恋に恋するお年頃

柳月ほたる

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第一章

4 元気を出して

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 青白い月の光が彼を照らしている。
 彼の瞳を覆う長い睫毛が静かに瞬き、ミアは目を離せない。

 淡々と語る彼は一見穏やかだが、その眼の奥には深い苦悩が見て取れた。
「何より怖いのは、私の肩にこの国の行く末が掛かっていることだ。判断を間違えば多くの死傷者が出る。酷ければ国土が奪われるかもしれない」
「私……、私、戦争の事は何も分からないけどっ」
 考えるより先に、思わず声が出ていた。
 彼が話す戦争は、兄が話すそれとは全く違う。
 兄は、この国に侵入しようとしているならず者共を駆逐しに行くのだと言っていた。大規模な遠征軍を編成し、軍人として類稀なる才能を持つ王太子様自らが陣頭指揮を取る。だから絶対に負けない。勝つ以外にない戦いだと。
 彼一人が全てを思い悩む必要はないと伝えたくて、ミアは必死に考える。
「あなた一人で戦うんじゃないんでしょう? もっと仲間を信用して、助け合えばいいと思うわ」
 必死に語りかけるミアに、彼が優しく微笑んで月を見上げる。
 だめだ、こんな平凡な言葉では何も伝わらない。今まで全く興味のなかった戦術や防衛学も、少しは兄の蘊蓄を聞いておけばよかったと後悔した。

「だって、私子供の頃にお姉様やお兄様達とよくカード並べをしてたんだけど」
「……カード並べ?」
 唐突に子供の遊びの話をし始めたミアに、彼が驚いたように顔を上げた。
 見開いた目は、困惑のあまりずっとミアに向けられている。その様子に気を良くしたミアは、堂々と話を続けた。
「そう! 私が一人で戦うとね、絶対負けちゃうの。でも誰かと組んでチーム戦にしたら、勝負はいつも互角なのよ?」
 どう? 分かった? とばかり、誇らしげにつんと顎を上げたミアを見て、彼が可笑しそうに吹き出す。
「ふふ。そうか、カード並べか……」
「ええ。だから元気を出して? 私も毎日神様にお祈りするわ。あなたが無事に帰りますようにって」
 可笑しそうにクスクスと笑い続ける彼を照らす月の光は、先ほどよりも優しそうに見えた。
 芝生に座り込んで片膝を立て、その上にだらりと置いた腕に形の良い顎を乗せている。遠くからかすかに聞こえる大広間の音楽が辺りを満たし、ミアはこの光景を一生忘れないでいようと心に決めた。


「で? 君はそのドレスどうするつもり?」
「あ……っ、それは……」
 忘れていたドレスの惨状を思い出して、ミアは目に見えて項垂れた。
 彼によると、ここは立ち入り禁止区域ではないからミアが咎められる事はないらしい。しかも大広間にはかなり近い上、簡単に戻れるそうだ。
 だから父を探しに行って帰りの馬車を手配してもらうべきなのだが、この野良猫のような格好であの絢爛豪華な空間に入る気にならず、ミアは困り果てた
 。
 そんなミアを見た彼が、獲物を見つけた肉食獣のように目を細める。
「ねぇ。よかったら私が、でドレスを綺麗にしてあげようか」
「まぁ、本当?!」
 思わぬ所からの助け舟に、ミアはぱっと顔を輝かせる。
 その時の彼の表情がなんだか色っぽくて、ミアは思わず胸がドキドキした。
「あぁ。気分が悪くなったり疲れたり、まぁ他にも色々と事情がある者が使っていい部屋がいくつも開放されてるんだ」
 そしてそっと肩を抱き寄せられ、指先でクイと頤を持ち上げられた。自然に至近距離で見つめ合う格好になってしまう。
 まるで恋人同士のような触れ合いに、ミアの心臓は今にも口から出て行ってしまいそうなくらい暴れまわっていた。
「そこで応急処置くらいは出来るだろう。おいで」
 ミアの反応を見て満足げに微笑んだ彼が、先に立ち上がって手を差し伸べてくれる。
 おずおずと差し出したミアの手は、温かい彼の手に包まれた。

「……っ!」
 しかし立ち上がろうとしたミアは、足に力を入れたところでバランスを失い、また地面に倒れそうになる。足を庇うようなその動きに、ハッとした彼がその体を支えた。
「もしかして足を痛めているのか? 怪我は?」
「怪我はしてない……と思うわ。何度もダンスを申し込まれて足が痛くなってしまったの」
 酷使した足首と靴擦れによる擦過傷はじんじんと痛むが、骨が折れたり血が出たりしている訳ではない。いつもよりかなり高いヒールの靴を履いている状態で立ち上がろうとしたから、慣れなくてうまく立ち上がれなかったのだ。
 少し我慢すれば、なんとか歩いて休憩室に行く事は出来るだろう。
「だから大丈……えっ?」
 突然脇の下に腕を回され、幾重にも広がるドレスの裾を捌いて膝の下を支えられた。そしてふわり、と持ち上げられる。
「うそ、だめっ! 重いでしょう?! おろして!」
「こんな靴で歩ける訳ないだろう。いつも思うが、女性の靴はまるで凶器だな」
「だって……私、背が低いんだもの。だから少しでも背を高く見せたくて」
「そのせいで歩けなくなったら本末転倒だ」
 そうして会話しているうちに薄暗い回廊を抜け、たくさんのドアが並ぶ明るい廊下に辿り着いた。分厚い壁とドアはすべての音を遮断し、人の気配は全く感じられない。
 彼は手慣れた様子で一つのドアを開け、ミアを抱えたまま中に入る。

 大きな天蓋がついた寝台にそっと下ろされ、ミアは戸惑ったように室内を見回した。
 気分が悪い人が行く休憩室なら、診療所のような無機質な部屋に行くのだろうと思っていたのだ。でも今ミアがいるのは美しい調度品が並んだ客室である。あまり医療行為には似つかわしくない場所だ。
「ここ、って……」
「言っただろう? だ。今日の舞踏会は規模が大きいからな、ほとんど満室だった。ここが空いていてよかったよ」
 ドアに鍵を掛けた彼が、そっとミアの足元に跪く。

 舞踏会とはそんなに体調を崩す者が多いのだろうか。
 このような場に不慣れなミアは足を痛めてしまったが、周りにいた紳士淑女達は皆が慣れた様子だった。その彼らが揃いも揃って休憩室に籠るなんて、舞踏会とはなんと恐ろしい場所なんだと震えが走った。
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