恋に恋するお年頃

柳月ほたる

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第三章

4 夕闇のキス

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「実は、もう何度も申し込んでいたんだ」
 彼がそう言い出したのは、飽きるほどにミアの髪を撫でた後だった。
 髪を離れた手は彼女の細い首筋を掠め、柔い耳たぶをつまみ、ミアはその度に小さく反応してしまう。
「……ゃ、ん…………? どういうこと?」
 そして彼が話し始めた内容は、ミアにとってはあまりにも思い掛けない内容だった。
 なんと彼は、何度もコンティーニ家に正式な求婚を行っては断られ続けていたのだという。父に会い、慣例に則った書類を渡し、時にはミアに宛てた手紙や彼の絵姿まで託していたのだそうだ。

「う、うそ……!」
「本当だ。君の兄上には、君が結婚を嫌がっていると聞かされた」
「……え。……あ、あぁ……」
 思い当たることがありすぎた。
 これまで、舞い込む縁談はろくに見もしないで全て断っていた。時には直筆の手紙らしきものが来たこともあるが、けんもほろろな断りの返事を書くのはいつも父の役目だ。まさか彼がミアの素性を知っているとは思わなかったから、正規のルートで申し込んでくるとは思わなかったのだ。
 それが思わぬところでアルベルトとの関わりを断(た)っていたと知り、ミアはすっかり青くなる。
「あなたを待っていたから誰とも結婚しないって言ってたの。でも、もしもあなただって気付いてたらちゃんとお返事してたわ。本当よ。信じて……?」
 彼の絵姿があるなんて知っていたら、絶対に自分で見ていたのに。そして宝物にしていたのに。

 すっかりしょげてしまったミアのおとがいがそっと持ち上げられた。
「では、どんな男からの求婚の申し出も見てないということ?」
「そうよ。私……私、ずっとあなただけって決めてたわ」
 彼の顔が近くなる。吐息すら感じられそうな距離にどぎまぎしながら、ミアはまっすぐに彼を見つめて答えた。
 こんな直接的な言葉で愛を囁くなんて、淑女としては褒められたものではないだろう。社交界の華ともいうべき美しい貴婦人は、本心は心の奥深くに隠したまま、艶やかな微笑みで恋の駆け引きを楽しむものだ。
 だが駆け引きが下手くそだと思われる方が、彼の求婚を断っていたなんて誤解されるよりも遥かによかった。

 目が潤みそうになるのを必死に耐えていると、彼の表情がふと緩む。
「……ったく、そんな殺し文句をどこで覚えてきた?」
「え……?」
 その瞬間、ミアの体がぐいと引き寄せられる。
 何が、と聞こうとして小さく開いた桜色の唇に、アルベルトの唇がそっと重ねられた。驚きのあまり目を大きく見開いた彼女は、慌てて目をぎゅっと閉じる。
「……ふ、……ん……っ」
 何度も何度も角度を変えて、2人の唇が合わせられた。
 初めて感じる他人の唇はとても柔らかくて、温かくて、そして心地がいい。頭がぼうっとなって、全てが彼の色に塗り替えられたようで、ミアは溺れてしまったように逞しい腕の中に囚われる。
 唇を触れ合わせているだけなのに、体が熱い。お腹の奥がきゅんと疼いて、どうしてじんわりと熱いんだろう。

 ちゅ、と小さな音を立てて彼が離れていっても、ミアは焦点の合わない瞳でぼんやりとしたままだった。くちづけがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。
 やめちゃいや。お願い、もっとして。
「ねぇ、アル……」
 誘惑するように唇を舐めたミアを、アルベルトは苦しそうに引き離す。どうして?! と抗議の視線を送ると、彼は切なそうに眉を寄せた。
「これ以上したら我慢できなくなるだろう。この先は、3日後に」
 だからいい子にしていて? と頬に手をあてられ、ミアは続きをねだる言葉を飲み込んだ。そして散々迷った末に、仕方なくこくんと頷く。
 本当は今すぐにもっとして欲しいけれど、わがままを言って愛想を尽かされては元も子もない。あと3日すればまた会えるのだから、今は我慢の時だ。
「今度会った時はいっぱいキスしてね?」
 だからせめて約束してもらおうとそうお願いすれば、アルベルトはひくりと頬を引き攣らせた。
「…………これで無自覚だからな」
「?」
 遠くでまた教会の鐘の音が聞こえる。
 辺りは夕闇に包まれ始めていた。




「お父様、ただいま帰りました」
 ミアが自宅に戻ったのは、すっかり日が暮れてからだった。結局あの後、別れがたくてしばらく一緒にいたのだ。
 エントランスまで出迎えてくれたサラに続いて食堂に入ると、夕食前だというのに父は既に出来上がってしまっていた。
「おぉ、おかえり。かなり遅かったようだが、そんなに話が弾んだのかい」
「え……あの、ダンドリー商会でしばらく会っていなかったお友達にお会いしたの。つい話し込んでしまったから遅くなってしまったのよ。心配をかけてごめんなさい」
「そうか、それならいい。こちらは何も問題なく終わったよ」
 それは王太子殿下の訪問のことだろう。どうやら父は厄介事が片付いた祝いに酒盛りをしていたようだ。
 コスタンツィ家の領地には良質なブドウが取れる広大な畑があり、ワインの産地としても知られている。そのため父も兄もみな酒豪であった。

「いやぁ、ミアにも見せてやりたかったよ。あいつの悔しそうな顔を」
「こら、殿下に向かってあいつなどと言うんじゃない」
 乳兄弟の気安さで王太子殿下を『あいつ』と呼ぶクラウディオを窘めた父も、内心では同意しているようで表情が緩んでいる。
「父上、申し訳ありません。しかし今思い出しても爽快だ。ミア、お前がいないと知るとすぐに帰って行ったんだ。戦勝祝賀会にも来て欲しいと言っていたが、ちゃんと断っておいたからな」
 兄がまたワイングラスを煽り、もういい加減にしなさいと母に怒られている。
 しかしその言葉で、ミアは大事な話を思い出した。
「あのね、お父様。祝賀会のことなんだけど、私、やっぱり出席しようと思ってるの」
「は?!」
 兄が思いっきり咽せる。ゲフゲフと咳き込み、その飛沫が飛んできそうになったため、ミアはお気に入りのドレスを汚されないよう慌てて避けた。
「今日会ったお友達に一緒に行きましょうって誘われたの。だから行ってもいいでしょう? 王太子様には会わないように、隅っこの方にいるわ」
「……まぁ、ミアがそう言うなら止めはしないが」
「父上!」
 父は苦々しい顔をしているが、基本的にミアのやりたいことに反対はしない。
 クラウディオは真っ向から異を唱えていたが、父に一喝されて渋々黙った。

 父の許可を得て、ミアはうきうきと踊り出しそうな気分だった。
 これで3日後はアルベルトと一緒にいられる。今日のように短い間ではなく、一晩中ずっとだ。
 衣装を新調する時間はないから、今持っているドレスでいかに美しく装うか考えなくてはいけない。大好きな人のために着飾るのはなんて楽しいのだろう。
 ミアはそれから3日間、母が呆れるくらい衣装室に入り浸りだった。
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