恋に恋するお年頃

柳月ほたる

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第三章

1 白いイヤリング

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 ミアがダンドリー商会を訪問する日は、朝から雲ひとつない晴天に恵まれた。
「ミア、気をつけて行くんだぞ! 殿下がいらっしゃるのは短時間の予定だが、念のため夕方まで帰って来ないように」
「はい、お父様」
 ミアは淡い水色のドレスに薄いレースの手袋という外出着で、父を安心させるように微笑んで返事をした。
 今日はサラの付き添いなしで、ミアだけで出掛けることになっている。
 父は心配しているが、自邸の前で馬車に乗り、ダンドリー商会のドアの前で降り、そしてお茶をして帰るという非常に安全な道のりだ。何の問題もない。

 伯爵家の馬車は無事に出発し、ミアはうまく逃げられたとほっとして息をついた。
 王太子殿下と会わずに済んだことも嬉しいが、従姉妹たちとお茶をするのも純粋に楽しみにしている。最近は彼を探しても探しても見つからないため気分は沈みがちで、いい気分転換になるだろう。
 彼女たちに会うのは凱旋行進を一緒に観覧した日以来だ。
 訪問するという手紙を出したところ、ミアの大好きなお菓子をたくさん用意して待っているという返事があった。客人に茶菓子を振る舞う機会も多いダンドリー商会には、王都で一番の有名店で修行したというお抱えの菓子職人までいるのだ。

「いらっしゃい! 久しぶりね」
「あなたが来るからって食べきれないくらいお菓子を用意させたのよ!」
 ミアがダンドリー商会を訪れると、すぐに大喜びのヴィオラとオルガに出迎えられた。彼女たちの母である叔母への挨拶もそこそこに、午後の日差しが差し込む居心地の良いサンルームへと案内される。
 室内へ一歩踏み入れた途端、ミアは感嘆の声を漏らした。
「うそ…っ、すごい!」
 ミアが驚いたのも無理はない。そこには、文字通り食べきれない量のお菓子が用意されていたのだ。
 一枚板の大きなテーブルにはケーキスタンドがいくつも並べられ、色とりどりの甘味が綺麗に飾り付けられている。まるでケーキの花畑に迷い込んでしまったかのようで、ミアはわくわくしながら辺りを見回した。
「こんなにたくさん、私たちじゃ食べきれないわ」
「驚いたでしょう? 新作のお披露目も兼ねてるの。だからどんどん感想を言ってちょうだい」
 ぱちんとウインクしたヴィオラに促されて椅子に腰掛け、ミアは一体どれから食べようかと目を輝かせる。これは最初に作戦を立てないと、食べたいものを食べる前にお腹がいっぱいになってしまいそうだ。

 久しぶりのお茶会はとても和やかで楽しい時間だった。
 同世代の女の子3人でたわいもない話に花を咲かせ、甘いものを食べてはきゃっきゃと笑い合う。ダンドリー商会の常連のお客さんから譲ってもらったという外国製で香りの良いお茶を堪能し、お土産まで包んでもらう。

「よかったら、たまには表のお店も見て行って? ちょうど新商品が入ったところなの」
 ヴィオラからそう提案されたのは、そろそろ辞去しようとしていた頃合いだった。
 あまり長居するのもよくないが、今帰ってもまだ王太子殿下が自宅にいるかもしれない。まさに渡りに船の提案で、ミアは一も二もなく頷く。
 だが彼女が喜んだのにはまだ別の理由もあった。

「私、お店に行くのがずっと憧れだったの!」
 ダンドリー商会の宝石店は、営業形態が2種類に分かれている。
 ひとつは、貴族や富裕層向けの会員制高級路線。
 こちらは専用の応接室で、販売員が始終付き添って接客する事になっている。丁寧に淹れたお茶とダンドリー商会お抱え菓子職人が作った美味しいお茶菓子でもてなされ、その高待遇は高品質の商品と同様に評判である。
 もうひとつは、大衆向けの低価格路線。
 王都中心の目抜き通りに面した広く明るい店内には、若者が気軽に買える安価なブレスレットから、恋人たちがちょっと奮発して買う大きな石のついた指輪まで各種揃っている。近頃は恋人同士で訪れてお揃いのアクセサリーを買うのが流行っているらしい。
 ミアも友人達からその話は聞いていたが、『お前には本物しか身に付けて欲しくない』と大真面目に宣(のたま)う父に阻まれ、今まで大通りの店舗には入った事がなかったのだ。
 これから予定があるという従姉妹たちと別れ、ミアはうきうきと大通りに面した店舗へと向かう。

「か、かわいい……っ!」
 初めて入った大衆店で、ミアは思わず小さな悲鳴を上げた。
 これまで利用していた富裕層向けの販売では、その客層や用途から自然にフォーマルな商品が多くなる。最新の流行に乗りつつも、上品かつ優雅で洗練されたデザイン。それも悪くはないが、まだ若いミアにとっては少々背伸びしすぎていて不満だったのだ。
 それに対して大衆店にある商品は、最初からミアの心を掴んで離さない。
 小さな真珠が螺旋状のプラチナに閉じ込められたペンダントトップ。
 細かな青と緑の石が散りばめられた蝶のバレッタ。
 ハートにカッティングされたピンク色の石のピアス。
 小さくて、キュートで、カラフルで。どれもこれもミアの好みど真ん中だ。

「欲しい……けど、勝手に買ったら怒られるかしら……」
 ミアの目に留まったのは、花をモチーフにしているアクセサリーのコーナーだった。
 中央の目立つ位置に飾ってあるイヤリングは、耳元に大小二つの白い薔薇の花が配置され、そこから透明な天然石が吊るされている。
 ミアにとって白い薔薇は、彼と出会ったあの日から特別な花になった。
 可憐な白い薔薇が咲き誇る花壇で彼と出会い、そして月の光に照らされながらワルツを踊った思い出。白い薔薇を見ていると、凛として高貴な彼の姿がまぶたの裏に浮かんでくるのだ。
 最近では少しでも彼を近くに感じたくて、部屋に飾る花は白い薔薇ばかり希望している。それをモチーフにした小物も徐々に増えていっていて、侍女のサラはそんな突然の変化に少し怪訝な顔をしているようだ。

 やっぱり欲しいなぁ……、とミアはイヤリングを見つめる。
 金額的には大したことない商品だが、現在お金を持っていないミアが購入すると、請求書が実家に回るため絶対に両親にバレる。
『こんなオモチャを買うくらいならまともな宝石を買いなさい』と恐らく父は言うだろう。彼を想って買ったイヤリングに文句を言われるのは絶対嫌だった。
 買うべきか、買わないべきか。
 イヤリングを手に取って光に翳し、また棚に戻してみてはため息をつく。


 遠征軍の凱旋からもうすぐ2ヶ月になる。
 もしも彼が無傷で帰還しているのなら日常生活に戻っている頃だろう。
 王城警備兵の顔は飽きるほど眺め回した。軍の訓練所にも何度も通ったし、これまで避けていた社交界にも顔を出し、貴族男性の顔はあらかた覚えてしまった。
 でもどこにも彼はいなかった。

 よく考えたらお互い名前すら知らない者同士なのだ。
 ミアと彼との間にあるのは、月夜の儚い口約束だけ。それも何か具体的な約束があった訳ではない。ただ、待っていて欲しいと言われただけである。
 もしかしたら彼は、もう既に恋人を見つけてミアの存在など忘れているのかもしれない。それならもう会わない方がいいだろう。彼の逞しい腕に誰か別の女性が寄り添っている姿を目の当たりにするなど、ミアには耐えられそうにないから。

 だが、もし彼が戦争で命を落としてしまったのだとしたらーーー。
 これまで何度も考えようとしては、必死に追い出していた思考がじわりと顔をのぞかせる。
 彼が生きてさえいれば。例え他の女性に愛を囁いていたとしても、ミアはあの夜の思い出だけを糧に生きていけるだろう。
 でも彼がいない世界になど意味がなかった。
 いっそのこと、修道院に入ってしまおうか。彼の魂を弔いながら、一生神に仕える生活も悪くないかもしれない。


 一度悪い方に傾いた思考は元に戻らず、ミアの目の前がじわりと滲む。
 スカートをぎゅっと握りしめながら耐えていると、横から大きな手が伸ばされた。自然に目で追うと、なんとあのイヤリングをひょいと摘み上げたではないか。
「待って! それ今ちょうど迷ってたところなんですっ」
 ミアは慌てて叫んだ。
 それはミアが先に目をつけていた商品だ。ずっと決めかねていたけれど、誰かに取られてしまうと思ったら急に惜しくなる。

 なんとかこちらに譲ってもらえないかと手の主を振り返ったミアは、しかし驚きのあまり目を大きく見開いた。
「プレゼントしたい人がいるんだ。よかったら私に譲ってもらえるかな」
「…………っ」
 耳に心地いい低音で、聞く者全てを魅了するようなこの声は。
 自分の目に映る光景が信じられず、ただ呆然と佇むミアの前には、いつか見たのと同じ、悪戯っぽい表情を浮かべた彼が立っていた。
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