心の中にあなたはいない

ゆーぞー

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アリー

71 過去と現在

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 ブライアン様率いるラガン家の方々は怒って帰ったそうだ。両親は肩を落としていたが、私はどうだって良かった。私にはレイモンドとのことの方が重大だったからだ。

 今度こそは、レイモンドに生まれた子どもを抱かせてあげようと思う。レイラもアダムもレイモンドに抱かせたことはなかった。レイモンドはいつも遠くから我が子のことを見ていた。間近で見たことは数える程度。それは仕方がないことなのだ。

 彼はどう思っただろうか。明らかに自分の子なのに、決して抱き上げることはできない。名を呼ぶこともできないし、自分が父だと名のることもできないのだ。きっと悲しい思いをしたに違いない。もうそんな思いをさせないようにしなくてはならない。

 私は心に誓い、レイモンドを呼んだ。メイドに呼ばれて、部屋に入ってきたレイモンドは青白い顔色で機嫌の悪そうな表情だった。

「お呼びでしょうか」

 暗く低い声でレイモンドが言った。私をまともに見ることなく、ずいぶんそっけない態度だ。でも大丈夫。レイモンドをその気にさせることなど、何回だって経験してきた。ブライアン様に申し訳ないとか言って、私から離れようとすることは何度だってあったのだ。

「婚約は解消されたの」

 私はレイモンドに近づく。するとレイモンドは一歩後退し、一定の距離を保つようにした。過去もそうだった。レイモンドはいつも気にしていた。おかしな噂を立てられたら問題になる。貴族の奥方と御者。決して許されないことなのだろうが、私はそんなスリルも味わっていた。

 距離を保つレイモンドに私は笑顔で近づく。一歩進めば一歩下がる。そんなことをゆっくりとでも続ければ、やがてレイモンドは壁にぶつかる。もう逃げられない。

「お嬢様・・・」

 困惑したような顔でレイモンドは声を発する。

「名前を呼んで」

 私は前の時のように言った。私がそう言えば、レイモンドは言ってくれた。ぎこちない言い方だったが、その言い方も好きだった。

「私の名前を呼んでくれない?」

 今度はレイモンドの胸に手を当てて言った。上目遣いに彼を見る。彼の身体がビクッと動く。この反応。そうだ、昔も同じ反応をした。こうすれば彼は陥落する。思い出したら懐かしい。あの時はどうだったっけ?私は記憶を探った。

 確か結婚式が確定したその夜に彼を寝室に呼んだのだ。彼は怯え、何度も訴えた。こんなことはしてはいけない、こんなことは夫婦でしかしてはいけないのだ。彼は何度も何度も訴えたけど、私はそれを無視した。あの時は私も必死だった。結婚の前に学ばないといけなかったからだ。

 それは祖父の命令だった。ブライアン様は何も知らないだろう。知らないということを知られることは、男にとって屈辱なのだ。でも円滑に進めるためには、どちらかが知っていなければならない。だから私が知るべきなのだ。妊娠するのは女なのだから、女がそれとなく進めなければならない。祖父にそう言われた。だからレイモンドが練習相手になったのだ。

 そのことはレイモンドもわかっているはずだ。しかし、彼は頑として自分の主張を曲げなかった。夫婦でない以上はできないと言われた。だから私は言った。これは仕事なのだ。自分の仕事を果たすべきだ。お金を受け取っている以上、これは義務でもあるのだ。

 私の言葉に彼は項垂れた。私だってこんな状態の彼と一緒にいたくはなかった。しかし仕方がないことなのだ。貴族の娘として生まれた以上、果たすべき義務があるのだ。

 あの時、私は思った。妹のアニーはこんな思いをしなくていいのだと。アニーがどんな相手と結婚するのか知らないが、私は家のために結婚しなくてはいけないのだ。私が結婚しなければ、我が家はやがて破産したであろう。夫婦になるために、夫婦になれない相手と夫婦がすることをしている。無茶苦茶な話だ。

 あの時思ったこと、忘れたはずだったことを思い出した。何が何だかわからず、それでも祖父の言うことだけを聞いてそれを実行した日々。大人になれないかもしれない、なれたとしても子どもは作れないかもしれない、だからもしもに備えて妹が生まれた。

 私がいなくなっても妹がいる。だからいつでもいなくなっていい。誰かが私にそう言ったわけではない。でも私はそのことを知っていた。いつでも妹が私の代わりをやる。私の代わりになって、私が手に入れるはずのものを手にする。

 そんなことは絶対に許せない。私はそう思っていた。だから、妹には何も与えないつもりでいた。妹から何もかも奪ってやろうと思った。いくら何も与えなくても、いくら奪っていっても、妹はいつも何かを手に入れていた。刺繍の腕前も翻訳能力も、私にはないものをあの子は手にしていた。

 妹なんていらなかった。妹がいるから、私という存在はなくてもいいものになった。私は何なのだ。この家にとって、私は何?

 心の奥底に沈めていたはずの感情が浮かび上がってきて、私は目の前のレイモンドにしがみついた。そうだ、レイモンドだけは私のものなのだ。私だけのものなのだ。

 あの時、レイモンドが抵抗したのは最初だけだった。彼は手にしたお金の数だけ私に愛していると言った。私を抱きしめ、私に微笑んだ。お金のために私を抱いていると思った方が彼にはよかったのだ。私にはお金があるから、私は彼を独占できたのだ。それでも最後まで繋ぎ止めることはできなかった。本当はレイモンドは私を愛してはいないのだ。

 ずっとわかっていた。それでも自分を保つため、私は気づかないふりをしていた。でも今度こそ、私は手に入れたいと思った。レイモンドの心を。

「・・・お嬢様、やめてください!」

 レイモンドが抵抗している。でもここでやめるわけにはいかない。そうだ、以前と同じようにこのまま進めればいい。いずれ彼は諦める。あの時と同じように。だが・・・。

「本当に、やめてください」

 あっけなく、彼は私から離れた。怒気を含んだ声だった。

「このことは誰にも言いません」

 そう言って、彼は部屋を出ていってしまった。後ろを振り返ることもなく、私を見ることもなく、行ってしまったのだった。

 

 

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