触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第三章

1.寄合 その④:異端審問

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 最近、月を蝕むものリクィヤレハという存在の有り様が変化しつつあった。

 かつて一年前に見た、フェイナーン伯の屋敷にいた奴らには確かな『忠義』があった。何か大きな目的の為にフェイナーン伯を助けるべく集まり、そして『夢』とやらの為にフェイナーン伯を切り捨てた。

 だが、ここのところあちこちで出没する月を蝕むものリクィヤレハはまるで様子が違う。諸侯派とは何ら関わりを持たず、『怒れる民アルガーディブ』のように〝思想〟がある訳でもない。

 つまり、全くのなのだ。

 例の〘人魔合一アハド・タルマ〙という術は、魔法の素質を持たない一般人にも使用可能である。【契約召喚パクトゥム】の場合では魔法使いウィザードが負担する経費魔力を、〝魔界〟の住民に負担させることで賄っているからだそうだ。

 一見、〘人魔合一アハド・タルマ〙は強大な兵力を簡単に作り出せる素晴らしいもののように思えるが、この術を成功させるには〝魔界〟の住民にが絶対の前提条件となる。

 だから、知性ある魔族の月を蝕むものリクィヤレハは数が少なく、知性なき魔物の月を蝕むものリクィヤレハが殆どだ。〝魔界〟の住民からしてみれば、得体の知れない術を自分にかけられ、しかも自分の魔力を使うとなると、【契約召喚パクトゥム】と違ってなかなか身を委ねる気にはならないのだろう。

 またその他にも、面倒な条件があるとかないとか……。ゆえに、成功率はさほど高くないと聞く。

 ――と、ここまで情報が出揃っている理由は、諸侯民宗派が手当り次第に〘人魔合一アハド・タルマ〙の術を行使し、なおかつ口止めすらせずに作り出した月を蝕むものリクィヤレハを世に放逐するという謎の行動を繰り返しているからだ。

 それが社会に混乱を齎したいからなのか、別の目的があるのか、私たちは未だ何も掴めずにいる。

 ともあれ、このような面倒事の種が社会に潜んでいるというのは宜しくない。『魔力偏差検出器バリオメーター』の探査範囲も万全ではないのだから。

 イリュリア王国内の信仰は国教会が優勢だ。諸侯派を自称するような人間ですら、生まれながらに洗礼を受けた国教会の信徒であることが多い。諸侯民宗派は極めて少数派なのである。その実態が一向に見えてこないほどに。

 国教会は排他的にして侵略的な性質を持ち、土着の民族宗教を呑み込んで支配権を広げてきた。そんな国教会が、このような原始的な多神教の暗躍を許すはずもない。

 二ヶ月ほど前、遂に国教会が大々的に批難声明を出した。

異端ペイガンである』

 以降、この件の対応は国教会に移管され、新たな対応チームが組織された。

 その名も『聖歌隊ミスティカ』――魔法使いウィザードだけで構成された異端審問官たちだ。




 警察署から人手を借りて怪我人を病院へ運んだ後、私は再び警察署に戻って事情を説明した。顔なじみということで、ちょうど手が空いていてたアーシムさんが魔法犯罪対策課の事務室で対応してくれた。

 説明が終わると、アーシムさんは手元の報告書に記入する手を止めてふうと息をついた。

「君はよくよく騒ぎに縁があるな。これで何度目だ?」
「す、すみません……大魔法祭フェストゥムに向けて肩慣らしでもと思ったんですが……」

 嫌味を言われてしまった。確かに一年前のフェイナーン伯の事件以降、よくよく騒ぎに巻き込まれるようになり、アーシムさんとはその度に顔を合わせている。しかも、今回は巻き込まれた訳じゃなく、自分から首を突っ込んでのことだから具合が悪い。

「マネ、君が見ていないと駄目だろう」
「はははっ、言って止まるタマじゃねぇのよ、これが」

 私の制服の下から這い出てきた触手がくねくねと暴れまわる。それを見て、アーシムさんはため息を吐いた。

「はぁ……しかし、今度は『寄合エクレシア』ときたか……」
「よく分かりませんけど悪人ではないと思います。なにせ、もとは一般人ですし……」
「――それは、どうだかねぇ」

 突然、ハスキーな女声が会話に割り入ってきた。振り向くと、事務室の入口に立つその声の主は、イリュリア国教会の祭服に身を包み、私とアーシムさんをじっと見下ろしていた。飄然ひょうぜんとした態度と表情だが、その視線は焼け付くように冷ややかだった。

 彼女の祭服は、一般的なものとは細かいところで意匠が異なるになっていた。その上、このタイミングで警察署を訪れるということは……つまり、彼女が例の『聖歌隊ミスティカ』の異端審問官であることを示している。

 連絡を受けて飛んできたのだろう。彼女は、事務室の中をぐるりと辺りを見渡し、再び私に目を止めた。



ケダモノどもの情報を持ってきたってのは嬢ちゃんで合ってるかい? アタシは『聖歌隊ミスティカ』のナタリー。よろしく」
「は、はい」

 差し出された手を握ると、ごつごつとした皮の厚い手が私の手を包んだ。

(……この人、る……)

 杖ダコと……これは何だ? よく分からないところに大きなタコがいくつもできている。かなり年季の入ったタコだ。一朝一夕で形作られたものではない。

 だが、私がその正体を探り当てる前にナタリーさんは手をパッと離してしまった。そして、まだアーシムさんが記入している途中の報告書を横から奪い取る。

「……ナタリー殿? まだ記入しているのだが……」
「構いやしないよ」

 いや、構うのはアーシムさんの方だろうと思ったが、当のアーシムさんが呆れ顔をしているものの何も言わないのを見て、私も口をつぐんだ。部外者が変に出しゃばっても良くない。月を蝕むものリクィヤレハの対応は、国教会が奪い取るような形で警察から移管された経緯もあり、両者の関係は今、少々デリケートなのだ。

「ふーん……世間を騒がすあの〝露出狂〟の正体はケダモノだった訳だ」
「そ、そうなんです。私としてはその悪評が自分にも降り掛かっていたので、とっ捕まえてやろうと……」
「自分にも? ……あ! ってことは、嬢ちゃんが噂のリンちゃんかい? ヘレナ嬢から話は聞いてるよ。王党派の、新しいスターだってね」
「ス、スターだなんて……」

 ナタリーさんに頭を撫でられながら、私は恥ずかしい思いでいっぱいだった。なんて風評を撒き散らしてやがるのか、あのとんちきヘレナは。次に会った時は絶対に文句を言ってやろうと決心していると、突然、ナタリーさんが「だがね――」と真剣な顔つきになる。

「ここの部分。奴ら『寄合エクレシア』は民宗派の被害者であり協力できる可能性がある――なんて文言は見逃せないねぇ。月を蝕むものリクィヤレハは例外なく異端に毒され、その支配下にあるんだ。良いケダモノなんて存在し得ないんだよ」
「えっ、いや、そんなことは……」
「ツォアルに始まり、サマリア、ガザ、果ては王都まで……月を蝕むものリクィヤレハの手によって行われた残虐非道の行跡を、まさか全て忘れてしまったというのかい? 街道を脅かす狼を狩るのは領主の務めだろう。ケダモノを狩るも、それと同じさね」

 そう言って私の顔を覗き込んでくるナタリーさんには凄まじい迫力があり、私は調子を合わせてその場しのぎでも頷くしかなかった。私が『改心』したのを見てナタリーさんはふっと満足そうに微笑み、書きかけの報告書を脇に抱えて事務室から去ってゆく。

「また顔を合わせることがないよう祈っているよ、嬢ちゃん」

 異端審問官と顔を合わせる機会なんて、こういった事件に巻き込まれた時か、或いは異端として引っ立てられた時ぐらいだろう。どっちにしろ、碌なことじゃない。

 事務室を出ていったナタリーさんの影が、窓の磨りガラス越しに廊下の向こうへ歩いてゆくのがうっすらと見える。彼女の影が完全に消えたのを見て、アーシムさんがボソリと小声で呟いた。

「新たな月を蝕むものリクィヤレハたちが『寄合エクレシア』なんてものを作るのも分かる。国教会がある以上、彼らに安息の時はない……。とにかく、月を蝕むものリクィヤレハを生み出し続けている大元おおもとを早いうちになんとかしなくてはな……」

 私は、今度は心から同意して頷いた。

「それじゃあ、私もこの辺で失礼します。ベン……ああ、王党派の方にも報告しないと」
「その必要はない。王党派への報告はこちらすると既に伝えてあるから、君は学院へ帰るといい。裏に馬車も用意させてある」
「本当ですか? 何から何まで、ありがとうございます!」

 色々とこんがらがった心が、アーシムさんの暖かい心遣いによって解されてゆく。憂鬱も少しは晴れた。

 今日は上手く行かなかったが、うじうじしても仕方がない。帰って寝よう。大魔法祭フェストゥムと夏の折節実習エクストラ・クルリクルムが控えているのだから、暫くはそちらに注力しなければならない。

(それらが片付いた暁には、必ず……!)

 必ず、あの変態をとっ捕まえてやる。
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