心の中にあなたはいない

ゆーぞー

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アリー

72 レイモンドと共に

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「アニーは見つかりません」

 両親とピートがそう言っているのを聞いた。アニー・・・。誰のことだろう。あぁ、私のことだっけ。一瞬の後に気がついた。アニーとは妹のことだ。

 最近、私は自分がおかしいと気づいていた。よく物忘れをする。人の名前や物の名前が出てこなくなったり、ある時は何故ここに自分がいるのかわからなくなったりした。どうしてそうなるのかイライラして、目の前にいるメイドを怒鳴りつける。そうすると相手はあからさまに怯えた様子を見せ、どうかすると涙ぐんだりする。

 何故怯えるのだ。何故泣くのだ。私は余計に苛立ち、ますます大声で怒鳴ってやる。

「も、申し訳・・・ございません」

 メイドはそう言って鼻を啜る。その顔が見苦しい。怒鳴りつけてやろうとして、気がつく。

 この子の名前は何だっけ。

 よく見ると知らない顔だ。新しいメイドだろうか。だとしたらまだ仕事に慣れていないだけか。どうして仕事を教えてやらないのだ。仕事のできないメイドなんて、役立たずでしかない。給金を支払う価値もないではないか。

 仕事はできるからこそ仕事なのだ。できないうちは仕事をしているとはいえない。給金を貰うつもりなら役に立つ仕事をしろ。私はそんなことを言ってやった。

 目の前に立っているメイドは神妙な顔をして俯いている。充分反省したようだ。しかし黙っていてはわからない。私は喋るのをやめた。様子を伺うと、それはメイドではなかった。目の前に立っていたのは、花瓶だったのだ。

 私は驚いて、目の前の花瓶を凝視した。少し離れたところで、箒を手にしたメイドが目を見開いてこちらを見ていた。確かに先ほどの見苦しい顔をしたメイドだった。いつの間に移動したのか。ますます驚いて、そのメイドを睨みつけた。それは前からいたメイドだった。知らない顔だと思ったのは勘違いだった。名前も覚えている。

 何かがおかしいと思いながらも、私は気にしないようにしていた。気にしたら負けのような気がしたからだ。アニーが見つからないと家中が騒いでいるが、私はもう諦めていた。アニーがいなければブライアン様との結婚もなくなる。私はレイモンドと結婚して子どもを産めばいい。

 私が呼ぶとレイモンドはやってくる。そしてどこかへ連れていってくれるのだ。家から出ると自由になれる気がした。家の中ではレイモンドは使用人。でも家の外では対等になれる。

 そしてレイモンドと出かける場所で、私はついにレイモンドを手に入れた。過去の時と違い、レイモンドは積極的だった。私はいつものように、レイモンドにしがみつく。何度も何度もその名を呼ぶ。愛してる愛してると言い続ける。

 ブライアン様と結婚する前からずっと続けてきたことだ。結婚は祖父の命令であり、家のためにしたことだ。ブライアン様が私をどう思おうと関係ない。私は家のために生きていかなくてはいけなかったのだ。

 私の代わりにアニーが刺繍をし、翻訳をしてラガン家の発展に貢献した。私が全てやったことになったけど、私ではなくブライアン様の功績だった。妻に良い仕事をさせた夫が偉いということになるのだ。

 何もかもアニーにやらせてしまいたかった。妻である以上、時にはブライアン様の隣で微笑まなくてはいけない。愛してもいない男の横で、貞淑な妻を演じるのは苦痛だった。それでもこれは仕事なのだと割り切った。メイドが掃除や身の回りの世話をするのが仕事のように、ブライアン様の妻が私の仕事だった。

 そして、妻である以上は跡継ぎを産む仕事は私がやらなくてはならなかった。でもブライアン様の子どもは産みたくなかった。だから愛するレイモンドとの子を宿すことにしたのだ。

 レイモンドとは毎回短い時間しか会うことができなかった。医者に行くと言って出かけるからだ。馬車に乗って移動する時間がもったいないと何度も思った。レイモンドが夫であれば、出かける必要はないのだ。馬車が止まると、いつも私はレイモンドに抱きついた。ほんの少しの時間でもレイモンドの温もりを味わいたかった。

 過去に何度も味わったあの気持ち。それを懐かしく感じながら、私はレイモンドを抱きしめる。彼も私をきつく抱きしめてくれる。味わったことのない充足感で私は幸福に満たされた。目を開けると、目の前のレイモンドが微笑んでいる。私も微笑み、そして・・・。

「今日も人気者ですねぇ」
「幸せなお人だ」
「こんなご令嬢も珍しいですよ」

 誰かの声が聞こえる。近くに誰かいるのだろうか。見つかったらどうしようと思いながらも、見つかればもう隠す必要はないと思う。私たちは愛し合っているのだ。その気持ちは大事にすべきだ。

 私は目の前のレイモンドにしがみつく。もう離れなくて済むように。背後からレイモンドが私を抱きしめてくれる。2人が離れ離れにならないように。俯くとレイモンドが私を見上げている。私だけを見てくれている。

 たくさんのレイモンドが私を包み込んでくれている。レイモンドは何人もいたっけ。何だか頭がぼんやりしていて、うまく考えがまとまらない。最近はずっとこんな感じだ。おかしい、何か変だ。そういえば飲んだお茶の味が変だった気がする。でも・・・。

 私にはレイモンドがいる。レイモンドだけがいる。ここにいる人、全てがレイモンドだ。早くレイラとアダムに会いたい。今度こそは、レイモンドに抱かせてあげたい。

「あんたと子作りなんて、まっぴらごめんだ。まさか、地獄の入り口に戻るとは思わなかったよ」 

 レイモンドの声が少し離れたところから聞こえる。目の前にレイモンドがいるはずなのに。あぁ、違った。後ろにいる人がレイモンドだ。

「でも今回はうまくいったよ。アニー様もうまく逃げられたみたいだし。悪魔は滅びる運命なんだよ」

 何を言っているのだろうか。言われていることがよくわからず、聞き返そうとしてハッとした。

 目の前にいる禿げた男は誰だろう。私の胸を弄るこの毛深い腕は何?辛気臭い顔の男が私を見上げているけど、これはいったい・・・。

「おやおや、気がついてしまったね」

 誰かの声のあと、私の口に何かが流し込まれた。周囲がぼんやりと、カゲロウのように揺らめいている。レイモンドが私の前にいる。だから大丈夫。私は安心して目を閉じたのだった。 

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