2 / 47
第一章
2 絵本の王子様
しおりを挟む
突然の大声に驚いたミアは、弾かれたように背後を振り返った。
耳に付けた雫型のイヤリングがしゃらりと音を立てて、激しく揺れる。
大声を上げた人物は満月を背にずんずんと大股で近付いて来るが、一体どうすればいいのか分からない。ミアはただ地面に座り込んで震え上がるだけだ。
薄暗いせいで顔の表情が見えないが、その大きくがっしりとした体格と声から、恐らく若い男だろうという事だけは察せられた。
「ご、ごめんなさいっ! 道に迷ってしまって…!」
とっさに、立ち入り禁止区域に入ってしまったのだと思った。
王城内は広い。
舞踏会が行われている大広間は開放されているが、王族の住まう私的なエリアや、貴重な文化財を収蔵している宝物庫など、近付くことすら許されていない場所も多い。恐らくそれを見咎めた警備兵だろうと考えたのだ。
なんとか許してもらおうと、ミアは必死に言葉を探す。
迷っただけだと説明して信じてもらえるだろうか。デビュタントのためにやって来た不慣れな者なのだと。
オロオロして気ばかりが焦るが、黙っているだけでは余計に不信感を抱かせてしまうに違いない。
だから言い訳を、何か喋らなくては。
再び弁解を重ねようと、ミアは勇気を振り絞って顔を上げた。
そして口を開きかけた次の瞬間、彼女は惚けたように動けなくなってしまった。
「…………う、そ……」
ぽかんと口を開けたまま、呼吸すら忘れて目の前の人に見入る。世界が動きを止めてしまったようだ。
まさか、まさかそんなはずはない。
これが現実だとは信じられなくて、ミアは大きな菫色の瞳を何度も瞬かせる。
なぜなら彼は、ミアが子供の頃大切にしていた絵本に出てくる王子様そっくりだったのだ。
「おい……どうした?」
彼の声は変わらず険しいが、ミアは微動だに出来ない。
スラリとした長身に長い手足、そして広い肩幅と均整のとれた肉体。
月明かりに照らされた金の髪がさらりと流れ、その一本一本までよく見えた。訝しげに眇められた瞳は、初夏の晴れ渡る空を切り取ったようなスカイブルーだ。
警戒心を露わにしてもなお甘い顔立ちは、ミアの心を掴んで放さない。
本当に絵本から出てきたのだと言われても信じてしまっただろう。
これは夢なの? と、思わず心の中で呟いた。
とはいえ、彼が本物の王子様のはずはない。
王城で開催される舞踏会には王族が揃って出席するのが慣例で、先程大広間で一段高い所から見ていた国王夫妻の後ろには、王族がたくさん並んでいたのだ。現国王夫妻は三男二女に恵まれた子沢山だから、見目麗しい王子、王女達が煌びやかな装いで勢揃いしている様は圧巻だった。
それに対して目の前にいる彼は、ありふれた白いシャツに王宮の警備兵が履いているような黒いズボンを身に付けているだけ。いたって平凡な装いだ。
だがそんな彼に目を奪われたミアには、たった一つの勲章すらつけていない彼が、どんなに着飾った貴族よりも気高く美しく見えて仕方ない。
「どうした? ……まさか本当に……。いや、何でもない。何故こんな所で道に迷うんだ」
「……えっ、えっと」
咎めるような強い口調で責められ、ただでさえ惚けていたミアはさらにうまく話せなくなる。
なにしろミアにとって、若い男性と一対一で会話するのは兄を除いて初めての経験だ。それだけでも緊張するのに、それがこんなに麗しい王子様のような相手だなんて!
だがこのままでは不審者として連行されかねず、舌を噛みそうになりながら一生懸命にこれまでの経緯を説明した。
デビュタントとして舞踏会にやって来たこと。父と別れた途端ダンスの誘いが殺到して疲れ切ったこと。もみくちゃにされそうになって、それを振り切って逃げて来たこと。
「逃げたのはいいんだけど、道に迷って帰れなくなってしまったの……」
ミアがしょんぼりとして告げると、表情を緩めた彼が小さく吹き出した。
怪しい者ではないと分かってもらえたのだろうか。
そっと表情を窺えば、少し穏やかな表情になった彼はさっきよりもずっと素敵で。
ミアはこっそり赤くなり、彼にバレませんようにと天に祈った。
耳に付けた雫型のイヤリングがしゃらりと音を立てて、激しく揺れる。
大声を上げた人物は満月を背にずんずんと大股で近付いて来るが、一体どうすればいいのか分からない。ミアはただ地面に座り込んで震え上がるだけだ。
薄暗いせいで顔の表情が見えないが、その大きくがっしりとした体格と声から、恐らく若い男だろうという事だけは察せられた。
「ご、ごめんなさいっ! 道に迷ってしまって…!」
とっさに、立ち入り禁止区域に入ってしまったのだと思った。
王城内は広い。
舞踏会が行われている大広間は開放されているが、王族の住まう私的なエリアや、貴重な文化財を収蔵している宝物庫など、近付くことすら許されていない場所も多い。恐らくそれを見咎めた警備兵だろうと考えたのだ。
なんとか許してもらおうと、ミアは必死に言葉を探す。
迷っただけだと説明して信じてもらえるだろうか。デビュタントのためにやって来た不慣れな者なのだと。
オロオロして気ばかりが焦るが、黙っているだけでは余計に不信感を抱かせてしまうに違いない。
だから言い訳を、何か喋らなくては。
再び弁解を重ねようと、ミアは勇気を振り絞って顔を上げた。
そして口を開きかけた次の瞬間、彼女は惚けたように動けなくなってしまった。
「…………う、そ……」
ぽかんと口を開けたまま、呼吸すら忘れて目の前の人に見入る。世界が動きを止めてしまったようだ。
まさか、まさかそんなはずはない。
これが現実だとは信じられなくて、ミアは大きな菫色の瞳を何度も瞬かせる。
なぜなら彼は、ミアが子供の頃大切にしていた絵本に出てくる王子様そっくりだったのだ。
「おい……どうした?」
彼の声は変わらず険しいが、ミアは微動だに出来ない。
スラリとした長身に長い手足、そして広い肩幅と均整のとれた肉体。
月明かりに照らされた金の髪がさらりと流れ、その一本一本までよく見えた。訝しげに眇められた瞳は、初夏の晴れ渡る空を切り取ったようなスカイブルーだ。
警戒心を露わにしてもなお甘い顔立ちは、ミアの心を掴んで放さない。
本当に絵本から出てきたのだと言われても信じてしまっただろう。
これは夢なの? と、思わず心の中で呟いた。
とはいえ、彼が本物の王子様のはずはない。
王城で開催される舞踏会には王族が揃って出席するのが慣例で、先程大広間で一段高い所から見ていた国王夫妻の後ろには、王族がたくさん並んでいたのだ。現国王夫妻は三男二女に恵まれた子沢山だから、見目麗しい王子、王女達が煌びやかな装いで勢揃いしている様は圧巻だった。
それに対して目の前にいる彼は、ありふれた白いシャツに王宮の警備兵が履いているような黒いズボンを身に付けているだけ。いたって平凡な装いだ。
だがそんな彼に目を奪われたミアには、たった一つの勲章すらつけていない彼が、どんなに着飾った貴族よりも気高く美しく見えて仕方ない。
「どうした? ……まさか本当に……。いや、何でもない。何故こんな所で道に迷うんだ」
「……えっ、えっと」
咎めるような強い口調で責められ、ただでさえ惚けていたミアはさらにうまく話せなくなる。
なにしろミアにとって、若い男性と一対一で会話するのは兄を除いて初めての経験だ。それだけでも緊張するのに、それがこんなに麗しい王子様のような相手だなんて!
だがこのままでは不審者として連行されかねず、舌を噛みそうになりながら一生懸命にこれまでの経緯を説明した。
デビュタントとして舞踏会にやって来たこと。父と別れた途端ダンスの誘いが殺到して疲れ切ったこと。もみくちゃにされそうになって、それを振り切って逃げて来たこと。
「逃げたのはいいんだけど、道に迷って帰れなくなってしまったの……」
ミアがしょんぼりとして告げると、表情を緩めた彼が小さく吹き出した。
怪しい者ではないと分かってもらえたのだろうか。
そっと表情を窺えば、少し穏やかな表情になった彼はさっきよりもずっと素敵で。
ミアはこっそり赤くなり、彼にバレませんようにと天に祈った。
1
あなたにおすすめの小説
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました
樹里
恋愛
社交界デビューの日。
訳も分からずいきなり第一王子、エルベルト・フォンテーヌ殿下に挨拶を拒絶された子爵令嬢のロザンヌ・ダングルベール。
後日、謝罪をしたいとのことで王宮へと出向いたが、そこで知らされた殿下の秘密。
それによって、し・か・た・な・く彼の掃除婦として就いたことから始まるラブファンタジー。
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜
白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳
yayoi
×
月城尊 29歳
takeru
母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司
彼は、母が持っていた指輪を探しているという。
指輪を巡る秘密を探し、
私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。
不遇な令嬢は次期組長の秘めたる溺愛に絡め取られる。
翼 うみ
恋愛
父の会社を立て直す交換条件のため、ほぼ家族に身売りされた形で関東最大級の極道・桜花組の次期組長に嫁入りしたジェシカ。しかし母を亡くして以降、義母と義妹に虐げられていたジェシカは実家を出られるなら、と前向きだった。夫となる和仁には「君を愛することはない」と冷たく突き放される。それでもジェシカは傷つくことはなく、自分にできることを探して楽しんでいた。
和仁には辛い過去がありそれ故に誰のことも愛さないと決めていたが、純真で健気なジェシカに段々と惹かれてゆき――。
政略結婚から始まる溺愛シンデレラストーリー。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる