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1巻
1-3
「あの、『ブランシュ』の富樫です。西城暁人さんから頼まれて珈琲を届けにきました」
そう告げたわたしに、受付の女の子がにこりと笑った。
「うかがっております。恐れ入りますが、この先にある一番奥のエレベーターホールにお進み下さい。そこにまた案内の者がおりますので」
彼女はそう言いながら手で方向を示した。長い通路の奥に確かにエレベーターが見える。
「ありがとうございます」
お礼を言って、奥に向かう。真っ白な壁とグレーの絨毯。途中に扉はほとんどなく、誰も歩いていない。若干不安に駆られながら、最奥のエレベーターホールへたどり着いた。するとそこにまた小ぶりの受付カウンターがあり、今度は若い男の人が座っていた。
「富樫様ですね。西城は最上階におります」
わたしの顔を見るなり立ち上がると、エレベーターのボタンを押して扉を開けてくれた。
「あ、ありがとうございます」
丁寧にお辞儀をしてくれたので、こちらも慌てて頭を下げた。乗り込んだエレベーターはこれまで見た中で一番豪華だ。言われた通り最上階のボタンを押すと、ゆっくりと動き出した。
暁人くんって、本当にすごい会社の社長さんなんだ。知らなかったとはいえ、なんだか違う意味でドキドキしてきた。エレベーターの階を表す数字はどんどん上がっている。あーどうしよう。緊張なんて滅多にしないのに。
まだ熱い紙袋をぎゅっと抱え込むと同時に、エレベーターがスッと止まった。音もなく扉が開き、目の前には奥までまっすぐに伸びる廊下が見える。恐る恐る足を出すと、出たところにまた別の男性が居た。驚きのあまり思わず飛び上がりそうになる。
「お待ちしておりました。このまま一番奥の扉までお進み下さい」
また丁寧にお辞儀をされ、こっちもペコペコしながら廊下を進んだ。廊下の一番奥に扉があって、その前にまた人が立っているのが見える。って、一応見えるのだけど、実のところ遠すぎてよくわからない。廊下の片側はすべて窓。まわりのビル群が一望出来て、この建物がどれだけ高いのかがよくわかる。
反対側の白い壁には所々に絵画が飾られていて、まるで美術館のよう。そしてここもまた他の扉が見当たらない。本当にこの先に暁人くんが居るのか不安になってくる。
ようやく奥の扉がはっきりと見える場所まできた。まるで映画に出てくるみたいな、真っ黒なサングラスと真っ黒のスーツを着た屈強な男の人が扉の前に居る。わかりやすいくらいにわかりやすい。これがSPというヤツね。
ようやくたどり着いたわたしにその人はスッとお辞儀をして、無言のまま扉を開けてくれた。
「ありがとうございます」
ここにきてからずっとペコペコしているから、そろそろ首が疲れてきた。
扉をくぐると、そこには応接間のような広い空間があった。十名くらい人が居て、半分はさっきの人と同じ黒ずくめのSPで、部屋の隅や壁沿いに立っている。残りの人達は普通のスーツ姿だ。社員の人らしく、ソファに座っていた。
SPの人達が一斉にこっちを向いたので、思わず後ずさってしまう。部屋の中は、わたしでもわかるくらいピリピリとした緊張感が漂っていた。
どうしたものかと考えていると、部屋のさらに奥の扉が開いた。そこから少し慌てた様子で数人の男の人が飛び出してくる。
「十分以内にすべて持ってこい」
奥の部屋から聞こえてくるのは暁人くんの声だ。居てくれて良かったと思いつつ、その声のあまりの鋭さに驚く。
「次!」
また鋭い声が飛んだ。部屋に居た別の社員達が泣きそうになりながら、奥の部屋に入っていく。
突っ立ったままでいるのもどうかと思ったので、すぐ横に居た黒ずくめの男性を見上げて声を掛けた。
「あのー……」
「すみません、もう少しお待ちください」
かなりの高さから見下ろしてきた彼に、低い声でそう言われた。
「あー、はい」
扉の向こうからは暁人くんのビシビシした声がかすかに聞こえてくる。……なんか、怖い。王子様って言うより、本当に王様か絶対君主みたいだ。でも、こんなに大きな会社の社長さんならこんなものなの? そう思っていたらまた扉が開いた。そして、さっき入っていった男の人達が、ふらふらと出てきた。十歳くらい歳をとったかのように、明らかに疲弊している。
わー、まるで妖怪製造部屋だ。
「お待たせしました。どうぞ」
真横で聞こえた低い声に、思わずびくりとする。次はわたしの番なの!? ただ珈琲を届けにきただけなのに、こんなに緊張するなんて……
促されて、部屋中の人間にジロジロ見られながら扉をノックした。
「入れ」
暁人くんの声だ。扉をそっと開けると、まず真正面の大きな窓の向こうに空が見えた。その手前には大きな机があって、暁人くんが座って書類を読んでいる。ここにも少し小ぶりのソファセットが置いてあるけれど、ここはさっきの部屋よりもずっと狭い。
SPの人が一人と、スーツ姿の男性が数人、机のまわりに立っていて、その全員がわたしを見ていた。
「こ、こんにちはー」
声を出すと、暁人くんが顔を上げた。
「ああ、一花か。ご苦労だったな」
暁人くんが書類を置いて手招きした。机を回り込んでそばまでいき、持ってきた紙袋を渡す。
「はい、珈琲」
「ありがとう」
そう言って紙袋を受け取った暁人くんは、中をのぞいて珈琲のカップを取り出し、机の上に置いた。大きな机の上にはたくさんの書類があって、企画書やら計画書やらの文字が見える。
「暁人くんって、社長さんだったの? 全然知らなかったよ」
カップの蓋を開けて珈琲を飲んでいる暁人くんにそう言ったとき、すぐそばで咳払いが聞こえた。目をやると、一人の若い男の人が苦虫を噛み潰したような顔でわたしを見ていた。
「失礼な。暁人様は総帥です」
その言葉の後に鼻を鳴らす音が続かないのが不思議なくらい、嫌味っぽい言い方だった。
わー、この人、びっくりするくらい意地悪そう。でも、今なんて言った?
「ぞ、雑炊?」
「総帥です」
「ああ、じゃああれだ、ソー……スウィーーー」
「そ・う・す・い!! 総帥です!」
わー。マジ切れした。
「なんなんですかっ、このおかしな女は!?」
その人はプリプリと怒って暁人くんを見た。暁人くんは聞いていないのか、珈琲を飲みながら紙袋の中をじっと見ている。
「暁人くんの恋人です」
代わりにそう言うと、その男がものすごく驚いた顔をした。えー、なにこの反応。
「じょ、冗談もいい加減にしなさい!」
若い男はさらに怒りを増したらしい。
「冗談じゃないもん。だよね!? 暁人くん!」
後ろに回り込み、暁人くんの肩に手を置いて覗き込むと、暁人くんがわたしを見てニヤリと笑った。
「まあ、しいて言えばな」
「しいて言わなくても恋人です!!」
もう、暁人くんまでっ。
見知らぬ男ならともかく、暁人くんにまで言われるのはちょっとむかつく。つきあってくれるって言ったのに!!
わたしがプリプリと怒りながら帰ろうとしたら、背後で暁人くんの笑い声が聞こえた。
「また頼むぞ。一花」
笑い混じりの声に振り返り、手だけを振って部屋を出ると、今度は黒ずくめの男の人達がじっとわたしを見ていた。さっきまであった緊張感は消えているようだ。
「お邪魔様でした」
それだけ言って、入口に立っていたSPの人にも挨拶をして、競歩みたいな速さでエレベーターまで歩いた。次は絶対に走ってやる。
その後もいろんな人にペコペコ頭をさげながら、わたしは暁人くんの会社を出た。むかつくのはあの部屋に居たあの若い男だけで、他の人はみんな親切だった。
それにしても、この会社に居るときの暁人くんは、まるで過剰包装されたプレゼントのようだ。本人にたどり着くのがこんなに大変なんて。総帥か……。どういう意味だったっけ? 社長よりも偉いってことだろうけど。帰ったら祥吾くんに聞いてみよう。
ぶらぶらと歩いてカフェに戻り、ドアを開けたらカウンターに座っていたいつものメンバーが一斉にわたしを見た。
「ただいまー」
とりあえず好奇心いっぱいな視線は無視だ、無視。奥のロッカーに鞄を仕舞う。と、そこで、珈琲代をもらってこなかったことに気がついた。
「あー、ごめんっ祥吾くん。お金もらうの忘れちゃった!」
ランチの用意を一人でしていた祥吾くんの手伝いを始めながら言う。
「ああ、橘さんのツケにしとくからいいよ」
目の前にいた六ちゃんがむせた。これまで暁人くんとの打ち合わせ代は全部六ちゃんのツケだけど、今回もそれでいいのかしら?
少し疑問に思っていたわたしに、今度はランチプレートのフォークを振った小春ママが妖しく笑う。
「一花ちゃーん。お姉さん達にお話があるでしょ?」
「話って?」
「あなたの王子様の会社訪問よ」
小春ママにとぼけた態度は通用しないようだ。思いっきりストレートに切り込まれてしまった。
「すーーーっごい、大きかった」
お皿を洗いながらそう言うと、彼らがうんうんと頷いている。
「天下の西城グループの本社ビルだもん。それはわかりきってるからいいわよ」
えっ、いいの? わたし、一番驚いたんだけど……。と、言うことは……
「みんな、暁人くんが偉い人だって知ってたってこと?」
ずらりと並んだ顔を見回す。最初に口を開いたのは小春ママだ。
「有名人でしょ。新聞とか経済誌とか読んだら、あちこちに写真が出てるわよ」
「……新聞取ってないもん」
「もう、すねないの。それよりどうだったの?」
「……すごく意地悪そうな人が居た」
大勢に囲まれた暁人くんの話をすると、小春ママ達がうんうんと頷く。
「それは多分秘書じゃない? なんか楽しそうー」
「楽しくないよ」
そっか、秘書か。秘書って女性ってイメージだったけど、男の人もいるのね。あんな風に怒って帰っちゃったりして、暁人くんに呆れられたかな。なんだか急に不安になってきた。
「だから、別れるときは言いなさい。慰謝料請求してあげるから」
「中山サン、黙って」
みんなもう言いたい放題だ。ただ、六ちゃんだけは明後日の方向を向いている。
「祥吾くん、総帥ってなに?」
「一花、世の中にはインターネットっていう便利なツールがあるよ」
つまり自分で調べろってことね。まだやいのやいの言ってるみんなをスルーして、洗い物の残りを片付けた。その間も頭の中には総帥の文字が躍っていた。スマホですぐ調べることも出来るけど、それを今やると真剣に祥吾くんに給料を下げられそうだ。諦めて家に帰ってから調べることにしよう。
休憩を終えた中山サンを見送り、出勤時間が迫った小春ママを見送り、珍しくふらりと出ていく六ちゃんを見送って、すっかり人の少なくなった店内を軽く掃除する。
そわそわしていたからか、閉店時間の前に祥吾くんに追い出されるようにしてお店を出た。多少罪悪感を覚えつつ、「お疲れ様」を言って家路を急ぐ。
自分の部屋に着いてからいつものルーティンをこなし、一息ついたところで、まず日課になっている暁人くんへのメールを送った。
〝こんばんは。一花です。暁人くんの会社、大きくてびっくりしちゃったよ。いつもあんなに長い廊下をいったりきたりしてるの? 大変だね。それから、あの怒ってた人、あの後大丈夫だった? 暁人くんに迷惑掛けちゃったかなぁ……〟
涙顔の絵文字(可愛いのじゃなくて、記号のヤツだ)をつけて送信すると、五分も経たない内に返事がきた。今日は早いなぁ。そう思いながら画面を見る。
〝今日は悪かったな。廊下が長いのはセキュリティの意味もあるからだ。それから小杉に関しては気にしなくていい。またいつでもきてくれ。一花なら顔パスにしといてやる〟
良かった、怒ってない。それに、思っていた以上に暁人くんからのメールが優しくて、いろんな意味でびっくりだ。そっか、秘書の男の人は小杉って言うのか。今度いくときは、あの人が居ないときがいいな。ウキウキ気分でメール画面を閉じ、今度はインターネットのボタンを押した。
「えっと、まずは……」
辞書のページに〝総帥〟と打ち込む。
『そう‐すい【総帥】 全軍を指揮する人。総大将。最高指揮官。転じて、企業などの大きな組織を率いる人』
うわぁ……。なんか変な汗が出てきた。続けて検索サイトで〝西城グループ〟と入力した。
「わーー。えーー。へーー」
驚きすぎて、もう言葉らしい言葉も出てこない。
西城グループは、工業製品、医療品、食料品、建築、その他諸々数多くの事業を手掛けているグループ企業だった。ネットには暁人くんの顔写真やお誕生日だけでなく、わたしが知らないことがたくさん載っていた。さらに一昨年、暁人くんの祖父である会長が亡くなったすぐ後に、当時総帥だった暁人くんの父親が会長になり、暁人くんが若くしてその地位についたとも書かれていた。
暁人くんって、本当にすごい人なんだ。はじめから王子様みたいだと思っていたけれど、当たらずとも遠からずだわ。まあ、王子様というよりやっぱり王様っぽいけど。
そっか、王様なんだ。あの警備の数と長い廊下。そして、彼から感じる支配者オーラは、絶対君主のそれだ。
それならなおさら、彼がわたしの告白を受けてくれたのが不思議で仕方がない。ただの暇つぶし? 彼の王様のような生活の中で、出会ったことのないタイプだったから?
ネガティブな想像ならたくさん浮かぶ。でも、それでも、つきあっている間は楽しく過ごしたいと思う。後悔ばかりの恋はしたくない。いつかダメになっても、いい思い出として残せるように。なんて、始まったばかりで終わりを考えちゃダメだわ。まずは努力しなきゃ。
寝る準備をしていると、壁にかけてあるカレンダーがふと目に留まった。明後日の土曜日に花丸がついている。
「グフフ」
思わず笑みが漏れる。土曜日はあの子の納車日なのだ。祥吾くんにお休みをもらっているから準備も万端だ。大地と水上のお父さんもきてくれることになっている。
明日で満員電車ともお別れか。そう思うとさらに嬉しくなってきた。暁人くんのことでパンク寸前だった頭の中が少しだけ落ち着いてくる。
大丈夫、なんとかなるわ。
いつ何があっても後悔しないように、わたしが前向きでいられるための魔法の呪文。それは亡くなった母の口癖。何度も唱えていると、本当にそう思えてくるから不思議だ。
まあ、今何かあったら確実に後悔はしそうだけど。なんてったって納車前だし! ウキウキしながら眠りについたら、とても楽しい夢を見られた。わたしの愛車で暁人くんとドライブしている夢だ。
起きた瞬間に決めた。最初のドライブには、暁人くんを誘おう。
5
土曜日はとってもいい天気だった。
納車の時間は十一時なのだけど、十時を少し過ぎた頃、大地と水上のお父さんがやってきた。お母さんは外せない用が出来たとかで、昨日の夜、残念そうな声の電話をもらっている。
「一花ー、元気か?」
開口一番そう言ったのは、高校生二年生になった大地だ。
「お姉ちゃんと言いなさい」
昔はあんなに可愛かったのに……。今では見上げるほど大きく、さらにおっさんくさくなった弟にがっかりする。
「一花、祥吾はちゃんと君の面倒を見ているかい」
部屋に上がって冷たい麦茶を飲みながら、水上のお父さんが言った。
「大丈夫よ。ちゃんとお世話されてます」
「何かあったらすぐに言うんだよ」
「はい」
素直に頷くと、水上のお父さんがホッとした顔になった。
「じゃあ俺は祥吾兄ちゃんに言っとこ。姉が迷惑かけてすみませんって」
大地がおどけたように言う。
「わたしは迷惑なんてかけてないわよ」
「姉ちゃんは天然だから、気づいてないだけだろ」
「わたしは天然じゃありません」
「真の天然は、自分ではそれと認識してないんだって」
「むむむ」
思わず言いよどむわたしに、大地がフフンと鼻で笑う。ホント、可愛くないっ。大地と睨み合っていると、のほほんとわたし達を見ていた水上のお父さんがふと顔を上げた。
「きたんじゃないか?」
耳を澄ますと、車のエンジンの音が聞こえた。
「きたー!」
用意していた書類や印鑑を持って部屋を飛び出す。その後ろを大地とお父さんが追いかけてきた。アパートの階段を降りると、目の前にあの車が停まっている。
「アメディオ!!」
思わず叫ぶと、後ろから大地の呆れた声がした。
「なんだ、その名前?」
「ずっと考えてたの。このヘッドライトが大きな目みたいで、なんか動物みたいじゃない? ほら、昔のアニメに出てきたおサルさんの名前であったじゃない」
車屋さんの相手をとりあえずお父さんに任せ、正面に回り込んで、改めてその可愛いボディを眺める。落ち着いたピンク色の外装はやっぱり可愛い。軽自動車だからかヘッドライトが余計に大きく見えて、それもすごく可愛いのだ。
「あーそうですか」
まったく抑揚のない声で大地が答えた。それをやり過ごし、車屋さんから色々と説明を受けてキーをもらった。
「とりあえず、車庫入れの練習をしてごらん」
車屋さんが帰ったあと、大地とお父さんにやいやい言われながら、なんとかまっすぐに駐車場に入れることが出来た。
「祥吾がもっといい給料を出せば新車が買えたのに」
アメディオのフロントを撫でながら、お父さんが言った。
「いやいや、祥吾兄ちゃんは十分すぎるほど払ってるって。それに車は姉ちゃんが一週間も乗れば、すぐにボロボロになるって」
お父さんを慰めながら、同時にわたしをけなすなんて。さすがは我が弟よ。
「もう、失礼なこと言わないでよ、大地。事故なんて絶対に起こしません」
わたしがそう言うと、お父さんも大地も少し顔が変わった。わたし達の中で、決して消えない記憶が同時に頭を掠める。
「免許を取るときも、今回も、ちゃんと約束したもの。大丈夫よ」
「一花」
お父さんがわたしの頭を撫でた。はじめて会ったときと同じ、温かな手だった。大人になった今でも、あのときのことは忘れられない。
「まあ、姉ちゃんならガードレールに擦るくらいかもな」
少しおどけたように大地が言って、その場の雰囲気が少し和む。
「よし、じゃあ納車祝いも兼ねて、飯でも食べにいくか」
お父さんの言葉に、大地がやったーと笑う。そのまま三人で近くの焼肉屋に向かった。ランチセットにさらにお肉をプラスするというスペシャルメニューを三人とも注文した。そうしてみんな満腹になって、お父さんと大地は帰っていった。
アパートまで帰ると、わたしはもう一度駐車してある自分の愛車を見た。
うん、アメディオって名前もぴったりじゃない? 早速暁人くんに連絡しちゃおうっと。
アパートの階段を駆け上がり、部屋に戻る。
たまにはキャッチーな内容にしてみるか。
〝アメディオがきたよ!〟
それだけ書いて送信。どんな返事がくるのか楽しみだなぁと思っていたら、スマホが鳴った。 暁人くんから電話なんてはじめてだ。ドキドキしながら通話ボタンをスライドさせると、
『アメディオとは誰だ?』
無愛想の代表みたいな声が通話口から聞こえる。
「車の名前よ。わたしの愛車。さっき納車されたの。見たい?」
『……興味はあるな』
「ならドライブしようよ。今日時間ある?」
内心ものすごくドキドキしながらそう言うと、僅かな間のあとに、ああ、と声が聞こえた。
『今から会社までこられるか?』
「大丈夫だよ。ナビもちゃんとあるし」
『よし。なら、迎えにきてくれ』
そう言って電話が切れた。
やったー! 初デートだ! 急いでデート用の服に着替える。とはいえ、そんなにおしゃれな服は持っていないので、いつもよりもちょっとガーリーになるくらいだ。あとはお化粧をして、車の運転がメインなのでヒールの低い靴を履いて家を出た。
もらったばかりの車のキーを見て、何か可愛いキーホルダーでもつけようか、なんて思う。
駐車場は階段のすぐ横だ。わたしのアメディオが当然のことながらちょこんと停まっている。ドキドキしてドアを開け、運転席に乗り込む。キーをさして回すと、すぐにエンジンが掛かった。
「まずはナビだな」
スマホを見つつ、この前暁人くんから教えてもらった会社の住所をナビに入力した。長い間通っている場所なのでだいたいはわかるけれど、車となるとちょっと緊張してしまう。
ギアをドライブに入れ、パーキングブレーキを外して、ゆっくりとアクセルを踏んだ。アパートのまわりの住宅街は道も狭いのでドキドキしたけれど、大きな道に出ると、また違う意味でハラハラドキドキだ。それでもナビに従い、車の流れに乗って慎重に運転する。
都心に近づくと、車の量も車線も増えるのでさらに混乱した。なんとか車線変更して、暁人くんの会社の前に着いた頃には精神的に疲れていた。
これはもう慣れるしかないんだな。ほぼ通勤と同じ道だし。
暁人くんの会社は前に大きなロータリーがあるから停めやすい。すると、警備員さんに正面から少し外れた場所に車を案内された。どうしたものかとスマホを取り出したとき、正面玄関から暁人くんが一人で出てくるのが見えた。
「暁人くん!」
車から出て手を振ると、片手を上げた暁人くんが颯爽と歩いてきた。相変わらず王子様のような風貌だ。うっとりと眺めていると、近づいてきた暁人くんがアメディオをジッと見つめ、そしてぽつんとつぶやいた。
「フェラーリにしては小さいな」
「え?」
「イタリア人みたいな名前をつけるから、てっきりそうかと思った」
そう言うなり、勝手に助手席のドアを開けて乗り込む。
「狭いな。こんな小さな車が存在するのか。これのどこからアメディオなんて名前が出てくるんだ」
なんて、座席の位置を調節しながら一人でぶつぶつ言っている。
「いちいちうるさいよ、暁人くん」
わたしが運転席に座ると、暁人くんが今度は背もたれを調節していた。
「さて、どこにいく?」
「任せる」
背もたれが良い位置にきたのか、満足そうに頷いて言った。
「じゃあやっぱり海の方かな」
ナビを検索して、海に近い商業施設を入力した。
「よし、出発ー!」
ロータリーをぐるりと回り、大通りに出る。たくさんの車に混じって高速に乗らずに一般道で海に向かった。首都高を走る度胸はまだないのだ。その間も暁人くんは、狭いとか小さいとかぶつぶつ言っている。
「都内は道が狭いところも多いから、このくらいがちょうどいいんだよ。暁人くんは運転するの?」
「……車の免許は持っていない」
思いがけない返事に、思わず暁人くんを見てしまった。
「うそぉー」
「必要ないからな」
ぷいとそっぽを向いて暁人くんが答えた。そうか、総帥ならきっと専属の運転手さんとかがいるんだろう。
「へえー……」
総帥ってすごいなぁ、なんて思っていたら、暁人くんがパッとこっちを向いた。
「一級船舶の免許なら持っているぞ」
目の端で捉えたその表情は打って変わって自信満々に見えた。
「へー、すごいねぇ。でも船より車の方が便利じゃない?」
船に乗って会社にはいけないもんね。思ったままそう言ったら、暁人くんがまた黙り込んでしまった。あら、怒ったかな。でもフォローの言葉がすぐには浮かばない。
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