73 / 75
アリー
72 レイモンドと共に
しおりを挟む
「アニーは見つかりません」
両親とピートがそう言っているのを聞いた。アニー・・・。誰のことだろう。あぁ、私のことだっけ。一瞬の後に気がついた。アニーとは妹のことだ。
最近、私は自分がおかしいと気づいていた。よく物忘れをする。人の名前や物の名前が出てこなくなったり、ある時は何故ここに自分がいるのかわからなくなったりした。どうしてそうなるのかイライラして、目の前にいるメイドを怒鳴りつける。そうすると相手はあからさまに怯えた様子を見せ、どうかすると涙ぐんだりする。
何故怯えるのだ。何故泣くのだ。私は余計に苛立ち、ますます大声で怒鳴ってやる。
「も、申し訳・・・ございません」
メイドはそう言って鼻を啜る。その顔が見苦しい。怒鳴りつけてやろうとして、気がつく。
この子の名前は何だっけ。
よく見ると知らない顔だ。新しいメイドだろうか。だとしたらまだ仕事に慣れていないだけか。どうして仕事を教えてやらないのだ。仕事のできないメイドなんて、役立たずでしかない。給金を支払う価値もないではないか。
仕事はできるからこそ仕事なのだ。できないうちは仕事をしているとはいえない。給金を貰うつもりなら役に立つ仕事をしろ。私はそんなことを言ってやった。
目の前に立っているメイドは神妙な顔をして俯いている。充分反省したようだ。しかし黙っていてはわからない。私は喋るのをやめた。様子を伺うと、それはメイドではなかった。目の前に立っていたのは、花瓶だったのだ。
私は驚いて、目の前の花瓶を凝視した。少し離れたところで、箒を手にしたメイドが目を見開いてこちらを見ていた。確かに先ほどの見苦しい顔をしたメイドだった。いつの間に移動したのか。ますます驚いて、そのメイドを睨みつけた。それは前からいたメイドだった。知らない顔だと思ったのは勘違いだった。名前も覚えている。
何かがおかしいと思いながらも、私は気にしないようにしていた。気にしたら負けのような気がしたからだ。アニーが見つからないと家中が騒いでいるが、私はもう諦めていた。アニーがいなければブライアン様との結婚もなくなる。私はレイモンドと結婚して子どもを産めばいい。
私が呼ぶとレイモンドはやってくる。そしてどこかへ連れていってくれるのだ。家から出ると自由になれる気がした。家の中ではレイモンドは使用人。でも家の外では対等になれる。
そしてレイモンドと出かける場所で、私はついにレイモンドを手に入れた。過去の時と違い、レイモンドは積極的だった。私はいつものように、レイモンドにしがみつく。何度も何度もその名を呼ぶ。愛してる愛してると言い続ける。
ブライアン様と結婚する前からずっと続けてきたことだ。結婚は祖父の命令であり、家のためにしたことだ。ブライアン様が私をどう思おうと関係ない。私は家のために生きていかなくてはいけなかったのだ。
私の代わりにアニーが刺繍をし、翻訳をしてラガン家の発展に貢献した。私が全てやったことになったけど、私ではなくブライアン様の功績だった。妻に良い仕事をさせた夫が偉いということになるのだ。
何もかもアニーにやらせてしまいたかった。妻である以上、時にはブライアン様の隣で微笑まなくてはいけない。愛してもいない男の横で、貞淑な妻を演じるのは苦痛だった。それでもこれは仕事なのだと割り切った。メイドが掃除や身の回りの世話をするのが仕事のように、ブライアン様の妻が私の仕事だった。
そして、妻である以上は跡継ぎを産む仕事は私がやらなくてはならなかった。でもブライアン様の子どもは産みたくなかった。だから愛するレイモンドとの子を宿すことにしたのだ。
レイモンドとは毎回短い時間しか会うことができなかった。医者に行くと言って出かけるからだ。馬車に乗って移動する時間がもったいないと何度も思った。レイモンドが夫であれば、出かける必要はないのだ。馬車が止まると、いつも私はレイモンドに抱きついた。ほんの少しの時間でもレイモンドの温もりを味わいたかった。
過去に何度も味わったあの気持ち。それを懐かしく感じながら、私はレイモンドを抱きしめる。彼も私をきつく抱きしめてくれる。味わったことのない充足感で私は幸福に満たされた。目を開けると、目の前のレイモンドが微笑んでいる。私も微笑み、そして・・・。
「今日も人気者ですねぇ」
「幸せなお人だ」
「こんなご令嬢も珍しいですよ」
誰かの声が聞こえる。近くに誰かいるのだろうか。見つかったらどうしようと思いながらも、見つかればもう隠す必要はないと思う。私たちは愛し合っているのだ。その気持ちは大事にすべきだ。
私は目の前のレイモンドにしがみつく。もう離れなくて済むように。背後からレイモンドが私を抱きしめてくれる。2人が離れ離れにならないように。俯くとレイモンドが私を見上げている。私だけを見てくれている。
たくさんのレイモンドが私を包み込んでくれている。レイモンドは何人もいたっけ。何だか頭がぼんやりしていて、うまく考えがまとまらない。最近はずっとこんな感じだ。おかしい、何か変だ。そういえば飲んだお茶の味が変だった気がする。でも・・・。
私にはレイモンドがいる。レイモンドだけがいる。ここにいる人、全てがレイモンドだ。早くレイラとアダムに会いたい。今度こそは、レイモンドに抱かせてあげたい。
「あんたと子作りなんて、まっぴらごめんだ。まさか、地獄の入り口に戻るとは思わなかったよ」
レイモンドの声が少し離れたところから聞こえる。目の前にレイモンドがいるはずなのに。あぁ、違った。後ろにいる人がレイモンドだ。
「でも今回はうまくいったよ。アニー様もうまく逃げられたみたいだし。悪魔は滅びる運命なんだよ」
何を言っているのだろうか。言われていることがよくわからず、聞き返そうとしてハッとした。
目の前にいる禿げた男は誰だろう。私の胸を弄るこの毛深い腕は何?辛気臭い顔の男が私を見上げているけど、これはいったい・・・。
「おやおや、気がついてしまったね」
誰かの声のあと、私の口に何かが流し込まれた。周囲がぼんやりと、カゲロウのように揺らめいている。レイモンドが私の前にいる。だから大丈夫。私は安心して目を閉じたのだった。
両親とピートがそう言っているのを聞いた。アニー・・・。誰のことだろう。あぁ、私のことだっけ。一瞬の後に気がついた。アニーとは妹のことだ。
最近、私は自分がおかしいと気づいていた。よく物忘れをする。人の名前や物の名前が出てこなくなったり、ある時は何故ここに自分がいるのかわからなくなったりした。どうしてそうなるのかイライラして、目の前にいるメイドを怒鳴りつける。そうすると相手はあからさまに怯えた様子を見せ、どうかすると涙ぐんだりする。
何故怯えるのだ。何故泣くのだ。私は余計に苛立ち、ますます大声で怒鳴ってやる。
「も、申し訳・・・ございません」
メイドはそう言って鼻を啜る。その顔が見苦しい。怒鳴りつけてやろうとして、気がつく。
この子の名前は何だっけ。
よく見ると知らない顔だ。新しいメイドだろうか。だとしたらまだ仕事に慣れていないだけか。どうして仕事を教えてやらないのだ。仕事のできないメイドなんて、役立たずでしかない。給金を支払う価値もないではないか。
仕事はできるからこそ仕事なのだ。できないうちは仕事をしているとはいえない。給金を貰うつもりなら役に立つ仕事をしろ。私はそんなことを言ってやった。
目の前に立っているメイドは神妙な顔をして俯いている。充分反省したようだ。しかし黙っていてはわからない。私は喋るのをやめた。様子を伺うと、それはメイドではなかった。目の前に立っていたのは、花瓶だったのだ。
私は驚いて、目の前の花瓶を凝視した。少し離れたところで、箒を手にしたメイドが目を見開いてこちらを見ていた。確かに先ほどの見苦しい顔をしたメイドだった。いつの間に移動したのか。ますます驚いて、そのメイドを睨みつけた。それは前からいたメイドだった。知らない顔だと思ったのは勘違いだった。名前も覚えている。
何かがおかしいと思いながらも、私は気にしないようにしていた。気にしたら負けのような気がしたからだ。アニーが見つからないと家中が騒いでいるが、私はもう諦めていた。アニーがいなければブライアン様との結婚もなくなる。私はレイモンドと結婚して子どもを産めばいい。
私が呼ぶとレイモンドはやってくる。そしてどこかへ連れていってくれるのだ。家から出ると自由になれる気がした。家の中ではレイモンドは使用人。でも家の外では対等になれる。
そしてレイモンドと出かける場所で、私はついにレイモンドを手に入れた。過去の時と違い、レイモンドは積極的だった。私はいつものように、レイモンドにしがみつく。何度も何度もその名を呼ぶ。愛してる愛してると言い続ける。
ブライアン様と結婚する前からずっと続けてきたことだ。結婚は祖父の命令であり、家のためにしたことだ。ブライアン様が私をどう思おうと関係ない。私は家のために生きていかなくてはいけなかったのだ。
私の代わりにアニーが刺繍をし、翻訳をしてラガン家の発展に貢献した。私が全てやったことになったけど、私ではなくブライアン様の功績だった。妻に良い仕事をさせた夫が偉いということになるのだ。
何もかもアニーにやらせてしまいたかった。妻である以上、時にはブライアン様の隣で微笑まなくてはいけない。愛してもいない男の横で、貞淑な妻を演じるのは苦痛だった。それでもこれは仕事なのだと割り切った。メイドが掃除や身の回りの世話をするのが仕事のように、ブライアン様の妻が私の仕事だった。
そして、妻である以上は跡継ぎを産む仕事は私がやらなくてはならなかった。でもブライアン様の子どもは産みたくなかった。だから愛するレイモンドとの子を宿すことにしたのだ。
レイモンドとは毎回短い時間しか会うことができなかった。医者に行くと言って出かけるからだ。馬車に乗って移動する時間がもったいないと何度も思った。レイモンドが夫であれば、出かける必要はないのだ。馬車が止まると、いつも私はレイモンドに抱きついた。ほんの少しの時間でもレイモンドの温もりを味わいたかった。
過去に何度も味わったあの気持ち。それを懐かしく感じながら、私はレイモンドを抱きしめる。彼も私をきつく抱きしめてくれる。味わったことのない充足感で私は幸福に満たされた。目を開けると、目の前のレイモンドが微笑んでいる。私も微笑み、そして・・・。
「今日も人気者ですねぇ」
「幸せなお人だ」
「こんなご令嬢も珍しいですよ」
誰かの声が聞こえる。近くに誰かいるのだろうか。見つかったらどうしようと思いながらも、見つかればもう隠す必要はないと思う。私たちは愛し合っているのだ。その気持ちは大事にすべきだ。
私は目の前のレイモンドにしがみつく。もう離れなくて済むように。背後からレイモンドが私を抱きしめてくれる。2人が離れ離れにならないように。俯くとレイモンドが私を見上げている。私だけを見てくれている。
たくさんのレイモンドが私を包み込んでくれている。レイモンドは何人もいたっけ。何だか頭がぼんやりしていて、うまく考えがまとまらない。最近はずっとこんな感じだ。おかしい、何か変だ。そういえば飲んだお茶の味が変だった気がする。でも・・・。
私にはレイモンドがいる。レイモンドだけがいる。ここにいる人、全てがレイモンドだ。早くレイラとアダムに会いたい。今度こそは、レイモンドに抱かせてあげたい。
「あんたと子作りなんて、まっぴらごめんだ。まさか、地獄の入り口に戻るとは思わなかったよ」
レイモンドの声が少し離れたところから聞こえる。目の前にレイモンドがいるはずなのに。あぁ、違った。後ろにいる人がレイモンドだ。
「でも今回はうまくいったよ。アニー様もうまく逃げられたみたいだし。悪魔は滅びる運命なんだよ」
何を言っているのだろうか。言われていることがよくわからず、聞き返そうとしてハッとした。
目の前にいる禿げた男は誰だろう。私の胸を弄るこの毛深い腕は何?辛気臭い顔の男が私を見上げているけど、これはいったい・・・。
「おやおや、気がついてしまったね」
誰かの声のあと、私の口に何かが流し込まれた。周囲がぼんやりと、カゲロウのように揺らめいている。レイモンドが私の前にいる。だから大丈夫。私は安心して目を閉じたのだった。
186
あなたにおすすめの小説
年に一度の旦那様
五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして…
しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。
選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ
暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】
5歳の時、母が亡くなった。
原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。
そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。
これからは姉と呼ぶようにと言われた。
そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。
母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。
私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。
たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。
でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。
でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ……
今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。
でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。
私は耐えられなかった。
もうすべてに………
病が治る見込みだってないのに。
なんて滑稽なのだろう。
もういや……
誰からも愛されないのも
誰からも必要とされないのも
治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。
気付けば私は家の外に出ていた。
元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。
特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。
私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。
これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
彼女は彼の運命の人
豆狸
恋愛
「デホタに謝ってくれ、エマ」
「なにをでしょう?」
「この数ヶ月、デホタに嫌がらせをしていたことだ」
「謝ってくだされば、アタシは恨んだりしません」
「デホタは優しいな」
「私がデホタ様に嫌がらせをしてたんですって。あなた、知っていた?」
「存じませんでしたが、それは不可能でしょう」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる