恋に恋するお年頃

柳月ほたる

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第三章

5 戦勝祝賀会へ

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 ミアが戦勝祝賀会のために選んだのは、淡いピンク色が彼女の可憐さを引き立てる可愛らしいドレスだった。
 大きく開いた胸元には真っ白なレースが幾重にもあしらわれ、可愛さの中にも上品な慎み深さを演出している。ふんわりとしたシルエットのスカートには、裾に向かって無数のビーズが縫い付けられており、ミアが歩く度に虹色に反射するのが美しい。
 髪飾りとアクセサリーは白で統一した。
 もちろんイヤリングはアルベルトにプレゼントしてもらったものである。『こんなイヤリング持っていらっしゃいましたか?』と怪訝な顔をするサラには、先日ヴィオラからもらったのだと嘘をついてしまったのが少しだけ気が咎めているが。


 さて、今日の祝賀会は王城を最大限に開放して行われている。
 数百人が軽々と収容できるきらびやかな大広間では、国王の手から直接勲章が手渡される授与式とダンスパーティが開催される予定だ。大広間から直接出られる広大な庭園には大きな篝火がいくつも焚かれ、整然と並べられたテーブルには料理人が腕によりをかけた料理や大量の酒が並んでいる。
 そして2階には、男性しか立ち入れないカードルームや、女性専用の談話室も用意してある。もちろん人目につかない廊下を渡った先には、このような夜会につきものの休憩室(・・・)もあるそうだ。

 休憩室という言葉を思い出して、庭園の隅っこで佇んでいたミアはぽっと頬を染める。
 どうしよう、ミアが思っていたのとは別の意味があるなんて、今の今まで知らなかったのに。

『仕方ない、そろそろミアにもきちんと教育をせんといかんな』
 ミアが祝賀会に1人で出席すると決まると、父が重々しく切り出した。
 今までは父や兄がエスコートしてくれていたのだが、今回はアルベルトと約束がある。だからどうしても家族と共に行動する訳にはいかず、頑なにそれを断ったのだ。
『あなた、ミアは立派な成人です。遅すぎるくらいですよ?』
『いや、それはそうだが……』
『……一体どんな教育ですか?』
 どことなく気まずそうにしている両親に問うと、母にそっと手招きされた。そして母の私室に連れて行かれ、ミアはいろいろな話を聞いてしまった。それはもう刺激的なあれこれを。
 母の話を聞いている間、ミアはただひたすら目を丸くして、『まぁ』とか『そんな』など、感嘆の言葉ばかりうわごとのように呟いていたように思う。
『いいわね、ミア。お父様の目がないとたくさんの誘惑や危険があるわ。中には甘い言葉であなたを誘って遊んだ挙句、すぐに捨てて逃げてしまう悪い男の人もいるの。そんな時、一番傷つくのは誰?』
『……私?』
『そうよ。あなたの体も心も傷つくわね。悪い噂が立てばまともな縁談も来なくなるでしょう。だから簡単に男の人に着いて行っては駄目。お父様もお母様も、あなたには結婚まで綺麗な体でいて欲しいと思っているのよ。いいわね?』
『はい、お母様』

 ミアが従順に頷くと、母は満足げに微笑んで1冊の本を貸してくれた。
 そこには母が教えてくれた内容をさらに詳細にした男女のあれこれが解説図付きで載っていて、自室に帰ってから本を開いたミアは思わずひっくり返りそうになってしまったのだ。
『し、信じられない……っ』
 目を覆いたくなるような赤裸々な内容に、ミアは思わず本を取り落とす。
 そこで初めてミアは、舞踏会のあの日、アルベルトが一体何をしようとしていたのかに思い当たる。それに次いで休憩室の意味にも。
 何も知らなかったとはいえ、自分がいかに間抜けな返答をしていたのかと思うと恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
『で、でも……やっぱり純潔は守らないといけないわよね』
 アルベルトは母の言うような『悪い人』に該当するとは思えないが、両親の期待を裏切ってはいけない。
 結婚の約束も何もしていな段階で体の関係を結ぼうとしていたということは、多分彼も、貴族の未婚女性が清い体でいなければならないと知らなかったのだろう。だから事情を話せば分かってくれるはずだ。
 でも……キスをするくらいならいいだろうか。祝賀会で彼に会ったら一晩中おしゃべりをして、そしてできるならまたキスをしてもらいたい。
 ミアは一人で、そんな甘い想像に酔いしれた。



「ミア! あなたも来ていたの?」
 庭園の隅っこできょろきょろとアルベルトを探していると、ミアはよく見知った人にばったりと出会った。美しく飾り立てた従姉妹のヴィオラである。
「今日は出席しないって言ってたじゃないの。もう、知っていたら一緒に来たのに」
 残念そうに言われて、ミアは慌てて謝る。
「ごめんなさい、急に決まったのよ」
 3日前にダンドリー商会でおしゃべりをした時、実はミアはヴィオラとオルガから一緒に祝賀会に行こうと誘われていた。だがその時点では出席しない予定だったため、誘いを断っていたのだ。

「オルガはどこ? それにレオン様にもご挨拶をしたいのだけれど」
 レオンはヴィオラの婚約者である。
 彼は子爵家の三男で、いつも笑顔を絶やさない穏やかな人だ。
 一般的に貴族の次男、三男は、学問の才能があれば医師や法律家や官吏に、体力に自信があれば騎士に、または女子しかいない家に婿入りして爵位を取ることになっている。
 そんな中でレオンは商売に興味があったようで、早々にダンドリー商会で働き始めた。そしてみるみるうちに頭角を現し、今ではヴィオラの婚約者としてダンドリー商会の跡取りにおさまっているのだ。そのためこういう人が集まる場では、人脈作りに新しい商談にと忙しくなかなか掴まらないのが常である。

「ほら、2人ともあっち。どうにかしてステファン様とお近づきになりたいんですって。レオンはね、今度は武具にも商売の手を広げようとしているらしいの」
 ヴィオラが煌々と明かりが灯る大広間を指差した。
 きらめく空間で優雅なダンスを披露する人々の向こうには、大きな人だかりが2つ見える。それはヴィオラに聞くまでもなく、王太子殿下と、公爵家嫡男・ステファンを囲む人々だ。
「まぁ……、あの中に?」
 目当ての人物は一人しかいないというのに、そこは大勢の人が詰めかけている。
 彼らの功績を讃えたい紳士もいれば、オルガのようにダンスの誘いを待っている年頃の令嬢もいるのだろう。ミアは夜会で一度、軍の訓練所で一度ステファンを見かけたが、確かにオルガが夢中になるのもわかる美貌の貴公子だった。
 しかしあの中で目立ってステファンと知り合うのはなかなか大変そうだ。

「今日の主役はあのお二方ね。ちないにオルガはミントグリーンのドレスで、レオンは濃紺のジュストコールよ。見えるかしら?」
 そう言われてみれば、片方の人だかりの端っこの方で見え隠れするミントグリーンに見覚えがあるような。しかしあまりにも遠すぎる。
「……ごめんなさい、分からないわ」
「ふふふ、実は私もなの。ちょっと探しに行って来るわね」
「ええ、じゃあまた後で」
 大人っぽいボルドーのドレスを翻してヴィオラが行ってしまうと、ミアは小さくため息をついた。
 こんなにたくさんの人がいたら、彼を見つけるのはとても大変そうだ。
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