夢魔

風宮 秤

文字の大きさ
7 / 10

6:痛いってこう言う事ですよ。苦しいってこう言う事ですよ。

しおりを挟む

 相手を認識できるのは厄介な事。視界の何処かに浮遊しているだけで何をする訳でもない。それとも何をしたら良いのか覚えていないのかも。そう言うのが流れてきたけれど、気になると更に気になってしまうのは困った事。

 通勤通学客で溢れる駅前で上から見たり横から見たりしている。誰かを探しているのは間違いなさそう。でも、一週間も探しているのに見つからないのはいない証拠。
 それにしても不思議なのは、駅に向かう人々が彼女にぶつかる事がない。人には見えない存在なのに。それは私も同じかな。目の前に立っても見えないはずなのにぶつからない様にすーと避けて歩いていく。どうでも良い事だけど・・・。

 今日はいつもと違うようだ。氷のような目で微動だにせずに睨みつける相手がいる。相手は普通の学生さんのようだ。彼女の感情が冷気となって溢れ出ている。見えない彼女を避ける輪も大きくなっている。これは暇つぶしに良いかも。彼女の横に降りていくと耳元で囁いた。
「あの女性、幸せそうね?」
 相手を睨んだままだけど、彼女の足元から広がる霧が答えだった。
「あの女性に死に追いやられたのね?」
 返事の代りに彼女の足元には霜が降りた。行き交う人々は足元の寒さに驚きながらも立ち止まる事なく過ぎていった。その女性も身震いをすると立ち去ってしまった。彼女は追いかけずに立ち尽くしていた。
「そうやって見ているしか出来ないのよ。あの女性が感じた寒さだって理由が分からなければ、そのまま通り過ぎるだけ」
 口惜しそうに私を見ている。
「試しに首でも絞めてみる? ほら追いかけて絞めてごらん」
 後ろから近づくと両手で首を絞めた。その女性は首元の寒さに身震いしてもそのまま行ってしまった。

 彼女は追いかけるでもなく、その場に立ち尽くした。強い恨みがありそうなのに、あの女性に憑こうとはしなかった。呪いの言葉を吐き続ける訳でもなかった。どうしてだろう?
 そのまま、夜を迎えた。誰かを探しているのは間違いなさそうだが、あの女性に恨みを抱いているのも間違いなさそうだ。
 彼女の横に行くと耳元で囁いた。
「私は夢魔。昼間のあれに楽しい夢を見させてあげようか?」
 彼女が真っ直ぐ私を見る。その目に喜びも期待もない。感情を削ぎ落して生きようとした者の目だ。人の復讐に付き合うほどのお人好しではないけど、あなたはちょっと面白そうかも。
 彼女はこくりと頷いた。
「私があなたを使ってあげる。あれの夢の中に入れてあげる」

 ワンルームの普通の部屋、ベッドにテーブルカラーボックスを使った本棚。洋服はクローゼットに収まる程度なのだろう、今日着ていた服がハンガーに掛かっているだけ。大学生としても質素かもしれない。
 あれが寝ている。彼女に何をしたのかは分からないが、恨みを買う様には見えなかった。でも、大概が普通に見えるのだと知っている。これもその一人なんだろう。
 彼女に目配せをすると、これの頬にキスをした。
「素敵な夢を楽しみなさい」
 彼女は、頷くとこれに吸い込まれていった。夢の中に入れても立っているだけではエキストラと同じでしかない。これから見ればどこかで見たかも知れない程度の相手が夢に現れても恐れるどころか気づく事もない。これが見る夢はその日に合ったかも知れない大学生活が現れては消えていた。友人や彼氏との雑談や講義の風景が断片的に現れている。彼女への自責にの念など欠片もないから夢に入り込んでもこれが意識する事はなかった。
「どう?」
 私の短い問い掛けに、ただ真っ直ぐ私を見ている。
「あなたが夢に現れたら恐れ慄くと思っていたの? あれから見れば捨てた玩具に過ぎない。いちいち憶えていないわよ」
 真っ直ぐ私を見ている。
「口惜しい? でも、そんなものよ。罪の意識を持つものなんていない。良くて学校生活に陰湿をまき散らされたと被害者意識を持つぐらいよ」
 感情が表れなくても、冷気の広がりが今までより大きい。
「ふふふ、あなたは面白いわね。無念なら明日もこれの部屋に来ると良いわ」

 翌日、彼女が現れた。部屋の温度がみるみる下がっていく。寝ているこれも寒さを感じているようだ。布団を首元まで引き上げた。
「これの夢に入っても見せているだけでは昨日と同じ」
 昨日の事は憶えているようだ。困った顔をしている。
「そうね。夢に入るだけなら昨日と同じ事の繰り返し。今度はこれに背中を向けなさい。なるべく近くに寄った方が強く作用するから。するとあなたに入り込んで憑依する事になる。これはあなたになりあなたの経験をこれは知る事になる。つまりね、一つの出来事をこれの視点とあなたの視点が混ざり合い、追体験する事になる」
 真っ直ぐ私を見ているけど、問題を理解している様には見えない。
「あなたの経験を追体験するには、憑依されている時に思い出さなくてはダメ。別の事を考えていたら、別の事を体験させてしまう」
 一瞬、戸惑いを隠せなかった。忘れたい事、思い出したくない事、フラッシュバックから逃れようとしていた事なのに、それを詳細に思い出さなくてはいけない。
 こくりと頷くと私を見た。
「今日もこれに素敵な夢を見させてあげましょう」
 彼女は夢の中に入ると、背中を向けたままこれに近づいて行った。後ろを確認しながら後退りをしている。夢の中のこれは不器用な仕草で近づいてくる彼女に苛立ちを隠さない。自分の行く手を塞ぐものを立ち止まり凝視している。
 さらに近づいたら蹴飛ばそうと思っているようだ。彼女は言われた通り背中を向けながら近づいていく。これが蹴飛ばそうと足を上げた瞬間に彼女の中に吸い込まれた。これは夢の中の夢の世界に閉じ込められた。

 これは、教室の隅で自分を怯えながら見ている事に気がついた。教科書には謂れのない事が書きなぐられていた。クラスメイトは薄ら笑いを浮かべるもの、目を合わせない様に背くもの自分の机だけ隅に追いやられている。『私が何をしたって言うの?』と思っても記憶の中の世界に新しい展開は存在しなかった。クラスメイトからの思いつきで繰り出される理不尽な要求に翻弄される。拒めばクラスのどこから報復が来るのか分からない。見えない所から色々な物が飛んでくる。ただ下を向き耐えるのが一番苦痛が少ない・・・・。

「ほら、これの顔を見てごらん。悪夢に魘されてましたって顔になっている」
 それ以上に、彼女は思い出したくもない過去を再体験し苦しみに潰されそうになっていた。しかし、それは仕方がなかった。一つ思い出せば当時気がつかなかった周りの視線も蘇ってくる。クラスメイトの一言々々が今言われているように思い出してくる。身体の痛みを思い出させ、それ以上に心の痛みを思い出させる。
「明日は、どうする?」
 彼女は毅然とすると真っ直ぐ私を見た。
 それからも、これが目を瞑る時は記憶に残る事全てを追体験させた。彼氏が安眠を貪る横で独り追体験を繰り返していた。お酒を飲めば何も覚えていないと酩酊するまで飲んでも目を瞑れば彼女に憑依させられてしまう。夢を見ないと睡眠薬を飲めば効き目が切れるまで夢の世界から逃れる事が出来なかった。憑依しない様に背中を押しのけると・・・・躱せた。喜びの隙を突くように憑依させられてしまう。決して逃れる事は出来ない。
 毎夜続く追体験に、これの目には彼女が体験した謂れなきイジメが現実の世界の出来事だと思うようになった。友人の心配も彼氏の心配も自ら行ってきたイジメの手段と区別がつかなくなっていた。
 階段で友人を突き落としたり、ホームで前に立つ女性の背中を突き飛ばしたり、これの頭の中は憑依から逃れる事だけだった。近づく者はイジメを企んでいるようにしか見えず、背中を向ける者は憑依させようとしているようにしか見えなかった。
 彼女は満足にそうにそれを見ていた。しかし、駅前で人を探すのは続けていた。毎日毎日、一人一人顔を確認して全ての人を確認したぐらいになっても探し続けていた。普通なら諦めるほどに何度も何度も探し続けていた。
「夢の世界にそろそろ飽きたでしょう? ほら、そこの階段は踏み外すためにあるのよ。赤信号は轢かれるためにあるのよ。どうする?」
 彼女は首を横に振った。だからと言ってあれを許していないのは良く分かる。自分の痛み苦しみをあれの心に刻み込んだ手応えがあるからこそ生から解き放たせない。死を与えたりしない。
「そうね・・・。では、あれに夢の種を埋め込んでおきましょう。沢山の悪夢が実りますように」

 彼女が男性に近づくとずっと見ている。春の日差しのような温かさが彼女から広がり周りの人も感じているようだ。
「あなたの記憶の中にいた男性よね?」
 懇願の眼差しを私に向けている。彼女の未練はこの男性だったようだ。
「彼の夢にもぐりたいの?」
 彼女は頷いた。次の機会はないかもしれない。そんな焦りも滲ませていた。人を不幸にするのが唯一の楽しみの私に、何と筋違いなお願いをしてくるのか・・・。
「楽しませて貰ったし、あなたは人ではなくなっているし・・・」

 彼は進学を機にこの街を離れていた。家族からは通学できるのに態々?と訝られていた。ただ、年に一度だけはこの街に忘れさせないために花を手向けに戻ってきた。自分への罰でもあった。
 彼は夢の中でも自分の弱さを呪っていた。相手にどう思われようと手を掴んでいればと変えられない過去の世界にいた。
「生きている時に、あなたの優しさに気が付けなくてごめんなさい。そして、ありがとう」
 彼の手を取ると自分の頬にあてた。
「僕の方こそ、護れなくてごめん」
 彼はそのまま優しくキスをした。彼が目を覚ます朝までのひと時が二人にとって唯一の時間となった。
「ありがとう・・・」
 彼女から陰りは消えていた。
「これが心残りだったのね」
 こくりと頷いた彼女は見上げている。彼女の温かさがゆっくりと空へと運んでいた。私が上がれない高さまで行ってしまった。
「彼の傍に転生できる事を祈っているわ」
「ありがとう」と手を振っている。
「年の差婚なんて気にするな!」
 私は彼女が見えなくなるまで見上げていた・・・。
「あ・・・、私って何を言っているんだろう」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...