京都市左京区下鴨女子寮へようこそ!親が毒でも彼氏がクソでも仲間がいれば大丈夫!

washusatomi

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第15話 劣化コピーは訳が分からない

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 その夕方には、かなりの寮生が美希の周りに集まった。美希だけでなく向かいに座った金田さんも人の輪の中心だ。

 金田さんが美希に「ごめん」と謝り、美希が「いえ」と応じる。

 新市さんが問いかけた。

「あのさ。話を整理しよう。金ちゃんは何に謝ってて、美希ちゃんは何を許してるわけ?」 

 金田さんが溜息を吐く。いつもぶっきらぼうな無表情なのに、ウィッグを外して化粧だけを残した今の顔は心底済まなさそうだ。

「美希ちゃんにこっちから連絡するなって強く勧めたのは私だし。今日も、学食で騒ぎ起こして美希ちゃんに恥をかかせたし」

 美希に学食から連れ出してくれた寮生が、後者については笑いながら否定した。彼女は南エリアの総合人間学部の所属だ。

「いや~。あれ、金髪の金田さんに注目が集まっただけで、北村さんを覚えている人はいないよ」

 教育学部の河合さんも「私もお昼過ぎに人から『南の食堂で騒ぎがあった』『金髪の女が男を問い詰めてた』と聞いたよ。だから、てっきり金田さんがなにかやったんだろうなとばかり……。美希ちゃんのことだったなんて寮に帰って初めて知った」と加えた。

「で。金田さんは清水さんを追っかけてったわけだけど、どうでした?」

「結局、食堂で聞いた以上の言い分は特になかった」

 藤原さんがおずおずと尋ねる。

「あのう、やっぱりこうなったということは、清水さんは黒田さんの方が好きだったということなんですか?」

「そこは否定するんだよ、あの男は。黒田さんには友情しかないって。母性を感じさせる尊敬できる女友達なんだって」

 河合さんがふうっと息を吐いた。 

「ユングのアニマを連想させますね。狭い意味の恋愛感情とはちょっと違うという言い分はその通りなのかもしれない」

 新市さんは顔いっぱいに嫌悪感を滲ませる。

「女性に『母性』なんてステレオタイプを押しつけるってどうよ?」

「まあ、『母性』という言葉で言いたいのは、『受容的で共感的』ってことなんでしょうけど。恋人より大事にしてそれを隠そうともしないのは……ちょっとねえ」

 炭川さんがうーんと唸りながら「マザコンの変形バージョンって感じなのかなあ」と言い、それを聞いた皆が「なるほど」と頷いた。

 筧さんが「経済的な環境から考えるとさ……」と前置きをする。

「清水さんって京都の下町の方の自営業の息子さんだよね? で、京都市内有数の超進学校に中学受験で合格して西都大に入学した」

 確認するように顔を覗き込まれて美希も「え、ええ……」と答える。

「ちょっと失礼な推測だけど、清水さんのリアルなお母さんは必ずしも高学歴じゃないんだろうと思う」

「たぶんそうです……」

「京都のその超有名進学校に合格してエリートコースに乗った時点で、まあ、学歴が低い親とは別の世界に住むようになったんだよ」

 新市さんも「そうか」と言う。

「社会学で階層研究って分野があってね。高卒か大卒かで生活世界が異なる面はあると思う。彼にとって、同じ西都大に合格して大人っぽい黒田さんはロールモデルかつ第二の母なのかもしれない。確か黒田さんってお父さんが大企業に勤めてるんだって?」

「ええ、テレビとかで見かけるあの会社です」

 そんなの、と炭川さんが口を尖らせる。

「美希ちゃんのお父さんの務め先だって立派じゃん」

「私、父の勤め先について聞かれても、病気療養中だとしか言っていなくて……」

 金田さんが「それだ」と苦々し気に吐き捨てた。

「黒田は大企業勤めの家庭の女だけど美希ちゃんはそうじゃないと思ったんだよ、清水は」

「それは……」

「私も大阪の南の外れの地方都市出身だから、清水の考えそうなことも分かるんだよ。地方の下町育ちにとってテレビで見かける東京の大会社なんて別世界だ」

 新市さんが話をまとめる。

「清水さんにとって黒田さんは、自分がエリートの世界に分け入っていくときに頼りになるお母さんやお姉さんみたいな特別な存在なんだろうね」

「だからってさあ……」

「私もどうかと思うよ。黒田さんに明確な恋愛感情はないとしても、彼は傍に置きたい女性の基準を黒田さんに置いているんだよね。黒田さんと共通する属性があって、かといって黒田さんは畏怖すべき存在だから、恋人にはもっと親しみやすくて大人しい女の子を選ぼうとする」

 金田さんの口調が尖る。

「はっきり言えば『安くてチョロい黒田』がいいのよ、あの男は」

「金ちゃん……」

「劣化コピーなら手軽に扱えるとおもったんでしょ」

「金ちゃんっ!」

 その叫ぶようにたしなめる声は由梨さんだ。由梨さんのこんな声を聞くのは初めてだ。

「美希ちゃんは誰のコピーでもない。まして劣化版なんかじゃない」

 金田さんも慌てて美希を見た。

「ごめん。美希ちゃんを劣化コピーなんて私は全く思っていない。清水がそう扱ってやがるということを言いたかっただけで……」

「分かります」

 それは話の文脈をきちんと追っていれば分かる。金田さんは美希を貶めなどしていない。だけど清水さんは……。

 金田さんが頭をポリポリとかきながら、今まで話したことのない事実を明かした。

「私、文学部への学士入学を考え始めた頃、文学部の有志でやってる自主ゼミに参加して黒田って女と一度会ってるのよ」

「何で言わなかったの?」

「美希ちゃんに先入観を与えたくなかったから。それに今から話すけど、私にとっては別にどうってことない女だったから」

「金ちゃんには黒田さんがどう見えたの?」

「美学とかの話で哲学関係の小難しい単語を使うの。でも、私がその意味を尋ねてもはぐらすばっかりでさあ」

 新市さんが答える。

「まあ最近はスマホで検索すれば辞書的な定義くらいすぐ分かるし。黒田さんもそれくらい自分で調べろといいたいのかもね」

 金田さんが肩を竦める。

「辞書的な定義くらい素人に説明できるようにしとけって思う」

「……」

「自分に使いこなせないような難しい言葉を使う衒学趣味の人間ってさ、自分を個性的だと見せたいという平々凡々な欲求の持ち主でしかない。大したことないよ、あんな女」

 由梨さんが息を吐いた。

「それでも理系の清水さんには眩しかったのかもね」

「黒田なんかよりも、色んな人と素直な会話ができる美希ちゃんの方が絶対優れてる」

「ありがとうございます」

 藤原さんが「そうだよ、清水さんには美希ちゃんの値打ちが分からないんだよ」と言葉を掛けてくれ、そして「こう考えてみてはどうでしょう?」と皆に言う。

「清水さんと美希ちゃんのこの一件、大雑把に言えば源氏物語にも似てませんか? 光源氏って義理の母の藤壺の宮に憧れやまず恋い慕いつつ、若くて後ろ盾のない若紫を引き取るじゃないですか。金田さんの言葉でいえば『チョロい』『劣化コピー』って扱いで。ずっとどこか一段下の形代と思っていたけど、実は紫の上は二人といない得難い貴婦人だったという話」

 炭川さんは不服そうだ。

「えー。その例えだと冴えない清水さんが光源氏ぃ? 『あさきゆめみし』の大和和紀大先生のあの絵で想像しろって? ムリムリムリ!」

「ま、彼自身はその気でいるんじゃないですか。ぜーったいに違うけど」

 由梨さんが美希に微笑んだ。

「源氏物語の例えは清水さんにはぜーったいに当てはまらないけど、美希ちゃんには当てはまるわ。美希ちゃん、自分のことを若紫だって自信を持って!」

「いえ、そんな……」

「理想の貴婦人にはまだなれていなくても、今でも十分中身も外見も可愛いわ。これからだって素敵な女性に成長できる人よ」

「そうそう、清水さんには美希ちゃんの真価が分からなかったのよ!」

「気にすることないよ!」

 皆が口々に美希を励ましてくれる。

 だから美希は本音を口に出せない。自分はやはり母が言うとおり外見も性格も劣っているから彼氏など無理だったのだ、とは。

 そうだ! 母と言えば。本物であれ、偽物であれ、母に向かっては美希が将来の旦那を捕まえているのだと思わせなくておかなくてはならないのだ。

 美希は河合さんに顔を向ける。

「あの……私、本物の彼氏ができなかったので、河合さんの彼氏さんに偽装彼氏をお願いすることになると思うんですが……」

 河合さんは一瞬だけ「う……」と言葉に詰まったが、すぐに笑顔を浮かべてくれた。

「いいわよ。偽装でもなんでも彼氏がいないとお母さんが京都で学ばせてくれないんだもんね」

「ってかさあ! 美希ちゃんまだまだこれからじゃん!」

「そうだよ! これから本当の彼氏が見つかるんだって!」

「清水なんてバカ男さっさと忘れて、もっといい彼氏をつくっちゃえ!」

 皆が口々にそう言ってくれるのに、美希はかろうじて笑顔で答えた。
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