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第1章 魔王の再臨/プロローグ

第6話 材料採取4日目

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 目を覚ますと日の出の少し前だった。
 ベッドから出てカーテンと窓を開けるとまだ肌寒い外気と港町ならではの潮の香りの風が部屋に入ってきた。
 街は徐々に眠りから覚めつつある。
 市場では既に人が働き出し、野良犬や野良猫が散歩を始めていた。
 暫く街を眺めてから俺も朝の支度に取り掛かることにした。

「今日はいよいよ最後の材料ですね。人魚のランタンマーメイド・リュヒテュは船をチャーターしてブーテ海の中心まで行って…人魚から譲ってもらわないと手に入りません。大変レアなアイテムなんですけど、何か物々交換出来そうな高価なものありますか…?ランタンは交換できるもの1つにつき1つしか交換できないので交換するものは3つ必要になります。」
 アレファンデルがチラリと鱗を見せたのを制して航海に行く前に何か交換できそうなアイテムを探しに行く事を提案した。
「レーニエ周辺で交換できそうなアイテムを見つけられないか?採取や狩猟でもいい。」
「そうですね…例えば、ですけど黒曜蝶オブシディ・フライの蜜壷とか、猫魚フィーライン・レイの鱗とか、狐狸の双尾とか……」
「結構ありそうだな。」
「彼等は海水域から出られないので陸地のものは、珍しいのでしょうね。あと、人魚達にもブームがありまして…例えば今は人魚の女性達から黒曜蝶の蜜をかけたパンケーキが大人気のようですし、男性達は猫魚の鱗で作った鎧がブームで使われている鱗の枚数が多い程ステータスになっているようです。」
「ここから一番近い場所で手に入れられる物は?」
「どれも絶妙に同じくらいの距離ですね…」
「はい、はい!提案があります!」
 サティがひょこりと手を上げた。
「船のチャーターって交渉したり色々あると思うんだけど、結構時間かかるんだよね?」
「はい、そうですね…半日くらいあればなんとか上手く話をまとめられると思いますけど…」
「じゃあ、チャーターはガラに任せて僕とモロクとアレファンデル、それぞれ1つから3つアイテムを探して持ってくるっていうのはどう?お昼時に港集合にしたらそのまま出航できるよね?」
 サティは何か考えがありそうだ。
「3人それぞれ得意分野がバラバラだからな。サテーンカーリの提案は悪くないんじゃねェか?」
 アレファンデルも賛成のようだし、たまには1人で行動するのも良いだろう。
「ガラ、チャーター頼めるか?」
「勿論、任せてください!」
「では、サティの提案通りアイテムを探して昼頃港に集合にしよう。」



 サティは早速、南西の方へ向かい、アレファンデルは北東へと向かっていった。
 俺はと言えば飛行の魔法でライナム山脈へと向かっていた。
 昨日動物達を多く見かけたし、もしかしたらなにかいるかもしれない。
 昨日は2番目の山である火山だったが、今日は3番目の山に行ってみることにした。
 3番目の山は1番目、2番目の山に比べて緑豊かで深い森に覆われている。
 3番目の山の中腹辺りに小さな泉を見つけてその縁に降り立つ。
 ……さて。
 価値のあるものを探さなくては。
 泉を覗き込んでみるととても透き通った水で小魚が泳いでいるのが見えるがそれ以外に何かあるわけではなさそうだ。
 泉を背にして山の頂上を目指して登っていき、日光は木々で遮られているのに木々の下に青い花が一面に咲いている場所を通り抜け、少し丘になっている所に差し掛かったところで屈めば入れる程の穴がいくつか開いた岩を見つけた。
 中を覗いてみると何かきらりと光るものが揺れている。
 あれは何だろう…?
「『灯火トーチ』」
 明かりを照らす魔法で中を照らしてみる。
 すると、一瞬の間を置いて突然大量の黒いものが飛び出してきた。
「…っ、…!」
 時折俺の腕や顔にそれが当たり、小さな痛みが走る。
 それが全て外に出て行ってから振り返ると庭園黒曜蝶ガーデン・オブシディ・フライの群れだった。
 普通の黒曜蝶は掌の半分ほどの大きさで羽も体も全部黒く、背中に黒曜石を背負っている。
 対して庭園黒曜蝶は同じくらいの大きさで黒曜石を背負ってはいるが羽に夜の山野さんやのような美しい模様が入っている。
 先程俺にぶつかったのは何匹かの黒曜石の部分だろう。
 庭園黒曜蝶は黒曜蝶より希少価値が高い。
 この穴の中に蜜壷があれば…
 穴の中の灯火を少し奥に移動させ、穴の中に潜り込む。
 ものすごい数の蝶が飛んでいっただけあって穴は結構深く、奥へ奥へと進んでいくとまだ奥に何かがいる事に気がついた。
 ゆっくり明かりで照らしてみると、先程飛んで行った蝶達の倍程もある大きさの蝶が羽を開いて行く手を阻んでいた。
 片方の羽だけで指を広げた掌2つ分くらいもある。
 その大きな蝶の羽を押し退けようとするもびくともしない。
『お客さま、この先の立ち入りはご遠慮くださいな。』
 言葉を話す蝶…?
 口調は雌のようだが見た目の美しさと声から雄のようだ。
「…すまない。」
『いいのですよ。人間とは好奇心旺盛な生き物だと知っていますから。もっともアナタは人間とは違うニオイがするのでもしかしたら人間ではないのかもしれませんが。』
「俺は…魔王モロクだ。」
『まっ!?…魔王様でしたか…失礼しました。申し訳ありませんがこの先はアタクシどもの子供達が眠っているのです。どうかご慈悲を…』
「そういうことなら、こちらこそ悪かった。他の蝶達も休んでいたのに邪魔してしまったな…」
『………いえ…構いません。彼等はアタクシの作った群れの仲間…そう遠くへは行きませんしまたすぐ戻って休むでしょう。しかし、魔王様たるお方が何故このような穴蔵に…?』
「ここに蜜壷があるか確認したかった。人魚から人魚のランタンと引き換えるために価値あるものを探していた。」
『そうでしたか。蜜壷なら隣の穴にございますわよ。今年は沢山蓄えがあるのでどうぞお譲りします。さぁ、ご案内しましょう。』
 そう言うと蝶は俺を隣の穴へと導いた。
 その穴は先程の穴よりもずっと深く続いていて、かなり深くまで進んだところで急に蝶が岩場に止まった。
「……?」
『あなた、本当に魔王様ですか?』
「一応そのはずだが。」
『こんなに素直な魔王様がいるとは思えないのですけれど。』
「…素直?」
『アタクシの言葉全部信じますし、案内すると言ったら着いてくるし…』
「俺の知らないことは知っている者に聞くしかない。ならば信じなければ先に進めない。さっきの穴のあの先に本当はお前達の子供がいなかったとしてもこの先に蜜壷がなかったとしても。もし嘘でもそれは俺が知らない事が悪いだけだ。」
 蝶は暫く黙って羽を開いたり閉じたりしていたが、やがてぴたっと閉じ、そして突然ものすごい速さで襲いかかってきた。
 動きは蝶だが素早いスピードでこちらに飛びかかってきて思わずガードしたが、蝶はその腕に止まり俺の腕の皮を食い千切って肌に吸水管を突き立て吸血した。
「っ…」
 蝶の羽を鷲掴みにして、無理やり俺の腕から引き剥がすと蝶の口から俺の血が滴る。
『人間とは味が違うわ…っ!トロリとして濃厚で逞しい味…!うっとりしちゃう!』
「……俺の血が、欲しいのか?」
『美味しい、美味しい血!もっと欲しい!血が!アンタの血が欲しい!』
 先程までの丁寧な口調はどこへやら、血が欲しいと騒ぎ立てる。
「ならばここからたらふく飲むと良い。」
 その内、使役できる魔物…いや、一緒に働いてくれる魔物を探そうと昨日の夜俺の血で描いておいた魔法陣を蝶に近付けるとなんの躊躇いもなくその魔法陣を吸水管で吸い上げた。
『ふぐぅっ…何これっ…!アタクシに何を…っ!?』
「お前も人の事を言えないな。俺を信じただろう。」
 羽から手を離すと蝶は地面に落ちてその辺りをバタバタともがき始めた。
『身体がっ!身体が引き裂かれそう…!!痛い痛い!ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!!』
 蝶が絶叫しながら地面をのたうち回っていると、羽にヒビが入り、バリバリと割れて今までの羽とは違う美しい星空のような新しい羽に生え変わった。
『うぅぅう…はぁっはぁっ、何よ、コレッ』
「…不本意だがお前達、庭園黒曜蝶は俺に従属する魔物になってもらう。」
 攻撃性もある。
 そして大群…本の中で言っていた好ましい条件は満たしている。
『なっ…勝手すぎるじゃないっ!』
「俺を襲ったのは勝手じゃないのか?俺の腕に怪我を追わせたのも許可なく吸血したのも。」
『うっ…』
「もう儀式は済んだ。諦めろ。ただ、俺は理不尽な闘いはしない。俺についてきてくれるならお前の群れごと損はさせない。」
 蝶は羽を開いたり閉じたりしてから俺の前で羽を広げて止まった。
『んもうっ!…あーぁ…もうなっちゃったものは仕方ないわね…アンタは魔王のイメージと180度違うし怖いタイプじゃないからアンタの勝手で群れを不幸にしないって約束してくれる?それならいいわ。』
「幸せにはできないかもしれないが、俺がわざと不幸にする事はない。それに俺が呼び出していない時は基本的には今まで通り自由に生活していて構わない。」
『………分かったわ。』
 蝶がそう言うと後ろから音もなく大量の蝶が入ってきた。
 先程穴を出て行った時は庭園黒曜蝶の羽をしていたのに、今は大きな蝶と同じ星空のような羽になっている。
『アタクシはこの群れの長を勤めるターフティーポルア。ポールって呼んでちょうだい。』
「分かった。俺は魔王モロクだ。」
 蝶は数回羽をぱたぱたさせると大きな声で叫んだ。
『皆ぁ!これからはこの魔王様がアタクシ達のご主人様よ!よろしく頼んだわよ!』
 すると他の蝶達はまるで拍手でもするかのように羽をぱたぱたとさせた。
『あぁ、蜜壷が欲しいんだったわよね。いいわ。怪我させちゃったから譲ってあげる。』
「できれば3つあるとありがたい。」
『3つでいいの?もっとあるわよ?』
「それはお前達が蓄えたものだ。子供達もいるんだろう。」
『……アンタ、慈善事業してる人からしたら魔王にしとくのが勿体ないって言われそうだわね。普通魔王なら根こそぎ寄越せって言いそうなもんなのに……まあ、いいわ。ちょっと待ってて。』
 ポールが合図すると蝶達は穴の奥へと飛んでいき、拳大の蜜壷の3つを運んできた。
 これでアレファンデルとサティがもしアイテムを手に入れられなかったとしても人魚のランタンを交換してもらえるだろう。
 蜜壷を採取袋に入れて蝶達に礼を言う。
「ありがとう。これからよろしく頼む。今は少し急ぐからまた今度話をさせてくれ。」
『はいはい。気を付けて帰るのよ。』
 ポールと蝶達のは羽をぱたぱたさせて俺を見送ってくれた。



 レーニエの街に戻ると港には既に3人が集まっていた。
 …だが様子が少し変だ。
「…待たせた。」
 俺が声をかけると腕から血を流している俺を見てアレファンデルが急いで杖で傷口を治してくれた。
「一体何してきたんだ、お前は…」
「色々あって。アイテムはどうだった?」
 俺がそう言うとアレファンデルとサティは一瞬互いをチラリと見てから同時に声を上げた。
「俺の勝ち!」
「僕の勝ち!」
 むむむ、と唸る2人を見て慌てているガラに視線を送るとガラは2人を宥めた。
「どちらがレアなアイテムを集められるか勝負してたそうで…」
「勝負?」
「俺はくっきり綺麗に模様が出てる豪城石キャッスルストーンを2つだ。ふふん、俺に勝てるのか?」
「僕は鈴蘭の涙をボトル2本分集めたよ!」
 ……価値としては互角といったところだろう。
 このままにしておくのも忍びないと思い、俺は採取袋から蜜壷を取り出した。
「それじゃあ俺の勝ちだな。庭園黒曜蝶の蜜壷を3つだ。」
 俺がそう言うと2人は絶句した。
 そして2人を押し退けガラが身を乗り出した。
「庭園黒曜蝶!?よく見つけましたね!!最高級品を3つも!!」
 2人が肩を落とす中、ガラは大興奮で蜜壷を眺め回した。

 昼食を摂った後、ガラがチャーターした中型の船で港から出航した。
 潮風が心地よく、海がきらきらと輝いてとても美しい。
「航行は片道約3時間ってとこです。安全運転心掛けますんで皆さんはゆっくりしててください。」
 ガラが船を運転できるとのことで俺達は甲板に設置されている椅子に腰掛けて到着を待つ事にした。
「アレファンデル、ごめんね。僕ちょっと熱くなりすぎちゃった。」
「いや…まあ、俺も大人気なかった…」
「僕はアレファンデルみたいにモロクの怪我を治したり凄い知識があるわけじゃないからせめて何か一つでもモロクの役に立ちたかったんだ。」
「…それなら勝負とかじゃなくて努力すればいいんじゃねェの。俺は治癒の魔法は生まれつき得意だったけど知識は努力して身に付けたモンだし。そもそもお前と生きてる時間が違いすぎる。俺とお前を比べるにも不平等だろ。」
「うぅ…そっかぁ…努力かぁ…そういえば、知識の門番って生まれた時に決められるんじゃなかったっけ…?ずっと勉強続し続けてたって事だよね?」
「………あぁ、そうだな……」
 知識の門番の話になった途端、アレファンデルの顔が曇り急に声色が変わった。
「…ごめん、なんか……嫌なこと思い出させちゃったかな…ごめんね。」
「いや…ただ、今後その話題はあまり…」
「うん、わかった。本当にごめんね。」
 アレファンデルはうんと頷き、「そういえば」と話題を変えた。
「モロク、さっきの腕の傷はなんだったんだ?あんなに深い傷なのに涼しい顔しやがって…」
「あぁ、あれは…庭園黒曜蝶に……」
「あいつらこんなサイズだろ?そんな深い傷…」
 アレファンデルは手で丸を作ってサイズ感を示した。
「1匹だけ掌二つ分くらいの羽を持った蝶がいて…」
「は!?ちょっと待て、そいつに会ったのか!?庭園黒曜蝶でさえ珍しいのにそのデカさは群れの…」
「あぁ、長だと言ってた。それと5代目魔王の手記にあった魔物を使役する手順で契約した。」
 アレファンデルとサティは耳をつん裂くほどの叫びを上げた。
 思わずガラが何事かと運転室から飛び出してくるほど。
 俺がガラに大丈夫だと合図するとガラは苦笑いして再び運転室へと戻って行った。
「ちょっと待て、いつの間にそんな事に…いや、まあ、使役できる魔物がいるのはいいことだけど…っ」
「血を吸われたついでに契約した。」
「モロク!ついでって言ってるけど庭園黒曜蝶の長に出会えるってだけでも凄いことなんだよ!?」
 興奮している2人の雰囲気はすっかり元に戻ったようだ。
「そういえば契約した時に羽の模様が変わった。庭園黒曜蝶の羽から星がたくさん出ている夜みたいな模様に。」
 アレファンデルはさらに興奮してうんうんと頷いた。
「それはお前との契約用に生まれ変わったってことだ。うまい言い方が思いつかないが、つまり『お前のものになった』って印だ。」
「前の俺は火炎鰐を使役していたと読んだ。」
「あ…あー…アレは凶悪だった……まあモロクでさえも手ェ焼いてたみてェだったし…でもそうだな、普通の火炎鰐は朱色の鱗に燃えているかのような棘のある太い尾をしてる。でもアイツの鰐は血のような真っ赤な鱗を持ち二股の尾には毒々しい赤黒い棘が複数生えていて……」
 思い出しただけで身震いがしたのか、アレファンデルは自分の体をぎゅっと抱きしめてぶるりと体を震わせた。
 何か嫌な思い出があるのだろう…
「兎に角、契約した魔物は契約者専用の姿に変わるんだ。」
「もしかしたらその内会えるだろう。少し変わった奴だったが…」

 それからそれぞれ別行動している間にどんなことがあったのか話しているうちにあっという間に人魚のいるポイントに着いてしまった。
「到着しました。すぐに人魚を呼ぶので少しお待ちください。」
 航海中、人魚に渡すアイテムは3人が集めたアイテムを1つずつ渡す事に決まっていた。
 ガラが親指ほどの石を取り出して海にそっと沈めた。
 水に漬けると音を出しながら溶けていく水鳴石だ。
 キュキュキュキュキュキュ…
 ほんの小さな音だが人魚達にはよく聞こえるらしい。
 石を沈めて暫く待つと海面から静かに人魚が現れた。
「こっ…こんにちは、お買い物でしょうか…?」
「どうも、こんにちは、お嬢さん。人魚のランタンを3つ頂きたいのですが…」
 ガラは俺達の集めたアイテムを人魚に見せると人魚は困った顔をした。
「ランタン…あの…すみません、ランタンは…ちょっと……」
「ないのか?」
 アレファンデルが人魚に声をかけると、人魚はみるみるうちに真っ赤に染まっていき、顔を隠してしまった。
「ひゃぁあ…イケメンっ……じゃなくて、…こ、こ…今年は……腕利きの職人さんが、その…辞めちゃいまして…っ」
「…ふむ…どうする?モロク。」
「せめてランタンの作り方が分かれば…」
「もっ…!?もろ…!?まさか…魔ぉ…っ」
『駒鳥に 風の接吻キスを…』
 魔王、と言う言葉を口にしそうになった瞬間、サティが妖精の呪文で人魚の口を塞いだ。
 そしてアレファンデルは自分の唇に人差し指を当てて『言うな』と無言で訴えた。
「ぷはっ、す、すみません…っ、あぁあ、あのっ……モロク様でしたら先代の職人さんから預かっているものが…あります!少しお待ちください…っ」
 そう言うと人魚は再び海の中に姿を消した。
「あれ?ファームズさん、人魚さんとお知り合いだったんですか…?」
 訳を知らないガラはきょとんと俺を振り返った。
「いや、…人違いだろう。」
 それにシラを切って海の中を覗き込むと海の底から鯱のような大きな何かがこちらへ向かってきた。
「鯱だ…」
 俺がそう呟いた瞬間、突然それが俺を海に引き摺り込んだ。
 船上で3人が俺を呼ぶ声が聞こえたが、物凄い速さで海底に潜っていく。
 突然の事で潜水する準備ができていなかった俺は水を飲んでしまい、水中でゴボゴボとむせてしまった。
 鯱に敵意はないようだが…
 暫く鯱に身を任せていると、海底に大きな島のようになっている岩があり、岩の下に潜り込むトンネルのようなところへと放り込まれた。
 よくわからないがこの先に進めと言う事なのだろう。
 泳いで先に進んでいくと急に上が明るくなり、上に浮上するとすぐに水面から顔を出すことができた。
 どうやら岩の中は空洞になっていて、空気があるらしい。
「はっ…はぁ……『灯火トーチ』」
 明かりで照らしてみるとこの空間の中央に小さな陸地があり、何かが置いてあるのに気付いた。
 そちらに向かって泳いでいくと小脇に抱えられる程度の大きさの樽が4つ置いてあった。
 狭いが一度陸地に上がり、樽を見てみると樽には数字が書かれている。
 それを手に取ろうとした瞬間、何かが近くにいる気配を感じて振り向いた。
「そう、警戒しなさんな、幼い魔王よ。300年ぶりかな。私は老いたがあんたは若返ったようだな。」
 大帆烏賊クラーケンか。
「俺を知っているのか?」
「よーく知っているともさ。あんたの燃やした世界中のいろんなものを鎮火したのはこの私だよ。」
「俺は前の俺の記憶がない。でも前の俺が迷惑をかけたなら申し訳ない。」
 俺が謝罪すると大帆烏賊は豪快に笑った。
「人が変わるとはこのことか!あの乱暴者で無礼で怖いもの知らずの横暴な魔王モロクが!」
「散々な奴だったんだな…」
「そのくらいでなくては魔王とは言えまいよ。あんたは魔王だ。今世は仲良くやれそうで嬉しいよ。」
 馬鹿にされているような、訪問を歓迎されているような…
「昔話に花を咲かせたい所ではあるが、あんたが謝り倒す姿しか思い浮かばん。それにあんたも用事があるんだろう。そこの4つの樽を持っていけ。そのうち3つの中身は人魚のランタンの材料だよ。」
「材料…?」
「あぁ、最近まで私の息子が作っていたのだけどその息子が病に倒れてもうランタンを作れる状況ではなくなってしまった…私ももう老いぼれて良いものがつくれない。材料はランタン5つ分ある。作り方は1つ目の樽の中に入っている。」
「何故俺が人魚のランタンを求めにくると…?」
「昔のあんたは傲慢で我が身が一番可愛い奴だったのよ。ようするに未来の自分…あんたの為にわざわざ私に頼みに来たのさ。」
「…そうか。手間かけたな…」
「何を言う。今のあんたを見られただけで帳消しだ。それと、4つの樽のうち4つ目はあんたの竜の嫁に渡すようにだそうだ。」
「俺の嫁じゃない。」
「本当に面白い奴だ。遣いの人魚があんたのツレ達に怒られているようだ。そろそろ戻って解放してやってくれ。迎えは先程の鯱が出口に待機している。」
「……前の俺の分も礼を言う。ありがとう。いつかまた。」
 4つの樽を抱えて水に飛び込む瞬間、再び大帆烏賊の笑い声が響いた。
 来た時の道を逆に戻ると大帆烏賊の言う通り、鯱がそこに待機していた。
 鯱の背中を撫でてやると鯱は楽しそうにくるりと回って俺を背に乗せ、一気に海面に向かって上昇した。
 そして程なくして海面から勢いよく顔を出すと全員が俺の名前を呼んだ。
「はっ、…はぁ、…はぁっ…は……ありがとう。」
 船の横まで俺を運んでくれた鯱をもう一度撫でて飛行の魔法で甲板に上がる。
「あっ、あっ、あのっ、…この子すぐ楽しくなっちゃって…いきなりすいませんでした…っ」
 人魚があたふたしながら鯱を呼び寄せ何度も頭を下げた。
「いや、大丈夫だ…びっくりしたけど、凄いヒトに合わせてもらった。あのヒトによろしく伝えてくれ。」
「はっ、はいっ!」
「ガラ、ランタンの材料を貰った。一度レーニエに戻ろう。」
「わかりました。それでは、お嬢さん、また!」
 ガラが舵を切ると人魚は何度も頭を下げながら俺たちを見送ってくれた。
 甲板に四つの樽を置いてびしょびしょで顔に張り付く前髪をかき上げ、その場に腰を下ろした。
「………流石に驚いた…」
 アレファンデルもサティも何も言わずにこちらを見ている事に気付き、顔を上げると2人が一斉に視線を逸らした。
「どうした…?」
「あ…いや……」
「…なんだか…前のモロクに似てるよね…」
「まぁ…本人だし、多少若いけど顔は一緒だからな…」 
「前のモロクは前髪上げてたんだよ。そんな風に。」
 サティがそう言うとアレファンデルはサティを肘で小突いた。
「そうなのか。…あぁ、そういえばこの樽をアレファンデルにと預かってきた。」
「は?誰から?」
「さっき鯱に連れて行かれた先に大帆烏賊がいた。前の俺が何度も世話になったらしい。」
「まさか…っ!?」
 アレファンデルは慌てて船のヘリから身を乗り出してさっきまでいた場所を見たがそこには人魚さえもいなかった。
「…前の俺が大帆烏賊に預けたと言っていた。」
 アレファンデルはこちらを振り返ると俺から樽を受け取り、濡れたままの樽を抱えてその場に座り込んだ。
『あの野郎、あの約束はこの事だったのか…!!』
 わざわざ竜の言葉でそう呟いがその約束の内容は俺には何かわからない。
 前の俺と何か約束をしていたのかもしれない。
「サティ、少し体を乾かしたい。手伝ってくれないか。」
 サティに声をかけるとサティはにこりと笑って船の先頭へ行こうと言い、歩き出した。
「今のモロクは優しいね。」
「何も知らない俺が近くにいたらアレファンデルは辛いだろうからな…」

 暫く体と髪を乾かしてからアレファンデルの元へ戻ると、アレファンデルは椅子に座って海を眺めていた。
「…気使わせて悪かったな。もう落ち着いた。」
「そうか。」
 俺とサティも椅子に座り、暫くぼんやり海を眺めていた。
 日は傾いてきてそろそろ夕方に差し掛かる時間だ。
「……モロクが死ぬ何日か前に…」
 不意にアレファンデルが口を開いた。
「丸一日あいつが行方不明になった日があった。調子悪くてフラフラしてた癖に帰ってきたらやたら楽しそうで凄く腹が立った。その時にあいつ言ったんだよ。自分が死んでも俺が退屈しないように世界中8ヶ所にお楽しみをばら撒いてきてやったぞってな。これがその内の1つだったらしい。」
 そう言って左手の袖を捲ると赤い石のついたバングルが見えた。
「この石はあいつの印だ。あの野郎、キザかよ。そんなタマじゃねェ癖に。」
 ははっ、と笑うアレファンデルは嬉しそうな寂しそうな顔をしていた。
 前の俺はアレファンデルの事を大事にしていたのだろう。
 そして、アレファンデルも前の俺を大事にしてくれていたのだろう。
「…まぁ、でもあいつは良くも悪くも自分が大好きだったからな…。その後すぐに自分が死んだら生き返った新しいモロクを探し出して新しいモロクのサポーターとしてそばにいることを約束させられた。それが前に言ってたお前を探してた約束の内容だ。」
 そこまで話すとアレファンデルはその後口を閉じてしまった。
 サティも俺も何も言わず、船がレーニエにたどり着くまで3人とも黙って海を見ていた。

 その日、夕飯を食べ終え、ランタンは明日挑戦しようという事になりそれぞれの部屋に戻る際にサティは今日もアレファンデルの部屋に泊まることになった。
 自分の部屋に戻り手記を開くと昨日の続きのページには大きな魔法陣が一つだけ描かれていた。
 その魔法陣に手を翳して発動させてみる。
 すると俺の胸の辺りでバチッと音がした。
 何事かと服の中を覗いたりしてみたが特段変わった様子はなさそうだ。
 何の魔法陣なのか眺めるとどうやら何かの封印を解く魔法陣のようだということだけは分かったが…
 暫く調べてみたがよく分からず、明日アレファンデルに聞く事にして今日は体を休める事にした。

第7話へ続く
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