後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符

washusatomi

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12. 女商人白蘭の荷ほどき(一)

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  冬籟に連れてこられた禁軍の官衙ではすでに篝火がたかれ、馬のいななきと武具の音でせわしない雰囲気だった。冬籟が足を踏み入れると、立派な出で立ちの武官が駆けよってくる。

「冬籟将軍、南の蘇人街で騒ぎがございます」

「今か? 蘇人街で何だ?」

「蘇人の雑貨屋の亭主から娘が帰ってこないと訴えがありまして。娘は昼に一度自宅に戻ってきたのに、今日から西市の北に滞在中の琥の商人に雇われたと言い残して出かけたきり戻ってこないのだとで……」

 白蘭が「雲雀のことだわ!」と小さく叫ぶと、冬籟も「そのようだな」と応じた。

「近々、南の蘇から王が華都に来ることになってるんだ。だから警備の都合で南の街区の坊門を早めに閉めている。雲雀の親は娘が戻ってこれなくなることを心配しているんだろう。そして警備の者も蘇王の訪問を控えて神経を尖らせている。だから……」

「禁軍の官衙にまで報告が上がってくる騒ぎになったんですね」

 冬籟は「まあな」と答え、部下に事情を要領よく説明して、再び白蘭に顔を向ける。

「あんたは馬で急いで宿に帰れ。俺は蘇人街に行って雲雀の親に事情を説明しておこう。今夜は少し遅くなるが必ず家に帰ると伝えればいいんだな?」

「ですが、雲雀を宿から家まで夜一人で歩かせるわけには……」

「雲雀は俺が送り届けよう」

「それはありがたいですが、将軍ともあろう方に……」

 冬籟は「俺は、夜はできるだけ宮城の外で過ごしたい」と素っ気なく答えると、「厩舎はこちらだ」と歩き出した。

 そうか。昨夜も冬籟は街の見回りに出ていたが、それは本来の職務に加え、冬籟自身も東妃と卓瑛とが睦まじく暮らす宮城から離れて夜を過ごしていたいからなのだろう。

 冬籟がつけてくれた護衛の武人と一緒に宿に馬をとばす。夕食時でごったがえす飯庁を手伝っていたのか袖をまくっている雲雀は、今はこちらに背を向けて片隅の卓に腰かけていた。そして手元の紙切れをなにやら熱心に眺めている。

 白蘭が「雲雀」と呼びかけると、振り向きざまに腰を浮かせながら「お帰りなさいませ、お嬢様ぁ!」と呑気な声を出した。蘇人街が早めに坊門を閉めることを忘れているのか、遅くなってもまた白蘭の宿に泊まればいいと思っているのか、日が暮れたのは気にしていないようだ。

 雲雀が手元の紙切れを軽く振る。

「女将さんが息子さんの手習い用のお手本を出してきてくれたんですよぅ」

 女将さんが「お帰りなさいまし」と言いながら奥から出てきた。

「董の家じゃ母親が字を教えますから、そんなものも手元にあったんでございますよ」

「ウチは母さんも父さんも字が読めないから、こんなの初めて見ますぅ」

 その両親が雲雀を心配し、そして蘇王訪問を控えた蘇人街でちょっとした騒ぎになっているのだと白蘭が伝える。

 状況を知った雲雀は「わわ、そんなことになっているんですか?」と驚き、今夜は禁軍将軍に自宅まで送ってもらうと知って「畏れ多いですぅ」と恐縮する。

「冬籟様は、夜は宮城の外で過ごしたいのよ。さ、冬籟様が迎えに来るまで一勉強済ませておかないと」

 そこで白蘭の腹がグーと鳴る。その音を雲雀は聞き逃さなかった。

「お嬢様、お腹が空いてらっしゃるのでは?」

「あ、そう言えば今日は朝から何も食べてない……」

「な、何か召し上がって下さい!」

 女将さんが用意してくれた夕食をほおばりながら、雲雀に字の成り立ちなどを教えていると、冬籟が宿に到着した。

 そこで白蘭の夕食と雲雀の勉強を切り上げようとしたが、彼は「俺の方が待っててやるから気にするな」と自分も近くの椅子に腰を掛けた。が、その途端に彼の腹の虫がグーと鳴く。

「あ、冬籟様も朝食を食べたきりでしたね」

「そうだが。まあ、武人ならこんなことはよくあるから平気だ」

「ここは飯庁ですよ? 女将さんのためにも何か注文して下さい」

 冬籟は少し口の端を上げると女将を呼んで料理を頼む。客も少なくなってきたので、白蘭は店に文房具を借り、この場で雲雀に字を書いてみるように言ってみた。

 ところが、雲雀が筆を持って動かすものの……とても見ていられない。

 まず筆の持ち方がなっていない。その運びもおっかなびっくりでぎこちない。筆先だけでか細い線を書いたかと思うと、次には筆の根元まで紙に押し付けてしまう。

「わわ、お嬢様。点を打つつもりが黒い丸の染みになってしまいましたぁ!」

 白蘭は自分の食器を卓に置いた。筆の扱い自体に慣れていない雲雀の背後に回り、後ろから雲雀の手に自分の手を添えて紙と筆との距離感を教えていく。

 冬籟は、そんな白蘭と雲雀を興味深そうに眺めながら、自分の夕食をさっさと済ませてしまった。

「俺が代わろう」

「は?」

「あんた、あつものが冷めちまったぞ。女将に温め直してもらって今度は冷めないうちに食ってしまえ。その間は俺が雲雀に筆の持ち方を教えてやるから」

 白蘭は「いえ、そんな」と断りかけたが、雲雀が背後の白蘭を妙にキラキラ光る瞳で見上げている。ああ、そうか。雲雀にとっては黒の貴公子に手を握ってもらえる貴重な機会だ。「では、よろしく」と白蘭は冬籟に雲雀の相手をしてもらうことにした。

 ようやく雲雀が適切な太さで一本の線を書けるようになったところで今日の授業を終えることにする。もう飯庁に白蘭たち以外の客はいない。
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