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結婚記念日
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夕飯の片付けが終わり風呂から出ると、ノートパソコンを開き小説を書き始める。その日の気分で玄関の段差を椅子代わりに使ってみたり、本棚に凭れてみたり。今日はリビングの隅でカチャカチャと小説を書いている。
書いていると言っても、今日は急に霧が濃くなり手元すら見えなくなるような状態なのだ。つまり、行き詰っているのだ。どこで行き詰っているかと言うと系外惑星の探査チームの地球人との遭遇で文化を吸収し変化を続ける異星人との話しが頓挫しているのだ。気がつくとスリープモードでモニターが消えるのだが、都度タッチパッドに『の』の字を書いてモニターを起こしている。まぁ、両手がキーボードの上で固まっていると言った方が良いかもしれない。
左手には傷だらけの結婚指輪。メビウスリングぽいデザインのプラチナの指輪だ。変わらぬゴールドよりも触媒にもなるプラチナ。今考えても良く分からない理由だけど僕たちは変なところで理系を意識してこの指輪を選んだ。
ちらりと真理子さんを見る。出展用の小物を作っている。仕掛品がテーブルの上に置かれている。本棚にも接着乾燥待ちや縫い付け待ちの部品が並べてある。その代わり本棚の本は紐で縛って押し入れの隙間や部屋の隅に堆く積まれている。
作業中の小物はデザイン画に注釈を入れながら進めているのを見ると新作のようだ。洋服のデザインも自分で考えていただけあって要領が良い。部品の寸法や付け方など矢印で引き出しページいっぱいに書き込んでいる。洋服を作る技は演劇部の先輩から直伝だと言っていた。演劇部と言っても舞台に立つ方ではなく衣装担当だ。歴代の衣装を手直し部員の体形に合うようにしたりロミオの衣装やジュリエットの衣装は作ったりと言っていた。もっとも裏方全般をしていたとも言っていた。何でも器用に熟す姿は理系と言うより文化系だ。
今でも不思議に思うのは、リケ女には選り取り見取りだったのに、なぜ僕を選んでくれたのか・・・・。
あの頃の僕は叶う筈がない。そんな気持ちに縛られてまま、就職先が決まって卒業が決まって、これから先は出会う事もない最後の日まで気持ちを伝える事ができなかった。
怖かった。失う事が怖かった。結論が出る事が怖かった。だけど最後の最後で思いを知ってほしい。拒絶されても仕方がない。勇気が僅かに超えた瞬間だった。
テーブルを挟んで真理子さんの事を見ていたのは覚えている。周りに誰もいない。一人だと記憶している。そこで記憶が途切れている。
後日、二人とも見つめ合ったままだったと友人に言われた。不思議と照れはなかった。一番大切な時に自分は頑張った事が誇らしかった。それなのに何と言ったのかを覚えていない。何度思い出そうとしても完全に欠落している。一番大切な記憶の筈なのにその時の証を持っていない虚無感に襲われる・・・・。
と、真理子さんがこちらを見た。
「コーヒー飲みます?」
反射的に訊いてしまった。一緒に生活をしているのに失う恐怖から解放されていない。スーパーで隣の物を取ったり、家の中で饅頭を探したり馬鹿な事をしていないと不安から逃れられない。最近は妙に良い人になったりしているけど、ちゃんとに真理子さんの隣にいられる人になれているのか? いつも不安がつきまとう。
マグカップを二つ用意する。ケーキがないのでミルクと砂糖は多めにする。電気ポットからお湯を注ぐとティースプーンで撹拌する。溢さない様に注意して運ぶ。作っている小物を汚しては元も子もないからだ。
真理子さんの方はテーブルの上を片づけてくれていた。
静かにテーブルに置く。
「ありがとう。ちょうど一息入れようと思っていたの」
接着剤の匂いとコーヒーの香りが混ざるなか、口に含む微かな音しか聞こえない。
僕は小説を書き、真理子さんは小物を作っている。別々の事をしているのに、同じ時間を過ごしている感覚があるのはなぜだろう。同じ物を見ていない。同じ事を考えていない。同じゴールを目指していないのに・・・。本を読んでいる時も同じ感覚になった。違う本を読んでいるのに、僕たちは一緒なんだと思った。
「なに考えているの?」
と、言いながら横に来て座っている。
「もうじき、結婚記念日だなって・・・」
プロポーズは覚えている。『年上女房は金の草鞋で探せと言うけど、年上ってどの位の差から言うのかな?』なんて話から進んでいった。あの時だとはっきり覚えている。
「なぜ、僕を選んでくれたのかな? リケ女には選り取り見取りだったのに・・・・」
温かい静けさが広がる。
「小説の中でしか知らなかった恋人のいる関係。女子高だったから色々な話は飛び交っていたけど、背の高い人が怖かったから何となく縁遠い世界だったの。でも、俊くんは怖く感じなかった」
まっすぐ僕を見つめている。プロポーズの時も同じだった。言葉よりも思いが伝わってくる。
「獅子座の私、俊くんは天秤座。私たちの日数の違いは知っているでしょ?」
「四十九日だよ」
真理子さんは頷いた。
「たまたま四十九日だと思っていたの。意味のある数字だと思っていなかったの。でも、違っていた。ある時、何もかも分かったの。推理小説で言えば全ての謎が解けたの。前世で私を看取ってくれたと思う。そして・・・・、追いかけて来てくれたと思う」
僕を見つめる真理子さんが涙ぐんでいる。結婚記念日の話の展開で悲しい要素はないと思っているのに、悲しい顔で見つめられてしまうとどうして良いか分からない。
「そしたら、今まで見えていなかった俊くんの優しさに気がつけたの」
思って貰えるほど優しく出来ているだろうか? ただ毎日が不安で明日も一緒にいられる事だけ、一緒にいる事を喜んでほしいだけ、それだけで精一杯。
「もう一つ気がついた事があるの」
僕の左腕を真っ直ぐに伸ばすと袖を捲った。真理子さんは右腕を伸ばすと袖を捲った。
「私たちは同じような痣があるでしょ」
「ホントだ。気がつかなかった・・・」
五百円玉ぐらいの茶色の痣。子どもの頃より薄くなっている痣、ある事さえ忘れていた痣。
「これは私たちの誓い。道に迷わない為の印だと思う。だからついて行こうと思ったの」
真理子さんの手を握った。小さい手なのに包まれている温かさがある。
前世の誓いを覚えている訳ではない。夢に現れてきた事もない。それなのに、僕たちは一緒だった。何度も一緒だったと心の奥底で感じながら生活をしていた。
思い返してみると、出会う数年前に真理子さんと同姓同名の都市伝説の噂が広まった事があった。あの時は同じ学年にいそうな名前だと思った。でも、それが予兆だと気がついたのは出会ってからだった。『同じ名前だ・・・』それが始まりだった。あれから真理子さんの前では何時も必死だった。何故そうだったのか? 今なら分かる。真理子さんの傍だったからだ。それなのに思いを伝える事は最後の最後まで出来なかった。想いが表に出ない様に全力で抑え込んで、なんてヘタレな自分だと・・・・。
一緒になれたのに、或る日突然失う恐怖が付きまとっている。今でもそうだ。突然どこを探してもいない恐怖。
「後悔してない?」
訊いてしまった。どうしようもない不安に襲われる。答えを貰うまでの時間が苦しい。
真理子さんが手を握り返してくれた。
「後悔してない。だって間違ってなかったもん」
了
書いていると言っても、今日は急に霧が濃くなり手元すら見えなくなるような状態なのだ。つまり、行き詰っているのだ。どこで行き詰っているかと言うと系外惑星の探査チームの地球人との遭遇で文化を吸収し変化を続ける異星人との話しが頓挫しているのだ。気がつくとスリープモードでモニターが消えるのだが、都度タッチパッドに『の』の字を書いてモニターを起こしている。まぁ、両手がキーボードの上で固まっていると言った方が良いかもしれない。
左手には傷だらけの結婚指輪。メビウスリングぽいデザインのプラチナの指輪だ。変わらぬゴールドよりも触媒にもなるプラチナ。今考えても良く分からない理由だけど僕たちは変なところで理系を意識してこの指輪を選んだ。
ちらりと真理子さんを見る。出展用の小物を作っている。仕掛品がテーブルの上に置かれている。本棚にも接着乾燥待ちや縫い付け待ちの部品が並べてある。その代わり本棚の本は紐で縛って押し入れの隙間や部屋の隅に堆く積まれている。
作業中の小物はデザイン画に注釈を入れながら進めているのを見ると新作のようだ。洋服のデザインも自分で考えていただけあって要領が良い。部品の寸法や付け方など矢印で引き出しページいっぱいに書き込んでいる。洋服を作る技は演劇部の先輩から直伝だと言っていた。演劇部と言っても舞台に立つ方ではなく衣装担当だ。歴代の衣装を手直し部員の体形に合うようにしたりロミオの衣装やジュリエットの衣装は作ったりと言っていた。もっとも裏方全般をしていたとも言っていた。何でも器用に熟す姿は理系と言うより文化系だ。
今でも不思議に思うのは、リケ女には選り取り見取りだったのに、なぜ僕を選んでくれたのか・・・・。
あの頃の僕は叶う筈がない。そんな気持ちに縛られてまま、就職先が決まって卒業が決まって、これから先は出会う事もない最後の日まで気持ちを伝える事ができなかった。
怖かった。失う事が怖かった。結論が出る事が怖かった。だけど最後の最後で思いを知ってほしい。拒絶されても仕方がない。勇気が僅かに超えた瞬間だった。
テーブルを挟んで真理子さんの事を見ていたのは覚えている。周りに誰もいない。一人だと記憶している。そこで記憶が途切れている。
後日、二人とも見つめ合ったままだったと友人に言われた。不思議と照れはなかった。一番大切な時に自分は頑張った事が誇らしかった。それなのに何と言ったのかを覚えていない。何度思い出そうとしても完全に欠落している。一番大切な記憶の筈なのにその時の証を持っていない虚無感に襲われる・・・・。
と、真理子さんがこちらを見た。
「コーヒー飲みます?」
反射的に訊いてしまった。一緒に生活をしているのに失う恐怖から解放されていない。スーパーで隣の物を取ったり、家の中で饅頭を探したり馬鹿な事をしていないと不安から逃れられない。最近は妙に良い人になったりしているけど、ちゃんとに真理子さんの隣にいられる人になれているのか? いつも不安がつきまとう。
マグカップを二つ用意する。ケーキがないのでミルクと砂糖は多めにする。電気ポットからお湯を注ぐとティースプーンで撹拌する。溢さない様に注意して運ぶ。作っている小物を汚しては元も子もないからだ。
真理子さんの方はテーブルの上を片づけてくれていた。
静かにテーブルに置く。
「ありがとう。ちょうど一息入れようと思っていたの」
接着剤の匂いとコーヒーの香りが混ざるなか、口に含む微かな音しか聞こえない。
僕は小説を書き、真理子さんは小物を作っている。別々の事をしているのに、同じ時間を過ごしている感覚があるのはなぜだろう。同じ物を見ていない。同じ事を考えていない。同じゴールを目指していないのに・・・。本を読んでいる時も同じ感覚になった。違う本を読んでいるのに、僕たちは一緒なんだと思った。
「なに考えているの?」
と、言いながら横に来て座っている。
「もうじき、結婚記念日だなって・・・」
プロポーズは覚えている。『年上女房は金の草鞋で探せと言うけど、年上ってどの位の差から言うのかな?』なんて話から進んでいった。あの時だとはっきり覚えている。
「なぜ、僕を選んでくれたのかな? リケ女には選り取り見取りだったのに・・・・」
温かい静けさが広がる。
「小説の中でしか知らなかった恋人のいる関係。女子高だったから色々な話は飛び交っていたけど、背の高い人が怖かったから何となく縁遠い世界だったの。でも、俊くんは怖く感じなかった」
まっすぐ僕を見つめている。プロポーズの時も同じだった。言葉よりも思いが伝わってくる。
「獅子座の私、俊くんは天秤座。私たちの日数の違いは知っているでしょ?」
「四十九日だよ」
真理子さんは頷いた。
「たまたま四十九日だと思っていたの。意味のある数字だと思っていなかったの。でも、違っていた。ある時、何もかも分かったの。推理小説で言えば全ての謎が解けたの。前世で私を看取ってくれたと思う。そして・・・・、追いかけて来てくれたと思う」
僕を見つめる真理子さんが涙ぐんでいる。結婚記念日の話の展開で悲しい要素はないと思っているのに、悲しい顔で見つめられてしまうとどうして良いか分からない。
「そしたら、今まで見えていなかった俊くんの優しさに気がつけたの」
思って貰えるほど優しく出来ているだろうか? ただ毎日が不安で明日も一緒にいられる事だけ、一緒にいる事を喜んでほしいだけ、それだけで精一杯。
「もう一つ気がついた事があるの」
僕の左腕を真っ直ぐに伸ばすと袖を捲った。真理子さんは右腕を伸ばすと袖を捲った。
「私たちは同じような痣があるでしょ」
「ホントだ。気がつかなかった・・・」
五百円玉ぐらいの茶色の痣。子どもの頃より薄くなっている痣、ある事さえ忘れていた痣。
「これは私たちの誓い。道に迷わない為の印だと思う。だからついて行こうと思ったの」
真理子さんの手を握った。小さい手なのに包まれている温かさがある。
前世の誓いを覚えている訳ではない。夢に現れてきた事もない。それなのに、僕たちは一緒だった。何度も一緒だったと心の奥底で感じながら生活をしていた。
思い返してみると、出会う数年前に真理子さんと同姓同名の都市伝説の噂が広まった事があった。あの時は同じ学年にいそうな名前だと思った。でも、それが予兆だと気がついたのは出会ってからだった。『同じ名前だ・・・』それが始まりだった。あれから真理子さんの前では何時も必死だった。何故そうだったのか? 今なら分かる。真理子さんの傍だったからだ。それなのに思いを伝える事は最後の最後まで出来なかった。想いが表に出ない様に全力で抑え込んで、なんてヘタレな自分だと・・・・。
一緒になれたのに、或る日突然失う恐怖が付きまとっている。今でもそうだ。突然どこを探してもいない恐怖。
「後悔してない?」
訊いてしまった。どうしようもない不安に襲われる。答えを貰うまでの時間が苦しい。
真理子さんが手を握り返してくれた。
「後悔してない。だって間違ってなかったもん」
了
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