後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符

washusatomi

文字の大きさ
3 / 43

3.後宮の愛されぬ妃

しおりを挟む
 たらいのお湯がちゃぷんと音を立てた。

 先ほど雇い入れた少女が身体を拭いてくれている。坊門が閉まっていては家に戻れないし、今日は宿に泊まるように勧めると「それではお嬢様のお世話を致します」とさっそく申し出てくれたのだ。名を雲雀という。

「あー、さっぱりするわあ! やっぱり女の子にお世話してもらうことにして良かったあ」

 白蘭は砂塵の中を何日も男ばかりの隊商を率いてきた。そのため身体もかなり汚れていたが、雲雀は嫌な顔一つせず、何度も盥のお湯を替えては綺麗に磨き上げてくれる。

「明日は陛下とお会いになるんですもの。ピカピカにしないと! 場所はきっと後宮ですよね。私も後宮に一度入ってみたいですぅ」

「あれ? 後宮に行くのが嫌で逃げてたんじゃなかったっけ?」

「下級の宮人じゃなくてお妃様ならなってみたいですよぅ。女の子なら誰だって華やかな世界に憧れますもん。友達ともそんな夢物語をお喋りしたりもします。だから、あの人買いも『後宮の妃にしてやる』なんて甘いことを言えば騙せると思ったんでしょう」

 雲雀の声が「ですけどねぇ」と低くなる。

「ウチは貧しい物売りで私は字も読めませんよ? 後宮に連れていかれたところで宮女になるしかないじゃないですか。それは嫌ですよ、一生後宮から自由に出られず他人の世話に明け暮れるだけなんて」

 雲雀は夢と現実を弁えたしっかり者らしい。だが、雲雀はなかなか美少女だ。人買いは磨けば光りそうな雲雀の器量に賭けたのかもしれない。

「でも、雲雀はとても綺麗な顔立ちよね。元はの国の人?」

 董王朝の東西南北にそれぞれ王国がある。蘇王国は南にあり、人々の肌の色は褐色だ。くっきりした二重瞼で瞳はくりくりっと大きく、小柄な美女が多い。雲雀は純粋な蘇の人よりは顔がすっきりした印象なので親族の誰かが董の人なのかもしれない。

「父が祖父母の代で蘇から董に移住してきました。母は生粋の董の人間ですが、私たち家族は南の蘇人街に住んでます」

 この董の都は別名華都ともいい、あちこちに他国からの移民が集住している地区がある。

「私なんかよりお嬢様の方がお綺麗ですよぅ。西域の方らしく高い鼻に夏の青空のような色の瞳。でも他の琥の人より柔らかい感じで、いつまでもみとれてしまう愛らしいお顔ですぅ」

 雲雀は白蘭の肌を拭く手を止めて首から下を眺め、「お肌だって象牙のように白くて……」と吐息交じりに呟く。そして白蘭が服を脱いでも首に下げたままの飾りに目を留めた。

「この首飾り、虎ですか?」

「そうよ」

「高そうですねぇ。服の中じゃなくて上衣の外に出して見せた方がいいんじゃないですか」

「……これは護符なの」

 西域の琥王国は中央の董王朝から白虎を与えられた。琥の王室の者はその虎をかたどった護符を首に下げている。肌身離さず常に身に着ける護符はいわば自分の分身だ。他人に見せるためのものではない。

 雲雀は素直に「そうかあ、西域の風習なんですねえ」と返し、そして手巾を盥で絞りながら口にする。

「それじゃあ、先帝の西妃様、今の皇太后様もお持ちなんでしょうかね」

 董の皇帝には東西南北の四神を下された国から妃が入内する。それがしきたりだ。先帝にも西域の琥の王女が西妃として入内していた。皇后として立てられ、そして今は皇太后として後宮で暮らしているはずだが……。

「それにしても皇太后様って気の毒な人生ですよねえ。噂を聞いても酷いなあって思いますもん」

 雲雀は噂が好きなたちらしい。こうやって都の噂をさえずって聞かせて欲しいので、そこは助かる。

「普通なら皇后や皇太后になった女性は栄華を極めたと言われるもんです。でも、皇太后様をうらやむ者はいませんねえ」

 その理由は故郷の琥でも知られていた。皇太后は琥の王宮にいた幼少期からとても聡明でいらした。今でも琥の語り草だ。しかし、いざ輿入れすると、その賢さが裏目に出た。嫁いだ相手の皇帝が暗愚だったのだ。

 雲雀が「頭が良すぎるのも不幸のもとなんですねぇ」と溜息をつく。

 西妃として後宮に入った彼女はあまりに有能でありすぎた。夫たる先帝の凡愚さを一層際立たせてしまうほどに。西妃のような方こそ皇帝の器だと諸官が誉めそやしたが……それが夫である先帝の妬みを買った。自分より評価の高い妻を先帝は愛さなかった。いや、憎んでいたと言ってもいいかもしれない。当時は北妃も南妃もおらず東からの妃は身分が低いために先帝は西妃を皇后にしたが、それは嫌がらせだった。先帝は政務を放り出してとりまきの貴族たちと趣味の世界に耽溺し、国を担う重圧を皇后に押し付けたのだ。

 嫌がらせは他にもある。先帝は下級妃に産ませた男児の一人を皇后に養育させた。これも育児に不慣れな皇后を困らせるためだと聞いている。まだがんぜない幼子が粗相をするたびに「いくら賢くとも、母として子の躾もできぬとは」と衆目の面前であざわらったというから、まったくやることが陰湿だ。

 先帝は別の皇子に帝位を継がせるつもりだったが、結局成人となったのは皇后が養育した皇子ただ一人。先帝の崩御後その子が皇帝となり、若き今上帝は義母を敬い皇太后として丁寧に遇している。苦労の多かった先の西妃の人生もようやく報われたといえるだろう。

「今の皇太后様はお幸せにお過ごしでしょう?」

 白蘭の問いに雲雀は盥で布をすすぎながら首をかしげる。

「でもぉ。若い女盛りの間を夫に顧みられず過ごすなんて惨めでお可哀そうな人生ですよぅ。『後宮の愛されぬ妃』なんて呼ばれて……」

「そうかな?」

 白蘭はそう思わない。

「そうですよぅ。女は男に愛されることが幸せなんですから」

「別にそうとも限らないと思うけど? だって相手はバカだしさ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる

gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く ☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。  そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。  心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。  峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。  仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

処理中です...