえた彼の声。それはもう疑いようがない。

「う、うそみたい。でも……それでも嬉しい!!」

 喜びを隠せずみんなの方を振り返ったら、そこに居た全員が微妙な顔をしていた。

「……なんでそんな顔してるの? 喜んでくれてもいいのに」
「いや、まあなんと言うか……」

 小春ママも珍しく歯切れが悪い。勧めたのはママなのに、わたしの恋が成就じょうじゅしたわりにはお祝い感がまったくないんだけど。とにかく改めて彼を振り返り、そのキレイな顔を見上げた。

「わたし、富樫一花、二十五歳です」
西城さいじょう暁人あきと、二十七だ」
「じゃあ……暁人くんって呼んでいい?」
「……特別に許してやろう」

 暁人くんがニヤリと笑った。その顔は、今まで思っていた王子様像とは少し違う気がする。一瞬アレ? と思ったけれど、舞い上がっているわたしには些細ささいなことに思えた。

「では今日はこれで。またな、一花」

 そう言うと、サッと手を上げて暁人くんは店を出ていった。堂々としたその姿は、王子様というより王様っぽい気がする。
 西城暁人。わたしの、たった今出来た恋人の名前だ。なんて素敵な名前なの! 嬉しさがどんどん込み上げてきて、大声で叫び出してしまいそうだ。
 頭の中をお花畑にしていたわたしは、他の人のことまで気が回らなかった。

「橘さん、ちょっと」
「お、俺のせいじゃないってっ」

 祥吾くんが妙に冷静な顔で六ちゃんをカウンターの奥へ連れていったことも、アタフタする六ちゃんを小春ママと中山サンがちょっと哀れんだ目で見ていたことも、全然知らなかった。



    3


「おっはよーございます」

 カフェの裏側にある従業員用のドアを勢いよく開けると、祥吾くんはすでに店内にいた。

「おはよう、一花」
「おはよう、祥吾くん」

 小さなロッカーに荷物を入れ、エプロンをつけて朝の掃除に取り掛かった。祥吾くんはキッチン、わたしはホールの担当だ。
 窓を全部開けて空気の入れ替えをして、モップで床のほこりを集め、テーブルの上や椅子の座面も消毒をしながらいていく。一番奥のテーブルは、さらに気合を入れてみがいた。なにせ、つい最近わたしの恋人になった暁人くんの指定席なのだから。でもそこにはかならず六ちゃんもいるので、微妙といえば微妙だけれど。

「……グフフ。暁人くん、今日はくるかなぁ」

 おつきあいが始まってまだ一週間も経っていない。その間に暁人くんに会えたのはたったの二回。そのどちらも六ちゃんを訪ねてきたついでにちょっとお話しするという感じで、イマイチ恋人らしい雰囲気にはなれていなかった。
 せめてメールアドレスだけでも知っていれば……と思うけれど、聞くタイミングがつかめないし、相変わらず六ちゃんは守秘義務だって言って何も教えてくれない。

「今日もし会えたら、思い切って聞いてみようっと」

 店の中を眺めて椅子とテーブルを整え、それぞれに小さな花を飾った。お花は祥吾くんが数日置きに買ってくる。お花を活けている花瓶もただの瓶じゃなくて、少しレトロなガラス瓶に、レースや端切れで装飾して、内装と合わせている。これは祥吾くんのお手製だ。水上の家の祥吾くんの部屋は、これでもかっていうほどシンプルなのに。どうしてこんなに違うんだろう。

「一花、終わったらこっち手伝って」
「はーい」

 そのうちに、開店時間になる。入口の鍵を開け、表側のドアノブに掛かっているプレートを「OPEN」にしたとき――

「おはよう、一花ちゃん」

 呆れてしまうくらいだらしない格好の六ちゃんがそこにいた。いつもこんな風だけど、今は天使のように見えるから、恋愛の力ってたいしたもんだ。

「おはよー、六ちゃん。今日は暁人くんと会う?」

 ズバリ聞けば、一瞬六ちゃんの目が泳ぐ。当たりだ。守秘義務で教えられないのはわかるけど、不意をつけばちょいちょい顔に出るのよね。

「やったー。今日は会えるーっ」

 上機嫌で店の中に入ると、六ちゃんも後に続いた。

「俺は何も言ってないからな」

 誰に向けて言っているのか、言い訳じみた六ちゃんの声が耳に入った。
 お店がいつもより繁盛はんじょうしていたせいか、あっという間にランチの時間を過ぎて午後になっていた。

「今日はまた一段とご機嫌ね、一花ちゃん」

 ランチを食べ終え、のんびりと珈琲コーヒーを飲んでいた小春ママが、洗い物をしているわたしの顔を見て言った。

「例の彼と進展したの?」
「んー、今日こそメアドを聞こうとは思ってるよ」
「……まだ知らなかったの?」

 小春ママは呆れ顔だ。隣に座っている中山サンも驚いた顔をしている。

「だって、タイミングがつかめなかったんだもん」

 洗ったグラスをき拭き、少しいじけた目で二人を見てしまう。

「まあ、確かにここでしか会えないんだもんねぇ」

 頬杖をつきながら小春ママが言った。
 そのとき、入り口の扉がチャイムの音と共に開いた。わたしの心臓が一気に跳ね上がり、顔を上げたその先にはやっぱり暁人くんがいた。

「暁人くん! いらっしゃい」

 暁人くんが片手を上げた。それと同時に突っ伏したままだった六ちゃんがむくりと起き上がって、奥の席に移動する。暁人くんもそれに続く。
 奥の席でこそこそと密談する二人の姿は、段々見慣れた光景になってきた。そしていつものように三十分程度で話を切り上げ、暁人くんが立ち上がってこっちにきた。
 メアドをゲットするには今しかない。よし、いくぜ!! 
 チャンスとばかりにカウンターから飛び出し、暁人くんの前に立ちふさがる。

「暁人くん、メアド交換して!」
「悩んでいたわりにはストレートだなぁ」

 小さなつぶやきが中山サンから聞こえたけど、無視だ、無視。

「ああ、まだ教えていなかったか。悪かったな」

 暁人くんはそう言うと、スーツのポケットからスマートフォンを取り出した。

「赤外線でいいか?」
「うんっ。じゃあわたしが受信する」

 暁人くんがスマホをささっと操作すると、あっという間にわたしのスマホに彼のアドレスが送られてきた。

「今晩、メールしていい?」
「ああ。いつでもいいぞ」

 暁人くんはそう言うと、颯爽さっそうとカフェを出ていった。後ろ姿を見送った後、わたしのスマホの電話帳を見ると、サ行の一番最初に〝西城暁人〟の名前とアドレスがあった。

「グフフフフフ……」

 込み上げてくる笑いが止まらない。

「一花、気持ち悪いからやめなさい」

 祥吾くんの冷静な声も、今のわたしには効果がない。嬉しさで心が跳ねるように踊っているのが自分でも良くわかる。たったひとつのメールアドレス。でも、わたしには特別なアドレスだ。

「メアドひとつでこれだけ喜べるなんて、一花ちゃんって本当に純真なのねぇ」
「小春さんにもこんなときがあったでしょ。相当昔に。……ギャッ!」

 六ちゃんが叫び声を上げて足を押さえているのを横目に見ながら、わたしはスマホをぎゅっと握り締めた。


 仕事を終えて自分の家に帰ったときには、すでに夜の九時を回っていた。
 部屋に入るとすぐにお風呂に直行する。まだ五月とはいえ、朝から晩まで働くと結構汗をかくので、シャワーを浴びたくて仕方がない。
 ワンルームのこの部屋には少し狭いユニットバスしかない。服を脱いで、熱いシャワーを頭から浴びながらついでに化粧を落とす。全身を洗って、ようやくスッキリしてお風呂場を出た。バスタオルでささっといて、部屋着に着替える。
 それから鞄の中からスマホを取り出し、部屋の真ん中に置いてある小さなテーブルの上に置いた。ついでにコンビニの袋からシュークリームを出して、袋を開けて一口かじる。

「うまし。風呂上がりのシュークリームは最高だわ」

 鼻歌を歌いながら、スマホのメールの新規画面を表示した。恋人への一番最初のメール。なんて書こうか、メアドをもらった瞬間からずっと考えていた。
 過去の恋愛を思い返してみたけど、一番最初にどんな内容を書いたか思い出せない。きっと他愛ないことなんだろう。
 告白をしたくせに、わたしは暁人くんのことを何も知らない。なぜか告白を受け入れてくれた暁人くんもきっと、わたしのことを何も知らない。でも、知らないなら、知ってもらえばいいんだ。

〝こんばんは。一花です。今日はメアドを教えてくれてありがとう。ちょっとドキドキだけど、早速メールしてみました。わたしは朝から八時過ぎまでびっちりと働き、今さっきようやく家に帰ってきたところです。そうそう、暁人くんはお店では珈琲コーヒーしか飲んでないけど、うちはランチもパンケーキもすごく美味おいしいので、今度ぜひ食べてね。暁人くんは今日はどんな一日を過ごしましたか? それともまだお仕事中? からだに気をつけて頑張ってください〟

 こんな感じ? なんか業務連絡みたいだけど……。まあいいか、と暁人くんのアドレスを入れて送信ボタンを押した。
 テレビのお笑い番組を見ながらドライヤーで髪を乾かしていたら、テーブルの上に置いてあったスマホが震えた。急いでドライヤーを止め確認すると、そこには〝西城暁人〟の文字。

「やったー!」
〝まだ仕事中だがもうすぐ終わる。今日も忙しかった。 暁人〟

 ……これだけ? 
 いや、でもまだ仕事中だもん、当然と言えば当然。返事をもらえただけでも良しとしよう。

〝お返事ありがとう。お仕事、あともうちょっと頑張ってね。 一花〟

 それだけ打って送信した。
 そうだ。記念すべき暁人くんからの最初のメールだから、消えないように保存しとこ。いや、その前に暁人くん専用フォルダを作らないと。わたしは暁人くん用の受信フォルダを作り、最初のメールをそこに保存した。それからもう一度、読み返す。
 少し……いや、かなり素っ気ないけど、それでも忙しい中、送ってくれたメールだ。嬉しくてたまらない。本当に恋愛ってすごい。ほんの些細ささいなことでこんなに幸せな気持ちになるなんて。
 もうそろそろ仕事は終わったのかしら? そもそも、暁人くんの仕事って何だろう。
 わたしは都心のど真ん中のカフェで何年も仕事をしているから、お客さんとして、色々な人を見ている。だから、暁人くんが普通のサラリーマンとは少し違うんだろうなとは、はじめて見たときから思っていた。
 次に会ったら聞いてみよっと。
 グフフ……。ウキウキして、楽しくて仕方がない。幸せな気分のまま歯みがきをして、そして幸せな気分のまま眠りについた。


 翌朝目が覚めたときも、その気分はまったく失われていなかった。鼻歌を歌いながら支度をして、いつもの電車に乗ってカフェに向かう。

「ご機嫌だね、一花」

 呆れ顔の祥吾くんもなんのその。気分よく掃除をして開店時間を迎えた。いつもの時間に六ちゃんと小春ママが現れたから、満面の笑みでお迎えしたのに、思いっきり呆れた顔をされてしまう。

「一花ちゃんの頭の中は満開ね」

 何がとは言わず、小春ママはあっさりわたしの状況を表現した。

「ふふーん。昨日ね、暁人くんからメールがきたの」
「へえ。見せてよ」

 仕事中だし……と思いながら祥吾くんの顔をちらりと見ると、呆れながらも頷いてくれたので、エプロンのポケットに入れてあるスマホを取り出した。メールの受信ボックスから、暁人くん専用フォルダを選ぶ。それを見るだけで、嬉しさが込み上げてくる。

「グフフフ」
「一花、その顔は気持ち悪いからやめなさい」

 祥吾くんの冷たい声を聞き流し、暁人くんからのメールを小春ママに見せた。

「……これだけ?」
「うん」
「ちょっと、一花ちゃん、どんなメールを送ったの?」

 と、小春ママがわたしのスマホを奪った。

「ちょっとお、勝手に見ないで下さいよ」
「なにやってるの?」

 取り返そうと身を乗り出したとき、中山サンがやってきてわたしのスマホを覗き込んだ。

「もうっ。みんなで見ないでよ」

 手を伸ばしても届かない。しばらくしてようやく返してくれたけど、二人の顔はまさに呆れ顔だった。

「もし別れるとき、慰謝料を請求するなら手伝ってあげるよ」
「縁起でもないこと言わないで」

 さらりと言った中山サンの言葉に反論しつつ、わたしは戻ってきたスマホを胸にギュッと抱きしめる。

「いまどき中学生だってもうちょっと色っぽいメールを送るわよ。一花ちゃんの恋愛経験値が異様に低すぎるのか、相手が相当手強いのか……。まあ両方かもね」

 恋愛経験値が低いのは自分でもわかってるから、小春ママに返す言葉もない。言いよどんでいるわたしに、小春ママはものすごくあやしい目を向けた。

「わたしがつちかってきた恋愛の手練手管てれんてくだのすべてを、一花ちゃんに伝授してあげてもいいわよ」
「ほ、本当に!?」
「やめときなさい!」

 わたしの声と、三人の男性の声が重なった。祥吾くんと六ちゃんと中山サンが呆れ顔でわたしを見ている。

「小春さん、一花がもっと変になったら困るからそれだけはやめといて」

 祥吾くんがそう言うと、小春ママが肩をすくめた。なんだかんだ言って、かなり個性的なこの常連客も祥吾くんには逆らわない。小春ママはそのまま中山サンと世間話を始めてしまった。
 あーあ、興味あったのになぁ。小春ママの恋愛手練手管てれんてくだ
 さて、と気合いを入れなおし真面目に仕事をしようと思ったそのとき、店の扉が開いた。入ってきたのは暁人くんだった。

「暁人くん!! いらっしゃいっ」

 思わずカウンターから飛び出す。後ろから、祥吾くんの冷たい視線を感じた気がしたけど、自分でも止められないのだから仕方がない。

「昨日はメールありがとう」

 奥の席に案内しながら言うと、暁人くんが「ああ」とつぶやいた。席に座った暁人くんの隣に立ったわたしは、さっき小春ママから言われたことを思い出してたずねた。

「ねえ、暁人くん。もっと色気のあるメールを送った方がいい?」

 暁人くんがやけにゆっくりとした動きでわたしを見上げた。何を考えているのか、まったくわからない顔だ。

「……色気のあるメールとは、どんなメールだ?」
「さあ、わかんない」

 思わず肩をすくめて見せると、暁人くんが少し首を傾げて何かを考えている。

「……いや、今のままでいい。なかなか興味深いから」

 そう言うと、暁人くんは一人頷いた。

「ありがとう!」

 ほら、別に間違ってなかったじゃない。

「じゃあ、これからも毎日メールしていい?」

 暁人くんに向き直って聞いてみると、すぐに頷いてくれた。

「ああ、いつでも送ってくれ。可能な限り返事をしよう」
「ありがとう! 絶対にメールするね」

 思わず踊り出しそうな気分になりつつ、カウンターに戻った。祥吾くん達は変な顔をしていたけれど、気にしていられない。今のわたしは最高に幸せなのだ。
 この幸せをみんなに分けてあげたいけれど、なぜか誰もわたしと目を合わせてくれなかった。



    4


 約束通り、暁人くんとのメールのやりとりは毎日続いた。初日からほぼ変わらないわたしの業務連絡みたいなメールに、暁人くんからは一言メッセージが返ってくる。内容は〝疲れた〟と〝忙しい〟が半々くらい。それでも返事をくれる暁人くんに感動していたけれど、小春ママにはもっと色気を出せと毎日言われてる。
 だいたいメールにどうやって色気を入れるのかわからない。思い切ってハートの絵文字を入れてみたけど、暁人くんから、

〝この下駄のようなマークはなんだ?〟

 と返事がきてしまった。どうやら機種が違うせいでうまく表示されなかったらしい。
 なのでそれ以来、絵文字は使っていない。暁人くんだってこれでいいと言っているのだし、わたしも今のままで十分に幸せなのだ。
 そんなことを続けていたある日、はじめて暁人くんのほうからメールがきた。時間は朝の十時を少し過ぎたところで、店内にはまだ六ちゃんしかいない。

「暁人くんからだ!!」

 思わず叫ぶと、カウンターに突っ伏して寝ていた六ちゃんが顔を上げた。

「祥吾くん、ごめんっ」

 一応仕事中だから、祥吾くんに一声かけてからメールを開く。

珈琲コーヒーが飲みたい。今から会社に届けてくれ〟

 思わず声に出して読んでしまった。いつものようにちょっと素っ気ない言葉。その後に、会社の住所と会社名が書かれている。それは、ここから歩いて十分ほどの所にある大きなビルだ。
 西城グループ本社ビル。西城グループと言えば誰もが知っている大きな企業だ。西城……西城!?

「な、なんと! 暁人くんってもしかして社長さんなの!?」

 思わずのけ反ったわたしを、祥吾くんが冷めた目で見る。

「一花はもっといろいろ勉強した方がいいよ。今作るから持っていきなさい」
「え? 今までデリバリーなんてしたことなかったじゃない?」

 もう何年もこの店で働いているけれど、そんなこと一度もやったことはない。

「頼まれたことがなかっただけで、やってないとは言ってないよ。宣伝もしてないけど」

 そうさらりと言った祥吾くんが、棚の奥の方から紙製のカップとふたを取り出した。よくファストフードで見るアレだ。

「そんなのまであったの!?」
「だから、やってないとは言ってないって」

 さっさと準備を進める祥吾くんはそれ以上何も言わなかった。とりあえずわたしは出かける準備をすることにした。
 おっと、その前に返信しなきゃ。

〝暁人くん、こんにちは。珈琲コーヒーの件、了解です。今作っているので、二十分以内には届けます〟

 斜めがけに出来る小さな鞄にお財布とスマホを入れて裏の休憩室から戻ると、茶色いシンプルな紙袋がカウンターに置かれていた。

「一応転倒防止の緩衝材かんしょうざいを入れてあるけど、こぼさないように気をつけて持っていくんだよ」

 すでに袋口が折り曲げてあるから中は見えないけれど、持ち上げて底を支えると結構熱い。

「じゃあいってきます」
「気をつけろよー」

 カウンターから手を振ったのは六ちゃんだ。まったく、どいつもこいつも、わたしを子ども扱いして。はじめてのお使いじゃないんだから……いや、カフェとしてははじめてか。
 店を出ると、青空が広がっていた。スマホでマップを見ながらビルの間をてくてくと歩く。
 暑くなってきたので、街路樹の影を選んで歩くこと数分。目的のビルが見えてきた。オフィスビルというより、大きな商業施設のようだ。正面玄関前には車の入れるロータリーがあり、たくさんのビジネスマンが出入りしている。
 そっか、実際に見るまで実感がなかったけど、暁人くんはこんなに大きな会社の社長さんだったんだ。あの王子様というか王様のような雰囲気もこれなら納得がいく。
 忙しそうな人達の間を、カジュアルな服にカフェのエプロン姿で歩いている自分は、まさに場違いとしか言いようがない。でも、これもわたしの仕事だ。
 よしと勢い込んで正面玄関から入った。高い吹き抜けとガラス張りのホールは想像以上にだだっ広くて、まるで外国の高級ホテル(といってもいったことはないけど)のロビーみたいだった。
 目の前には総合受付と書かれたカウンターがあって、いかにも受付嬢って感じの若いキレイな女性が二人座っている。

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