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24 波乱を招く蘇の朱莉姫(二)
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その人影は腰を伸ばして「いやいや、これは冬籟様」と振り返った。蠱惑的な美しい顔立ち。見間違えようもない。璋伶だ。
武官の冬籟は一度見た男の体格を忘れないものらしい。彼は璋伶の仕草で武術の達人だと見抜いたくらいだから、老人に見せかけた変装などには騙されなかったのだろう。
「いや、なに。黒の貴公子に及ばずとはいえ私もそれなりに美青年ですからね。夜の街では女性からのお誘いなどもありまして」
璋伶が大げさに肩をすくめ、空いている片手をあお向ける。芝居がかっているのは役者の癖か、それとも何かを隠しているからか。
「その荷はなんだ?」
「いやあ。舞台で使う衣装でございますよ。ほら、蘇王の前で公演がありますから」
その言いわけが本当かどうか知らないが、ともかく夜の街を出歩いていたなら雲雀を見かけなかっただろうか。
「あの、璋伶さん、雲雀を知りませんか?」
その「雲雀」という声に応えるように、袋の中から「みゃあ」とも「まぁ」ともつかない声が聞こえた。
「雲雀?」
「……おじょうさ……まぁ」
これは雲雀の声だ。その、語尾を少しのばす口調も!
「雲雀!」
白蘭の口から叫びが漏れると同時に、冬籟が馬から滑り降りた。璋伶は屈みこむと自分の荷を地面にごろんと転がす。この重量感。間違いない、これは人だ。きっと雲雀だ。
璋伶は低い姿勢のまま地面を蹴って背後に駆けだした。冬籟がそれを追う。
白蘭も馬から下りて、大急ぎで荷袋を閉じている紐をとく。
雲雀は中に入っていたが目を閉じたままだ。袋から上半身をむき出しにして「雲雀! 雲雀!」と耳元で怒鳴りながら強く揺すっても目を覚まさない。
白蘭の声に「お嬢様ぁ」とむにゃむにゃ返すので、命に別状はなく眠っているだけのようだ。だけどこの睡眠状態はいつまで続くのか。放っておいても大丈夫なのか。いったい璋伶は何をしたのか。
璋伶が走りいく方角に向かって、冬籟が部下たちを呼ぶ。馬と人の気配が小路の先に集まり逃げ道を塞いだ。
璋伶が、今度は自分を追う冬籟の方向へ取って返す。
冬籟は小路の中央に仁王立ちだ。こうして見ると長身の彼は手足も長い。璋伶が来ても捕らえるのはたやすいだろう。
ここで璋伶は思いがけない行動をとった。冬籟の手前で坊墻に駆け寄り、垂直の墻に足をかけると、その壁面を数歩以上も蹴って進み、そして最後に大きく跳躍して冬籟の背後に着地する。
「……!」
冬籟も一瞬だけ驚いたようだが、もちろん反転して逃げる璋伶の背を追う。さすがに武官だけあって冬籟の動きも早い。あっという間に璋伶に追いつく。
白い閃光が冬籟の行く手をかすめた。冬籟は足を止めてそれをかわす。璋伶が太刀を握っていた。よく見ると背中に鞘があるから彼は剣を背負っていたらしい。
冬籟が佩いていた剣に手をやった瞬間にも璋伶が冬籟に斬りかかる。
「危ない!」
しかし冬籟が機敏な動きで鞘から刀身を抜くや、そのまま相手の刃を払った。キンと鋭い金属音がし、火花がはじける。
白刃が夜闇を駆けまわる。砂漠で出くわす盗賊などと異なり、武芸の達人どうしの剣戟は互いに動作に無駄がなく敏捷で、見守るしかできない白蘭の鼓動も早鐘を打つようだ。
カキーンと長く伸びる音とともに璋伶の剣が宙に放り出された。冬籟が力と速さをこめて振り抜いた一撃に持ちこたえられなかったらしい。
璋伶の次の動きも素早い。すぐにまた逃走を始める。白蘭のいる方向に向かって来るので、白蘭も雲雀を寝かせたまま立ち上がった。
璋伶の背後に冬籟が迫り、行く手に白蘭。ならば次に璋伶がするのは……。
白蘭が読んだとおり、璋伶は今回も坊墻に駆け上がる。
──逃がすものですか!
彼にあわせて白蘭も地面を駆け、彼が跳躍して着地する地点に自分も身をおどらせた。
ガチンッ!
痛い。大の男とまともに身体がぶつかったのだ。骨まで痺れるように痛い。璋伶も顔をしかめて地面にうずくまっている。
「大丈夫か! 商人」
「わ、私は大丈夫です、それより!」
冬籟が璋伶を後ろから片腕でかかえこみ、そして首先に刃の先を当てる。白蘭は全身の痛みを忘れて叫んだ。
「雲雀に何をしたんですか! さっきから全然目を覚まさないわ!」
璋伶はこの状況でも色男を気取る余裕はあるようで、ニコリとほほえんで見せた。
「大丈夫ですよ、白蘭嬢。南方の密林で取れる薬草を飲ませてるだけです。麻酔としてはとても強いものですが必ず目を覚まします」
「それはいつなんですか!」
「だいたい日の出頃には」
白蘭の怒鳴り声が刺激になったのか、雲雀がむにゃむにゃと寝言を言う。
「お嬢様ぁ」
「雲雀!」
「私も本が読めますぅ。山と海の先にはめーずらしい生き物がいるんですねぇ。一緒に行きましょうよぅ。白の貴公子と黒の貴公子についてきてもらって……うわぁ、両手に花……ありがとうございますぅ、お嬢様……」
璋伶がくすくすと笑う。
「この麻酔が効いている間は、普段は理性で抑え込んでいる心の奥底を口走るものですよ。雲雀嬢は心から白蘭嬢に感謝しているようですな」
冬籟が璋伶を抑える姿勢をピクリとも動かさずに、口だけを動かす。
「ああ、この商人はいい主だからな」
冬籟の部下たちが周囲に集まり、十数人の人だかりができる。これで璋伶はどこにも逃げられないだろう。
そこに場違いな若い女の声がした。
「璋伶をお放しなさい!」
白蘭がその声の方向に首を巡らすと、人垣の中から蘇の血を引いた顔立ちの少女が進み出てくるところだった。
武人達から「禁軍将軍に命令するか!」「何者だ!」と太い声が上がる。けれど白蘭が言いたいのは……。
「あ、の……? 貴女、雲雀の親戚か何か?」
雲雀とよく似ている。親戚、例えば従姉とか言われればしっくりきそうなほどに。
「無礼な。私はその娘と血縁などないわ。だけど、その子は私に似ていていて幸運だったのよ。私と璋伶が良いように計らうからその娘と璋伶をお返しなさい」
「良いようにって。意識不明にしてどこかに連れ去ろうとしてたじゃないの!」
少女はそれに答えず白蘭に「戴家の白蘭とはお前のこと?」と問う。「そうよ」と応じると今度は「お前たちが悪い」と言い始める。
「私たちは穏便に済ませようとしたわ。親に金を払って買い取ろうとしたのに、それを戴家の娘が邪魔をした。だから私たちは今回少々手荒な真似をせざるをえなくなった」
「あのときの人買い! 貴女たちが雲雀を買うのを依頼したのね!」
白蘭が華都に到着して初めての夜。雲雀は人買いに騙されかけた。あの人買いが断りにくい筋からの依頼だとほのめかしていたが、この少女達が依頼主だったのか。でも、この子は何者?
冬籟が周囲の部下に「内密の話だ。散れ」と命じ、ささっと武人たちが離れていく。話し声の届かないところに数人がとどまっているのは不測の事態に備えてだろう。
「人払いをした。事情を聞かせていただきましょうか、朱莉姫」
武官の冬籟は一度見た男の体格を忘れないものらしい。彼は璋伶の仕草で武術の達人だと見抜いたくらいだから、老人に見せかけた変装などには騙されなかったのだろう。
「いや、なに。黒の貴公子に及ばずとはいえ私もそれなりに美青年ですからね。夜の街では女性からのお誘いなどもありまして」
璋伶が大げさに肩をすくめ、空いている片手をあお向ける。芝居がかっているのは役者の癖か、それとも何かを隠しているからか。
「その荷はなんだ?」
「いやあ。舞台で使う衣装でございますよ。ほら、蘇王の前で公演がありますから」
その言いわけが本当かどうか知らないが、ともかく夜の街を出歩いていたなら雲雀を見かけなかっただろうか。
「あの、璋伶さん、雲雀を知りませんか?」
その「雲雀」という声に応えるように、袋の中から「みゃあ」とも「まぁ」ともつかない声が聞こえた。
「雲雀?」
「……おじょうさ……まぁ」
これは雲雀の声だ。その、語尾を少しのばす口調も!
「雲雀!」
白蘭の口から叫びが漏れると同時に、冬籟が馬から滑り降りた。璋伶は屈みこむと自分の荷を地面にごろんと転がす。この重量感。間違いない、これは人だ。きっと雲雀だ。
璋伶は低い姿勢のまま地面を蹴って背後に駆けだした。冬籟がそれを追う。
白蘭も馬から下りて、大急ぎで荷袋を閉じている紐をとく。
雲雀は中に入っていたが目を閉じたままだ。袋から上半身をむき出しにして「雲雀! 雲雀!」と耳元で怒鳴りながら強く揺すっても目を覚まさない。
白蘭の声に「お嬢様ぁ」とむにゃむにゃ返すので、命に別状はなく眠っているだけのようだ。だけどこの睡眠状態はいつまで続くのか。放っておいても大丈夫なのか。いったい璋伶は何をしたのか。
璋伶が走りいく方角に向かって、冬籟が部下たちを呼ぶ。馬と人の気配が小路の先に集まり逃げ道を塞いだ。
璋伶が、今度は自分を追う冬籟の方向へ取って返す。
冬籟は小路の中央に仁王立ちだ。こうして見ると長身の彼は手足も長い。璋伶が来ても捕らえるのはたやすいだろう。
ここで璋伶は思いがけない行動をとった。冬籟の手前で坊墻に駆け寄り、垂直の墻に足をかけると、その壁面を数歩以上も蹴って進み、そして最後に大きく跳躍して冬籟の背後に着地する。
「……!」
冬籟も一瞬だけ驚いたようだが、もちろん反転して逃げる璋伶の背を追う。さすがに武官だけあって冬籟の動きも早い。あっという間に璋伶に追いつく。
白い閃光が冬籟の行く手をかすめた。冬籟は足を止めてそれをかわす。璋伶が太刀を握っていた。よく見ると背中に鞘があるから彼は剣を背負っていたらしい。
冬籟が佩いていた剣に手をやった瞬間にも璋伶が冬籟に斬りかかる。
「危ない!」
しかし冬籟が機敏な動きで鞘から刀身を抜くや、そのまま相手の刃を払った。キンと鋭い金属音がし、火花がはじける。
白刃が夜闇を駆けまわる。砂漠で出くわす盗賊などと異なり、武芸の達人どうしの剣戟は互いに動作に無駄がなく敏捷で、見守るしかできない白蘭の鼓動も早鐘を打つようだ。
カキーンと長く伸びる音とともに璋伶の剣が宙に放り出された。冬籟が力と速さをこめて振り抜いた一撃に持ちこたえられなかったらしい。
璋伶の次の動きも素早い。すぐにまた逃走を始める。白蘭のいる方向に向かって来るので、白蘭も雲雀を寝かせたまま立ち上がった。
璋伶の背後に冬籟が迫り、行く手に白蘭。ならば次に璋伶がするのは……。
白蘭が読んだとおり、璋伶は今回も坊墻に駆け上がる。
──逃がすものですか!
彼にあわせて白蘭も地面を駆け、彼が跳躍して着地する地点に自分も身をおどらせた。
ガチンッ!
痛い。大の男とまともに身体がぶつかったのだ。骨まで痺れるように痛い。璋伶も顔をしかめて地面にうずくまっている。
「大丈夫か! 商人」
「わ、私は大丈夫です、それより!」
冬籟が璋伶を後ろから片腕でかかえこみ、そして首先に刃の先を当てる。白蘭は全身の痛みを忘れて叫んだ。
「雲雀に何をしたんですか! さっきから全然目を覚まさないわ!」
璋伶はこの状況でも色男を気取る余裕はあるようで、ニコリとほほえんで見せた。
「大丈夫ですよ、白蘭嬢。南方の密林で取れる薬草を飲ませてるだけです。麻酔としてはとても強いものですが必ず目を覚まします」
「それはいつなんですか!」
「だいたい日の出頃には」
白蘭の怒鳴り声が刺激になったのか、雲雀がむにゃむにゃと寝言を言う。
「お嬢様ぁ」
「雲雀!」
「私も本が読めますぅ。山と海の先にはめーずらしい生き物がいるんですねぇ。一緒に行きましょうよぅ。白の貴公子と黒の貴公子についてきてもらって……うわぁ、両手に花……ありがとうございますぅ、お嬢様……」
璋伶がくすくすと笑う。
「この麻酔が効いている間は、普段は理性で抑え込んでいる心の奥底を口走るものですよ。雲雀嬢は心から白蘭嬢に感謝しているようですな」
冬籟が璋伶を抑える姿勢をピクリとも動かさずに、口だけを動かす。
「ああ、この商人はいい主だからな」
冬籟の部下たちが周囲に集まり、十数人の人だかりができる。これで璋伶はどこにも逃げられないだろう。
そこに場違いな若い女の声がした。
「璋伶をお放しなさい!」
白蘭がその声の方向に首を巡らすと、人垣の中から蘇の血を引いた顔立ちの少女が進み出てくるところだった。
武人達から「禁軍将軍に命令するか!」「何者だ!」と太い声が上がる。けれど白蘭が言いたいのは……。
「あ、の……? 貴女、雲雀の親戚か何か?」
雲雀とよく似ている。親戚、例えば従姉とか言われればしっくりきそうなほどに。
「無礼な。私はその娘と血縁などないわ。だけど、その子は私に似ていていて幸運だったのよ。私と璋伶が良いように計らうからその娘と璋伶をお返しなさい」
「良いようにって。意識不明にしてどこかに連れ去ろうとしてたじゃないの!」
少女はそれに答えず白蘭に「戴家の白蘭とはお前のこと?」と問う。「そうよ」と応じると今度は「お前たちが悪い」と言い始める。
「私たちは穏便に済ませようとしたわ。親に金を払って買い取ろうとしたのに、それを戴家の娘が邪魔をした。だから私たちは今回少々手荒な真似をせざるをえなくなった」
「あのときの人買い! 貴女たちが雲雀を買うのを依頼したのね!」
白蘭が華都に到着して初めての夜。雲雀は人買いに騙されかけた。あの人買いが断りにくい筋からの依頼だとほのめかしていたが、この少女達が依頼主だったのか。でも、この子は何者?
冬籟が周囲の部下に「内密の話だ。散れ」と命じ、ささっと武人たちが離れていく。話し声の届かないところに数人がとどまっているのは不測の事態に備えてだろう。
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