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10 『愛』がかえる場所
しおりを挟む「……っ!いた」
町から随分離れた、旧市街地の路地裏に彼女はいた。彼女の『愛』を結晶化した場所だ。ここまで来るのに、どれだけ走ったことか……。
「………」
彼女は生気のない顔で地面に座り込み、空を見上げていた。近くまで来たこちらに気づくこともない。よっぽど精神的に参っているのだろう。そんな姿になってしまった彼女の前に立つ。
「こんにちは」
そう言いながら、彼女と目を合わせるようにしゃがむ。彼女はゆっくりと、私に目の焦点をあわせた。昨日の元気な彼女とは正反対の様子に、「やはり」という思いが強くなる。
「今の気分は……どうですか」
本人が自分の状態をどれほど理解しているのかを確認する。……残酷なことをしていると我ながら思う。明らかに苦しんでいる人に、その苦しみを語れというのだから。
「……ああ、あんたね。気分?最高よ、だって何も感じないもの!」
言葉とは裏腹に、顔は疲れ切っていた。とても最高の気分の人がする顔ではない。しかし、まずいことになった。ここまで堕ちてしまっているとは思わなかった。
「違和感はないんですね」
「ええ、これが私のあるべき姿だったのよ!」
狂ったように笑う姿は、とても痛々しい。
この姿が『愛』を捨て、『思い出』を捨て、『自分の一部』を捨ててしまった人の末路か。だが、一晩でこんな姿になるのはいくらなんでも早すぎる。何かがおかしい。
「いいえ、あなたのそれは紛いものです」
「……はあ?」
「『魔女の理』に則り、あなたの『愛』をかえします」
『魔女の理』の一条。結晶が消えなかった時、その結晶の主がどう思おうが『愛』をその人にかえすこと。かつてそれを教えてくれた人を思い出す。
(私は上手くやれていますか)
「嫌よ!あんな苦しいモノなんていらないわ!せっかく捨てたのに、どうしてもどそうとするの?!」
激しく抵抗する彼女を抑える。
「落ち着いてください。別の方法もあります」
「別の、方法」
「はい、この『愛』をまた得るのが嫌なら」
そこで言葉をくぎり、暴れるのをやめた彼女の目をまっすぐ見る。
「消しましょう」
「け、消す?」
困惑した様子の彼女にやさしく囁く。
「あなたがかつて愛していた彼を、消すんです」
微笑む悪魔に魅入った人間は、静かに頷いた。
「シロちゃん、遅いなぁ」
キリルは頼まれた通り、廃墟になった教会まで来ていた。
「あの……3番隊隊長が僕のような下っ端騎士になんの用ですか……?」
そう、例の痴話げんかを繰り広げていた男を引き連れて。
「うーん、まあしばらく待ってたらわかるさ」
軽くそう答える上官に、不安を隠しきれないようだ。目をキョロキョロと泳がせている。
「ん?」
キリルが何かを感じ取ると、遠くからこちらにやってくる人影が見えた。シルエットからみるに、どうやら一人の女性のようだ。
女性はそばまでやってきた。
「レイラ?レイラじゃないか!」
「オーべル、久しぶりね」
「何言ってるんだ?昨日も会ったじゃないか。あと本当にごめん!昨日のことはちゃんと話し合おう!」
人影が自分の恋人だとわかり、安心したように彼女に近づく。
二人の様子を見守っていたキリルは、女性の違和感に気が付いたようだ。しかし、手をだすことなく傍観することにしたみたいだ。彼は、崩れかけた教会の壁に背を預けた。
「ああ、昨日?そういえばそうだったわね」
「本当にどうしたんだ。今日の君はどこかおかしいよ」
男は心配したように女に近づく。それを拒絶するように、女は男から離れた。
「近寄らないで。私はもうあんたの知る私じゃないの」
「ど、どういうことだ?」
女の冷たい対応に傷つきながら、男はそれでも対話を試みる。そんな態度を嘲笑うように、女は男の相手をしようとしない。
「だからね、あなたには消えてもらうの」
「頼む、僕の話を聞いてくれ!」
「あんたはいつもそう!!」
男の言葉に、女は心が乱されたようだ。せき止められていた気持ちが濁流のように口からでていく。
「全部、全部全部!上辺の言葉だけ!!」
気圧されたように男は口をつぐんだ。女の言葉は止まらない。いや、もう自分では止まれないのだろう。
「話し合いでわかりあえる……?嘘つかないで!私の心が言葉で満たされたことなんてない!」
「そんな……」
男はショックを受けたように固まる。今まで努力してきたことを否定されてしまったからかもしれない。
「どうせ……どうせ、あんただって私のことをアクセサリー程度にしか思ってないんでしょ!」
「違う!」
「違わない!!」
男の言葉は、もう女には届かない。憎しみに満ちた顔の彼女には、もう言葉で止めることはできないのだ。
「あんたがすれ違う女に目を向けていた時、職場で女と一緒にいた時、あんたの口から女の名前がでた時!ずっと、ずっと、ずっと!苦しかった……」
不安定な状態の女を、男が心配そうに見る。あれほど拒絶をされたにも関わらず、本気で心配している。
「だから……」
女が震える手で持つのは、鈍く光るナイフだ。その切っ先を男へと向ける。
「だから!」
「わかった」
「?!」
男は無防備に両手を広げた。「受け入れる」とでも言っているみたいだ。その男の行動に動揺した女は、握っていたナイフを胸元で抱きしめた。
「だめですよ。ナイフはこう持つんです」
雲行きが怪しくなったのを感じ、私は彼女のもとへ行きナイフを奪う。私が狙いを定めているのは、目の前の彼だ。横目でキリルさんをうかがうと、壁に背をあずけたまま動かない。傍観するらしい。
「あなたができないのなら、私がかわりにやります」
「まっ……!」
彼女の制止を聞かず、隙をつかれた彼の胸を刺す。私と彼はもつれあい、両方とも地面に倒れ込んだ。
倒れ込んだ地面に、赤い液体が染み込んでいく。
「うそ……」
目を閉じたまま動かない彼のそばへ、彼女はフラフラと近づく。私はそんな彼女の前に立ちはだかった。
「理は履行されました。これで、あなたは自由です」
その場にしゃがみこんだ彼女は、私を見上げて言った。
「こんな、こんなこと望んでなかった!私は、私はただ……」
彼のために流す涙は、次から次へと溢れている。彼女はわかっているだろうか。それが自分が捨てたはずの『愛』によるものだということを。
「彼を愛してたの!!」
「―――だそうですよ」
「え」
「僕もだよ」
刺されたはずの彼が、彼女を抱きしめた。血塗れなのはご愛嬌だ。
「え、なん、で」
「僕は刺されてないよ」
「当たり前です。私は人殺しになるつもりは毛頭ありません」
混乱する彼女に、種明かしをする。
あのナイフは、実はオモチャで私が王都で買った物であること。(あのナイフは精巧すぎて本物にみえる逸品だ)
彼についた血は、血糊で本物ではないこと。
彼を消そうという提案は嘘で、極限の状況に追い込んで本当の自分の気持ちに気づいてもらいたかったこと。
「あんた……」
彼女のいろんな感情をこめた声に、私は心の準備をする。この溜めは、十中八九爆発する予兆だ。
「はいっ」
「あたしを騙してたのねー!!」
「す、すみません~」
ガウガウと吠える彼女を彼が抑え込んでくれる。私はその間にその場を離れる。
「じゃ、あとはちゃんと二人で話し合ってくださいね!」
二人をその場に残し、ずっと傍観してくれていたキリルさんのもとへ向かった。
「で?シロちゃん、説明してくれるよね?」
「はい……」
何が起きても信じて手を出さないでほしいという願いを聞いてくれた相手を、流石に誤魔化すことはできなかった。
「―――ということがあって……」
「へえ、じゃあその能力はその人から受け継いだってことか」
「そうです……」
今回の件は能力を隠して話すことが無理だったため、魔女の能力を引き継いだ一般人ということにした。これはあながち間違いじゃない。
「じゃあ、これから彼女にその『愛』とやらをかえすの?」
「はい」
和やかに話をしている彼らのほうを見る。初めて見た時のように、ギスギスした様子はない。きっと誤解がとけたのだろう。そんな彼らのそばに近寄る。
「レイラさん、オーベルさん」
私が名前を呼んだのに驚いたのだろう。二人して目をまん丸にしている。失敬な、私だって人の名前くらい一回で覚えられるよ。
「あんた、私たちの名前知ってたのね」
「さっき互いに呼び合ってたじゃないですか……」
案の定、記憶力を舐められていた。
気を取り直して、レイラさんに問いかけた。
「レイラさん、『愛』をもどす覚悟はできてますか?」
以前とは真逆の質問をする。あの時は、「捨てる」という問いだったなぁと振り返る。
「ええ、もちろん」
彼女は彼、いやオーベルさんの手を握って言った。オーベルさんはレイラさんに頼られて嬉しそうだ。
「では、始めます」
結晶を手のひらに出す。
紫色だった結晶は桃色にもどっている。……いや、一部は赤色に変わっている。きっとレイラさんの心境の変化に呼応しているのだろう。
その結晶を握りしめた。手の中にあった結晶は一瞬輝き、あるべきところへかえっていった。そしてめまいがしたと思ったら、彼女の記憶が頭に流れ込んできた。
幼い彼女の髪を掴む女性。その様子に無関心な酒に溺れている男性。
場面が切り替わり、男性に囲まれている乾いた笑顔をした彼女。
最後に、オーベルさんと微笑みあっている彼女があらわれた。
(これが彼女の不安の根源か……)
おそらく、最初に見た男女は両親だったのだろう。あるいは養育者か。彼女は虐待を受けていたようだ。その苦しさを誤魔化すため、異性に愛を求めたのかもしれない。あの彼女の不安は、自分が愛される自信をもてないのが要因かもしれないと思った。
(でも、これからはオーベルさんが愛してくれる)
彼は刺そうとしてきたレイラさんを受け入れたほどだ。そうとうの愛情がないとあんなことはできない。未来がどうなったとしても、彼らが幸せであってほしいと願った。
(あれ、目の前が暗く……)
脳に負荷がかかったのか、目を開けることなく意識を手放した。
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