白雪姫の悩める日常

桜木小鳥

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1巻

1-3

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「どうしたの?」

 運転席に乗り込んだ夏目さんが、不思議そうな顔でわたしを見る。

「あ、いえ、大丈夫です。いきましょう!」

 覚悟を決めて助手席に乗り、シートベルトを締めた。車がなめらかに動き出す。

「白雪ちゃんと一緒にまわるのって初めてだよね?」
「そうですね」
「今まで全然一緒に仕事できなかったもんね」
「夏目さんは、まだいらして間もないですから」
「そうだね。半年くらいかな」

 運転を続けたまま、夏目さんが言った。ちらりと見ると、真剣に前を向いている。そんな横顔ももちろんイケメンだ。
 うちに来てまだ半年か。それなのに、彼はすでにたくさんの顧客を得ているようだ。

「それまではなにをされていたんですか?」
「お、嬉しいな。白雪ちゃんから質問してくれるなんて。えっとね、車のディーラーで営業やってたんだ」
「へえ」

 初めて知った。でもやっぱり前も営業だったんだ。

「ヘッドハンティングですよね? すごいですね」
「いやあ、まあ偶然っていうのかな。芳野よしのの新社長が車を買うのにうちの店に来てね、僕が担当になったんだ。で、あれこれやってるうちに、来ないかって言われてね」

 なんと、社長みずからヘッドハンティングしたのか。

「それは、本当にすごいですね」
「いや、すごいっていうか、タイミングの問題かな。社長は社内の体制を変えようとしてて、新しい風がほしかった。僕は僕で、他の仕事をしてみたいなと思っていたから。迷ったけど、結果よかったかな。白雪ちゃんと出会えたしね」

 夏目さんがちらっとわたしを見て、そして片目を閉じてウインクした。
 ほわあっ。
 イケメンのウインクは破壊力がすごすぎる。漫画みたいに、ズキューンと胸を撃たれた気分だ。
 本当にかっこいい。それは素直に認めよう。そんな人からの好意……のようなものを素直に受け入れられないのは、相手がストーカーチックだからか、自分に自信がないからか。多分、後者の割合の方が大きいかもしれない。
 夏目さんとわたしは、まったく釣り合わない。そんな思いが常に前提にあるから、ある種この距離感を維持できている気がする。
 車を三十分ほど走らせたところで、夏目さんがコインパーキングに車を停めた。

「さあ、行こう」

 夏目さんと一緒に、高層ビルが立ち並ぶ道を歩き、大きな建物の前で足を止めた。ビルには、先ほど資料で渡された企業名が書かれている。世界レベルで有名な、大企業だ。
 夏目さんは慣れた様子で正面玄関を抜け、受付嬢のところまで行った。すでに彼は有名な人なのだろうか、受付の女の子が、通常の三倍くらいの笑顔を見せている。
 うん、まあ、イケメンだもんね。そりゃ、あちこちで人気者になるわよ。
 案内された通路を歩いていくときも、どこからか女の子たちが集まってきて、遠巻きに夏目さんを見ていた。
 なんか、すごいな……
 夏目さんの人気に圧倒されつつ、通された会議室で先方の担当者と初めて顔を合わせた。

「彼女は、うちのシステム担当です」
「初めまして。白崎です」

 名刺を渡すと、やっぱりいつもと同じようなリアクションを返される。

「へえ、白崎雪さん。ずいぶん色白なんですね」
「ええ、昔からなんです。具合は悪くないんですけど」
「白雪姫だね」

 担当者が笑う。これもまた、いつものことだ。
 けれど、続いた言葉がいつもとは全然違っていた。

「それを言っていいのは僕だけですよ」

 突然そんなことを言い出した夏目さんに、わたしも担当者さんもぽかんと口を開ける。

「僕だけの白雪姫なんで」

 真顔でそう言った夏目さん。その顔には、いつもの愛想よさの欠片かけらもない。思わず息を呑んだそのとき、夏目さんがふっと頬をゆるませた。

「なんてね。冗談ですよ」
「なんだ。びっくりしたよ、夏目くん」

 担当者さんは笑い出したけど、わたしは笑えなかった。
 いや、ちょっとまじだったでしょ。今でも目が笑っていない気がする。
 わたしの若干のモヤモヤをよそに、その後の打ち合わせは順調に終わった。夏目さんが用意してくれた資料のおかげもあって、再構築の提案はあっさり了承をもらえた。
 さすが優秀な営業マンらしく、彼は顧客との信頼関係もばっちりだ。たった一か所、一緒に行っただけで、彼の優秀さがよくわかった。
 すごいと思う反面、ストーカーチックな部分が返す返すも残念でならない。それにしても、社外であんな風に言われるとは思ってもみなかった。まさか本気で……なんて思いかけた気持ちを、頭を振って否定する。なんでも規格外の夏目さんのことだ。彼の行動は、凡人にはまったく理解できないんだろう。

「あー、無事に終わってよかった。さすがは白雪ちゃん、よくあんな短時間で再構築のアイデアを出せたね」
「いえ、夏目さんの資料がよかったんですよ」

 車に乗り込みながら、そんな話をする。
 夏目さんは最新の防犯システムや他社のシステムも熟知していて、帰りの車で議論を交わすのは、なかなか楽しかった。

「よかったら、今夜ご飯でも行かない? ペアになったご挨拶あいさつがてら」

 そう言われたのは、会社の駐車場だった。

「す、すみません。今夜は予定があって」

 特に予定なんてないのに、とっさにそう答えてしまう。

「そっか。残念。じゃあまたね」
「はい」

 なんて、言ってしまったけど、次はなんて言って断ろうか。
 だって、やっぱり無理よ。
 ストーカー的なところはさておいて、夏目さんとわたしは釣り合わない。それにもし一緒に食事に行ったことが秋庭さん辺りにばれたら、命さえ危うい。わたしはもっと、地味に生きたいのだ。
 残念だなと繰り返す夏目さんをさくっと無視して、システム課に戻る。終業時間までは、片付けを手伝ったり、資料を読み込んだりして忙しく過ごした。定時を過ぎたら、夏目さんに話しかけられる前にさっさと帰り支度をして、いつも通り晴香の店に向かった。
 子犬らから歓迎せざる挨拶あいさつを受け、今日は子猫を抱かせてもらう。小さな猫はまだ爪が柔らかいので、引っかかれてもあまり痛くない。

「へえ、夏目さんと隣同士なんだ」
「そうよ、おまけにペアになっちゃったし」

 閉店準備をしている晴香のそばで、子猫にかまれ、ガリガリと爪を立てられながらも、よしよしと小さなからだを撫でる。手が血まみれになりそうだ。

「部署異動もペアの件も、もしかしたら夏目さんが手をまわしたのかもね」
「まさか」
「だって、社長みずからヘッドハンティングしてきた逸材いつざいでしょ? 多少の我儘わがままや希望は通るんじゃない?」

 言われてみれば、その可能性もなくはない。なくはないけど、あそこまで大掛かりなことが、個人の希望でできるだろうか?
 それでも、絶対にそれはないと言い切れないのが怖いところだ。

「もうこれはまさしくチャンス到来じゃない」
「チャンスって……」
「今までは、まあ変なところしか見てなかったけど、これからは夏目さんの優秀な部分をどんどん見られるわけでしょ? 雪ははなから夏目さんが自分に恋愛的な好意をもっていると思ってないみたいだけど、やっぱり人って、好意もないのに知りたいとは思わないんじゃない? それに、ストーカー要素を凌駕りょうがするくらいすごい人なら、多少の残念な部分には目をつぶれるでしょう」
「どんな持論よ、それ」
「完璧な人間はいないってことよ。だれにでも欠点はあるんだから」
「なるほどね」

 ストーカー的要素は欠点に入るんだろうか……

「そもそもだけど。別にわたし、そんな王子様みたいな人とつきあいたいなんて、微塵みじんも思っていないんだけど?」
「そうなの?」

 晴香がわざとらしく驚いたふりをしている。
 自分のことはよくわかっている。白雪姫なんてあだ名をつけられても、わたしはお姫様には程遠い。だからそこそこ普通な人と、そこそこ普通な恋愛をして、最終的には可愛い動物たちに囲まれて暮らしたい。そんなささやかな願いしかないのだ。
 まあ、そのささやかな願いをかなえる努力をしているのかと問われれば、なにもしていないけど。

「じゃあ、なおさらチャンスじゃない。何度も言ってるけど、夏目さんみたいなスペックの高い男と出会う機会なんてそうそうないんだから」
「いやだから、別にいらないって」

 まだわたしの手をあぐあぐかんでいる子猫をケージに戻し、掃除を手伝う。そしていつもの通り、二人でご飯を食べて、家に帰った。

「ただいまー」

 部屋の電気をつけた途端、水草の後ろに隠れる金魚たち。そんな彼らに、今日もちゃんとえさをあげる。

「晴香はいろいろ言うけどさ、実際にストーカー的な部分を目にしたら、ちょっと驚くわよねえ? 悪い人じゃないのはわかるわよ。夏目さんは仕事だってできる人だし、見かけは軽そうだけど、仕事ぶりはかなり細かくて真面目だし。でもねー……」

 こっちをうかがいながらえさを食べるいっちゃんたちを見つつ、ため息をつく。

「わたしはもっと、普通でいいのよ。だってわたしが普通の人なんだもん。おとぎ話の白雪姫みたいに特別じゃないんだもん。夏目さんみたいな選ばれた人は、もっと特別な人の方へ行けばいいのよ。今は物珍しくてわたしを相手にしているのかもしれないけど、わたしがただの普通の人だってわかったら、きっと興味をなくすはず」

 そうだ。きっと、珍しいからわたしをからかっているんだ。だからしばらく一緒にいれば、飽きるだろう。
 今まで何度も考えたその理由はかなり的を射ていると思う反面、なんだか胸がチクンとした。

「そのときが来ても、わたしは絶対に傷つかないもんね」

 水槽に映った自分の顔に、そう誓った。



   4


 どうなることやらと思われた異動だけれど、仕事はすこぶる順調に進んでいた。
 営業一課と合併したことで、システム課自体が活気づき、また、夏目さんが自身の優秀さをさらに発揮し始めたことで、他の社員たちの士気も上がっている。それを受けて、会社全体が盛り上がっているようにも感じた。

「白雪ちゃん、次の仕事なんだけどさ」

 急に増えた仕事にてんてこ舞いのわたしの前に、夏目さんが新たな案件をもってきた。

「え、もうですか?」
「だって、白雪ちゃんの仕事が早いんだもん。僕も頑張るしかないでしょ」

 もんってなんだ、もんって。

「大丈夫、こっちは月末までに提案書を作ればいいから」
「はあ」

 夏目さんはご機嫌に言うと、打ち合わせだと言って出かけて行った。
 ペアを組んで三週間。わたしの仕事は順調に増えている。夏目さんが次々と営業をして、新規の仕事を取ってくるからだ。
 普通の営業マンはひと月に一件あるかないかという新規契約なのに、夏目さんはこの三週間ですでに二件の契約を取っている。つまりは、わたしの仕事も二倍以上に増えたということ。
 元々手の速い方ではあったので、そこまで苦労しているわけではないけど、このスピードがずっと続くのはちょっと厳しい。
 もちろん、業績のグラフは、夏目さんとわたしのペアがダントツだ。仕事で評価されることは嬉しいけれど、悪目立ちはしたくない。
 ただでさえ夏目さんとのことで、数多くの女子社員の嫉妬しっとの対象になっているのだ。よりコアな一部の層からは、恨まれていると言っても過言ではない。
 あからさまな嫌がらせこそないものの、陰口は聞こえてくる。

「すごいな。もう次の仕事取ってきたんだ」

 淡々とした声に、思わずビクッとなる。そして、おそるおそる振り返った。そこには、鈴木さんがいつものごとく無表情で立っている。

「す、鈴木さん」
「僕も白崎さんと組みたかったな。そしたら……」

 ぼそぼそと言ったあと、来たときと同じように、鈴木さんは静かに去っていった。
 いやもう、怖いんですけど。いつの間にかいるパターン、本当にやめてほしい。
 気を取り直してパソコンに向かう。しばらく作業をして、足りない資料があることに気がついた。色々探してみたけれど、自分のデータの中にも共有フォルダにもない。

「おかしいなあ。前に一度そろえたはずなのに。だれかもっていったのかしら?」

 紙出力したものもあったはずなのに、それも見当たらない。

「間違って捨てちゃったかな。最近、資料の数も半端ないし。……仕方ない。もう一回取りに行くか」

 システム課のすぐ隣には資料室があり、わが社で取り扱っている、すべての製品のパンフレットや仕様書などが置かれている。
 必要な資料の番号をメモして、資料室に向かう。扉を開けて部屋の電気をつけた。そこにはたくさんの棚があり、ぎっしりと資料が収められている。カテゴリーごとにインデックスがあるので、それを頼りに資料を探す。
 そのとき、ドアが開く音がした。目を向けると、なんと秋庭さんだった。

「げっ」

 思わず口から出た言葉は、幸運なことに相手には聞こえなかったようだ。

「随分忙しそうね、白崎さん」
「はあ……」
「夏目さんと四六時中一緒で楽しそうじゃない」
「そんなことは……」
「白雪ちゃんなんて呼ばれちゃって。ちょっといい気になってるんじゃない?」

 わー、ストレートに来たなー。いつか言われるだろうと思ってたけど、思っていたよりも早かったかも。

「だいたいあなた。西洋のお姫様顔じゃないじゃない。言われて恥ずかしくないの?」

 ……ええまあ、どこから見ても、ザ・日本人顔ですけど。
 でも別に、自分からそう呼んでと言ったことは一度もない。

「ちょっとは考えて行動しなさいよね」

 秋庭さんは言いたいことだけ言って、さっさと出ていった。
 言い返せない自分も悔しいけど、秋庭さんの言っていることは自分でも自覚している。だからこそ、今まで目立たないように地味に生きてきたのに。

「言いたいことがあるなら、夏目さん本人に言えばいいのよ」

 だって、近寄ってくるのは夏目さんの方なんだから。
 うんざりした気持ちで資料を探し、自分の席に戻って仕事を続ける。
 秋庭さんのその一件がきっかけのように、それ以来ちょくちょくわたしにからんでくる人が増えた。内容は本当に些細ささいなことで、嫌がらせなのか世間話なのか、いまいち区別がつかないことも多い。

「白崎さんって、昔から色白なの?」
「どんなファンデーション使ったら、そうなるの?」
「今まで知らなかったけど、これまでも実は業績トップだったんだって?」
「白雪ちゃんって、年齢からすると恥ずかしい呼ばれ方よね?」
「そうそう、いっそセクハラですって言った方がいいじゃない?」
「セクハラじゃないんじゃない? あだ名みたいなもんだし」
「あら。本人が認めてなければ意味ないわよね?」

 今まで、わたしに対して興味もなかった人たちが、口々にいろんなことを言ってくる。
 注目されるのは苦手なので、これがなかなかの苦痛だった。部署が違ったときならいざ知らず、今は同じ部署でペア同士。超有名人な夏目さんの弊害へいがいが、ここにきて膨れ上がっていた。
 その夏目さんはというと、態度や行動は最初の頃からあまり変わらない。それでも、みんながわたしに話しかけてくるときはたいがい夏目さんと一緒にいるので、彼も多少は困惑しているようだ。

「白雪ちゃん、急に人気者になった?」
「まさか。人気者は夏目さんですよ。わたしはただの巻き添え」
「困るな。白雪ちゃんの魅力は僕だけが知っていればよかったのに」
「だったら、少し離れてくれていいんですよ? 近いから言われるので」
「え、それは無理でしょ。ペアなんだから。なんのために課長を脅して……」

 え? 今、なんて?
 何度考えても、わたしのいったいなにが夏目さんを引き寄せているのか、さっぱりわからない。わたしが特別美人だったり人気者だったりすれば、まあ納得はできたかもしれない。
 でも、何度も言うように、白雪姫のような多少の特徴はあれど、わたしはごく一般的、というよりむしろ、地味寄りの人間だ。夏目さんと関わるようになって初めて、わたしを認識した人も多数いるだろう。
 それに、そのことはわたし以上にまわりも疑問に思っている。だから、毎日毎日、入れ代わり立ち代わり、色んな人がからんでくるのだ。
 夏目さんが離れてくれれば、また静かな日常が戻ってくることは確実だけど、今のところ彼にその気はなさそうだ。
 そんなこんなで微妙に落ち着かない状況が続いていたある日のこと。

「あれ? ファイルがない」

 机の上に置いていたファイルが見当たらない。ここ最近、細かなものが行方不明になることが多い。ほとんどは思っていたのと違う場所から見つかるけど、結局見つからないものもある。仕事が増えて、机の上も乱雑になっているからだろうか。
 実は真っ先に夏目さんを疑って、こっそり彼の机まわりを探していたことは内緒だ。
 ただ、嫌がらせの可能性も捨てきれないから、重要なものに関しては鍵のかかる引き出しに入れ、自分のパソコンのパスワードも頻繁に変えることにしている。
 こんなことまでしなければならないなんて。わたしの仕事をちゃんと評価してくれるのは嬉しいけど、やっぱり夏目さんとは関わりたくないと思ってしまう。

「白雪ちゃん、お願いしてた企画書、できてる?」

 内心イライラしているところに、夏目さんが能天気に現れた。
 まったくもう、わたしはこんなに苦労してるのに。

「できてますよ。企画書も提案書も見積書も設計図も。はいもう、これでしばらくはほっといてください」

 夏目さんの机の上に書類やファイルの束をどんと置いた。

「ええー。白雪ちゃん、仕事早すぎっ」
「ただでさえ最近邪魔が多いんだから。構築の方に集中したいので、夏目さんもあんまり邪魔しないでくださいね」

 そうぴしゃりと言った。
 夏目さんのしょんぼりした顔に気が引けたけど、忙しいものは仕方がない。
 パソコンに向き直り、まわりをシャットアウトして仕事に打ち込み始めた。夏目さんが視界の端から消えたのを確認して、ホッと息を吐く。
 夏目さんさえそばにいなければ、わたしに話しかけてくる人の数は極端に減るのだ。多分、わたしを介して夏目さんと話したいのだろう。
 まったく、めんどくさいから直接やってほしい。
 パソコンに向かうこと数時間。夏目さんは外まわりから直帰すると言って、ずいぶん前からいなかった。静かになれば仕事も進む。一番手間のかかる商業施設の案件も、ある程度のところまでできた。

「よし、今日はここまで」

 定時を三十分ほど過ぎたところで、パソコンの電源を落とす。まわりを見れば、半分ほどの人はもう帰宅していた。
 帰り支度をして、駅に向かう。途中で晴香に連絡して、夕飯の約束を取りつけた。
 今日も疲れた。早くモフモフたちに囲まれてやされたい。
 はやる気持ちを抑え、満員電車を降りて改札を抜ける。商店街へと続く横断歩道を渡ろうとしたとき、肩を叩かれた。

「え?」

 驚いて振り返ると、なぜかそこに夏目さんがいた。

「やっぱり白雪ちゃんだった」
「な、夏目さん。ど、どうしてここに?」
「ついさっきまでお客さんのところにいたんだ。帰ろうとしたら、白雪ちゃんらしき人を見かけてさ。すごい偶然だね」

 ご機嫌な夏目さん。よもや会社からつけてきたわけじゃないわよね? 一度疑いをもってしまえば、すべてが怪しく思えるから困ったもんだ。

「白雪ちゃんはここが自宅の最寄り駅?」
「いえっ、はい。いや違うけど、まあそんな感じです」

 そうじゃないけど、そうでもある。でも、特定はされたくない。

「ふーん、なにか用事でも?」
「まあ、これから友達と会うので」
「友達? 男? 女?」

 夏目さんの顔から笑みが消える。怖いって。

「もちろん女ですよ」
「そうなんだ。夕飯に行くの?」
「ええ。でもまだ向こうは仕事中だから」
「なんの仕事してるの?」
「ペットショップです」
「へえ! 僕も動物好きなんだ。ちょっとだけ見せてもらってもいい?」
「えっ」

 ニコニコしている夏目さんに、断りの言葉が出てこない。わたしのばか。なんでばか正直に答えてしまったの。

「お店はどこ? 商店街の中かな?」

 わたしの返事も待たず、さあ行こうと夏目さんがうながす。

「あ、商店街の一番奥です」

 ああ、また言ってしまった。

「一番奥だね」

 ご機嫌な夏目さんの後を、とぼとぼと歩く。ああ、せっかくのわたしのやしの場所を、夏目さんに知られてしまった。
 ばかばか、雪のばかっ。

「なんだか新鮮だな。仕事以外の時間に白雪ちゃんと一緒なんて。ね?」

 夏目さんが笑顔で振り返る。そのお顔はやっぱりイケメンで、行き交う女性たちの視線を一身に集めていた。

「そうですね」

 贅沢ぜいたくと言われてしまうかもしれないけど、そのお顔は、できれば仕事中だけ見ていたかった。
 普段よりもゆっくり歩いたはずなのに、すぐに商店街の端に到着してしまう。

「あ、ここだね」
「そうです」

 扉に手をかける。これまでだったらすでに聞こえるはずの子犬たちの鳴き声が、なぜか今日はまったく聞こえない。もしかして、馴れてくれたのかしら? いや、そんなはずはないか。
 思い切って扉を開ける。

「こんばんはー」

 中に入ると……いつもは歯をむき出しにしている子犬や子猫たちが、みんな尻尾を振っていた。
 ケージに近寄っても、えるどころか、キュンキュンと甘えるような声を上げている。
 なにこのパラダイスな感じは!?
 初めてのことに気持ちが一気に高揚する。が、よくよく見れば、子犬も子猫も、だれもわたしを見ていないことに気がついた。みんなの視線はわたしの後ろ、つまり夏目さんに集まっている。

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