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第2章 背負う者 背負われる者

第1話 不穏

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 朝、目を覚ましてすぐに窓を開け、髪を漉いて一つに纏め、着替えを済ませてから両手の甲を隠す為の極薄の黒い手袋を嵌めてブーツを履く。
 そしてサティの部屋の窓を開けてサティが目を覚ましていないか確認する。
 そこまでが今の俺の朝のルーティンとなっている。
 あれからもう1週間。
 サティはまだ眠り続けている。
 アレファンデルが言うには妖精は魔力が無くなると仮死状態になる事があるという。
 妖精の姿のまま静かに眠っているサティを起こさないように静かにサティの部屋を出た。



「あっ、モロクさん、こんにちは、お久しぶりですね!」
「あぁ、少し間が開いたが…依頼見せてもらえるか?」
 久しぶりにギルドに立ち寄るといつもの受付嬢が笑顔で迎えてくれた。
「ええ、勿論です!今ですと…Sランクが2件、Aランクもそこそこありますよ。」
 そう言って依頼の詳細が書かれている紙の束を俺に差し出した。
「Sがあるのか?珍しいな…」
 Sランクの依頼は「海歌女鳥セイレーン討伐」と「キシキルリルラケ存在調査報告」…
 海歌女鳥セイレーンは上半身は女、下半身は鳥の姿をしており、海で歌を歌いその歌に釣られてやってきた船を襲う魔物だ。
 対してキシキルリルラケは男ばかりを狙う女魔王だ。
 何百年か前の被害を最後に姿を見せなくなったと依頼書の補足に記載されている。
「Sランクの難易度に差がありすぎないか?」
 俺がそう言うと受付嬢は困った顔で唸った。
「ですよねー…いくらなんでも海歌女鳥セイレーンとキシキルリルラケが同格な訳ないんですけど、このギルドうちにそれ以上のランクがないから仕方ないんです…私がランクを付けるならキシキルリルラケは超SSSクラスですよ!因みに、先だっての魔王討伐に行った勇者様が世界会議の最高騎士団から退団したって聞きました?」
「騎士団から退団…?」
 勇者様、というのはリヨンドを指しているのだろうが、リヨンドが騎士団に所属していたかは知らない。
 もしかしたらリヨンドではないのだろうか?
「そうなんですよー。だからキシキルリルラケ調査みたいな世界会議級の依頼が増えてきてて……ランクに大きな差がある依頼が来ちゃうんです。」
 世界会議が関係しているのであれば俺はそれに手出しをすることは出来ない。
 だが、キシキルリルラケは同じ魔王として何故姿を見せなくなったのか個人的に気にはなるが…
モロクさんなら何となくやれちゃう気もしますけどね。」
 一瞬、ドキッとしたが、受付嬢をちらりと見ると彼女は「冗談ですよ!ごめんなさい。」と焦って謝った。
「いや…流石に俺は…」
「そっ、そうですよねっ!えぇと、どれにします?」
 正直、キシルリルラケの存在確認と海歌女鳥セイレーンはその歌が俺には効果がないからSランクも受けられるが、あまり目立ちすぎるのもまずいと思い、Aランクの依頼を見ることにした。
 割とシンプルな狩猟や討伐、採取ばかり…。
 どれも微妙ではあったが今はあまりエンデワールから離れるのは避けたいと思い、近くで出来るものを選ぶことにした。
「…じゃあ、今回はこれを。」
 俺が選んだのはAランクのグーロ15体体討伐。
 ギルドで手続きを済ませて一度ラルフの屋敷に戻り、リヨンドがいるであろう書斎に向かった。
 ドアをノックすると俺の予想通りリヨンドから返事があった。
 ドアを開けて書き物をしていたリヨンドに近付く。
「…リヨンド、頼みがあるんだが…」
「ん?何かな?」
「俺に…剣を教えてほしい。魔力を使わずに戦う術を身に付けたい。」



「さぁ、はじめようか。」
 いつもの穏やかな声で、でもギラギラとしたの視線で目の前の魔物達を見ながらリヨンドが木の上から俺に声を掛けた。
「…いくぞ。」
 腰の刀剣を抜いて魔力を使わないよう気を引き締め、駆け出した。
 立ち向かう魔物は頭は山猫なのに体は犬のような魔物…グーロが3匹、魔力を使えば一瞬でいなせる相手だ。
 1匹が俺に向かって飛び掛かってきて、それを剣で薙ぎ払おうとしたが避けられてしまった。
 更に他の2匹は俺の左右に分かれて飛びかかろうとしているのが見え、大きく後ろに飛び退いてから一度体制を立て直して身体を捻り、遠心力を利用して右のグーロに切り付けると俺の剣がグーロの脚を擦った。
「ギャァウッ!」
「ヴゥゥウゥ…」
 魔力を使わないように戦うとどうしても動きが鈍ってしまう。
「モロク!グーロの弱点だけを狙って剣を振ってごらん!」
 リヨンドからそう声を掛けられて駆け出し、3頭のグーロが走り出した所で体を低く屈めて左右のグーロの顎の下を狙って剣を突き上げると、うまくタイミングが合い2匹の顎に突き刺さり、その勢いのまま正面から飛び掛かってきたグーロに2匹を放り投げる様にして一度間合いを取る。
 2匹はくたりと地面に倒れたまま動かない。
 残り1匹が激しい唸り声を上げて俺を威嚇し、俺もタイミングを見計らい……そして俺が先に動いた。
 振りかぶった剣の動きを予測して素早く身をかわすグーロと視線を合わせたまま、俺の腕に噛みつこうとしたグーロの頭から顎に向けて剣を突き刺した。
 頭を貫いたグーロはびくりと体を震わせるとどさりとそのばに倒れて動かなくなった。
「お疲れ様、モロク。」
「はぁ…はぁ、…力を抑える方に気が取られると目の前のターゲットに集中できなくて上手く動けないな…」
「魔力を使わずにっていう事は慣れないと感覚が難しいのかもしれないね。私は魔力を使う事は殆どないから剣技しか教えられないけど…」
 リヨンドは木から飛び降りて俺の頭をポンと撫でた。
「見た限り、モロクは突きの動きが向いてると思う。オールマイティに剣だけで闘いたい訳じゃないなら突きを極めると強力な一撃を繰り出す事ができるようになるかもしれないね。薙ぎ払いや振りかぶりは余計な動きが多く見えたから強化するなら力の流れと剣の力の受け方をもう少し理解した方がいいかも…こんな感じで解るかな?」
「…なるほど。まずは方向性を決めたほうが良さそうだな…」
 先ずは得意な突きを極めるか、弱点を補うか…
「そうだね。モロクは魔力使えば何でも出来るだろうけど、魔力が不自由になった時にも剣は役に立つだろうし、相談や稽古はいつでも付き合うからまた声かけてね。」
「ありがとう、リヨンド。」
 リヨンドは討伐の証拠となる3匹のグーロの尾を切り取り、うんと1つ頷いた。
「さぁ、残り12匹、頑張って!」



 あれからそのままリヨンドに付き合ってもらい、結局気が済むまで合計28匹のグーロを討伐してギルドに報告してからラルフの屋敷に戻った。
 ついでにリヨンドに話があるとリヨンドの書斎で向き合って座るとリヨンドが紅茶を淹れてくれた。
「リヨンド、今日はありがとう。」
「どういたしまして。またいつでも付き合うよ。」
「また頼む。…それで、話なんだが…リヨンドは世界会議最高騎士団に所属していたのか?」
「えっ?……あぁ、……うん。そうだよ。ちょっと前までね。よく知ってるね。」
「今日ギルドで魔王討伐に行った勇者が退団したと聞いてリヨンドのことなのかと…退団したのは本当なのか…?」
「…本当だよ。給料はいいんだけどね…人の命を何とも思わない組織にうんざりしたのと、そんな組織にいたらまたラルフを嫌な目にあわせちゃうかもしれないからつい最近退団したんだよ。」
「…そう、なのか…」
 俺のせいで2人に嫌な思いをさせてしまったのだろう。
 しかも殺さずに生かした挙句匿っていると知れたのだとしたら…
 モヤモヤした気持ちで俯いていると、リヨンドはふふ、と笑った。
「……モロクを庇ったことがバレてその責任を追求されたと思ったのかな?」
 ズバリ俺の心情を言い当てるリヨンドに正直に頷いた。
「ふふ、…違うから安心して。そもそもモロクが生きてる事がバレてたら今頃大騒ぎでエンデワールに騎士団が乗り込んできてるはずだよ。退団は本当に自分で決めたことなんだ。」
「ラルフは知ってるのか?これからリヨンドはどうするんだ?」
「うん、事後報告だけど話したよ。私の力は他に発揮できる所で発揮すれば良いって言ってくれたんだ。エンデワールにも聖騎士団があるし、団員は常に募集してるから少しのんびりカファレルと狩猟暮らししようと思ってるよ。獲物によっては一体で騎士団の給料並に稼げるしね。」
「リヨンドとラルフは良い関係を築いているんだな。」
 俺がそう言うとリヨンドは驚いた顔で俺を見た。
「何というか…ただ好意だけで一緒にいるというより寄り添って2人で一緒に生きてる感じがする。」
「モロクにそんな事言われるとなんだか照れ臭いね…」
 リヨンドは、ふふ、と笑って「でもそう見えたなら嬉しいよ。」と言った。

「モロク…!」
 リヨンドの部屋から自分の部屋に戻ろうとした時、アレファンデルに声をかけられた。
「アレファンデル、ただい…」
「サティが起きたぞ!」
「本当か…!?」
 その言葉を聞いて急いでサティの部屋のドアをノックするとサティの声が聞こえてきた。
 アレファンデルと一緒に部屋に入ると窓際に立っているサティが「おはよう」と笑った。
「サティ…!」
「アレファンデルから聞いたよ。僕、大分寝てたんだね。ビックリさせてごめんね。」
「いや、俺こそサティに負担をかけて悪かった…」
「僕がモロクの役に立ちたくてやったことなんだから気にしないで。でもね…」
 サティは自分が身につけているペンダントを外すと窓枠の上に置いた。
 黒くなってしまった翠玉エメラルドの石を指で撫でながら少し残念そうに笑った。
「僕とモロクの契約は強制的に終了になっちゃった…」
「石が黒くなった事が関係してるのか?」
「うん。石が黒くなったのは僕とモロクの契約が無効になったってことで…あぁ、モロクのはティターニアの加護が付いてるよね?ちょっと貸してもらえるかな?」
 俺のペンダントを外してサティに渡すと、サティはペンダントを2つ並べて妖精の言葉で『おやすみフヴァーウヴァタ加密列カモミラ』と呟いた。
 するとティターニアの石が光り、黒い石のペンダントがその光に包まれ、白い花びらになってかけらも残らず窓の外に飛んで行ってしまった。
「サティ……どういうことだ…?」
「終わってしまった契約を風に流したんだよ。妖精は一度契約すると同じ人と契約を結ぶ事は出来ないって決まりがあるんだ。あのね、妖精が仮死状態になると契約は自動的に終了しちゃうんだ。それ以上魔力を使うと死んでしまうから防衛的なものなんだって。あと、ティターニアの加護は契約強制終了の副反応防止の為に使わせて貰ったよ。妖精の契約者側に加護の副反応は僕等も予測できない悪い事が沢山起こってしまうから……もしかしてティターニアはこれを予測してたのかな…?ティターニアが加護をくれててよかった…。色んな妖精達から教えられてたのに…肝心な話を全部後回しにしちゃってごめんね。」
「…そんなに追い詰めてしまっていたのか…サティ、本当にすまない…」
「だーかーら、僕がやりたくてやった事だし、いいのっ!それに死んだ訳じゃないし。ね?ただ契約が終わっちゃっただけ。だから僕はもうモロクに対してあんなに力を発揮する事はできなくなっちゃったけど…」
 それまで黙っていたアレファンデルが一歩前に出て静かに口を開いた。
「…サティ、それでもこれからも力を貸してくれねェか?」
「え?」
「提案だが…サティさえ嫌じゃなければ俺と契約しねェか?俺がモロクの盾になる。それならお前は間接的にモロクの役に立てるだろ?勿論、じっくり考えて貰って構わねェが…」
「アレファンデル、俺の盾になんて…」
「勘違いすんなよ。お前が暴走した時に他に被害を出さない為の盾だ。何かあって闘うことになった場合、お前の前にいたら俺の命の方が危ねェからな。」
「アレファンデル!…そのアイデアいいね!そうしよう!僕と契約しよう!」
 サティはアレファンデルの手を握ってうんうんと頷いた。
「いやいや、待て待て、サティ…俺が言い出した事とはいえ、契約相手をそんなに簡単に決めて良いのか?」
「だってアレファンデルはもうずっと前から知ってる仲だし、僕が他に2人の役に立てることはないからね。」
 サティは嬉しそうににこにこ笑った。
「アレファンデル、サティ、…いつも力を貸してくれてありがとう。」
「お前は礼ばかり言う奴だな。フン、お前の為じゃねェ。俺は俺の役目を果たすのにサティの力を借してもらうのが最善と考えただけだ。」
 アレファンデルはサティの頭をポンと撫でて頷いた。
「アレファンデル、そうと決まれば早速契約しよう。」
「お前さっきまで寝てたのに大丈夫なのか?」
「うん、大分回復したから大丈夫!…じゃあ、いくよ…?」
 サティは俺にした時と同じようにアレファンデルの額に掌をかざして妖精の言葉を呟いた。
『我が名はサテーンカーリ。虹の光の理なり。光の輪の子なり。我が身、我が力、此の者竜人族アレファンデルに添いて脈と成れ。』
 カチャリ、と音がしてサティの手に再び2つの翠玉石エメラルドのペンダントが現れた。
「…よろしくね、アレファンデル。」
 そう言ってサティがアレファンデルと自分の首に新しいペンダントをかけた。
「こちらこそよろしく。」
 2人が何かを約束し合うかのようにしっかりと握手した時、何か言葉で言い表せない違和感を感じた。
 フワッとしていて、拭おうと思えば拭えるその嫌な感覚の正体…この違和感が何なのか、その時はまだよくわからなかった。



 その夜、自室で先代の手記を読んでいると開けた窓から風に乗って歌が聞こえてきた。
春の日向をイングァフィリングゾナ 撫でる風シュタイヒンザウィンド 遥かな大地をダスハーネランズ 撫でる風シュタイヒンザウィンド 霞空の薄明かりダフシュヴァッハスワップリヒトダスドンスティムズ 眠れ私の愛し子よシュラッフマインギリフトキンドゥ…』
 ほんの微かな声だがアレファンデルが竜語の歌を歌っているらしい。
 …普段荒い口調のアレファンデルからは想像できない囁くような優しい声の歌。
 じんわり胸の中が温まっていくような穏やかな感覚に身を任せ、深呼吸して本を閉じ、初めて聞くどこか懐かしい雰囲気の歌が止むまで静かに耳を澄ませた。



 翌朝、着替えた俺は念の為、サティの部屋に向かおうと自室を出ると廊下の窓を拭いていたアリスが振り向いた。
「おはようございます。」
「おはよう、アリス。」
「サテーンカーリ様は少し前にお散歩に出られましたよ。」
「…そうか。」
「モーニングをご用意致しましょう。」
 アリスはサッと掃除道具をまとめて俺を食堂へと促した。
「すまない。ありがとう。」
「いえ…あのモロク様、モーニングを召し上がった後少々私のお話にお付き合い頂きたいのですがよろしいでしょうか?」
「あぁ、勿論。」
 俺はそれに頷いてアリスと食堂に向かった。

 食堂に着いていつも座っている席に着席すると少ししてアレファンデルも食堂にやってきた。
 アレファンデルと軽く朝の挨拶を交わして軽い雑談をしている間にアリスはテキパキと朝食の支度をして俺達の目の前に皿やカップを並べて最後に紅茶を淹れた。
「よろしければアレファンデル様も食後に私のお話にお付き合いいただけませんでしょうか?」
「ん?どうした?何か相談か?」
「はい、あの…不躾ではございますがお二人の知恵と知識をお借りしたいのです。」
 アレファンデルは少し怪訝そうな顔をしてから「まずは聞いてからだな」と呟いた。

 俺とアレファンデルが朝食を終え、アリスが食器を下げ終えるとアレファンデルがそれで?と目でアリスに促した。
 アリスは咳払いをして少し小さめの声で話しにくそうに話し始めた。
「………今まで誰にもお伝えしてきませんでしたし、旦那様方にはご心配をお掛けしてしまうと思うのでご内密にお願いしたいのですが……あの、…私にはお慕いしている方がおりまして…」
「ちょっと待て、恋愛相談なら俺たちじゃない方が…」
 アレファンデルは俺をチラ見しながら少し慌ててそう言うとアリスは首を横に振った。
「いえ、…あの、恋愛相談ではないのです。私の想いは報われるべきではないものと言いますか…少し彼が特殊でして…彼の名はリリソン・シェディム・リリンと言います。」
 その名を聞いた瞬間、俺とアレファンデルはハッとした。
「そのご様子ではやはり彼のある程度の事情をご存じの様ですね…。お察しの通り、彼はキシキルリルラケ…別名リリスから産まれた悪霊の子供達シェディム・リリンなのです。」
 ただの霊でも驚きだがよりによってキシキルリルラケの悪霊に想いを寄せるとは…
「…リリソンはリリスの生み出した1番最初の悪霊で、悲しい運命を幾つも辿ってきたようでして…あっ、悪霊とは言いましても彼はとても優しくてとても紳士なので危険な霊では…」
「でも悪霊なんだろ?悪霊って言うからには何かしらあるんじゃねェのか?」
「あの、見た目がちょっとアレなのと少々悪戯好きなだけで…呪ったり殺したりするような怖い悪霊ではないのです。今回お願いしたい理由としては…四日程前にリリソンに会った時に体の左半分がしまったのです…。初めはまた彼の悪戯かと思ったのですが…彼の様子を見ているとそうではないようなのです。霊やゴーストに詳しい方々を訪ねてはみたのですが、彼の正体を口にした途端、どなたも閉口して私を追い払いました……元に戻してあげられるのであれば戻してあげたいのです。それにこのままだといつか彼の全てが無くなってしまうような気がして……何か霊の体が無くなる理由をご存知ありませんでしょうか?」
「アリス、俺はこれでも元知識の門番。もし知っている事があったとしてもトップシークレットの情報提供はできねェ。そこだけは分かってくれ。それを除いた上での話として聞いて欲しい。」
 アリスはごくりと唾を飲み込んで頷いた。
「まず、霊の体が目に見えないだけなのか本当に無くなっちまったのか、リリソンの状態について会ってみないとどの程度なのかは分からねェ。目に見えなくなってるだけの場合はその霊の意志か、何らかの力が働いた事で見えなくなった可能性がある。例えば土地の力、魔力、磁場、月の影響なんかだな。その場合は原因になっている力の源を破壊するか離れればいいだけの話だが、本当に無くなっている場合は複雑だ。」
「そういえば、リリソンは顔は見えなくなっているだけで自分では顔の左側の感覚はあると言っていました。逆に左の手足は感覚さえないと…」 
「…厄介だな。」
 アレファンデルはふぅ、と溜息をついて腕組みをしながら少し考え、再び口を開いた。
「消えてるってことは本人が消えてもいいと思っているか、はたまたリリソンがになにかあったか、もしくは…第三者に消されそうになっているのか……」
「消されそうに………?」
 青ざめたアリスの顔を見てアレファンデルはハッとして苦い顔をした。
「あくまで可能性や推測の話だ。それが答えって訳じゃねェ。それに俺もリリスを最後に見たのは300年以上前の事だし、リリスに何かあった可能性もなくはねェだろ…」
「会った事があるのですか?!」
「あぁ、ある。良い思い出じゃねェけどな。」
 本気で嫌そうな顔をするアレファンデルには何か事情があるのだろう。
 そんな様子のアレファンデルを見て、アリスは何か意を決したような顔をして俺を見た。
「……リヨンド様が騎士団にいらした事はご存知ですか?」
「あぁ、でも退団したと聞いてる。」
 アレファンデルは初耳らしく、一瞬驚いた顔をしたが直ぐに「退団したのか」と呟いた。
「左様でございます。モロク様はギルドに出入りされているのでリヨンド様が騎士団を退団した為に地方ギルドにまでSランクの依頼が来ている事はもうご存じのことと思います。」
 うん、と頷くとアリスは何かを決意したかのように深呼吸してこちらを見た。
「不躾ながらお願いがございます。ギルドに依頼が来ているキシキルリルラケの存在調査を受けて頂けませんでしょうか?」
 突然のお願いに驚いていると、アリスは深々と頭を下げた。
「ちょっと待て、リリスもモロクと同じ、魔王だって事くらいは知ってんだろ?またこいつらが衝突したら世界はただじゃ済まねェぞ…」
 『また』?
 と言うことは前の俺とリリスの間で何かあったのだろう…
 それは後で手記を巡ってみるとして…
「危険で無茶なお願いだと、…厚かましい事だと存じております…!でも、どうか……っ」
 アレファンデルが何か言おうとしたのを制してアリスに声を掛けた。
「アリス、顔を上げてくれ。俺達にやれることは協力する。…今夜リリソンに会わせて貰う事はできるか?」
 アリスはハッとした顔で小刻みに頷いた。
「恐らく可能かと…」
「解決できるかどうか約束はできないが…まずはリリソンの状態を確認したい。それと…ギルドの依頼は受けない。」
「…え?」
「俺が目立つとまずい。だからこれは…アリスからの依頼として引き受ける。」
「で、でも…私はあのような大金をご用意できませんし…」
「いつも世話になってるし、この前のコレでも沢山助けてくれただろ?その礼だと思って欲しい。」
 両手の甲をアリスに行けるとアリスは深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます!」
「絶対解決できるという自信はないができるだけ協力させてほしい。アリスは世界も俺も助けてくれた恩人だ。」
 アリスは「とんでもございません」と消え入りそうに呟いてからまた泣きそうな顔で深くお辞儀をした。
「アレファンデル、この件について悪いがサティと一緒に俺に付き合ってくれないか?」
 アレファンデルは少し考えてからゆっくり頷いた。
「本当は気が進まねェところだが俺の目的を達成する前にお前になんかあっても困るし、放っておいて世界が破滅したらそれこそ笑えねェからな…。サテーンカーリが帰ってきたら作戦会議しよう。モロクには俺の知ってるリリスの話をしておかなきゃなんねェだろうから…それにリリソンが消えそうになってるのも、タイミングよくギルドに調査依頼が出てんのも何か引っ掛かる。」
 


 食堂から切り上げ、サティが散歩から帰って来たのを見計らってアレファンデルとサティを俺の部屋に呼び、サティに一通りアリスの件を説明した。
 サティは悪霊と聞いて初めは目を白黒させていたが、話の内容を理解すると真剣に聞いてくれた。
「まずはリリスについてだ。奴は女の魔王で超ド級のサディストであり欲望に忠実な色魔だ…。昔、俺は奴に追い回されて散々な目にあった事がある…。所かまわず交戦して地形が変わる程だ。なんせ前のモロクは嫉妬深くて独占欲が強かったから……」
 アレファンデルは何かを思い出したのかぶるりと身震いして言葉を飲み込んだ。
「なんか色々あったんだね…」
 サティはアレファンデルの様子を見て憐れみを含んだ表情でそう呟いた。
「奴の今の状態も分からねェし見つけられるかすらも不明だが、兎に角モロクは何があっても絶対に奴とやり合うんじゃねェぞ。甚大な被害が出るからな…」
「もし攻撃してきたらどうする?流石に応戦しない訳にはいかないと思うが…」
「そん時はサテーンカーリと俺が時間稼ぎしながら退散するしかねェ。」
「僕も出来る限り頑張るよ!できればアリスに五鈷杵バジュラを何個か借りれたら良いんだけど…後でお願いしてみようかな。」
「確かにそうだな。よろしく頼む。」
 サティは俺がそう言うと笑顔で1つ頷いた。
「あまり時間はなさそうだし、早めにアレファンデルが最後にリリスを見た場所の近くまで行ってリリスの手がかりを探そう。最後にリリスを見たのはどの辺りか覚えてるか?」
「…ここからずっと西に行ったコルトルコルコトスという小さな集落の近くの大きなクレーターだな……」
「そのクレーターって、まさかモロクとリリスが…?」
 サティの問いにアレファンデルは溜息を吐いて頷いた。
「あの規模の魔力の衝突は2度とごめんだ……。それはさておき、数年前コルトルコルコトスでは新たなシャーマンが集落の長になったらしい。まずはそのシャーマンを訪ねてみるか。」
「あぁ、そうだな。それぞれ準備してリリソンの状態が確認でき次第出発しよう。」
 サティとアレファンデルはそれに頷いてその場は解散となった。
 1人になってすぐに先代の手記を開き、キシキルリルラケ…リリスについて手記の記載を探してみると長い長い悪口の後にリリスの特徴について書かれていた…。
 魔力の属性は俺と同じ闇。
 そして力はほぼ互角。
 話し合える相手ならいいのだが…アレファンデルの様子からそうはいかない可能性が高いか…。



 夜、リヨンド達が寝静まった頃、アリスと俺達はそっと屋敷を抜け出してエンデワールの中でも古いバーの裏へと向かった。
 アリスが言うにはこのバーの裏にある花畑に囲まれた井戸にリリソンが現れるのだという。
 今夜は丁度満月で、夜と言えど月光が街を照らす明るい夜だった。
 バーに辿り着くと、まずはアリスだけが井戸へ向かい、俺達は建物の陰に隠れてリリソンが現れるのを待っていた。
 暫くすると井戸の周りにすうっと霧のようなものが立ち込め、ついにリリソンらしき霊が現れた。
「やぁ、アリス。こんばんは。今夜は月の綺麗な良い夜だね。」
「こんばんは、リリソン。やはりその姿は変わらないのね…」
「うん、どうしてだろうねえ?まぁ、僕は悪霊と言われる存在。人間達からしたら消えるならそれに越した事はないと思うけど…」
「そんな事言わないで。あなたは害のない存在だもの…今日はリリソンに紹介したい方々に来て頂いてるの。会って貰えるかしら?」
「おや、君の友達かな?僕の姿を見て驚かないと良いんだけど…」
 アリスの合図で俺達3人はリリソンの前に出て行く。
「この気配は…ま、…魔王様!?…それと、竜人に妖精?君の友達って……」
 リリソンは少したじろぎ、オロオロしていた。
「俺はモロクだ。こちらはアレファンデルとサテーンカーリ。俺達は話を聞きにきただけだ。怯える事はない。」
「私があなたの体の半分が見えなくなってしまった理由を探って頂く様にお願いしたの。」
「え?」
「そうなったきっかけや心当たりがあれば教えてほしい。それと、リリスが今どうしてるか知っていたら教えてほしい。」
 リリソンは少しホッとした様な顔でゆっくり口を開いた。
「僕がこの様な姿になってしまった理由は…いくつか思い当たる事はあるにはあるのだけど……これは僕の問題だから皆さんに迷惑をかけるわけには…」
「俺はアリスに恩がある。そのアリスからの依頼だ。迷惑とか考えなくて良い。」
 リリソンは困った様な顔をしてから観念した様にフッと笑った。
「分かった…お話しよう。でも人間にとって有害な話も含まれるから…妖精の君、サテーンカーリと言ったかな?彼女を送ってもらえないかな?」
 アリスは小さく驚いた声を出してこちらを見た。
 そんなアリスに頷いてサティにアリスをお願いするとサティはアリスを屋敷の方へと促した。
「リリソン、また会いに来るわ。」
「……うん、また君とお話しできるのを楽しみにしているよ。」
 2人は手を振り合って、そしてアリスは俺とアレファンデルに一礼するとサティと一緒に屋敷の方へと向かっていった。
 その姿が見えなくなると、突然リリソンは大きな溜息を吐いた。
「まさかこんなことになるなんて…あぁ、アリスはなんて良い子なんだろう。」
 リリソンはそう言うと半分しかない体で井戸にひょいと腰掛けた。
「魔王様、アレファンデル君、これなら話す話は絶対にアリスに内緒にしてね?」
「あぁ、約束する。」
 俺とアレファンデルが頷くとリリソンは声を潜めて話し始めた。
「これはね、恐らくだけど要因は2つあると思ってる。まず、今2人から見えなくなっている部分の左頭と左半身、それぞれ別の理由だと思うんだ。僕の頭は君たちから見えないだけで僕はと感じてる。でも左半身は感覚がないんだ。左半身は無くなってしまったような感じだよ。僕達悪霊は母リリスの呪いが掛かってる。母は性別問わず恋多き女性ということは知ってるよね?だけど彼女の恋は全て実る訳ではない。彼女の叶わなかった恋の恨みを呪いに変換させぼくたち子供達に降り掛かっている。その呪いは恋を叶えると誰からも見えなくなってしまう呪いなんだ。」
「……リリソン……もしかしてアリスのこと……」
 アレファンデルがそう言いかけるとリリソンは苦笑いして頷いた。
「察しがいいね。……僕はね、アリスに恋してしまったんだ。これが顔半分が見えなくなってしまった理由だと思ってる。」
「……それは…切ないな。」
 思わず呟いたらしいアレファンデルの言葉にまたリリソンが苦笑いした。
「とても切ないよ。これまで何度も体験してきた。僕はここにいるのに彼女達は僕が見えなくなってしまったことで僕なんかいなくなってしまったかのように他の人と恋愛したり、結婚したり…幸せになっていく。僕はその姿を見ているしかできないからね。これは僕が母に産み出された運命だと思ってるよ…。そして体半分はこれはあくまで予想だけど、母に何かあったんだと思ってる……魔王様は呪いに耐性あるよね?アレファンデル君はどうかな?ここから先は呪われる可能性あるよ。」
「モノによるが…少なくともモロクの呪いに対する耐性はあると思う。呪い反射の呪文だけ唱えておくから話してくれ。」
「分かった。」
 アレファンデルは杖で空中に何かを描くと竜語で呪文を唱え、最後に地面に杖をトントンとついた。
「これからする僕の話に異変を感じたら話を止めてね。」
「あぁ。」
 アレファンデルが頷くとリリソンは小さく息を吐いた。
「恐らく、失恋したんだと思う。しかも振られて攻撃でも受けたのかもしれない。数ヶ月前、久しぶりに会った弟や妹達は恐ろしい事を言っていたよ…。母はイブリースを愛していると…」
 リリソンがイブリースの名を口にした瞬間、アレファンデルの首周りに黒い炎が燃え上がった。
「うっ…!」
「アレファンデル…!」
 アレファンデルに呪いが降りかかっているらしい。
 アレファンデルは仕草で俺を制し、杖で地面を何度か突くと炎は消えて無くなった。
「だ、、いじょうぶだ…リリソン、続けて問題ない…」
「…分かった。恐らく母の相手は彼だと思う。同じ魔王級の方じゃないと母を傷付けるのは困難だろうし…彼に攻撃されたなら僕のこの姿も納得できるよ。300年くらい前にも母が攻撃で傷付けられた事があって、その時も左手が無くなったことがあるからね。」
 300年前、と言う言葉を聞いて、アレファンデルは俺を見て溜息を吐いた。
 ということは以前の俺がやったのだろう…。
「リリソン、俺達がリリスと会う事はできるか?」
「モロク、お前…っ!辞めろ、今のお前じゃ…それに、リリソンだって…」
「今の俺なら大丈夫かもしれないだろ。」
 俺がそう言うとアレファンデルは目を大きく見開いた。
「以前の俺がどうだったかは記憶がないからわからない。でも今の俺はリリスと話し合いたいと思ってる。因縁はあるかもしれないが、会ってみないと話が進まないと思うが?」
 アレファンデルはグッと言葉を詰まらせ、そして大きな溜息を吐いた。
「……俺もサテーンカーリも、防御しきれる可能性は100パーセントじゃないって事、忘れんなよ?」
 俺がその言葉に頷くとアレファンデルは舌打ちしてリリソンに向き直った。
「元はコルトルコルコトスの長に話を聞きに行こうとしてたんだが、見当違いになっても仕方ねェしな…。リリソン、リリスの居場所、知ってるなら教えてほしい。」
「…そのコルトルコルコトスの長が母だよ。」
「は…?え?いやいや、リリスは魔王だぞ。人間と共存なんて…」
「そちらの魔王様だって共存できてるじゃないか。」
 アレファンデルはそう言って俺を見るリリソンに再び閉口した。
 リリソンの話が本当ならここ数百年の目撃情報がないと思ったら人間に混じって生活していた……それは人間達には恐ろしい事実かもしれないが、リリソンの指摘通り俺もこうして人間として生活しているからあり得ない話ではないのだろう。



 アレファンデルと屋敷に戻り、先に帰っていたサティに経緯を説明して近い内にコルトルコルコトスに向かう旨を伝えるとサティは二つ返事で了解してくれた。
 各々できる限りの準備を万端にして数日後に出かけることになった。
 まず手始めに俺は眠る前に手記を開き、リリスについて書いてあるページを捲り、リリスがどんな奴なのか、どんな因縁があるのか調べる事にした……のだが、ただひたすらに悪口が書かれており、あまり参考にはならない。
 前のモロクはリリスの事が兎に角嫌いだということだけは分かった。



 そしてその夜、夢を見た。
 広大な砂漠のオアシスで、長い髪の女がアルにしなだれかかっていて、それを見た瞬間、とてつもない怒りが俺の全身に込み上げてきた。
 まずは一撃魔力の球を女に向かって放つと女はその球をすんでのところでかわしてこちらを振り返った。
「危ないじゃない。カレに何かあったらどうするつもり?」
 アレファンデルは顔に青筋を立てて俺を見た。
「もっ…モロク…!」
「…モロク?あぁ~、アンタが魔王モロク?ふぅん?ねぇ、あんなゴリゴリのオトコより、アタシを選びなさいよ。アーちゃん。」
 普段厚着をしているアレファンデルだが、女に剥かれたのか、露わになっている胸元に女が手を忍ばせると俺の血管がぶちぶちと音を立てた。 
 しかも、などと呼ばれて。
「待っ…俺はモロクの番であって…」
「番?竜は夫婦の事を番と言うのね。やァだァ、動物的ーっ!うんうん、でも不倫って燃えるわよねぇ。」
「オイ、。この頭のイカレタ女は何者なんだ。」
 俺が口を開くとアルは引き攣った顔で小さく「キシキルリルラケ…」と呟いた。
「キシキルリルラケ……ほぉ、この阿婆擦れがリリスとやらか。……同じ魔王なら遠慮はいらねえよなあ?」
 先程の魔力の球とは比べ物にならない大きな魔力の塊を作り出すと、リリスはアルから少し離れて俺と同じ規模の魔力の塊を生み出した。
「野蛮ねぇ。アーちゃんがアタシの側に居るっていうのに…」

 気付くとアルが俺をきつく抱き締めていた。
「…アル?」
「…間に合った……あのままだと世界が滅びそうだったから空間を移動した…」
 アルは安心したのか、ズルズルと俺にもたれ、そのまま崩れ落ちそうになったのをしっかり抱き止める。
「…モロク、もう我を忘れるな…俺はお前の、…じゃねェか…」
 ふ、と笑ったアルの顔が凄く綺麗で、思わずその唇に口付けた。
「んん…っ、…は…っ、…遠くに来すぎた…悪ィ…少し眠らせてもらう……」
 そう言うとアルは俺の腕の中ですうっと眠りに入った。
 こいつを誰にも触れさせたくない。
 アルを怒りの冷めやらぬ胸に抱きしめたまま、キラキラ光る髪に唇を寄せた。



 思わずベッドから飛び起き、怒りに満ちている自分の胸を押さえた。
 これは、前の俺の感情なのか…?それとも、俺自身の怒りなのか…?
 少し落ち着こうと窓を開けるとまたアレファンデルの歌声が聞こえた。
 俺はアレファンデルのこの子守唄が好……
 …昔から…?いや、待て…そもそも何故この歌が子守唄だと…?
 これは前のモロクの記憶なのではないのか…?
 死んだら記憶はリセットされる筈……どういうことだ…?
 俺は急いで手袋だけ嵌め、アレファンデルの部屋へ向かい、扉をノックした。
「アレファンデル。」
 扉の中へ声をかけると少しの間を置いて鍵を開ける音がしてゆっくり扉が開いた。
「悪ィ、うるさかったか…?」
 すまなそうにしているアレファンデルを見て、俺の心の中の色んな感情がが一気に膨れ上がっていく。
「教えてほしい。俺は…今の俺がモロクなのか?それとも、前のモロクが俺なのか?この記憶は正しいのか?それとも…」
「おっ、お、落ち着け、何だ、どうした?取り敢えず部屋に…」
 アレファンデルの部屋に招き入れられ、扉が閉まったと同時にアレファンデルの肩を掴んだ。
「俺が死ぬ瞬間、アレファンデルは前の俺に膝枕したか?リリスと戦った時、アレファンデルは空間移動したか?…アレファンデルの子守唄、前の俺は好きだったか?これはただの夢なのか?それとも前の俺の記憶なのか?教えてくれ、俺の頭はどうなってる…!?」
 アレファンデルは大きく目を見開いて呆然と俺を見上げていた。
「モロク……?」
「この怒りの感情はどこから来ている!?俺の感情なのか!?それとも、…っ」
「おいおい、まずは落ち着け…っ!」
 アレファンデルは肩を掴んでいる俺の両手をぎゅっと握り、俺の顔を覗き込んだ。
「いいか、目を閉じてゆっくり深呼吸しろ。今お前の混乱を解いてやるから…」
 アレファンデルに言われた通りに目を閉じて数回深呼吸を繰り返す。
「…………大丈夫か?話、聞けるか?」
 アレファンデルの声で目を開け、頷くとアレファンデルは俺の頭をポンポンと撫でた。
「………何か夢を見たのか?」
「あぁ……これが二回目だ。前は地下に籠ってる時に俺が死ぬ瞬間の夢を見た。アレファンデルが泣きそうな顔で俺を見下ろしていて……今度はリリスと戦う直前から直後の…」
 アレファンデルは何か考えるような顔をして、そして頷いた。
「…まず、混乱してるだろうが、お前の言っていた事は全部真実だ。前のモロクが死ぬ直前、俺はモロクの頼みで確かに膝枕してやった。それにあいつは俺がさっき歌っていた子守唄が好きで子供みたいに眠る前によくせがまれた。リリスと戦った時も世界を壊しかねないと確信して隙を見てモロクをつれて空間移動して逃げた…。全部正しい記憶だ。生まれ変わると記憶が消える…筈だが、結局同じ魂が生死を繰り返している。それなら記憶の断片が多少残ることはあり得るのかもしれない。」
「………前の俺はアレファンデルを大事にしていたか?」
 アレファンデルは「へっ?」と変な声を出してから顔を赤くして口籠った。
「突拍子もなく何言って……いや、まぁ、初めはあんなだったが…でもそれは初めだけだったっていうか…大事には…してくれてたんじゃねェか…あいつなりに…」
「…じゃあ、前の俺がアレファンデルに口付けた夢を見た時、暴力的な怒りの感情が湧いてきたのはどう説明する?」
 アレファンデルは再び驚いた顔をして黙ってしまった。
「夢の中の俺に対して…ずるいと、…思ったのこの感情はどういう事だ…?」
「おま、え…何言って…」
「俺は前のモロクじゃない。…今現在、この俺がモロクの筈だ。それなのに、俺は夢ではアレファンデルの唇の感触まで知ってる…!実際には知らない筈なのに…!」
 アレファンデルは赤い顔のまま視線を右往左往させながら言葉を詰まらせて俯いてしまった。
「アレファンデルの言う通り、同じ魂が生死を繰り返しているのなら、俺は誰だ?どのモロクだ?それでも遠い過去のモロクも全部引っくるめて全部のモロクが俺なのなら、どれが俺のものでどれがどのモロクのものなんだ…?」
 頭の中には実際に体験したものも、そうではないものも、ただのイメージなのか過去の出来事なのかわからない記憶が、まるで鍋に張った水を火にかけたかのようにぽこりぽこりと浮かんでくる。
「もう限界だろ…モロク、いいか、こんなに混乱してるならお前の意志を尊重してる場合じゃねェ。明日にでもルルジアの森…俺と前のモロクの家に行くぞ。」
「嫌だ、これ以上混乱したくない…!」
 俺が頭を抱えて蹲るとアレファンデルは机に立てかけていた杖を取り、竜語で呪文を唱えた。
 すると、あんなに混乱してイライラしていた筈なのに急に気分がスッキリしてきた。
「……気付の呪文だ、気休めかも知れねェが、多少は落ち着けるだろ。…いいか。あの家には前のモロクと今のお前の為に必要なものが沢山ある。無垢な雛みたいなお前が成長していくのもおもしろいが、やっぱりそんなに悠長にはしてられねェ。これは俺の使命だし、俺の為でもありお前の為でもある。リリスに会うなら尚更必要な事だ。」
 諭すようにそう言われ、少し考えてから頷く。
「……分かった。そこに行けばこの記憶の混乱が治る可能性があるんだな?」
「あぁ、恐らく。前のモロクも軽く混乱していた事があったと言ってたし何かしら対策はあるはずだ。あの家への空間移動の準備はしておくから、お前は今日はもう寝ろ。」
 アレファンデルの言葉に頷いてアレファンデルの部屋を出ようとした時、アレファンデルが聞こえるか聞こえないから程の小さな声で呟いた。
「おやすみ、モロク…」

 明日、前の俺とアレファンデルが暮らしていた家に行けば、何かが変わるのかもしれない。
 前の俺は、俺に何を残したのだろうか…。

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